神代Ⅳ
「大きなお城でしたね……」
王都で一番目立つもの。それはやはり、都の中心に存在する王城だろう。元に戻る手掛かりを探して王城を訪れた俺たちだったが、特に収穫はなかった。
「ああ。それに、魔道具だらけだったな」
頷くと、十字路を気の赴くまま左へ曲がる。他にこれといった目的地がない俺たちは、当てもなく王都中を歩き回っていた。
「どうせなら、持って帰ることができたらいいのになぁ」
「売り払えば、闘技場の資金にできますね」
シンシアが図星をついてくる。不謹慎だと咎められるかと思ったが、そんな様子はない。口調から刺は感じられないし、本人は楽しそうに微笑んでいた。
「古代魔法文明の中心である王城を、当時の状態のまま、くまなく散策できるんだ。人によっては垂涎もののシチュエーションなんだろうが……」
「言われてみれば、そうかもしれませんね」
「そういう意味では、俺よりレティシャのほうが有益だし、喜んだだろうになぁ」
地下の古代遺跡を目にして、興奮していたレティシャを思い出す。まして、目の前にあるのは遺跡ではなく現役時代そのままだ。おそらく計り知れない価値があるだろう。
そう伝えると、シンシアはわずかに身体を強張らせた。
「……そうですね」
さっきまでより、少しだけ抑揚が小さくなった声色で頷く。と、俺の腕がシンシアの肩に軽くぶつかった。
「おっと、すまない」
「いえ、私のほうこそ」
鎧を着込んでいる俺はともかく、シンシアにとってはそれなりに痛いかもしれない。そう反省すると、俺はぶつからないよう、少し彼女と距離を取った。
「……?」
なのだが、彼女との距離は変わらなかった。その分、シンシアがこちらへ寄ってきたのだ。俺の腕と彼女の肩や腕が、何度も軽く触れ合う。今の彼女は真横に位置しているため、ぶつかって痛い、ということはないだろうが……。
「シンシア、どうかしたのか?」
「な、なんのことでしょうか……? あ、それより、この建物はなんだと思いますか?」
シンシアは焦った様子で話題を変えようとする。だが、俺のすぐ傍から離れようとする素振りはなかった。
「想像もつかないな。そもそも、扉も窓もないぞ」
「実験施設でしょうか……あの、中を覗いてみますか?」
「慣れてきたとはいえ、堂々と壁をすり抜けるのは変な気分だな。そのくせ、階段なんかは上ることができるし」
「記憶の再現だから、でしょうか」
そんな会話をしながら、さりげなく彼女との距離を取ろうとするが……やっぱりシンシアは真横にぴったりくっついていた。
「ええと……シンシア、何か不安でもあるのか? ここまで近付かなくても、ちゃんと守れると思うが」
「いえ、その……」
シンシアは頬を紅潮させると、気まずそうに視線を逸らした。やはり意図的なものだったらしい。
「……」
「……」
そして、おかしな沈黙が流れる。お互いに無言のまま、俺たちは王都の通りを歩いていった。
「だって……」
だが、やがて無言に耐えられなくなったのか、シンシアが消え入りそうな声で囁く。言葉の続きを聞き漏らすまいと、俺は耳に意識を集中した。
「せっかく二人っきりで歩いているのに……他の女性の名前が出たからです」
「え?」
思わずシンシアの顔を見つめたのは、言葉の内容だけが原因ではない。彼女が穏やかな微笑みを浮かべた聖女モードへ切り替わっていたからだ。
「他の女性って、レティシャのことか?」
「はい。私が隣にいるより、レティシャさんが隣にいたほうがよかった。そう思われているかもしれないと思ったら、なんだか寂しくなったんです。……ごめんなさい、離れますね」
微笑んだまま、シンシアは俺から離れようとする。その笑顔が逆に寂しそうに見えて、俺は離れる彼女の腕を掴んだ。
「別に離れなくてもいいさ。シンシアが鎧に当たって怪我するのを心配しただけだ」
「は、はい……!」
そう伝えると、彼女は嬉しそうに元の位置に収まった。いつの間にか聖女モードも解除されており、いつものシンシアだ。
「あ……」
――と、俺たちの視界が白く染まる。王城の上空から巨大な光柱が降り立ったのだ。おそらく、『天神の巫女』フィリスが天神降臨を行ったのだろう。俺たちは立ち止まると、光の降り立った方角を無言で眺める。
「……レティシャさんって、凄い方ですよね。帝都最高クラスの魔術師で、魔法の研究に情熱的で」
何を思ったのか、シンシアが突然話題を振ってくる。
「まあ、レティシャだからなぁ」
「憧れているんです。自分の道を、まっすぐ全力で進んでいるレティシャさんに」
「憧れ? それを言うなら、シンシアに憧れている人間も多いと思うぞ」
フォルヘイムから戻って以来、『天神の巫女』は帝都で大人気だ。憧れている帝都の住民はいくらでもいることだろう。だが、シンシアは沈んだ表情で首を横に振った。
「私は駄目なんです。そもそも、自分を熱心な天神教徒だと思えませんし……」
「そうなのか?」
思わぬ告白に驚く。『天神の巫女』と言えばマーキス神官の象徴の一つだし、シンシアが神官として不真面目とか、不謹慎だとか思ったことは一度もない。
「……私が生まれた家は天神教徒でしたけど、取り立てて敬虔なわけではない、一般的な家でした」
「ああ、弟や妹がたくさんいるんだっけ?」
「はい。物心がついた頃には、弟たちの世話をしていました。何をするにも大所帯ですから、いつも賑やかで……」
シンシアの表情がふっと緩んだ。だが、その表情はやがて寂しそうなものへ変わる。
「でも……フィリスさんの夢を見るようになってから、家族との間に距離を感じるようになりました」
「そう言えば以前に、フィリスの夢と現実の区別がつかなくて、錯乱していた時期があったと言ってたな。その時か?」
「はい……」
彼女は悲しそうに頷く。まあ、家族からしてみれば、シンシアが大勢の人々を死に追いやったと嘆いたり、憔悴してフラフラになったりするのは、異常行動にしか思えないだろう。病気、もしくは何かに取り憑かれたと考えてもおかしくはない。
「困り果てた両親は、私に魔物が取り憑いたと思って、マーキス神殿へ相談に行きました。そして、そのまま神殿に預けられたんです」
なるほど、そういう流れでマーキス神殿に辿り着いたのか。
「神殿で夢の正体を教えられて、私も少しは落ち着きました。両親や兄妹も、たまに神殿を訪ねてくれましたし。……でも、みんながとても気を遣ってくれているのが分かって、それが申し訳なくて……」
シンシアは天空を仰ぎ見ると、再びこちらへ視線を戻した。
「マーキス神殿との関わりの発端がそれでしたし、フィリスさんの壮絶な苦悩も感じていましたから、私にとって、その……『天神の巫女』は恐ろしくて辛いものの象徴、なんです」
「そうだったのか……」
予期せぬ告白に、俺はそう答えるしかなかった。そして、シンシアはさらりと重大なことを口にする。
「だから……もう一度天神降臨を願っても、マーキス様は応えてくれないかもしれません。それも怖くて」
「ちょっと待て。シンシア、『もう一度天神降臨を願う』ってどういうことだ?」
思わず口を開く。天神降臨は神聖魔法の極致だが、術者の魂に莫大な負荷がかかり、大抵の場合は魂が消滅する。それは生命と――いや、それ以上のものを引き換えにする魔法だ。かつて『天神の巫女』フィリスが天神を降臨させて、魂が残っていたことが奇跡のようなものだろう。
そして、今のシンシアの口ぶりでは、もう一度天神降臨を使うようにしか思えなかった。
「ユグドラシルは滅ぼされたわけではありません。封印されているだけです。ですから、また復活するようなことがあれば……」
「復活する兆しがあるのか?」
「……はい」
少しのためらいの後、シンシアは小さく頷いた。その返答に、俺は思わずユグドラシルのある方角を見つめた。
「喧騒病が急速に流行り始めたのも、兆しの一つです。ユグドラシルの力が戻りつつあるから、繋がっている嘆きの森が力を増したんだと……」
「喧騒病が流行り始めたというと……ここ数カ月のことか?」
「いえ、もう少し前です。ディスタ闘技場の後継者だった方が、エルフ族を地下遺跡に招き入れた時から、だと思います」
その答えに目を見張る。ディスタ闘技場の支配人、ヴァリエスタ伯爵の息子であるジークレフが、エルフ族と手を組んで悪だくみをしていたことは、第二十八闘技場にとっても大きな事件だった。
「つまり……あの時、エルフたちはユグドラシル復活に関する何かをしていた?」
「そう考えています。そして、もしユグドラシルが復活したら……もう一度、天神降臨を使うしかありません」
そう答えるシンシアは、意外なほど落ち着いた顔をしていた。だが、それは感情を削ぎ落として、何も感じないように作られた顔だ。それは分かった。
「そんなことをすれば、魂が砕け散るんだろう?」
「はい……でも、他に手はありませんから」
シンシアは淡々と答える。だが、俺は即座に彼女の言葉を否定した。
「駄目だ。それ以外の方法を――」
「帝都の地下に封印されているユグドラシルは、フォルヘイムで戦ったユグドラシルより遥かに強大です。いくらミレウスさんでも……」
「それなら、あの時を超える戦力を準備すればいい。幸い、ここは帝都だ。戦力のあては幾らでもいる」
なおも言い募ろうとするシンシアを説得する。すべてを覚悟して受け入れた人間であれば、その意思を尊重もするが、彼女はそうではない。義務感で心を殺しているだけだ。それなら黙っているつもりはなかった。
「でも、ユグドラシルは最重要機密です。そんなに大勢の人を動かせるとは――」
「できるさ。『極光の騎士』が勝手にユグドラシルに気付いて、勝手に討伐する分には文句はないだろう。……まあ、その時は帝国騎士団も巻き込むつもりだが」
その答えが予想外だったのか、シンシアは目を瞬かせた。そして、かすれた声で呟く。
「どうして、そこまで……」
「帝都がユグドラシルに滅ぼされてしまえば、闘技場の運営どころじゃなくなる。……それに、ユグドラシルには多くの因縁ができたからな」
この古代鎧のこと。フォルヘイムで結んだ縁。ここで見せられた追憶。そして、親父の死因となったあの襲撃さえも、おそらくユグドラシル絡みだったのだろう。ならば、放っておく道理はない。
「だから、気にするな。どうしてもと言うなら……天神降臨を使うのは、せめて俺が死んでからにしてくれ」
そう伝えると、シンシアははっとした顔を見せた。そして、うっすらと瞳に涙を浮かべる。
「三千年前に……天神の聖騎士も同じことを言っていました。『せめて、私が死ぬまでは降臨させるな』って」
そう語る表情は懐かしそうで、だが寂しそうなものだった。天神の聖騎士の最期なら、俺もさっき見たばかりだ。ユグドラシルの根に胸を貫かれて命を落としたものの、その名に恥じない英雄級の戦士だった。
「あの人は敬虔なマーキス信徒でしたから、マーキス様の手を煩わせるのは最終手段だ、という意味もあったのでしょうけど」
そして、追悼するように目を伏せる。だが……やがて、彼女は控えめに微笑んだ。その意外な反応に、俺はまじまじと彼女を見つめる。
「……でも、不思議です。今回は信じられるんです。ミレウスさんなら、『極光の騎士』さんなら大丈夫だって」
その言葉に、俺の頬がふっと緩む。彼女の重荷を、少しは軽くすることができたという確信があった。と――。
「シンシア、どうかしたか?」
そう声をかけたのは、彼女がじっとこっちを見つめていたからだ。無言で視線を合わせていると、シンシアがぽつりと口を開く。
「どうして……そんなに優しくしてくれるんですか……?」
「シンシアは大切な仲間だからな。できることはするさ」
「仲間……」
シンシアは俺の言葉を繰り返すと、一歩踏み出した。もともと近かった俺たちの距離が、ほとんどゼロになる。
「シンシア?」
「……分かってます。私なんかじゃ、ミレウスさんに釣り合わないって。でも――」
そして、彼女はさらに距離を詰める。抱き着くように密着してきたシンシアの顔は、耳まで真っ赤になっていた。潤んだ瞳で俺を見上げると、彼女はそっと囁いた。
「私は、ミレウスさんが好きです。仲間じゃなくて、その……一人の女性として」
はにかみながらも言い切ると、シンシアは耐えきれなくなったように視線を逸らした。そうして俯いていた彼女だが、やがておずおずと顔を上げる。
「……最初は、命を助けてくれた『極光の騎士』さんへの憧れだと思っていたんです。それに、支配人のミレウスさんに惹かれていた自分もいて……」
「だから、お二人が同一人物だと知って驚きました。そうして想いは重なって、どんどん私の中で大きくなって……」
シンシアはぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。その言葉一つ一つが、勇気を振り絞って生み出されていることは間違いなかった。
「最高の戦士で、私たちを支えてくれる英雄のミレウスさんも、やり手の支配人で、闘技場の運営に一生懸命なミレウスさんも……全部大好きです」
「シンシア……」
何を言えばいいか分からないまま、ただ名前を呼ぶ。すると、彼女は慌てたように首を横に振った。
「す、すみません……ミレウスさんに、何かをしてほしいわけじゃないんです。ただ、どうしても伝えずにいられなくて……」
その言葉は遠慮ではなく、シンシアの本心のようだった。彼女は慌てた様子で一歩下がると、困ったように笑う。
「だから、本当は……ミレウスさんと一緒なら、ずっとここに閉じ込められていてもいいかな、なんて思ってたんです」
シンシアは複雑な表情で周囲を見回すと、最後に天を見上げた。
「でも、それじゃ悪いから……やっぱり、ミレウスさんだけでも元の世界へ戻ってください」
「いや、それは――」
言いかけた俺を、彼女は柔らかな微笑みで押しとどめた。そして、俺の手を両手で包む。その手はもう震えていなかった。
「想いを伝えられたから、もう悔いはありません。この記憶を胸に、私はユグドラシルの世界と戦います。ただ……」
言葉を切ると、シンシアは透き通った表情で俺を見つめた。決意。受容。寂寥。それらの感情を浮かべながらも、彼女はあくまで穏やかだった。
「一つだけ、お願いがあります。もし戻ってこなくても……私のこと、忘れないでくださいね」
シンシアはどこか眩しそうに俺を見つめる。それは、別れの挨拶のようにしか思えなかった。こうなった以上、彼女は意思を曲げないだろう。控えめな性格だが、その芯が強いことは知っている。
「……」
どうやって説得したものか。それとも、彼女が言う通り元の世界へ戻って、ディネア導師たちに相談するべきか。そう悩んでいた俺だったが……事態は予想外の展開を迎えた。
「……ん?」
とあることに気付いた俺は、シンシアをまじまじと観察した。これは願望がそう見せているのだろうか。そうでなければいいと願いながら、俺は口を開く。
「シンシア。その身体、さっきより発光してないか? それに、なんだか透けているような……」
「え?」
俺の指摘を受けて、彼女は自分の両手を見つめた。そして、信じられないというように視線を上げる。
「本当に……透けている気がします。ひょっとして、今なら――」
その言葉が終わらないうちに、シンシアの身体がスッと浮かび上がる。その色合いは確実に透けていて、この世界から離脱できるようにしか思えなかった。
「でも、どうして急に……?」
「さあ……」
戸惑うシンシアの問いかけに、俺も首を傾げる。彼女に理由が分からない以上、俺に分かるはずはない。そのはずだったのだが……。
『――彼女が主人への想いを明確にしたことで、この世界の『天神の巫女』と大きな乖離が生じたのだと思われます』
『クリフ!?』
突然の念話に驚く。彼はずっと沈黙していたから、すっかり存在を忘れていた。
『主人とシンシア殿がいい雰囲気だったものですから、邪魔しないようにしていたのですよ。以前にも申し上げましたが、公私共に主人の力となるのが優れた人工精霊というものです』
『なるほどな……』
優れた人工精霊の定義はともかく、クリフの説明はそれなりに納得できるものだった。この世界に配役されているのは『天神の巫女』フィリスであって、シンシアではない。フィリスとは異なる思いや記憶を得ることで、この世界と訣別できた可能性は高そうだった。
「あの……ミレウスさん、大丈夫ですか?」
動かない俺を心配したのか、数メテルの高さで浮いていたシンシアが地上へ降りてくる。そんな彼女に、俺は笑顔を向けた。
「ああ、問題ない。それじゃ元の世界へ戻ろう」
「はい! ……あんなことを言っておいて、一緒に帰るのは恥ずかしいですけど」
少し気まずそうに告げる彼女に、俺は手を差し出す。
「あ……」
シンシアは一瞬ためらった後で、俺の手をギュッと握りしめる。その状態のまま、俺たちは上空へ浮かび上がった。不思議な引力に引かれて、俺たち二人は古都の空を上昇していく。
「なんとも変な感覚だな……」
高度を増すにつれて俺たちの身体は希薄になっていき、もはや空と見分けがつかないほどだった。もはや自分の実在を認識できるのは、シンシアと繋いだ手の感覚だけだ。そして――。
まるで空に溶けるように、俺の意識は拡散していった。
◆◆◆
――身体が重い。
最初の感想はそれだった。先ほどまで空に浮いていたかと思えば、突如として重力に縛られる。その変転に意識が追い付くには、少し時間が必要だった。
「おや、元に戻ったようだね」
声をかけてきたのは、嘆きの森探索の主導者であるディネア導師だ。彼女は疑念半分、興味半分といった様子で俺を観察している。そして、その表情は周囲にいる『大破壊』やモンドール、リーゼン団長にも共通していた。
「シンシア、大丈夫か?」
まず、俺は隣のシンシアに視線を向けた。体感ではかなり前のことに思えるが、ユグドラシルの共通意識に取り込まれる直前まで、彼女は俺の隣にいたはずだ。
「はい、大丈夫です……!」
シンシアは笑顔で頷く。どうやら、彼女もちゃんと戻ってくることができたらしい。その事実にほっとすると、俺はディネア導師に向き直った。
「元に戻った、と言っていたが……俺たちはどういう状態になっていたのだ?」
「それはこっちが聞きたいよ。ここ一刻ほど、アンタたちは微動だにしないし、身体は半透明だしで、マーキス神殿にどう説明するか、頭を悩ませていたところさ」
「ふむ……」
「さっきまでのアンタたちからは、まるで精霊みたいな気配を感じたけど……何をしていたんだい?」
「おそらく、この森に囚われていたのだろう」
「囚われていた、ねぇ……」
ディネア導師は眉間に皺を寄せたまま、何事かを考えているようだった。そして、俺を頭から足先まで何度も観察すると、口を開く。
「『極光の騎士』。アンタは……三千年前の地神の聖騎士じゃないだろうね」
「……む?」
思わぬ問いかけにきょとんとする。それが伝わったようで、ディネア導師は苦笑を浮かべた。
「ま、違って当然か。その無茶苦茶な技量も、それなら納得できると思ったんだけどねぇ。その鎧も、こうしてみると古代文明時代のデザインに似ているし」
「おいおい、先生どうしたんだ? おとぎ話みたいなことを言い始めてよ」
突然の言葉に驚いたのは俺だけではなかったようで、モンドールが不思議そうな顔で尋ねる。
「この二人は、嘆きの森の核に共鳴してたからね。この森の成り立ちを考えると、古代魔法文明時代にゆかりがあったとしか考えられないのさ」
それはモンドールの問いかけに対する回答だったが、導師の目はまっすぐ俺を捉えていた。その目を見返しながら、俺は頭の中で彼女の言葉を反芻する。
ディネア導師は、俺を『地神の聖騎士』ではないかと疑っていた。天神でも海神でもなく、あの戦いで唯一生き残った地神の聖騎士を。やはり、彼女はあの時代にあったことを知っていると思っていいだろう。
「つまり、この鎧は古代文明時代に作られたということか?」
だが、俺はあえてとぼけた返事をする。すると、ディネア導師は真剣な様子で頷いた。
「その可能性はあるね。……ちなみに、その鎧はどこで手に入れたんだい?」
「師から譲り受けたものでな。それ以上の来歴は知らん」
「そうかい。それじゃ、別の質問をさせてもらうよ。……さっき、アンタは森に囚われていたと言ってたけど、具体的には何をしていたんだい?」
ディネア導師の雰囲気が変わる。それは、一国を預かる者の顔だった。
「それは俺が知りたいくらいだ。長い夢を見ていた気がするが……はっきり思い出せん」
俺はとっさにごまかす。帝国の最重要機密を知ったことがバレれば、どんな扱いが待っているか分からない。
「夢、ねぇ……」
すべてを見透かそうとするように、彼女は俺をじっと見つめる。だが、やがて諦めたようで、視線をシンシアへと移した。
「『極光の騎士』はこう言っているけど、アンタはどうなんだい?」
「私も長い夢を見ていた気がします」
俺に合わせてくれるつもりなのだろう。聖女モードのシンシアは、穏やかな笑顔で俺の言葉を肯定する。
「アンタは常人よりも夢に慣れてるだろう? 何か覚えていないのかい?」
「いいえ、何も。夢で神託が降りることもある以上、夢の内容は忘れないようにしているのですけれど……我が身の不徳を恥じるばかりです」
「へえ……さっきからずっと『極光の騎士』との距離が近いから、向こうで何かあったのかと思ったよ」
「『極光の騎士』さんは素敵な殿方ですもの。もし何かあったのなら、覚えていないことが残念でなりません」
ディネア導師のカマかけを受けても、シンシアの聖女モードは崩れなかった。シンシアと長らく視線を合わせていたディネア導師は、やがて小さく溜息をつく。
「……まあ、今更か」
そう呟くと、彼女はぐるりと周囲の三人を見回した。
「それじゃ、帰るとするかね。『極光の騎士』、もういいかい? もう少し待っていてもいいけど」
「ふむ……」
突然の問いかけに、俺は内心で首を傾げた。そして、この場所に来た理由は『極光の騎士』が思い出の場所を見ておきたい、と言い出したのが契機だったことに気付く。
「それでは、少しだけ時間をもらおうか」
そう告げると、俺は崩れた建物の中心に生えている大樹の前に立った。まっすぐ天に向かってそびえ立つ木と、それを支えるように絡みついている木。どっちがどっちなのだろう。そんな思いが胸に飛来する。
この森の由来を、そしてこの大樹の正体を知った俺は、無言で彼らの痕跡を見上げる。やがて剣を抜いた俺は、切っ先を上へ向けて、胸の高さで掲げた。それは、俺たち剣闘士が敬意を示す姿勢の一つだ。
『――主人……ありがとうございます』
クリフの念話がかすかに伝わってくる。それに答えることなく、俺は巨樹の前に立ち続けた。