縁Ⅲ
「だいぶ歩き詰めだけどよ、先生は大丈夫か?」
「ハッ、年寄り扱いするんじゃないよ。最初から強化魔法を使ってるからね」
「強化魔法つっても、基本になるのは自分の体力だろ?」
先頭で歩いていた俺の耳にそんな会話が聞こえてくる。俺は歩調を緩めると、他のメンバーを振り向いた。
「……少し休憩を取るか」
「『極光の騎士』、アンタまで年寄り扱いする気かい?」
「冒険者パーティーは、魔法職の歩速に合わせると聞いたが」
戦士職の体力に合わせて進むと、いざ戦いになった時に、魔法職は疲労困憊している、なんてこともあるからな。かつて冒険者だったディネア導師は、そのことがよく理解できるはずだ。
「……アンタ、口が回るね」
「そうか?」
そして、俺は口数が少なくなってきたシンシアに視線を向ける。ディネア導師と違って、彼女は強化魔法を使っていない。もともと、そろそろ休憩を提案しようとしていたタイミングではあった。
「あの、私はまだ……」
「限界を迎えてから休むのでは遅いからな」
大丈夫だ、と言いたそうなシンシアに首を横に振ってみせる。すると、他のメンバーからも賛同の声が上がった。
「シンシアちゃん、先生を休ませるために付き合ってくれよ」
「騎士団でも、体力の限界まで行軍させるのは訓練の時ぐらいだ」
そんな声を背景に、俺は近くの岩の上に腰を下ろした。唯一道を知っている俺が座ってしまえば、他の人間は休むしかない。
「それじゃ、ちょいと休ませてもらおうかね。……ほら、『天神の巫女』も遠慮せずに休みな」
シンシアも素直に休むことにしたようで、素直に腰を下ろす。その様子を見守っていると、ディネア導師が声をかけてきた。
「『極光の騎士』、魔術師ギルドに入る気はないかい?」
「……俺に?」
予想外の提案に反応が遅れる。
「ああ。そもそもが魔法戦士だし、さっきの魔力構造を斬るなんて芸当は、魔術に通じるものがある」
「俺は研究者ではないのでな。そもそも、何かに所属するつもりはない」
答えると、ディネア導師は大仰に肩をすくめた。
「そうかい、そりゃ残念だ。そうすれば、連絡先くらいは分かると思ったんだけどね」
「第二十八闘技場の支配人を通じての連絡なら可能だ」
「それはレティシャからも聞いたさ。けど、緊急時にすぐ連絡が取れるわけじゃないんだろ?」
「そうだな。俺が第二十八闘技場に顔を出さない限り、向こうから連絡は取れん」
しれっと答える。実際には、直接本人と話しているわけだが……こっそりシンシアのほうへ視線を向けると、彼女はなんとも言えない微妙な表情を浮かべていた。
「緊急事態が起きる予定でもあるのか?」
「事件の種なんざ、いくらでも転がっているからねぇ」
ディネア導師は大仰に溜息をついた。だが、その大仰さはカモフラージュであるような気がして、彼女を追及するか悩む。
「『天神の巫女』、ちょっと付き合ってくれるかい?」
俺が追及してきそうな予感を覚えた……わけではないだろうが、ディネア導師は会話の相手を変えた。
「私ですか? なんの御用でしょうか」
「魔術師ギルドとマーキス神殿の、後ろ暗い打ち合わせだよ」
「たとえ深い森の中でも、マーキス神は私たちを見守っていますよ?」
穏やかに笑いながら、聖女モードのシンシアは腰を上げた。その反応からすると、本当に後ろ暗いというよりは、組織の機密に関することなのだろう。
「魔法職二人だけでは不用心です。私が護衛を務めましょう」
そう申し出たのはリーゼン団長だった。ディネアは少し悩んだ後で、彼を手招きする。
「ま、リーゼンなら大丈夫か。むしろ帝国政府代表として話を聞いとくれ」
「おいおい、そこは俺じゃねえのかよ」
「アンタがいっぱしの為政者になったら呼んでやるさ」
モンドールの言葉を笑って流すと、ディネア導師たちは連れ立って少しだけ距離を取った。なんの音も聞こえてこないから、遮音結界でも張っているのだろう。
「やれやれ、俺たちだけ置いてけぼりだな。……そもそもあの二人のための休憩なのによ」
「組織を代表する身では、儘ならんのだろう」
「先生はともかく、シンシアちゃんはまだ若いのに大変だな。……結局、見事に剣闘士だけが残ったな」
言いながら、モンドールは俺と『大破壊』に順に視線を当てた。
「『極光の騎士』のほうは、ようやく試合の間の外で姿を見ることに違和感がなくなってきたところだけどよ。『大破壊』まで一緒にピクニックとなると、やっぱおかしな気分だな」
「そうかもしれんな」
俺は短く同意を示す。すると、『大破壊』が興味深そうにこちらを向いた。
「お前が剣闘士に稽古を付けているという噂は、本当だったのだな。これまでほとんど姿を見せなかったというのに、どういう心境の変化だ」
「第二十八闘技場の支配人に頼まれてな」
俺は淡々と答える。実際には、第二十八闘技場のランキングを上げるための方策だが、まるっきり嘘というわけでもない。
「あの支配人か……」
『大破壊』は思い出すように虚空を見つめる。まさか、その実物が目の前にいるとは思ってもいないだろう。
「へぇ、『大破壊』が余所の支配人のことを覚えてるなんて珍しいな」
「『極光の騎士』との試合を運んでくる男だからな」
「ははっ、なるほどな」
モンドールは納得したように笑う。その回答に、俺も兜の下で笑みを漏らしていた。まったくもって『大破壊』らしい。
「それに、あの支配人は隙がない。戦士としての覇気は感じられんが、かなりの手練れだろう」
「そうかぁ? 経営手腕のほうは凄えと思うけどよ」
「あの男はわざと隙を作っているフシがある。それになんの意味があるのか知らんが」
『大破壊』の分析に俺はヒヤリとする。『大破壊』の前ではかなり気を遣っていたつもりだが、騙しきれていなかったのか。
「そうは思えねぇが……アンタが言うんだから、そうなんだろうな」
モンドールは少し悔しそうに答える。彼が気付いていなかった以上、他の上位ランカーも気付いていないと思いたいところだな。
「『極光の騎士』、アンタはどう思う?」
そして、今度は俺に意見を求める。
「それなりに剣を使うようだが、上位ランカーに比肩するほどではない」
「……そうか」
そう答えたのは『大破壊』のほうだった。少しだけ残念そうに見えるが、まさか戦うつもりだったのだろうか。
「ところで……『大破壊』はなぜここにいる? 魔術師ギルドの構成員というわけではあるまい」
話題を支配人から逸らそうと、俺は別の話を持ち込んだ。戦うほどではないと断言されたからか、『大破壊』もそれ以上支配人の話題を続けようとはしなかった。
「当然だ。……あの魔女には借りがある」
「魔女……ディネア導師のことか?」
尋ねると、『大破壊』は無言で頷く。そのまま言葉を待つが、彼がそれ以上語ることはなかった。
「『極光の騎士』。『大破壊』の過去に興味があるのか?」
と、そこで口を開いたのはモンドールだった。どうやら『大破壊』の過去を知っているような口ぶりだが……。
「当然だ」
俺は素直に答える。すると、『大破壊』が意外そうに俺を見た。
「お前が他人の過去に興味を持つとはな」
「まるで冷血漢のような扱いだな。どんな過去がこれだけの英傑を生み出したのか、気にならぬ者はいるまい」
「それはこちらの台詞だ」
『大破壊』はニヤリと笑った。そして、思いも寄らぬ提案をしてくる。
「お互いに、過去を一つだけ語ってはどうだ。正体がバレない程度で構わぬ」
「ほう?」
それは『大破壊』らしからぬ提案だった。だが、俺も『大破壊』の過去には大いに興味がある。
「いいだろう。語る過去はどうやって決める」
「要望があれば応じよう」
「ふむ……」
俺はしばらく考え込んで、質問内容を決めた。
「『大破壊』が剣闘士になった経緯、はどうだ」
「……いいだろう」
『大破壊』は静かに頷くと、モンドールを見た。その視線の意味は……。
「え? ひょっとして、俺が喋るのか?」
自分を指差して驚くモンドールに、『大破壊』は頷いてみせる。たしかに、『大破壊』がスラスラと自分の過去を語れるとは思えない。妥当な人選だった。
「いいけどよ……ってことは、俺も『極光の騎士』の話を聞いていいんだよな?」
「傍聴であればな。どのみち、お前には引き換えにする過去があるまい」
「ま、一応皇族だからな」
モンドールはあっさり認める。本人は顔も知らない人間が、自分の誕生日すら覚えているのだ。皇族というのも大変だな。
「そんで、『大破壊』が剣闘士になった理由だったな。……ええと、どこから始めたもんか」
一人で悩んでいたモンドールは、やがて昔話を始める。
「とある国境で、帝国と隣国が領土争いをしてた時のことだ。両国の斥候部隊がはち合わせて、戦闘が始まった。
そんで、斥候部隊は両方とも惨敗した。……その場に現れた『大破壊』によってな」
「両方とも?」
ということは、『大破壊』はどの陣営として現れたのか。
「戦場の近くに、小さな村があってよ。そこの村民にとっちゃ、戦争自体が迷惑な話だ。そしてたまたま、修業の旅でその村に立ち寄っていた男がいた。それも、化物じみた戦闘力を持つ男がな」
なるほど、それが『大破壊』だったのか。ということは、戦に巻き込まれたのか。
「斥候部隊を敗走させられた両国は、手こそ組まなかったものの、『大破壊』を優先的に狙った。だが、斥候どころか本隊ですら返り討ちにあう始末だ」
モンドールは大仰に肩をすくめる。そう言えば、『大破壊』を捕らえる際に、数千の犠牲を出したと聞いた記憶があるが……こんな事情があったのか。
そして、モンドールは少し離れた場所にいるディネア導師たちに視線を向けた。
「そこで、あのばあちゃ――もとい、先生の登場だ。古竜との戦いで魔力の大半を失ったが、『結界の魔女』の名は伊達じゃない。大量の死者の怨念を動力とした捕縛結界を展開して、ようやく『大破壊』を抑え込んだのさ」
「……壮絶だな」
「犠牲になった兵士を、その怨念まで利用したわけだからな。いくら打つ手がなかったとは言え、二度とあの魔術は使いたくないって未だに愚痴ってるぜ」
「けどまあ、『大破壊』が捕縛された時には、両国とも騎士団はほぼ壊滅状態だ。もう戦争どころじゃなくなって、領土争いは終了したって話だ。『大破壊』の義侠心が村を守った、と言えるかもな」
「……そんな大層なものではない。対個人では、満足に戦える相手がいなくなった。それなら集団と戦えばいい。そう思っただけだ」
モンドールが話を結ぶと、『大破壊』が言葉を付け加える。それが照れ隠しなのか真実なのか。『大破壊』ならどちらもありそうだな。
「帝国にとっちゃ『大破壊』は、両国の騎士団を壊滅寸前に追い込んだ重罪人だ。本来なら処刑するべきなんだろうが……先生が捕虜にすると主張したらしい。
まあ、『大破壊』の戦闘力は垂涎ものだからな。反対も多かったみたいだが、先生が押し切った形だ」
そして、モンドールは大仰に肩をすくめる。
「なんだけどよ、結局『大破壊』は騎士団には馴染まなくてな。気が付けば闘技場の覇者になってたわけだ」
話は終わりだと言わんばかりに、モンドールはどっかりと岩に座り直した。予想を大きく越えたスケールの話に、俺はただ驚くしかなかった。
「『極光の騎士』、次はお前の番だ」
頭の中で今の話を整理していると、『大破壊』が声をかけてくる。少し身を乗り出しているあたり、本気で楽しみにしているようだった。
「要望はあるか?」
「お前がどうやってその戦闘力を身に着けたか、だな」
そのリクエストに、俺は密かにほっとした。もし『どうやって魔術を身に着けたのか』と聞かれた場合、嘘を交える必要があったからだ。
「それはトレーニング方法という意味か? それとも過去の経緯か?」
そう尋ねると、『大破壊』はふむ、と腕を組んだ。
「トレーニング内容にも興味はあるが、俺とお前では戦い方が違う。参考になるまい」
つまり、『大破壊』と同じく昔話をしろということか。
「いいだろう。ただし、固有名詞は省くぞ」
俺はそう前置いた。あくまで正体がバレない程度の話にしなければならないからな。だが、二人とも異論はないようだった。
「俺の師は剣の達人だった。実質的に身寄りのない俺を引き取って、幼い頃から戦士として俺を鍛えてくれた。あれは、たしか――」
そして、正体がバレない程度に過去の話をする。あまり大した情報ではないはずだが、すべてが謎に包まれた『極光の騎士』の話だからか、二人がつまらなさそうな顔をすることはなかった。
「お前の師は他界しているのか。……惜しいな」
師が亡くなったことを告げると、『大破壊』はしばらく目を閉じた。冥福を祈ってくれているのだろうか。もしくは、対戦できないことを惜しんでいるのかもしれないが。
「結局、生前には一本も取ることができなかったな」
「信じがたい話だが……世界は広いものだ」
そして、俺たちの間に沈黙が流れる。気まずいものではなく、不思議な共感が俺たちを包んでいた。
「そういや、『極光の騎士』に一つ訊きたかったんだけどよ……」
やがて、その沈黙を破ったのはモンドールだった。沈黙に耐えられなくなったというよりは、本当に興味があるように見える。
「過去の話は終えたつもりだが」
今度こそ魔術の話かもしれない。そう警戒した俺は、先に予防線を張っておく。だが、皇子はあっさり首を横に振った。
「そうじゃなくて、現在の話だよ。『極光の騎士』と『紅の歌姫』が婚約してるっつう情報があってな」
「……ほう」
予想外の質問に反応が一拍遅れる。たしかに、『極光の騎士』の姿でレティシャと何度も皇城を訪れたからな。フレスヴェルト子爵が周囲になんと漏らしていたか知らないが、婚約という単語くらいは飛び出していたのかもしれない。
「『紅の歌姫』と言うと、あの赤い魔女だな。試合を観たことがある。戦えばかなりの強敵だと感じたが」
意外なことに、『大破壊』が話に乗ってくる。おかげで話が流しにくくなったな。
「彼女のプライベートに関わるため、詳しくは言えんが……そのように振る舞ったことはある。あくまで演技だがな」
そう答えると、モンドールはピュゥ、と口笛を吹いた。
「つまり、『紅の歌姫』のプライベートを知ってるわけか。そりゃ噂も立つわけだぜ」
「……そういうものか?」
俺は首を傾げる。その発想は思いも寄らぬものだった。
「『紅の歌姫』が個人的に親しい人間なんて、『蒼竜妃』くらいだからな」
「俺を頼らざるを得ない事情があっただけだ」
「へー、俺を頼ってくれてもよかったのにな」
あまり信じた様子もなく、モンドールは軽口を返す。そう言えば、彼はレティシャのことを気に入っていたな。それだけに気になるのだろうか。
「けどよ、そしたらシンシアちゃんはどうなるんだ?」
「……どうしてシンシアの名前が出る」
兜の下で目を瞬かせる。だが、モンドールは当然のように口を開いた。
「いや、だってシンシアちゃんの『極光の騎士』への好意はバレバレだろ? 第二十八闘技場の剣闘士連中は、アンタに対する嫉妬半分、シンシアちゃんへの応援半分くらいの気持ちでいるぜ」
「……」
思わぬ事実に沈黙する。すると、『大破壊』がぼそりと口を開いた。
「あの赤い魔女と『天神の巫女』か。……『極光の騎士』、試合の間の外で命を落とさぬことだ」
どうやら面白がっているようで、『大破壊』の口の端が少し上がっていた。彼の新たな一面を見た気分だが、俺は苦笑を浮かべるしかない。
「そういうことなら、『紅の歌姫』のほうは俺に任せてくれよ。アンタの分まで幸せにするぜ?」
さらにモンドールも話に乗ってくる。これまでの経緯を考えると、意外と本気かもしれないな。身を乗り出している皇子を見て、そんなことを考える。
「――聞き捨てならないね。アタシの娘をどうするって?」
「げっ……いつの間に」
いつの間にか話を終えていたようで、モンドールの背後にはディネア導師が立っていた。少し顔を引きつらせながら、モンドールは後ろを振り返る。
「あの子がアタシの養子だと分かっての発言だろうね?」
「お、おう……」
急にしどろもどろになったモンドールに忍び笑いを漏らす。とは言え、いつまでも追及されていては不憫だな。助け舟を出すか。
「さて、休憩はもういいか? そろそろ出発するぞ」
言って立ち上がる。モンドールが感謝の眼差しを送ってくるのを視界の隅で捉えながら、俺は森の中を進み始めた。
◆◆◆
森の中にぽっかり空いた空間。二つの木が絡み合うようにそびえ立っており、その周囲を半壊した建物が囲んでいる。その光景は、たった一つの点を除けば昔のままだった。
「まさか、こんな所に集まってるとはねぇ……『極光の騎士』、これを予測していたのかい?」
「いや。予想外だ」
俺は首を横に振る。俺たちの目の前には、辺り一帯を埋め尽くすような巨大な靄が漂っていた。
「呪いと縁の深そうなものと言えば、あの壊れた家屋かねぇ……? どうにも弱いような気がするけど」
ディネア導師が首を捻るのを横目に、俺は黒い靄を観察する。そのサイズはちょっとした砦のようだった。十メテルを超える周囲の木々を包み込み、空間に棚引いている様子は、あまりに異質だった。
「ゆっくりと動いているな……」
漂っているだけに見える黒靄だが、よく観察すると魔力の流れが感じられた。どうやら、靄は中心にそびえる二本の木を目指しているようだが……。
「原因はあの木か? ……いや、違うな。むしろ靄を弾いている?」
魔力は二本の木へ向かっているが、他の木々と異なり、黒靄の接近を阻んでいるように視えた。
「『極光の騎士』、さすがだね。いい眼をしてるじゃないか」
その言葉からすると、ディネア導師も同意見らしい。魔力の流れが視えるようになったのは最近だが、そんなことを言える雰囲気ではない。
「とは言え、やることは同じだ」
「ああ、そうだね。――アンタたち、出番だよ」
そして、導師は後ろの『大破壊』たちを振り向いた。打ち合わせていたのか、同時にシンシアが詠唱を始める。やがて、俺たちの得物に聖光が宿った。聖属性付与だ。
「へへっ、ようやく本番か。身体がなまるかと思ったぜ」
「実体がないのはつまらんが……」
そんな声とともに、モンドールと『大破壊』が黒靄へ向かう。俺も剣を握り直すと、黒靄へ向かって白く輝く剣を振り下ろした。
『大破壊』の破砕柱が、モンドールの斧槍が黒い靄の魔力を消滅させ、俺の剣が靄の魔力構造を分解していく。
「……反応がないな」
剣を振るいながら、俺は首を傾げた。黒い靄は確実に減少している。だが、さっぱり反撃してくる様子がないのだ。
「まあ、もともと指向性の薄い呪いだからね。ここに集まってるのも、魔術師ギルドの連中が総出で誘導してるから、って理由だけだ。幽霊とは根本的に違うのさ」
ここまで楽なのは予想外だけどね、と導師は笑う。魔力構造を斬る修業のつもりでいる俺はともかく、『大破壊』とモンドールにとっては、もはや素振りに近い感覚だろう。
そうしてどれくらい剣を振るっただろうか。黒い靄は確実に消滅しており、その大きさは二メテル程度にまで小さくなっている。ただ、どこからともなく靄が補充されているようで、完全な消滅には至らないようだった。それに――。
「ディネア導師、あの空間の歪みはなんだと思われますか?」
俺より早く、聖女モードのシンシアが口を開いた。彼女の視線の先には、黒い靄とは異なる何かが存在していた。一メテルほどのサイズのそれは周囲の景色を歪ませており、シンシアの言葉通り空間が歪んでいるように見える。
「呪力とは異なるようだけど、あの靄と共通した部分もあるね。喧騒病の呪力の核か……?」
ディネア導師は考え込むように目を細める。その一方で、歪みに近付く人影があった。『大破壊』だ。
「……なんにせよ、破壊対象だろう」
魔力を宿した破砕柱を振り上げると、歪みを目がけて叩きつける。だが……。
「ぬ……?」
『大破壊』の破砕柱は、歪みを綺麗にすり抜けた。黒靄には確実なダメージを与えていた攻撃が、まるで効いていない。
「結界の一種かねぇ。この靄の性質と合わせて考えると、縁がない相手に対しては完全透過、ってところか。もはやなんの意味もないだろうが……」
「先生、俺たちにも分かるように言ってくれよ」
「そいつは喧騒病の核かもしれないけど、直接的な危険性はゼロだろうね。なんせ、縁がない奴にゃ触れることもできない。お互いにね」
モンドールの抗議を受けて、ディネア導師が詳しい説明をしてくれる。
「つまり、あちらからも干渉できないということか」
「そういうことさ。喧騒病の核だとしたら、少し厄介だけど……こうやって定期的に呪力を散らすことはできる。……恒例行事にするしかないかねぇ」
ディネア導師は複雑な顔をしていた。対処はできるものの、そのたびに魔術師ギルドを総動員するのは大変なのだろう。
そんな感想を抱きながら、俺は不思議な歪みを眺める。と――。
「ん?」
俺は何度も瞬きをした。歪みが、歪みでなくなっていた。
「あの、『極光の騎士』さん……?」
俺の様子を不思議に思ったのか、シンシアが傍に寄ってくる。彼女に顔を向けて、俺は歪みを指差した。
「俺の目の錯覚か? ……建物が復元されている」
何度も目にした、半壊した建物。それが、ヒビ一つない完全な形として俺の視界に映っていた。
「あ……!」
シンシアも目を丸くして驚く。彼女がここを訪れるのは初めてだろうが、先ほど半壊した遺跡を見たばかりだ。その差は歴然だった。
「あれ? でも……」
シンシアは不思議そうに視線を動かす。そして、俺の手を取ると数歩横に移動させた。
「ここから見ると、壊れたままです」
「!? どういうことだ……」
数歩横にズレたことにより、歪みの向こうにあった建物が直接見えるようになる。その形は、相変わらずボロボロのままだった。左半分はヒビ一つない洒落た建物。右半分は遺跡としか呼べない半壊した建物。そんな不思議な視界の原因は一つしかない。
「この歪みは何を見せているんだ……?」
「アンタたち、何を見つけたんだい?」
と、俺たちの様子に気付いたディネア導師が声をかけてくる。だが、それに答えることはできなかった。キィン、という甲高い音が響いたからだ。
「共鳴だって!? まさか――」
そんな導師の焦った声が聞こえてくる。だが、それよりも重要な問題があった。隣にいるシンシアが青白く発光し、その輪郭が薄くなっていたのだ。
「シンシア、どうした!?」
焦って呼びかけるが、彼女から返ってきた言葉は予想外のものだった。
「え? 光っているのは『極光の騎士』さんのほうじゃ――」
言われて気付く。どうやら、俺たちは二人とも淡く発光しているようだった。自分の手を確認すると、シンシアと同じように輪郭が薄くなっていて――。
そして、視界が一気に暗転した。