魔導子爵Ⅵ
「そう、やっぱり大きな進展はなかったのね」
「はい……私が知る限り、他の組織も似たようなものだと思います」
第二十八闘技場の支配人室で、レティシャとシンシアが向かい合って情報を交換する。彼女たちがソファーにかけて議論しているのを、俺は支配人の仕事をこなしながら聞いていた。
「喧騒病という名前が悪い、ですか……?」
「ええ。キャストル王国の使節団が漏らしていたそうよ。シンシアちゃんなら意味が分かるかしら?」
「名前ということは、頭の中がざわざわするという症状が、実は別のものだった……?」
「でも、患者の症例はどれも似たようなものでしょう?」
「はい、頭の中で大勢の人がざわめいている、という部分は共通です」
「そうよねぇ……」
しばらく考え込んでいたレティシャは、ソファーの背もたれに体重をかけた。そして、その様子を眺めていた俺と目が合う。
「ミレウスはどう考えているのか、聞いてみたいわ」
「私も、聞いてみたいです」
だいぶ煮詰まっているのだろう。二人は期待するように俺を見つめている。だが、様々な知識を持っている彼女たちと違って、俺はまったくの素人だ。
「どう考えるも何も、病気については門外漢だからな。身近に発症者が二人いる、というだけだ」
そこから言えることは、喧騒病は遺伝するのかもしれない、ということくらいだ。だが、それくらいは彼女たちもとっくに掴んでいるだろう。そう告げると、二人は同時に頷いた。
「たしかに遺伝的な要因はあるでしょうけれど……あくまで病気に対する抵抗力の問題だと思うわ。そうじゃなければ、帝都を離れたくらいで治るはずがないもの」
「今、神殿で考えているのは、発症して遠くへ移転した方にまた帝都に来てもらって、症状の有無や転帰を見守るという案ですけれど……」
「マーキス神殿にしては思い切ったな。人道的な観点で却下されるかと思った」
感想をもらすと、シンシアは複雑な表情を浮かべた。
「発症者が増加していますから……」
それだけ、マーキス神殿も事態を重く見ているということだろう。
「あら、そっちのほうなのね。てっきり、マーキス神官に喧騒病を発症した人がいるのかと思ったわ。もちろん神官だから実験台にしていい、というわけじゃないけれど、頼みやすいのは事実だから」
「それが、帝都にいるマーキス神官で、喧騒病に罹患した方はいなくて……」
「あら、そうなの? 実は魔術師ギルドも同じなのよ。魔術師ギルドで誰かが発症したら、人体実け――一歩踏み込んだ検証もできるのだけど」
レティシャは残念そうに呟く。一歩踏み込んだ検証とはどんなものなのか、聞いてみたいが……やめておいたほうがよさそうだな。
「神官や魔術師は病気にかかりにくいのか? 最近の喧騒病は、罹患率が三パーセント程度だと聞いたが」
実際に、第二十八闘技場での罹患率は三パーセントくらいだからな。神殿や魔術師ギルドは結構大きな組織だから、確率としては発症者がいそうなものだ。
「規則正しい生活を心がけているからでしょうか……。それでも、体調を崩す人はいますけど」
「流行り病の時は、魔術師ギルドでも病気が蔓延していたから、病気にかかりにくいというわけじゃないと思うわ」
レティシャがそう告げると、シンシアも思い出したように声を上げた。
「あ、神殿でも流行り病は凄かったです。患者さんの救済に行くことも多いから、余計に流行りやすいんだと思います」
なるほど、神官は大変だな。喧騒病も流行り病という点では同じだが……。
「神官や魔術師以外にも、病気にかかりにくい職種があるのか?」
「すみません、お仕事先のデータはありますけど……職種までは分かりません」
シンシアが申し訳なさそうに答える。次いで、レティシャがソファーから身を乗り出した。
「ミレウスは、職種が関係あると考えているの?」
「いや、二人の話を聞いて気になっただけだ。神官や魔術師だけが病気にかからないなら、それが糸口になるかと思ってさ」
「その視点も面白いわね。神官や魔術師だけが抵抗力を持っているとした……ら……」
と、レティシャの言葉が止まった。視線は俺へ向けられているが、思考の渦へ沈みこんでいるのは明らかだった。
「あ……」
同じタイミングで、シンシアも動きが止まる。彼女も何か気付いたことがあったらしい。
やがて、二人は同時に口を開いた。
「『喧騒病という名前が悪い』というのは、まさか……」
◆◆◆
ここ数年で、それなりに見慣れた幼馴染の借家。不自然なほど片付けられた部屋は、もうすぐ主がいなくなることを示していた。その光景に一抹の寂しさを覚えながら、俺は家主に挨拶をする。
「悪いな、ヴィー。調子が悪いところに押しかけて」
「構わないわ。一人だと滅入っちゃうから。……さあ、入って」
その言葉を受けて、俺とレティシャ、そしてシンシアは彼女の部屋へと入る。扉を閉めるなり、俺は本題を口にした。
「早速なんだが……ヴィー、実験台になってくれないか」
「実験台……?」
きょとんとした様子のヴィンフリーデは、俺の後ろにいる二人に視線を送った。
「それで、二人が一緒に来たのね」
「ああ。喧騒病の正体について、新しい可能性が出てきたんだ」
答えると、彼女は納得した様子で俺に視線を戻した。
「そういうこと……ええ、もちろん協力するわ。それで、私は何をしたらいいの?」
「特にしてもらうことはありません。楽にして座っていてください」
「失敗しても、ヴィンフリーデに悪影響が出ることはないわ」
シンシアとレティシャがそう説明すると、彼女は大人しく椅子に腰かける。それを確認すると、シンシアが一歩進み出た。そして――。
「解呪」
ヴィンフリーデを中心として、柔らかな白い輝きが生まれた。魔法を使われるとは思っていなかったのだろう。ヴィンフリーデが戸惑った表情を浮かべるのが見えた。
「え……?」
純白の光はすぐに収まり、部屋の中はすっかり元の光景に戻る。そんな中で、ヴィンフリーデの表情だけが先程までとは大きく違っていた。
「ヴィンフリーデさん、調子はどうですか……?」
シンシアが問いかけても、ヴィンフリーデから返答はない。彼女は目を閉じて何かに集中しており、自分の身体の状態を確認しているように見えた。
「嘘……あの嫌な音が、何も聞こえないわ」
やがて目を開けたヴィンフリーデは、信じられないという表情で口を開いた。その言葉に、俺たち三人がわっと盛り上がる。
「どうやら正解だったようね」
「本当に、本当によかったです……!」
「引っ越しまでギリギリだったからな……間に合ったか」
俺たちは口々に安堵や喜びの言葉を紡ぐ。シンシアに至っては涙ぐんでいたくらいだ。
「でも、どういうこと? 私の聞き違いでなければ、シンシアちゃんが使った魔法は解呪だったと思うのだけど」
「はい、その通りです」
目尻にうっすら溜まった涙を拭くと、シンシアは真面目な顔で頷いた。
「それって、つまり……」
ヴィンフリーデも気付いたらしい。彼女の目が、驚きで再び見開かれる。
「ええ。喧騒病は病気じゃない。呪いだったのよ」
そう。それが彼女たちの結論だった。『喧騒病という名前が悪い』とは、そもそも病気ではないという意味だったのだろう。昔から風土病と言われていた喧騒病だが、その固定観念こそが調査を難航させる一番の原因だったのだ。
「そんな……どうして? 私や母さんに、誰かが呪いをかけたということ?」
それは当然の疑問だ。呪いというものは、術者と呪われる対象が不可欠だ。となれば、誰かがヴィンフリーデやエレナ母さんに恨みを持っていたと考えてもおかしくない。
「たぶん、そうじゃないわ。喧騒病に罹患した人の属性は千差万別だし、最近ひどくなったとは言え、数十年前から存在はしていたもの」
つまり、個人の術者が特定の誰かを狙ったものとは考えにくい。
「じゃあ、どうして……」
「そこはこれから調査するつもりよ。そもそも、呪術だとしても色々おかしいのよねぇ。そのつもりで見れば、魔術師はその人が呪われているかどうか、すぐに分かるのだけれど……」
「呪いとしては微力なせいで、ほとんど魔力も察知できません」
まあ、発症まで数カ月、下手をすれば数十年かかっていたわけだからな。それに、土地を離れれば軽快するのも呪いとしては弱い。
「ごく弱い呪いを、帝都全体に及ぼしている何者かがいる。それが今の私の予想よ。喧騒病を発症している人は、呪いの標的にされたんじゃなくて、呪術に対する魔法抵抗力が低い人たちなんじゃないかしら」
「私も母さんも、魔法の才能はまったくないわね……それが原因だったなんて」
ヴィンフリーデは落ち込んだように呟いた。沈黙した彼女に代わって、今度は俺が口を開く。
「それって、魔法としては大掛かりなのか?」
帝都全体に影響を及ぼしているという意味では、凄まじい効果範囲だと思うが、その効果は呪いにしては弱すぎる。
「ええ。帝都全域に、しかも数十年にわたって呪いを及ぼすなんて、並大抵のことじゃないわ。一体どんな相手なのかしら」
そんな会話をしていた時だった。ヴィンフリーデの表情が、深刻なものになっていることに気付く。
「ヴィー、どうした?」
「ううん、なんでもないわ」
ヴィンフリーデは首を横に振るが、不安そうな顔は隠せていなかった。そんな彼女の手を、シンシアがそっと包む。
「ヴィンフリーデさん。どんなことでも構いませんから、教えてください。他の患者さんを治す時の参考になるかもしれませんし」
上手い言い方だった。自分の体調不良は誤魔化そうとするヴィンフリーデだが、他の帝都民にも影響が及ぶとなれば嘘はつけないだろう。
「……また、あの声が聞こえてきたのよ。と言っても、ほんの少しで、意識を集中しないと分からない程度よ」
俺たちを安心させるためだろう、ヴィンフリーデは明るい声で答える。だが、それを楽観的に捉える人間はいなかった。
「その声の強さって、喧騒病にかかった当時と同じくらいかしら?」
「そうね、この程度だったと思うわ」
ヴィンフリーデの回答に俺たちは顔を見合わせた。ということは、また二、三か月で重篤な症状まで進む可能性が高い。
「呪いの結界に、ずっと足を踏み入れているようなものですから……」
「となると、根本的な解決にはならないのか……」
思わず沈んだ声が出る。喧騒病の解決は、罹患者のみならず、レティシャの今後にも影響を与えるのだ。それを考えると、成果としては不充分だ。
「あら、少なくとも喧騒病の治療法は確立したのよ? それは大きな進歩だわ」
対して、レティシャの声は意外と明るかった。強がりではなく、本当にそう思っているようだった。
「喧騒病の正体と治療法を突き止めたのは事実よ。術者の捜索や討伐は、それこそ帝国騎士団の仕事だもの」
なるほど、レティシャたちは依頼を完遂したということか。言われてみればそうだな。
「ただ、解呪してもすぐにまた発症するのは問題ね」
「深刻になる前に解呪してもらえばいいんじゃないか?」
「現在の相場だと、解呪の依頼はそこそこ値が張るのよ。神殿でもそうでしょう?」
「はい……こんな事情ですから、特別措置を取る可能性もありますけど……それが二、三か月に一回となれば、かなりの負担だと思います」
なるほど、一般市民にとっては厳しい出費を強いられるわけか。帝国が補助金でも出してくれればいいのだが、ここで俺がいくら考えても意味がない。まず俺が考えるべきは、ヴィンフリーデのことだ。
「解呪にかかる費用はいくらなんだ?」
ヴィンフリーデの引っ越しと、それに伴ってユーゼフが帝都を留守にすることを考えれば、それくらいの金銭の負担はするつもりだった。
個人には大金でも、闘技場の資金からすれば払えないことはないはずだ。確認はしていないが、ユーゼフも同じ気持ちだろうから、俺たち三人で費用を出し合うことだってできる。
「払えない金額ではないと思うわ。ただ、毎日のように解呪するのは、富豪でもない限り無理でしょうね」
「あ……」
レティシャの指摘で、俺は見落としていた観点に気付いた。健康的に生活を送ることができるのは、解呪してからの数日だけ、という可能性もあるのだ。その後は、呪いに苛まれながら仕事をしたり、生活したりしなければならない。
「けど、安心して。ヴィンフリーデについては何とかしてみせるわ。呪いが原因だと分かった以上、手立てはあるもの」
「耐呪の護符ですか?」
レティシャの言葉を受けて、シンシアが問いかける。
「それもいいけれど……せっかくシルヴィちゃんがいるのだから、協力してもらえないかしら。さすがに量産は無理でしょうけれど」
「魔道具にするんですね……! それなら、護符よりも確実です。ペンダントや指輪なんかにしてもらえば、身に着けるのも楽ですし」
シンシアも納得したように頷く。なるほど、それなら以前と同じように暮らすことができるな。そんな思いでヴィンフリーデを見ると、彼女の目からつぅ、と一筋の涙が零れた。
「私……この街を離れなくてもいいのね……。よかった……っ」
ヴィンフリーデは嗚咽交じりに呟く。ユーゼフの足手まといになってしまうこと。第二十八闘技場を放り出して移住すること。そんな重圧が彼女を追いこんでいたのだろう。
涙を見せたくなかったのか、ヴィンフリーデはくるりと後ろを向いた。そんな彼女から視線を逸らすと、今度は他の二人と目が合う。
――本当によかった。
そんな思いとともに、俺たちは頷き合った。
◆◆◆
魔術師ギルド長の執務部屋は、思ったよりも簡素な造りだった。部屋の主にして、帝国の特別顧問でもあるディネア導師は、不思議な香りのするお茶を啜るとほう、と溜息をついた。
「へえ、お手柄の舞台裏にそんなドラマがあったとはねぇ。少しはレティシャから話を聞いていたけれど、想像以上だよ」
喧騒病の一件に加えて、フレスヴェルト子爵との確執を聞いたディネア導師は、遠い目で苦笑を浮かべた。
「けどまあ、帝国政府には正式に調査結果を報告済みだ。皇帝経由でも耳に入れたから、功績を揉み消されることはないだろうさ」
魔術師ギルドとしても鼻が高いからね、とディネア導師は笑い声を上げる。喧騒病の解明は国を挙げての命題であり、それを魔術師ギルドが解決したというのは、彼女としても有益なことだろう。
本当ならシンシアも功労者なのだが、フレスヴェルト子爵にかかる事情を明かしたところ、『発症した皆さんを助けられるなら、それで充分です』と功績を譲ってくれたのだ。
「呪いの術者の特定についちゃ、アタシたちに任せな。後はこっちの仕事だよ」
「心当りがあるのですか?」
レティシャが尋ねると、彼女は小さく肩をすくめた。
「さてね。今から考えるのさ」
「あまり悩んでいるように見えませんでしたから、てっきり心当たりがあるのかと思いました」
レティシャが踏み込んだ言葉を返す。
「そうだね……たとえば、アタシたちがこの地で倒した古竜の呪い、なんて可能性もある」
「古竜の呪い……」
親父の直接的な死因である単語を耳にして、俺はつい言葉を漏らした。
「それなら、とどめを刺した者が呪われるのではありませんか? 喧騒病は効果範囲こそ驚異的な広さですが、効果は微々たるものです。当時は街も何もなかったことを考えると、あまりに不毛な呪いに思えるのですが……」
「へぇ? アンタ、意外と詳しいじゃないか」
ディネア導師が興味深そうな瞳で俺を見る。まあ、身内が古竜の呪いで亡くなった人間なんて、ほとんどいないだろうからな。
「けれど、もう死んだ古竜の呪いだとしたら、どうやって元を断つつもりですか?」
「さてね……そもそも、古竜の呪いかどうかも不確定だ。対処法を考えるのは、犯人を特定してからだよ」
そう言うと、ディネア導師はティーカップに口を付けた。少し長めの所作からすると、この話は終わりだという意味かもしれない。
「ところで……フレスヴェルト子爵はどう出ると思いますか?」
それを察したのか、レティシャは話題を変えた。
「あの執着ぶりじゃ、大人しく引き上げる気はしないねぇ。喧騒病を解明した功績がある以上、帝国がアンタをあっさり手放すとは思えない。アタシも反対するしね」
そして、ディネア導師は俺のほうへ視線を向ける。
「けど、アンタも攫われそうになったんだろ? となれば、無理やり拉致する、なんて可能性もゼロじゃないだろうね。
あの子爵、魔力量も魔法の技術もかなりのものだ。この国で張り合える魔術師は、レティシャかルドロスくらいなものさ。さすがは魔導子爵といったところかね」
アタシも全盛期なら負ける気はしないけど、と導師は付け加える。
「レティシャを養子にすることも考えたけど、タイミングがあまりに露骨だからねぇ」
「養子って、ギルド長の養子ですか?」
「ああ、もちろんさ。アタシは独り身だし、レティシャは最高の弟子だ。特におかしいことはないだろうさ」
「それは光栄ですけれど……」
その言葉は予想外だったようで、レティシャは目を丸くしていた。
「こんなことなら、さっさと話をしていればよかった」
どうやらディネア導師は、もともとレティシャを養子にするつもりだったらしい。その気持ちは分からなくもない。そんなことを考えていると、彼女はちらりと俺に視線を向けた。
「だから、さっさと子供を作っちまえばよかったんだよ。そうすりゃ子爵も手が出しにくかっただろうに」
「ちょ、ちょっと師匠!」
レティシャが慌てた声を上げるが、導師はどこ吹く風だ。
「師匠か、懐かしい呼ばれ方だね」
「問題はそこじゃありません!」
珍しくレティシャが声を荒げる。新鮮な気持ちでその様子を眺めていると、はっとした様子で彼女がこちらを見た。彼女はコホン、と咳払いをして導師に向き直る。
「……ともかく、子爵には『極光の騎士』を紹介しています。牽制にはなると思いますわ」
「その話は聞いたけど、アンタも思い切ったもんだね。……まあ、『極光の騎士』なら、子爵が暴走しても下手は打たないだろうけど」
「ギルド長、子爵が暴走しない可能性は微塵も考えていませんよね……」
「ま、わざわざ娘を保護しに乗り込んできたんだ。一波乱くらいはあるだろうさ」
そう言ってディネアはお茶を啜る。俺とレティシャは、渋い表情で顔を見合わせるのだった。
◆◆◆
少し前にも利用した、歓楽街のとある一室。そこで、俺は子爵の部下にして内通者でもあるダルスと密会していた。
「旦那はだいぶ荒れてるな。使節団を率いて乗り込んだくせに、出し抜かれたわけだからな。しかも、原因はほぼ突き止めていたのに、勿体ぶっていたせいだと来る」
「もう帰国日は決まっているんですか?」
そう尋ねると、ダルスは鼻を鳴らした。
「さっさと帰ってほしい、ってのが丸分かりの質問だな。まあ、お前の立場ならそうなるだろうが」
「ダルスさんも同じことでしょう?」
「まあな。ただ、お前の希望通りとはいかないだろうな。今の旦那は、あの『極光の騎士』とやらの情報を集めまくってる」
「暗殺を企んでいると?」
そう尋ねると、ダルスは嫌そうに唇を歪めた。
「俺としては勘弁してほしいんだがな。あの『極光の騎士』とかいう奴、本当に化物だぞ」
「……」
なんと返したものか悩んでいるうちにも、彼は一方的に言葉を続ける。
「クソ真面目な護衛が、『剣聖に匹敵する』なんて言ってたからな。もしそうだとすりゃ、俺なんざ相手にもならねえ」
「まあ、負けたことのない剣闘士ですからね」
「しかも魔法戦士なんだろ? 剣聖に匹敵する剣技に加えて魔法とか、どう考えても怪物級じゃねえか。……本人は謙遜してたが、実際のところどうなんだ? 魔法はどれくらい使えるんだ?」
「私は魔法に詳しくありませんから、よく分からないんですよねぇ」
俺は曖昧に答える。ダルスからすれば、この密会も情報収集のうちだ。どう回答することが、もっとも穏便にすむ選択だろうか。やはり、強敵だと伝えて怯ませるほうがいいのだろうか。
「魔法一発で大軍を全滅させた、なんてのは話半分だろうが、百人くらいは一発で吹き飛ばせるのか?」
「まあ、それくらいはできる気がします」
俺は素直に頷いた。雷霆一閃や乾坤一擲なら、それくらいの成果は上げられる。
「マジかよ……それだけで宮廷魔術師クラスじゃねえか。やっぱ俺じゃ無理だわ」
ダルスはげんなりした表情で溜息をついた。旦那もいい加減諦めろよな、だとか、令嬢も面倒なのを連れてきやがって、などといった愚痴が次々と出てくる。
「『極光の騎士』の名前が出てきた時にゃ、恋人ってのは嘘っぱちで、あくまで帰国を断るための口実だと思ってたが……」
その言葉にギクリとする。だが、ダルスが俺の反応に気付いた様子はなかった。
「あの令嬢、本気で『極光の騎士』に惚れてるな。いくら名女優の娘とはいえ、令嬢は魔術師だろ? あそこまで演技できるわけがねえ」
「……」
「旦那も体のいい嘘だと思っていたようだが、恋仲だと認めざるを得なかったみたいだな」
「それはまた……支配人としてはコメントに困りますね」
どうやら、計画は上手くいったようだな。そんな内心をおし隠しつつ、俺は困り顔で答えた。
「『極光の騎士』のほうは、兜のせいでさっぱり表情が読めなかったが、闘技場以外に姿を見せること自体がほとんどないんだろ?」
「ええ、そうですね。私も連絡を取る手段がないくらいです」
そう答えると、ダルスは渋い顔で天井を見上げた。
「そんな奴がわざわざ現れた時点で、そういう関係なんだろうな。……まあ、あの令嬢の色気からすりゃ、大抵の男は骨抜きにされるだろうがよ」
「そうですねぇ……」
「それに、あの殺気もヤバかったな。令嬢を連れ帰ったら、本気でキャストル王国に取り返しに来るぞ。下手すりゃ屋敷が木端微塵だ」
ダルスは機嫌が悪そうに頭を掻く。たしかに、その可能性はゼロとは言えないかもしれない。
「こうなると、太刀打ちできそうなのは旦那だけだな。あれでもキャストル王国が誇る三大魔術師の一人だし」
「そうなのですか? さすがは魔導子爵ですね」
答えながらも、嬉しくない情報に内心で顔を顰める。
「俺としちゃ、『極光の騎士』が勝って旦那が諦めるのが一番なんだが……さてさて、どう献策したもんかね」
少し昏い目で策を練るダルスを、俺は無言で眺めていた。