予兆Ⅲ
【盟主 ヴェイナード・クロム・ディエ・ユグドルシア】
「――他種族の兵士については編成が完了しました」
「ご苦労だったな。種族間の衝突は起きていないか?」
「それが……ドワーフはマイペースで人の話を聞きませんし、竜人は無駄にプライドが高く、我々や他種族を蔑む態度が鼻につきます。翼人はさっぱり気概が感じられず、人狼や人虎は縄張り意識が強くいがみ合いを――」
少し突けば、あれやこれやと他種族への不満が溢れ出す。そんな側近の様子に、ヴェイナードは苦笑を浮かべた。
「エルフ族も同じように思われているのだろうな」
「……そうでしょうか。切り札のユグドラシルは我々エルフ族の叡智です。敬意を払われてしかるべきではありませんか?」
側近は少しムッとした様子で答える。どうやら、自らの選民思想には気付いていないようだった。
「彼らは各種族から選抜された勇士たちだ。自分の腕に自信がある分、退くことを知らないのだろう」
今回の計画に乗ってきたのは、現状をよしとしない過激派の亜人たちだ。大枠では同じ方向を向いているとは言え、仲間意識を望むには程遠い。
だが、戦力として一級品であることに間違いはなかった。
「それで、エルフ族の編成はどうなっている?」
「はっ、そのことですが……」
ヴェイナードの言葉を受けて、側近は懐から書状を取り出した。
「連判状か?」
ヴェイナードは書状を広げると、文面に目を通す。
「……ふむ」
そして、連判状を破り捨てた。
「ヴェイナード様!? 何を――」
「エルゼス、覚えておけ。俺は何があろうとルナフレアを受け入れる気はない」
「ですが、その条件さえ飲めば、ヒルト様の派閥は全面的に協力すると……」
「三千年前の遺恨は今だ根強い。エルフ王族が戻れば、他種族は兵を引き上げるだろうさ」
そして、ヴェイナードは冷たく笑いかけた。
「せっかく派閥を継いだのだ。アルジャーノンと同じ末路を辿らずともいいだろう。ヒルトにそう伝えておけ」
「はっ!」
エルゼスは背筋を伸ばして答える。その声には緊張の色が強く窺えた。少し脅しすぎたかと、ヴェイナードは話題を変える。
「……ところで、その鎧の調子はどうだ? 修復を終えたように見えるが」
「自己修復機能に頼らず、物理的な補修を行いましたので、防具としては問題ありません。ただ、内部機構は修復中でして、出力は低下していますし、使用できない機能もいくつかあります」
ほっとした様子で、エルゼスは問いかけに答える。
「セベク将軍も、よくよく破壊してくれたものだ。……まあ、古代鎧が見つかっただけでも僥倖と思わねばな」
「はい。古代鎧さえあれば、どんな敵でも打ち倒せましょう」
「頼もしいな。……だが、奢らぬことだ。上には上がいる」
ヴェイナードは、半ば自分に言い聞かせるように呟く。すると、エルゼスは不満げに顔を顰めた。
「それはフェリウスのことでしょうか。ルナフレア殿下から古代鎧を賜っておきながら、人間側についた裏切り者に、私が後れを取るはずはありません」
語気も荒く告げたのは、ヴェイナードが何度も彼を警戒する旨の発言を繰り返していたからだろう。実際に、ヴェイナードは帝都の誰よりも彼を強敵だと考えていたが、それを真剣に受け止めている者は少ない。権力者の言うことだからと、表面上頷いているだけだ。
「大義だけでは戦いに勝てないからな」
「失礼ながら、ヴェイナード様はフェリウスを過大評価しておいでです。私はかの者を知りませんが、奴と対峙した暁には、一合の下に斬り伏せてみせましょう」
「……そうか、それは頼もしいことだ。期待している」
「はっ!」
やがて、エルゼスは意気揚々といった足取りで退室していく。その後ろ姿を見送るヴェイナードの眼差しは、あまりに冷ややかなものだった。
◆◆◆
【支配人 ミレウス・ノア】
「ダグラスさんが襲われた!?」
『大破壊』との試合を半月後に控えた、とある日の夕暮れ。ヴィンフリーデから予想外の報告を受けた俺は、思わず椅子から立ち上がっていた。
「ええ。交流試合の帰りに襲われたみたい。命に別状はなかったみたいけど……今は詰所で経緯を説明しているわ」
「そうか。だが、いったい誰が……?」
無事だと知って、まずはほっと一息つく。しかし、剣闘士ながら温厚な人柄のダグラスさんは、およそ恨みを買うことがないはずだが……。
「衛兵たちの口ぶりだと、相手は話題の連続殺人犯だと思っているみたいね」
「ああ、あれか」
ヴィンフリーデの言葉には心当たりがあった。ここ数日、帝都を騒がせている連続殺人犯。その目的は不明だが、すでに十数人の犠牲者が出ているはずだ。
その姿を見た者はいないが、現場の破壊痕や犠牲者の傷痕から、犯人は剣士と魔術師、もしくは魔法剣士だと推測されていた。
「近くに住んでいる従業員に話を聞いたけれど、現場はひどい有様みたい」
「これまでも、周囲の被害には無頓着だったみたいだしな」
「ええ。それでも、いつもに比べれば民家への被害は小さかったらしいけど、それはダグラスさんが守ったからでしょうね」
「そうだろうなぁ」
ダグラスさんの『金城鉄壁』の二つ名は伊達ではない。魔法盾を持ったダグラスさんの防御を抜くのは、『極光の騎士』でも苦労するからな。
「……ということは、ダグラスさんは初めて生き残った被害者になるのか。それは衛兵たちも目の色を変えるだろうな」
「今までは、人数も姿もまったく不明だったものね」
「ん? 待てよ……ダグラスさんがきっかけで連続殺人犯が捕まれば、いい宣伝になるんじゃないか? あの殺人鬼も歯が立たなかった鉄壁の男、みたいな」
ふとそんな思考が口を突いて出る。すると、ヴィンフリーデは呆れたように笑った。
「前向きねぇ……あら?」
彼女が反応したのは、支配人室の扉がノックされたからだ。扉を開けると、その向こうに立っていたのは、話題にしていたダグラス本人さんだった。
「ダグラスさん! 怪我はありませんか?」
「ふむ、その様子だともう知っているようだな。怪我については問題ない。詰所で治癒魔法を使ってもらった」
「治癒魔法を……」
その情報に、俺は身体を強張らせた。つまり、治癒魔法を使わなければならないほどの傷を負ったということだ。
「そんなに強敵だったんですか?」
「魔法を連射されて、中々反撃に出られなくてな。隙を突いて盾打撃をくれてやったが、それが唯一の成果だ」
「これまで生存者はゼロだったんですから、生き残った時点で大きな成果だと思いますよ」
「ダグラスさん、相手は一人だったんですか?」
そう尋ねたのはヴィンフリーデだった。彼女も殺人犯の正体に興味津々らしい。
「うむ。全身鎧で詳しくは分からなかったが、声からして男だろう」
「ということは、相手は魔法剣士ですか。しかし、ダグラスさんを足止めできるほど魔法の実力がある魔法剣士なんて……」
「まるで『極光の騎士』ね」
ヴィンフリーデが言葉の続きを口にすると、俺は大袈裟に肩をすくめた。
「嫌なことを言うなよ。……目撃者がダグラスさんで助かったな。下手をしたら『極光の騎士』に出頭命令が出るところだ」
「衛兵にも『極光の騎士』ではないかと聞かれたが、違うと断言しておいた」
「ありがとうございます。助かりました」
感謝の言葉にダグラスさんはかすかに頷いた。そして、少し考え込むような素振りの後で口を開く。
「衛兵には内密でと言われていたが……まあ、いいだろう。その男は、戦いの前に『フェリウス・クロークか?』と尋ねてきた」
「ええと……つまり、人を探していたの?」
ヴィンフリーデが首を傾げると、ダグラスさんは苦笑を浮かべた。
「探していたとしても、平和な目的ではあるまいな」
「怖いわね……。でも、交流試合の帰りだったのは不幸中の幸いでしたね」
「そうだな。魔法盾がなければ厳しい戦いだったはずだ」
ダグラスさんは頷くと、俺のほうへ視線を向ける。
「シルヴィにも感謝せねばな。出力強化や機能拡張のおかげで、周りの被害を抑えることができた」
「それはよかったです。よければ、シルヴィに直接言ってやってください」
「ああ、そうしよう。ところで――」
そして、話題は試合や運営の話へ移っていく。だが……。
――フェリウス・クローク。あまりにも心当たりがあるその名前は、いつまでも俺の頭で繰り返されていた。
◆◆◆
「衛兵が全滅した?」
そんな凶報を聞いたのは、ダグラスさんが襲われた翌日のことだった。
「正確に言えば、全滅したのは囮部隊ね。囮役が一人と、少し離れて待機していた衛兵が二十人ほど。噂ではすぐに勝負がついたらしいわ」
「それはまた、かなりの手練れだな」
俺は全滅した衛兵たちの冥福を祈った。ダグラスさんの話から強敵だとは思っていたが、やはり尋常な相手ではないようだった。
「ミレウス、どうしたの?」
「え?」
ヴィンフリーデに言われて、俺は自分が立ち上がっていることに気付いた。そんな俺の反応を見て、彼女はクスリと笑う。
「突然立ち上がったから、殺人犯を捕まえに行くつもりかと思ったわ」
「ああ、そのつもりだ」
「……え?」
「連続殺人犯の目的は俺だろうからな。……フェリウス・クロークというのは、俺がフォルヘイムで使っていた偽名だ」
目を丸くしているヴィンフリーデに構わず、一息に事情を説明する。あまりに驚いたようで、彼女はその場に立ち尽くしていた。
「いっそのこと、『極光の騎士』の本名こそがフェリウス・クロークだと、そう名乗り出ようとも思ったんだが……」
「相手が神出鬼没の殺人鬼じゃ、伝える方法がないわね」
ヴィンフリーデは納得したように頷いた。
「それじゃ、どうするの? 毎日『極光の騎士』として帝都を見回るの?」
「さすがにそれは厳しいから見送っていたんだが……そこへ今回のニュースだ」
「囮部隊が全滅したということ?」
「それもあるが、重要なことは囮が囮として機能していたという点だ。つまり、衛兵たちは殺人鬼が何を基準に人を襲っているかを知っているはずだ」
そう簡単に教えてはくれないだろうが、向こうとしても死活問題のはずだ。彼らの面子を立てるような方向に持っていけば、情報提供だって見込めるだろう。
そう判断すると、俺は外套を手に取った。
◆◆◆
もうすぐ夜になろうかという街中を、一人で歩く。カツン、カツンという足音がいつになく大きく響いているのは、俺が意図的に音を立てているからだ。
周囲が驚いたように俺に視線を向けるのは、『極光の騎士』が帝都を闊歩しているという珍しい光景のためだろう。それでも近付いてくる人間がいないのは、人避けのために軽い殺気を放っているからだ。
『さて……現れるでしょうかね』
『そう願いたいな。早く片付けて、次の『大破壊』戦に集中したいものだ』
答えながら、俺は鎧に覆われた自分の腕を見つめる。衛兵の詰所で仕入れた情報によれば、殺人鬼が標的にしているのは武装した人間。それも、魔法の武具を身に着けた人間なのだという。
そして、そうであれば囮の材料には事欠かない。情報を仕入れた俺は、早々に古代鎧を着込んで街を歩いているのだった。
周囲の気配に気を配りながら、大通りを歩く。殺人鬼の噂が広まったためだろう、人通りはかなり少なくなっていた。
『しかし、喋っていいのか? シンシアに筋力強化を使ってもらっただけで、まだ鎧は起動させてないはずだが』
『起動していなくても、念話くらいは使えます。待機時は使用できる魔力が限られていますから、普段は沈黙していますが……』
そして、クリフは珍しく真面目な雰囲気で言葉を続けた。
『その殺人鬼とやらは、エルフ絡みなのでしょう?』
『そうだな。可能性は低いだろうが、古代鎧の可能性もある』
『古代鎧ということは、ヴェイナード殿ですか?』
『……いや、それはない。ヴェイナードは俺の正体を知っているからな。魔法の武具や偽名を頼りにして人探しをする必要はないはずだ』
かつてはともに旅をして、ともに戦った仲間の名前に複雑な思いを抱きながら、俺はクリフの問いに答えた。
『となると……現存している可能性があるのは、セベク将軍が使っていた古代鎧か』
『となると、殲滅戦仕様ですね』
『中距離戦闘はさんざんだったからなぁ』
と、そんな会話を交わしていた時だった。ふと剣呑な気配を感じた俺は、剣を抜き放った。やがて、建物の屋根の上から気配の主が姿を見せる。
『あれは、セベク将軍が使っていた古代鎧に見えるが……』
『ええ、間違いありません。あれは殲滅戦仕様の古代鎧です。まさか本当に現れるとは……』
『とりあえず、古代鎧の起動を頼む』
『了解しました、主人』
俺たちがそんなやり取りをしている間にも、古代鎧が近付いてくる。やがて会話ができる距離まで近付くと、相手は刺すような殺気とともに口を開いた。
「――お前はフェリウス・クロークか?」
その声は思っていたよりも若かった。とは言え、相手はエルフ族だ。声質だけで判断することは危険だろう。
「そうだったら、どうするつもりだ?」
答えながら剣を構える。できれば少しでも情報を引き出したい。そう考えていた俺だったが、その狙いは無駄に終わった。即座に相手が戦闘態勢に移行したのだ。
「殺す!」
その叫びが起動の合図だったのか、俺目がけて無数の光弾が放たれた。当たりそうな光弾だけを選んで剣で弾き、俺は距離を詰めようと前進する。魔法の撃ち合いになれば、相手に利があるのは分かっているし、周囲への被害も大きなものになるだろう。
立て続けに襲ってきた雷撃をかわし、視界を埋め尽くす氷の矢を流光盾で凌ぐ。風魔法を真空波で相殺するついでに、さらに数発の真空波を放つが、相手は剣でそれらの攻撃を弾いた。
そして、その間にも俺は着実に距離を詰めていた。あと一息で剣の間合いだろう。だが、意外なことに相手は退かなかった。剣を構えて俺を迎え撃つつもりのようだ。
「……?」
その様子に警戒心を呼び起こされるが、距離を取られれば分が悪いのはこちらだ。相手の目的がなんであれ、接近するに越したことはない。
「っ!」
踏み込んで、力の乗った斬撃を繰り出す。剣の勢いが伝わった瞬間に剣を引き、別の角度から襲い掛かる。魔法を思うように使わせないため、俺は一気に戦闘速度を引き上げた。
「ぐ――!?」
やがて、相手から動揺の声が漏れ出た。なんとか俺の剣を受け止めているものの、それが精一杯のようだった。もしこれが彼の実力であれば、剣技については上位ランカーに及ばないだろう。
「……剣は苦手か?」
だからこそ、俺には会話をするだけの余裕があった。俺の挑発を受けて、相手は声を荒げる。どうやら単純な性格のようだった。
「なんだと――ぐっ!」
その心の隙をついて、俺の剣が鎧の腹部を斬り裂く。あまり深い傷ではないだろうが、鎧の裂け目から血が流れ出していた。
「この、雑種がぁっ!」
相手は怒りに任せて剣を振るうが、雑な攻撃は自分に返ってくるだけだ。勢いよく剣を振るって体勢を崩したところへ、俺が剣を突き入れる。相手は身を捻って避けようとするが、かわしきれず、その右腕に剣が突き刺さった。
「――っ!」
鎧を貫通して、剣は深々と突き刺さる。おそらく、右腕はもう使えないだろう。剣がカラン、と落ちたことが何よりの証拠だ。
「くそぉぉぉ!」
と、相手の身体から魔力が迸った。自爆でもするつもりなのだろうか。そう懸念するほどの魔力量だ。だが――。
俺は剣を振るって、なんらかの魔術組成を破壊した。構造を保てなくなった魔力は大気中に散らばり、拡散していく。
「な――!?」
兜の内側から、驚愕した声が聞こえてくる。情報を引き出すなら今だと、俺は口を開いた。
「ヴェイナードの腹心にしては未熟だな」
そう告げると、俺はわざとらしく鼻を鳴らした。この男は懐柔するよりも、挑発したほうが口を滑らせやすい。そう分析した結果だ。
「っ!? 貴様、どこまで知っている!」
兜越しでも彼の動揺が伝わってきた。フォルヘイムの支配者はヴェイナードのようだし、古代鎧を与えられている以上、この男はそれなりの立場なのだろう。その程度の当てずっぽうだったが、どうやら正解らしい。
「俺が興味を持っているのは、お前がどこまで知っているか、だ」
「貴様ぁっ! 裏切り者が偉そうに――」
相手の言葉の途中で、俺は剣を振るった。発動する前に魔法を破壊したのだ。おそらく逃亡用の魔法だったのだろうが……。
「喋りながら魔法を起動させたのか。器用だな」
「――っ!」
今度こそ、彼は観念したようだった。鎧越しでもガクリと肩を落としたのが分かる。そして、それと前後して、ガチャガチャという喧騒が近付いてきた。戦いの通報を受けて駆け付けた衛兵だろう。
「どうやら衛兵も嗅ぎつけてきたようだな。後は任せるとするか」
もともと、尋問や拷問は得意ではない。相手が逃げ出さないように見張りながら、俺は衛兵たちの到着を待った。