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蠢動 Ⅲ

「よし、これで一件落着だな」


 古びた宿屋を出た俺は、空を見上げて伸びをした。辞めた剣闘士が出場するはずだった試合の代役を、上手く引き受けてもらえたのだ。


 こちらが不安になるくらい素直に引き受けてくれたが、彼はもともとそういう性格だし、別に含むところはないはずだ。

 そんな考え事をしながら、俺は自分の闘技場へ向かって歩を進める。


 そして、角を曲がろうとしたところで、小さな人影とぶつかりそうになった。


「おっと」


「きゃっ! ご、ごめんなさい」


 だが、幸いなことに接触はしていない。そして、相手の姿を確認した俺は驚きの声を上げた。


「あれ、シンシア?」


「あ……ミレウス、さん?」


 今日のシンシアは法服を着ていなかった。いや、着ているのかもしれないが、上着のせいでよく分からない。少なくとも、ぱっと見では神官だと分からないだろう。


「今日は非番なのか?」


 神官のことはよく分からないが、常に法服を着ているわけではないだろう。すると、シンシアは弁解するようにわたわたと手を振った。


「いえ、今日はその……ちょっと観劇に」


「ああ、演劇を観に行ってたのか」


 そう言えば、観劇が趣味だと聞いた記憶があるな。すぐ近くに大きな劇場があるし、その帰りと言ったところだろうか。


「ええと……よかったな」


 なんと言っていいか分からず、俺はそれだけを口にする。演劇は闘技場に次ぐ帝都公認の娯楽であり、特に女性からの支持を集めていた。


「はい! とても素敵でした!」


 目をキラキラさせて、シンシアは元気に答えた。いつもの彼女より明らかにテンションが高い。


「とっても好きな演目でしたし、初めての主演とは思えないほど、俳優さんの演技が真に迫っていて――」


 シンシアは嬉しそうに話を続ける。あまり演劇に詳しくない俺だが、その笑顔を見ると遮る気にはなれない。


「この街の演劇は英雄譚が多いんですけど、今日は珍しく恋愛をテーマにした物語で――」


「ふむふむ、なるほど」


 しばらく相槌を打ち続けていると、シンシアははっと我に返ったようだった。


「ご、ごめんなさい! 周りに舞台のお話ができる人がいなくて、つい……」


 彼女は顔を赤くして謝る。たしかに、マーキス神殿の神官は演劇とか見なさそうだよなぁ。『天神の巫女』なんて二つ名のせいで誤解しがちだけど、シンシアもマーキス神官の中では変わり者なのかもしれない。


 そんなことを考えていると、シンシアはちらりとこちらを見上げる。


「あの……ミレウスさんは、演劇を観たりしませんよね……?」


「まあ、まったく観ないわけじゃないが……」


 ある意味では商売敵だからな。闘技場と劇場は似通った部分も多いし、運営の参考になる。

 ただ、演目や演技を純粋に楽しんでいるわけではないため、好きな演目や俳優の話になるとさっぱりだが。


「記憶に残っているのは、剣闘士が冒険者になって諸国を巡って、最後はどこかの王女と結婚するやつかな」


 あれはたしか、親父が劇場に招待されて、家族みんなで観に行った時だな。当時は招待された意味が分からなかったけど、今なら親父の引き攣った笑顔の理由も、エレナ母さんの「私、お姫様だったのね」という言葉の意味も分かる。


「あ、とっても人気のある演目ですよね。なんでも、この街ゆかりの人がモデルらしいです」


「ああ、そうらしいな」


 ヴィンフリーデなんかは、たまに観劇に行っては笑いを堪えているらしい。ユーゼフも、別件で観に行った時に言葉を失ったそうだから、もう原型は留めていないのだろう。


 それでも、その話が人気だと聞くと、どこか嬉しい気持ちになるものだ。俺はシンシアの話を、不思議な心持ちで聞いていた。


「あ……」


 シンシアが声を上げたのは、昼の鐘の音が聞こえてきた時だった。彼女はきょろきょろと辺りを見回す。


「どうした?」


「あの、ミレウスさんは三十七街区って分かりますか……?」


 シンシアから返ってきたのは、街外れにあるエリアの名称だった。


「そう遠くないぞ。あっちの方角だと思うが……何か用事でもあったのか?」


「なんだか不思議な事件が起きているみたいで、神殿に相談があったんです。それで、その地区の人たちの話を聞いてくることに……」


「不思議な事件?」


「なんでも、時々光の壁が現われて、道が分断されるとか」


 あれ、どこかで聞いた話だけど、意外と大事件だったのかな。闘技場の支配人である俺に情報が入ってこないのは、三十七街区があまり賑やかなエリアじゃないからだろうか。


 俺が指差した方角を確認すると、シンシアはぺこりと頭を下げた。その動きにつられて、金色の髪がさらりと零れる。


「神殿に戻らずに行けば、なんとか約束に間に合いそうです。ミレウスさん、ありがとうございます……!」


「ああ、気をつけてな」


「はい!」


 言うなり、シンシアは小走りで駆け出していく。その後ろ姿は少し頼りなく見えるが、彼女は『天神の巫女』だ。そう心配することはないだろう。


 そう結論付けると、俺は闘技場への道を歩き始める。すると、見覚えのある人間とすれ違った。


「ん……?」


 それは、十日ほど前に闘技場へ乗り込んできたウィラン男爵の従者、メイナードだった。二度にわたって不快な思いをしたおかげで、今度はすぐに顔を思い出すことができた。


「ということは……」


 近くにウィラン男爵もいるのだろうかと、俺は周りを見回した。だが、ありがたいことにその気配はない。


 どうやら、ユーゼフにやられた傷は治癒魔法で治してもらったようだな。普通なら、まだろくに歩くこともできないはずだ。神殿に結構な額のお布施を支払ったのだろう。


「えらく周囲を警戒してるな」


 こっそり様子を見ていると、何度も後ろを振り返ったり、周りを気にしている仕草が多々見られたのだ。その割に俺に気付かなかったのだから、ある意味無駄な努力な気もするが、その様子に興味を引かれる。


「うーん……」


 俺は少し悩んだ後、メイナードの後を尾けることにした。あの様子だと後ろ暗い何かがあるのかもしれない。

 もしそうなら、彼らが闘技場に文句をつけてきた時のいい交渉材料になるはずだ。


 そんな皮算用をしながら、俺はメイナードの後を尾ける。闘技場がある街の中心から離れることになるが、幸い今日は時間に余裕がある。


 今のところ、メイナードは俺に気付いていないようだった。彼は相変わらずきょろきょろしながら、街外れに向かって歩を進めていく。そして、四分の一刻ほど歩いた後で、何かの店らしき建物に入っていった。


「なんの店だ?」


 建物を正面から眺めてみたが、なんの店かは分からなかった。店だと判断したのは、資材のようなものが所狭しと積んであったからだが、ひょっとすると何かの卸問屋だろうか。


「……どうするかな」


 俺は考え込む。ただの買い付けであれば、無駄足もいいところだ。この問屋が非合法な商品を取り扱っているなら別だが……。


 そう悩んでいると、建物から人が出てきた。尾行していたメイナードではなく、別の男だ。彼はひとり言をぶつぶつ呟きながら、俺のいる通りまで出てきた。


 なんだか不思議な雰囲気を持った男だな。俺がそんな感想を抱いたときだった。首筋がぞわりと逆立つ。


「誰だ」


 俺は剣を抜くと同時に、静かな声で誰何する。そして、出てきた男ではなく、何もない空間に剣を向けた。


「……!」


 動揺した気配が伝わってくる。透明化の魔法と、消音の魔法も併用しているのだろう。目と耳では何も捉えられないが、長年親父の下で長年修業したおかげで、その程度のことは分かる。


 さて、どうするか。姿を消して人に近付くのはマナー違反ではあるが、それだけで処罰されるようなものでもない。


 相手がメイナードであるならば、貴族の従者ということで不問となる可能性も高いし、無闇に斬りかかると俺のほうが不利だ。


 それに、はっきり言ってメイナードは弱い。たとえ姿を消していても、俺が後れをとることはないだろう。むしろ、問題は……。


「――おや、どうかなさいましたか?」


 何もない空間に剣を突き付けている俺を不思議に思ったのか、建物から出てきた男が話しかけてくる。


「いえ、なんだか近くで気配を感じたものですから、透明化の能力を持ったモンスターでも出たのかと」


「ほう……」


 男は興味深そうに俺を見た。同時に、これ幸いと透明化したメイナードらしき人物の気配が遠ざかっていくが、今の状況が不明である以上、深追いするべきではないだろう。


 透明化の魔法はかなり高度なものだ。なぜ奴がそれを使用できるのか、そんな能力があるならなぜ凋落した貴族の従者をやっているのか、という疑問はあるが、下手に追い詰めるとどう転ぶか分からないからな。


 気配が完全に消えたことを確認して剣を納める。すると、男は感心したように声を上げた。


「私はさっぱり気付きませんでしたが、分かる人には分かるのですな」


「この街では、そう珍しくないと思いますよ」


 俺は肩をすくめる。少なくとも、剣闘士ランキングの五十傑なら大抵は気付くはずだ。


「ご謙遜を。ところで――」


 と、それまで和やかに話をしていたはずの男の目が、一瞬探るような光を見せた。


「あなたは、第二十八闘技場の支配人殿ではありませんか?」


「その通りですが……よくご存じですね」


 逡巡の後、俺は正直に答えることにした。メイナードによって素性が伝えられているなら、嘘をついてもデメリットしかない。


「おお、そうですか! ……実は、私は『極光の騎士(ノーザンライト)』の大ファンでしてね。その関係で、あなたのお顔もなんとなく見覚えがあったのですよ」


 だが、話は予想とは違う方向に転がっていった。


「そうでしたか、それはありがとうございます」


 俺は当たり障りのない受け答えに終始する。『極光の騎士(ノーザンライト)』絡みの話は面倒なことになることが多いからだ。


「支配人殿は、あの『極光の騎士(ノーザンライト)』と唯一コンタクトを取ることができるとか。いやはや、羨ましい限りです」


「とは言っても、稀に闘技場を訪れる『極光の騎士(ノーザンライト)』に、次の試合の日時を伝えるだけですからね。使い走りと大差ありませんよ」


 それはいつも通りの説明だ。この二年、何度も繰り返してきたおかげで、この言葉を疑う人間はほとんどいなくなっていた。


「ほう……それでは、『極光の騎士(ノーザンライト)』はこの街で暮らしているわけではないということですかな?」


「さあ……聞いても教えてもらえませんからね」


 はぐらかすような答えを受けて、男は残念そうに肩を落とした。


「そうですか……まあ、試合の日以外はまったく目撃情報がありませんからな。街の外に住んでいる可能性は高いのでしょう。

 それでは、試合の日程はどれくらいのタイミングでお伝えしているのですか?」


「それもバラバラですが……試合の半月前から一月前くらいが多いでしょうか」


「なるほど、『極光の騎士(ノーザンライト)』は三か月間隔で試合をしますからな。ということは、当分この街で姿をお見かけすることはなさそうですな」


 ファンとして残念です、と苦笑いを浮かべる。そして、男はポツリと呟いた。


「――私は『極光の騎士(ノーザンライト)』の全身鎧フルプレートがとても気になっていましてね」


「おや、そうでしたか」


 俺は反射的に口を開いた。今の言葉に含みはあるのだろうか。内心で訝しんでいると、男は言葉を続ける。


「あの重厚かつ洗練されたデザインは、なかなか見られるものではありませんからな。是非とも間近で拝見したいものです」


 なるほど、筋は通っているな。その言葉に納得しつつ、俺は彼の後ろに目をやった。そこには、彼が出てきた店がある。


「ところで、こちらは問屋か何かとお見受けしますが、何を取り扱っていらっしゃるのですか?」


「何を、という明確なものはありませんが……つまらない日用品や資材ばかりですよ」


 男はどこか底知れない瞳で答える。彼の言動におかしなところはない。だが、一つ気になる部分があった。


「そうでしたか。あなたのように(・・・・・・・)腕の立つ(・・・・)人物を雇っているのですから、高価な品物や、入手が困難なものでも取り扱っているのかと思いました」


「……そういった品物は、もっと大手の商会が取り扱いますからな」


 俺の言葉を受けて、男の身体に緊張が走る。上手くごまかしているが、彼の身のこなしは、戦いや荒事に慣れている者のそれだ。


 彼が何者かは知らないが、うちの闘技場に下手なちょっかいをかけると返り討ちに遭うぞと、そう伝えたつもりだった。


 支配人ですら相手の強さを推し量り、透明化した人間を察知するのだ。ならば、本職の剣闘士はもっと常人離れしているだろうし、そんなところを敵に回しても分が悪い。

 そう考えてくれることを期待していた。


 俺の言葉をきっかけとして、漠然とした緊張感が高まっていく。だが、俺としてはこれ以上追及するつもりはない。


 意識を切り替えると、俺は仕事用の笑顔を浮かべた。


「まあ、それは他人様の事情ですし、深入りするつもりは毛頭ありません」


「ほう……?」


 突然の変わり身に男は戸惑っている様子だった。だが、俺は気にせず話を進める。


「それよりも、この辺りへ来た用件なのですが……実は、仕事の依頼をしたい人物がこの辺りに住んでいるはずでして。『焼き石亭』という宿屋なんですが、ご存知ありませんか?」


 俺はあっさり話を逸らした。今ここで衝突しても意味がない。


『焼き石亭』は、試合の代役を頼みにさっき訪ねて行った宿屋の名前だから、特に矛盾もない。


「ええ、知っていますとも。そうですな……歩いて四分の一刻といったところでしょうか」


 彼は驚いた様子ながらも、俺の後ろを指差した。それは『焼き石亭』のある方角だ。実在する宿屋を挙げたからか、男の警戒心が少し薄れる。……よしよし、いい感じに戸惑っているな。


「そうなんですか、ありがとうございます」


 礼を言うと、俺は素直に指示された方向へ歩き出した。今からメイナードを見つけるのは至難の業だろうし、わざわざそこまでするメリットはない。


 今度、レティシャに透明化の魔法を破る方法でも聞いてみようか。そして、あの店はいったい何なのだろうか。


 そう考えながら、俺は闘技場への帰途に就いた。


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