縁Ⅱ
嘆きの森の道行は、実に穏やかなものだった。ディネア導師は目的地を定めているようで、迷う様子もなくルートを指示していく。手練れが揃っていることもあって、襲い来るモンスターをあっさり返り討ちにしながら、俺たちは森の奥へと進んでいった。
「手慣れたもんだね、『極光の騎士』」
ディネア導師がそう評したのは、樹上に身を潜めていた魔物を仕留めた時だった。
「たまにこの森に出入りしていたからな。この森のモンスターはよく知っている」
そう答えると、次の言葉は別の人物から返ってきた。第一騎士団長のリーゼンだ。
「ほう……つまり、『極光の騎士』は帝国出身なのかな?」
「そのつもりだ。帝国には愛着がある」
言葉を濁したのは、帝国民だと公言したことで、帝国政府に無理に従わされる可能性を危惧したからだ。そんな懸念が伝わったのか、リーゼンは渋い表情を見せる。
「もしよければ、貴公の師の名前を聞かせてもらいたい。さぞかし名のある御仁だったのだろう」
それでも諦めていないのか、彼は方向を変えて再度問いかけてくる。敵意は感じないが、さりとて興味本位とも思えない。俺は彼の真意を測りかねていた。
「悪いが言えん。師の顔に泥を塗るわけにはいかんのでな」
「かの『極光の騎士』の師ともなれば、箔が付くことこそあれ、泥を塗るようなことはあるまい」
「今の俺では、まだ師に顔向けできん」
その言葉は俺の本心だ。それが伝わったのか、リーゼン団長は無言で俺を見つめる。
「噂と違って謙虚な男だな。帝都の英雄と呼ばれて、多少は慢心しているかと思ったが」
「世間の呼称にまで責任は持てん。俺はただ、目の前の人間を助けようとしただけだ」
「たとえ、それがフォルヘイムのハーフエルフでも?」
「その通りだ」
即答したことが気に障ったのか、リーゼン団長の表情に険しいものが交じる。彼にとって、エルフ族はすべて復讐するべき外敵なのかもしれない。
「リーゼン、言い過ぎじゃねえか? 少なくとも、『極光の騎士』が多くの帝都民の命を救った。それは事実だろ」
見かねたのか、モンドールが割って入ってくる。だが、リーゼンは生真面目な顔で首を横に振った。
「だとしても、です。たしかに『極光の騎士』は多くの帝都民を救った。それは事実です。もし彼が帝国騎士団長の一人であれば、最も信頼する仲間たり得たかもしれません」
そして、リーゼンの真剣な眼差しが俺を捉える。
「ですが、彼は剣闘士です。その力が常に帝国のために振るわれるとは限らない。その強大な戦闘力が帝国に向けられたなら、多くの犠牲が出ることでしょう」
「――そうであれば、リーゼン団長のなさっていることは、その危険を自ら引き寄せていることと同義ではありませんか?」
と、今度はシンシアが会話に入ってきた。普段の彼女らしからぬ滑らかな弁舌が騎士団長を糾弾する。
「『極光の騎士』さんが幾度となく帝都の危機を救ったことは事実です。それなのに、まるで謀反人のような扱い。気を悪くして当然ですし、わざと挑発しているようにさえ思えます」
「そのような意図はない」
『天神の巫女』に反論されるとは思っていなかったようで、リーゼン団長は驚いた顔で彼女を見る。俺はシンシアの肩をポンと叩くと、振り向いた彼女に頷いてみせる。
「俺にそのつもりはないが、リーゼン団長の懸念は理解できる。……貴殿のような人物が国防を担っているとは、心強い限りだな」
それは衷心から出た言葉だった。彼の態度は、帝国を守護するという使命感から来たものだろう。もし俺が彼の立場なら、『極光の騎士』という危険因子の正体を見極めようとするはずだ。そう考えると、むしろ彼に対して好感が湧く。
「何を……?」
その言葉が予想外だったのか、彼は訝しげに眉根を寄せた。
「俺にとっても帝都は大切な場所だ。証はないが、この国に弓引くことはない」
「それを信じろと? ……ならば、なぜ騎士団長への登用を断った」
「俺には俺の夢があり、誓いがある」
そう告げた後で、俺は言葉を付け加える。
「夢も誓いも、この帝都なくしては成り立たんのでな。貴殿には満足のいかない理由かもしれんが、俺は俺のために、帝都を守る」
「……帝都を守るのは、我ら帝国騎士団の務めだ」
俺の宣言を受けて、彼はぼそりと口を開いた。
「襲撃事件の折に、帝都民を救ってくれたことには心から感謝している。だが、帝都の民は……いや、騎士団の内部にすら、帝都の危機には『極光の騎士』が駆け付けてくれると考えている者が少なくない。――最初から剣闘士に国難を託すなど、あまりに馬鹿げている!」
彼の激しい言葉は、俺に向けられたものではない。騎士団の同胞に向けられた言葉だった。
「我々は騎士団としての矜持を取り戻す。そのためにも、貴公の人となりを知っておきたかったのだ。……気を悪くさせたなら、すまなかった」
と、張り詰めた空気が緩んだ。リーゼン団長の目には決意の光が灯ったままだが、その口調は少し柔らかいものに変わる
「『極光の騎士』、悪かったな。本当にリーゼンは頭が固くてよ」
フォローしようとしたのか、モンドールが背中を叩いてくる。
「騎士団の中にゃああいう奴も多くてな。『極光の騎士』に助けられっぱなしじゃ情けないってよ」
「その矜持は好ましく思える」
「そりゃよかった。こんな所で『極光の騎士』と喧嘩なんざしたくねえからな。……ま、リーゼンとアンタの戦いは見てみたかったけどな」
モンドールはニヤリと笑うと、今度はリーゼン団長のほうへ向かった。彼のフォローもするつもりなのだろうか。面倒見のいい彼のことだ、その可能性は高そうだな。
そんなことを考えながら、俺は森の中を踏破していくのだった。
◆◆◆
「これが元凶……?」
「これは外れかねぇ……。思ってたよりしょぼいじゃないか」
ディネア導師が目的地としていた地点。なんの変哲もない森の中には、黒く蠢く靄が集まっていた。高さ、幅ともに三メテル程度だろうか。奥行きは分からないが、概ね同程度だろう。
「先生、こりゃなんだ?」
「魔術師ギルド総出で、喧騒病を引き起こしてる呪いに指向性を与えたのさ。呪いの源に向かうようにってね」
「げ……それじゃ、この靄は呪いかよ」
モンドールが嫌そうに口を開く。次いで、ずっと沈黙していた『大破壊』がディネア導師に問いかけた。
「外れとはどういう意味だ?」
「帝都全体を覆う呪いだからね。この程度の規模ですむわけがないのさ。依り代を間違えたかねぇ」
彼女の視線の先には、謎の物体がごろりと置かれていた。木の根の一部に思えるが、そのサイズはあまりにも巨大だ。
「依り代って、その変な置物のことか?」
「そうだよ。呪いと縁が深い代物を置いておけば、術者がいない場合でも呪いは収束する……はずだったけど、アタシも耄碌したもんだ」
モンドールの問いかけに答えると、彼女は黒い靄を検分する。
「……けどまあ、一部ではあるようだね。ここで潰しておくよ」
「げ。じゃあ、幽霊の類と戦うのか……やりにくいんだよな」
「心配しなくても、斧槍に付与魔術くらいはかけてやるよ。『天神の巫女』もいるんだ、戦士だらけのパーティーでもなんとかなるさ」
そんなディネア導師とモンドールの話を聞きながら、俺は『大破壊』に話しかける。
「『大破壊』。闘気は幽霊退治にも有効か?」
「効きは悪いが、駆逐は可能だ。だが、霊体の類は手ごたえがなくてつまらん」
「なるほどな」
『大破壊』らしい言葉に口角が上がる。そして、俺は剣を抜いた。
「『極光の騎士』さん、聖属性付与を――」
「その前に一つ試してみたい」
シンシアの提案を保留すると、俺は黒い靄に近付いた。フレスヴェルト子爵との戦いで身に着けた力が、この靄相手でも通用するか興味が湧いたのだ。
「……」
俺は魔力感覚を稼働させると精神を集中した。魔力の世界に自らを合わせるような感覚。目の前の靄を見つめると、今度はその構造がよく視えた。
「――っ!」
そして、勢いよく剣を振り下ろす。不思議な手応えとともに、靄の構造とでも言うべきものがバラバラに散らばった。
「……え?」
その光景を見ていたシンシアが、驚いたように声を上げた。彼女は唖然としたまま、俺と黒い靄を見比べる。
「シンシアちゃん、どうしたんだ?」
「いえ、その……」
闘技場の顔馴染でもあるモンドールが尋ねても、シンシアは言葉が出てこないようだった。その代わりとでもいうように、ディネア導師が口を開く。
「大したもんだ。その剣の魔力じゃ太刀打ちできないと思ったのにねぇ。『極光の騎士』、今のは魔法剣かい?」
「いや……剣技の延長だと認識している」
「だろうね。目立った魔力の動きはなかった。アンタには毎度驚かされるよ」
ディネア導師は納得した様子で頷く。一人で納得している彼女に我慢できなくなったのか、モンドールが再び口を挟んだ。
「先生、自分だけで納得しないでくれよ」
「モンドール、人に聞くからには、まず自分で考えたんだろうね?」
ふっと教育者の顔になったディネア導師が、鋭い目でモンドールを見る。
「先生とシンシアちゃんだけが反応したってことは、魔力に関係することだ。『極光の騎士』はあの靄を攻撃したように見えたし、事実、靄の体積は小さくなってる」
体積を減らした黒靄を眺めながら、モンドールは絞り出すように見解を述べた。
「そこまでは分かるが、どうして二人が驚いたのかが分からねぇ」
「ま、そこまで考えたなら充分か。アタシもまだ信じ切れてないくらいだからね」
そう前置くと、ディネア導師は杖の先で俺を指し示した。
「『極光の騎士』は、魔力を使わずに魔法の構造を破壊したんだよ」
「な――」
最初に反応を示したのは騎士団長のリーゼンだった。少し遅れて、モンドールも目を見開く。
「ンなことできんのか? 幽霊をただの棒っきれで倒すようなもんだろ?」
「だからアタシたちも驚いてるんだよ。『極光の騎士』、今のはどうやったんだい?」
「どうと言われてもな……魔法の構造を視て、自分を合わせる。そうとしか表現できん」
俺はどうにか表現するが、ディネア導師が理解できたようには思えなかった。どちらかと言えば、モンドールやリーゼンのほうがピンと来るのかもしれない。
「……さっぱり分からねぇ」
と思ったが、モンドールも困惑顔だった。隣のリーゼン団長も渋い表情を浮かべている。
「ま、『極光の騎士』だからね。いちいち驚いてちゃ身体がもたない。それより、あの靄を消滅させちまうよ」
そうまとめると、ディネア導師は靄に向き直った。だが、靄がこちらへ向かってくる様子はない。
「なんか拍子抜けだな。敵意みたいなモンが感じられねぇ」
「帝都を覆っている呪いだって、指向性はほとんどないからね。ただ存在しているだけなんだろうさ」
そんな声を背中で聞きながら、俺は再び剣を振りかぶった。靄は攻撃してこないため、まるで修業をしているような錯覚を覚える。魔力の構造を視て、剣を振るうたび、黒靄の構造がバラバラにほどけていった。
そうして、何度目かの剣を振り下ろした時だった。はっと我に返った時には、集まっていた黒靄は雲散霧消していた。
「結局、全部『極光の騎士』に任せちまったな……」
「魔力には限りがあるからね。付与魔術を使わなくてもいいなら、それに越したことはないさ」
「そんなこと言って、『極光の騎士』の技術が気になってるだけじゃねーの?」
「アンタ、鋭くなったね」
そんな会話が後ろで繰り広げられているせいで、少し振り返りづらい。どうしようかと思っていると、隣にすっとシンシアが入ってきた。
「『極光の騎士』さん、凄かったです……! あんなこともできるんですね」
「そのようだな。……せっかくの支援魔法の申し出を断って悪かったな」
「そんな、謝ることなんてないです」
シンシアはふるふると首を横に振る。彼女と言葉を交わしていると、ディネア導師が全員に向かって話しかけてきた。
「さて、どうしようかねぇ……? 依り代がこの程度じゃ、残りの呪いは森全体に散らばっていそうだ」
「ってことは、嘆きの森の木を全部斬り倒すのか?」
「殿下。嘆きの森の木をすべて伐採するとなれば、膨大な時間がかかります」
「じゃあ、いっそ焼き払うか?」
「延焼や生態系の破壊を考慮すると、あまり好ましくはありません」
モンドールが過激な意見を出すたびに、リーゼン団長がツッコミを入れる。この人、色々と苦労していそうだな。
「今回ばっかりは、モンドールの言う通りかもしれないよ。帝都にとって喧騒病は致命的なものだ。ある程度の犠牲を覚悟してでも、消しちまうべきだろうね」
意外なことに、ディネア導師は嘆きの森を消滅させることも辞さない様子だった。かなりの面積を誇る森林だが、いったいどれほどの時間と労力がかかるのだろうか。
「この森がなくなるのか……」
思わず周囲を見回す。帝都に近い手頃な森として、昔から幾度も足を踏み入れてきた身としては、なんとも寂しいものがあった。ユーゼフやヴィンフリーデと冒険をしたり、狩りをしていた頃を思い出す。
そして、もう一つ。この古代鎧を見つけたのも嘆きの森だ。鎧があった木の洞や、半壊した建物が脳裏に浮かんだ。
「――悪いけど、今日のところはいったん引き上げるよ。闇雲にうろついても仕方がない」
俺がそんなことを考えている間に、ディネア導師が任務終了を言い渡す。他の面々が頷くのを見てから、俺は口を開いた。
「帰りは別行動を取らせてもらいたい。寄りたい場所がある」
「構わないけど……どこに行くつもりだい? 場所によっては、呪いが密集しているかもしれないよ?」
導師は訝しむように口を開く。たしかにその心配はあるだろうが、あの程度の呪いならなんとかなるだろう。
「ちょっとした思い出の場所、といったところだ。この森がなくなるのであれば、一目見ておきたくてな」
「ってことは、この森の中だね。ここから遠いのかい?」
「いや、そう遠くはない。もし危険があれば素直に引き返す」
「へぇ……」
ディネア導師は何やら考え込んでいる様子だった。その間に、シンシアが俺の前に回り込んでくる。
「あの……私もお供していいですか?」
しばらくの沈黙の後、彼女は意を決したように尋ねてきた。古代鎧を起動していない俺のことを心配してくれているのかもしれない。
「ああ」
申し出を了承すると、シンシアは嬉しそうに微笑む。だが、ここでディネア導師から予想外の言葉が投げかけられた。
「それじゃ、アタシたちも付いてっていいかい?」
「……む?」
「この森は今、厳戒態勢の真っ只中だからね。何かあっちゃ寝覚めが悪い。『天神の巫女』が同行するなら、アタシたちがいてもいいだろ?」
「先生、『極光の騎士』の思い出の場所に興味があるだけじゃねぇの?」
「うるさいね、そういうことは黙っておくもんだよ」
「隠す気ゼロかよ……」
そんなやり取りに笑いを堪える。やがて、俺は静かに頷いた。
「俺以外にとっては、大したことのない場所だろうが……それでもいいのなら、案内しよう」