再会
「政府が喧騒病の治療法を確立したと公表してから、集客数は順調に回復しつつあるわ」
「そうか、とりあえず一安心だな」
第二十八闘技場の支配人室。その執務机でヴィンフリーデから報告を受けた俺は、ほっと息を吐いた。
「喧騒病の原因や、詳細な治療法を政府が伏せているのは引っ掛かるけれど……」
「原因が呪いだと明らかになれば、なぜ術者を討伐しないのか、という話になるからなぁ」
しかも、術者は嘆きの森そのものであり、三千年前のユグドラシルが深く関わっている。まともに公表できないのも無理からぬことではあった。
「レティシャもシンシアちゃんも、無駄な演技をさせられて迷惑そうだったわよ?」
「らしいな。社会不安を回避するためとはいえ、その気持ちはわかる」
俺はヴィンフリーデの言葉に同意を示した。喧騒病を治すには、神殿や魔術師ギルドで解呪の魔法を使ってもらう必要がある。だが、それだけでは喧騒病の正体に見当がついてしまうため、他にも様々な儀式を行うフリをして、真相を悟られないようにしているという。
「ただ、嘆きの森に集めた呪力は消滅させたからな。解呪した人間がまた発症するまでには、かなり長い期間があるはずだ」
「そうよね……」
頷きながら、ヴィンフリーデは指に嵌めた耐呪の指輪をなぞる。一応大丈夫だと分かっていても、万が一ということがある。それを懸念した彼女は、喧騒病の呪力が薄まった今でも指輪を外すことはなかった。
「そう言えば、集団戦のほうはどうだ? 手応えとしては悪くなかったと思うんだが」
「そうね、最近は概ね満席よ。普段とは少し客層が違う気もするけれど……」
「そこは新規開拓ができたと喜んでおこう。もちろん、今までの常連を逃さない配慮は必要だが」
二対二、もしくはそれ以上の人数で行う集団試合。二月ほど前にスタートした催しは、ちょっとした名物になりつつあった。特に、戦士と魔術師をペアにして組む試合は、戦い方が大きく変わることも多いからか、人気が高いように思える。
ただ、連携が取れる剣闘士は数が少ないことや、他の闘技場でも集団戦の開催は可能であることから、第二十八闘技場の独壇場というわけでもない。
ただ、中には連携の苦手な剣闘士を参加させている質の低い闘技場もあり、集団戦そのものが根付くかどうかはまだ分からない。
「今度は『極光の騎士』も出るんでしょう? 組み合わせは決まったの?」
「相手は決めたんだが、味方を誰にするかで悩んでる」
「相手はユーゼフ……ということはなさそうね」
「お互いに、剣を交わすことしか考えられなくなるからな。集団戦には不向きな組み合わせだ」
「ふふ、ユーゼフも同じことを言っていたわ」
と、そんな話をしていた時だった。コンコン、と扉がノックされる。ヴィンフリーデが扉を開くと、少し困惑した様子の従業員が口を開いた。
「支配人、大地神殿の神殿長がお見えなのですが……」
「ティエリア神殿の神殿長が……?」
「何かあったかしら……」
予想外の来客に、俺とヴィンフリーデは目を合わせた。マーキス神殿のガロウド神殿長であれば、面識もあるし、シンシアという共通の話題もある。だが、大地神殿の長が訪問してくる理由はさっぱり分からなかった。
「なんでも、赴任の挨拶とのことですが……」
その言葉にさらに首を傾げる。第二十八闘技場はランキング第三位の闘技場ではあるが、わざわざティエリア神殿の神殿長などという大物が赴任の挨拶に来るほどの社会的地位ではない。
「……とりあえず、お通ししてくれ」
「かしこまりました。お連れします」
そう答えると、従業員が扉を閉める。そして大慌てで支配人室を整え終えた瞬間、ノックの音が響いた。
「お久しぶりですね、ミレウス君……いえ、今はミレウス支配人でしたか」
「あ……」
扉の向こうから現れたのは、見覚えのある顔だった。親父のかつてのパーティーメンバーであり、大地神に仕える神官。その落ち着きのある微笑みは、五年前と何ら変わらなかった。
「フェルナンドさん、お久しぶりです」
きちんと名前を思い出せたことにほっとしながら、俺は差し出された手を握り返した。もう五十歳近いはずだが、その身のこなしはかなりのものであり、ただの神官ではないことを窺わせた。
「ええと……ミレウス、知り合いだったの? それなら私は外そうかしら」
俺たちのやり取りで察したようで、ヴィンフリーデが遠慮がちに声をかけてくる。だが、俺は笑顔で首を横に振った。
「いや、ヴィーにも関係のある人だ。この方はフェルナンドさん。ティエリア神官で、親父の昔のパーティーメンバーだ」
「……え?」
彼女が目を丸くしている間に、俺はフェルナンドさんに向き直る。
「フェルナンドさん、彼女はヴィンフリーデと――」
「おや、貴女がイグナートの娘さんですか」
最後まで説明せずとも、フェルナンドさんは気付いたようだった。
「よく分かりましたね……」
「娘さんのお名前は、何度も聞かされましたからね」
純粋に懐かしそうな口調で、彼は部屋を見回した。
「それにしても、立派になったものです。五年前と大きく違っていて驚きましたよ。神殿の皆から、ミレウス君は敏腕支配人だと聞きましたが、本当のようですね」
「いえ、噂が独り歩きしているだけです。……ところで、フェルナンドさんはどうして帝都へ?」
「それはもちろん、この街の神殿長を拝命したからです」
彼は笑顔で答える。そう言えば、取り次いでくれたスタッフもそう言っていたな。だが……その笑顔は完璧すぎる。そんな気がしたのはなぜだろうか。
「そして、そうであればミレウス君の顔を見ておこうと思いまして。まさか、ヴィンフリーデさんにも会えるとは思いませんでしたが……」
「私も、父の戦友にお会いできるなんて思いませんでした。母が聞いたら羨ましがると思います」
そんなやり取りを機に、親父の思い出話に花を咲かせる。俺も知らなかったエピソードをいくつか披露すると、フェルナンドさんはゆっくり立ち上がった。
「つい話し込んでしまいましたね。忙しいところを申し訳ない」
「いえ、こちらこそ貴重なお話をありがとうございます」
「第二十八闘技場と大地神殿はあまり接点がないようですが、これも何かの縁です。困ったことがあれば、遠慮せず頼ってくださいね」
そして、俺たちは闘技場の入口までフェルナンドさんを見送ろうと、一緒に廊下を歩く。すると、通路の向こうから別の神官が歩いてくるのが見えた。シンシアだ。
「あ――」
「ピィッ!」
彼女もこっちに気付いたのだろう。胸元のノアとともにぱぁっと明るい表情を見せるが、隣に来客がいると気付いたようで、軽く目を伏せる。その方向からすると、支配人室に来るつもりだったのだろうか。フェルナンドさんを見送ったら、すぐに戻ってこよう。
と、そんなことを考えながらすれ違う直前だった。シンシアの目が驚いたように見開かれる。その視線からすると、驚きの対象はフェルナンドさんのようだった。
「おや……」
そして、フェルナンドさんもまた、シンシアを見て声を上げる。二人とも神殿の法服を着用しているため、相手が同業だということには気付くだろうが……。
「お知り合いでしたか?」
足を止めたフェルナンドさんに問いかける。すると、彼は首を横に振った。
「いえ、マーキス神官が闘技場にいるのは珍しいと思いまして。それも、かなりの力量をお持ちのようだ」
「彼女は、第二十八闘技場の救護神官を務めてくれているシンシアです」
「救護神官ですか……それはまた珍しいですね」
フェルナンドさんは興味深そうに答える。闘技場に対するマーキス神殿の認識をよく知っているようだった。
「ミレウスさん、あの……」
「ああ、この方はティエリア神殿長のフェルナンドさんだ。新しくこの街に赴任してきたそうだ」
そう説明すると、シンシアは納得した様子だった。聖女モードを発動させたようで、ふわりと柔らかな笑みを浮かべる。
「マーキス神殿から司祭を拝命しております、シンシア・リオールと申します。高名なフェルナンド神殿長とお会いできて光栄です」
「これはご丁寧に、ありがとうございます。……不躾な質問で恐縮ですが、ひょっとして貴女が『天神の巫女』ですか?」
「はい。僭越ではありますが、巫女の称号を頂いています」
「やはりそうでしたか。魔力量が尋常ではありませんでしたからね。貴女が当代の『天神の巫女』なのであれば、非常に心強い」
「恐縮です」
そんな神官らしい挨拶を一通りすると、フェルナンドさんは俺のほうへ向き直った。
「私の見送りはここまでで構いませんよ。彼女はミレウス君に用事があったのでしょう?」
「ええ、それはそうだと思いますが……」
「フェルナンド神殿長、私のことはお気になさらないでください」
シンシアが恐縮すると、フェルナンドさんは首を横に振った。
「いえいえ、私のほうこそ、アポイントもなしに押し掛けた身ですからね。これで失礼します」
そして、彼は地神のものであろう聖印を切る。
「シンシア司祭、お会いできてよかった。もしマーキス神官以外の相談相手が必要であれば、いつでもお話を聞きますよ。同じ聖職者でも、同僚には言いにくいこともあるでしょう」
「……?」
その物言いは、社交辞令と言うにはあまりに真剣だった。だが、フェルナンドさんはそれ以上何も言わず、俺に向き直る。
「ミレウス君、ヴィンフリーデさん。同じ街ですから、また顔を合わせることもあるでしょう。それでは、また」
笑顔を見せると、フェルナンドさんは廊下を歩き去っていく。その姿を俺たちは無言で見送った。
「シンシアは、フェルナンドさんのことを知っていたのか?」
その姿が見えなくなった頃合いで、シンシアに尋ねる。さっきも「高名な~」と言っていたが、あれはただの社交辞令だったのだろうか。
「はい、神官の間では有名な方です。いずれ最高司祭になるだろうと言われている方で、神聖魔法の実力は大陸でも指折りだとか……」
「フェルナンドさんって、そんなに凄い人だったのか」
まあ、あの親父とパーティーを組んでいて、古竜まで討伐しているのだ。穏やかなだけの人のはずはないか。
「もし女性だったら、『地神の巫女』の称号を受けていたはずです。私もびっくりしましたけれど、今まで出会った神官の中で、たぶん、一番魔力量が多いです」
「へえ……」
「でも、どうしてそんな人が帝都に赴任してきたのかしら。最高司祭が間近の人だったら、もっと歴史のある大国の首都に赴任しそうなものじゃない?」
「たしかにそうだな」
ヴィンフリーデの指摘はもっともだった。ルエイン帝国は、この大陸で最も歴史の浅い国であり、そこまで大国というわけでもない。
「まあ、ティエリア神官にも色々事情があるんだろう。第二十八闘技場としては、大地神殿に強力なコネができたわけで、悪い話じゃない」
「それもそうね。……ところで、シンシアちゃんはなんの用事だったの?」
「あの、ヴィンフリーデさんの調子はどうかと思って……。それに、その……」
口ごもったまま、シンシアの視線がこちらへ向けられる。その様子に、ヴィンフリーデがにんまりと笑った。
「うふふ、どっちが主題なのかしら。でも、ありがとう。今のところ喧騒病が再発する兆候はないわ」
「そうですか……よかったです」
そんな会話を交わしながら、俺たちは支配人室へと戻った。
◆◆◆
いつものように支配人室を訪れたレティシャから、ちょっとした情報を得たのは昼過ぎのことだった。
「ソリューズさんが帝都に来ている……?」
「あら、意外ね。ミレウスがあの人を知っているなんて」
ソファーで隣に腰かけたレティシャは、不思議そうに目を瞬かせる。
「親父のパーティーメンバーの一人だからな。面識はある」
「それはまた……意外な繋がりねぇ」
数日前に第二十八闘技場を訪れたフェルナンド神殿長。彼と同じく親父のパーティーメンバーであり、優秀な魔術師であるソリューズさんは、かつて俺に魔法の手ほどきをしてくれた人物でもある。
「気難しいように見えるが、根はいい人だよ」
「そのようね。私もようやく掴めてきたわ。あの『孤塔』のソリューズが人里に降りてきたって、ギルドは大騒ぎよ」
レティシャの話では、一昨日、魔術師ギルドにソリューズさんが顔を出したらしい。「しばらくこの街に滞在することにした。研究用の設備を融通してくれ」と言い出して、すったもんだがあったそうだが……。
「有名人なのか?」
「ええ。魔法研究という意味でもそうだし、何より魔術師の理想を実現した数少ない人だから」
「魔術師の理想……なんだそれ?」
俺は首を傾げた。ソリューズさんは理想家ではなく、どちらかと言えば現実的な性格に思えたのだが……。
「『孤塔』の二つ名の通り、自分用の塔を建てたことよ」
「塔? それって凄いことなのか?」
たしかに個人で塔を建設するのは大それたことだろうが、魔術師の理想とどう関係するのだろうか。
「塔といっても、ただの物見や灯台じゃないもの。塔から一歩も出ることなく、魔法研究だけに専念できるだけの設備。聞いた話だと、身の回りの世話もすべて魔工巨人がしてくれるらしいわ」
「あー……納得したよ」
たしかに、あの人ならやりそうな気がする。
「複雑な魔術を塔の設計に織り込むだけの実力と、それに伴う莫大な資金を用意できる人物。そんな魔術師はほとんどいないもの」
「資金か……」
そう言えば、第二十八闘技場の興行権や建造資金の元手は、親父が冒険者時代に稼いだものだったな。となれば、同程度の額をソリューズさんが持っていても不思議はない。
「それにしても、意外な反応だったわ。風変わりな魔術師が帝都に来たから、魔法試合のためにスカウトしたがるかしら、くらいのつもりだったのに。まさか知り合いだったなんて」
「世間は狭いな」
そう答えながらも、俺は別のことを考えていた。親父の戦友であるフェルナンドさんとソリューズさんが、同時にこの街へ来ている。そこに何か意味はあるのだろうか。
「まさか、ローゼさんも来ているのか……?」
残るパーティーメンバーの一人、賑やかな弓使いの女性を思い出す。二人なら偶然ですむかもしれないが、三人いれば必然だろう。だが、彼女はこの街に溶け込んでいそうだからな。もしいるとしても、こちらから見つけるのは難しいか。
そう結論付けて話題を頭から追い出した頃合いで、レティシャが別の話題を振ってくる。
「ところで……もう一つ別の話があるのだけど、いいかしら」
「ああ。どうした?」
そう切り出したレティシャの表情から、真面目な話題だと悟った俺は気を引き締める。
「フォルヘイムで会った、エルミラの弟さんを覚えている?」
「マイルのことか?」
『蒼竜妃』エルミラの弟。半竜人の姉とは違い、竜人のクォーターである彼は、フォルヘイムで魔工技師の技術を学んでいた。帝国軍の襲撃を機に、フォルヘイムを離れることも考えていたようだが……。
「彼が、帝都に来ている可能性があるの」
「……可能性?」
彼女の曖昧な表現に疑問を抱く。マイルが帝都を訪ねてくるなら、姉のエルミラを訪ねてくるはずだ。それ以外の知り合いなんて――。
「ああ、それで俺のところへ来たのか」
「ええ。でも、そうじゃなさそうね」
「残念ながら、話を聞いたことはないな」
俺と一緒に暮らしているシルヴィは、少し前までフォルヘイムで暮らしていた。マイルとは魔工技師仲間だったこともあって、彼女を訪ねてくる可能性は高い。
だが、あの話好きな妹のことだ。もしマイルに会ったなら、その日のうちに話題に出しているだろう。万が一マイルに口止めされたとしても、嘘が下手なシルヴィはぼろを出しているはずだ。
「そもそも、どうしてマイルが帝都に来たと考えているんだ? 手紙でも来たのか?」
「ええ。二月ほど前に、エルミラのところに手紙が届いたの。これから帝都に向かうって」
「道中で寄り道をしている可能性は?」
「それもありそうだけど……少し前に、『筋骨隆々の半竜人を帝都で見かけた』という情報がエルミラの所に入ってきたそうよ。半竜人同士、知り合いかもしれないと思ったみたい」
「マイルの見た目は半竜人にしか見えないからなぁ……」
しみじみと呟く。シルヴィの耳と同じく、四分の一しか血を受け継いでいないわりに、外見特性が強く発現している彼は、見事な角を頭から生やしていた。
「最近、街中でも亜人の姿をちらほら見るけど……竜人はまだ珍しいから。少なくとも、外見上の特徴は、私が知っているマイル君と一致しているわ」
「そうか……それで、エルミラはどうしてるんだ?」
「帝都中を探し回っているわ。この街で竜人の角は目立つから、本人であれ人違いであれ、じきに見つかるとは思うけれど……」
「なるほどな。……この件、シルヴィには言わないほうがよさそうだな」
「そうね、心配させるだけだもの」
「もし訪ねてきたり、姿を見かけた時は知らせるよ。それでいいか?」
「ええ、お願いね」
そして、彼女は名残惜しげにソファーから立ち上がった。
「本当はもっと一緒にいたいところだけど……今日のところは我慢するわ。またね、ミレウス」
そう言って微笑むと、レティシャは支配人室を去っていく。彼女にしては短い滞在時間だが、それだけ真剣に探しているのだろう。
「それにしても……」
一人になった支配人室で、ぼそりと呟く。フェルナンドさんにソリューズさん、そしてマイル。この帝都に、縁のある人が集まり始めている。そんな気がした。