魔導子爵Ⅴ
「君が『極光の騎士』か」
「ああ。お初お目にかかる」
皇城の居室で、渋い表情を隠そうともしないフレスヴェルト子爵と向かい合う。本来なら握手程度は交わすものかもしれないが、子爵にそのつもりはないようだった。
彼の後ろには、従者のダルスともう一人、体格のいい人物が控えている。おそらく子爵の護衛だろう。剣闘士五十傑に入ってもおかしくない程度には、腕が立つように思えた。
「娘が交際相手を連れてくると伝えてきた時には驚いたが……」
「フレスヴェルト子爵の勘違いで、恋人と引き離されては困るのでな」
俺はぶっきらぼうに言い切る。その物言いが気に入らなかったのか、子爵が再び眉を顰めた。
……そう。俺は『極光の騎士』として、レティシャの恋人役を演じることになっていた。古代鎧は起動させておらず、レティシャの筋力強化で対応している形だ。
レティシャを帰国させ次第、部下の宮廷魔術師と婚姻させる。その話を聞いたレティシャが、自分を諦めさせるために考えた策だ。相手が闘技場の支配人、ミレウス・ノアでは何かと不都合が生じるが、『極光の騎士』であれば特に問題はない。
好かれる必要もないため、俺はいつも通りの『極光の騎士』の態度で通すことにしていた。
「勘違いと言ったが、君は娘のことをどの程度知っているのかね?」
子爵は冷ややかな視線を俺に向ける。彼が言いたいのは、レティシャの出自を知らない分際で、偉そうなことを言うなという意味だろうが――。
「そうだな……傑出した魔術の才能はもちろんのこと、物事に対する広い視野や、聡明さ。咄嗟の事態における機転も見事なものだ。魔術に限らず、秀でた才覚を持つ者は驕る傾向にあるが、彼女は自負を持ちながらも驕ることがない。魔法研究に取り組む姿勢は真摯の一言で、多くの新しい魔法を生み出している」
俺はレティシャの長所を並べ上げた。出自など持ち出さなくても、人を語ることはできる。だが、フレスヴェルト子爵にはお気に召さなかったようだった。
「君が並べた長所は、レティシャの魔術師の部分に対する評価でしかない。君は娘と共に戦うこともあるそうだが……つまり、レティシャそのものに興味はないということだね?」
そう来たか。だが、それも予想の範疇だ。
「初対面の人間に語るのはどうかと思って控えたが……そちらも聞きたいのか?」
そう告げると、俺は一方的に話し始める。
「美しく澄んだ歌声や、容姿の美しさは言うまでもないだろうが……それでいて、彼女は傲慢な態度を取ることはない。それどころか、他者への細やかな気配りを欠かさない。目的へ向かって進もうとする強い意思と、そこへ至るためなら回り道も辞さない柔軟さを持ち合わせていて――」
そんな褒め文句を延々と続けながら、俺は子爵の様子を窺った。狙い通り、俺の勢いに子爵は鼻白んでいた。それでこそ、一晩中かけて言葉を考えた甲斐があったというものだ。
「それに……彼女はとても健気だ」
「健気……?」
抱いているレティシャのイメージと合わないのか、子爵は目を白黒させた。その様子を見て、小気味よいと思ってしまうのは仕方ないだろう。
「相手によっては、そういう面も見せるということだ。詳しく訊きたいのか?」
「ちょっと――」
調子に乗っていると、レティシャが俺の左腕に触れた。
「どうした」
「もういいでしょう? ……これ以上は私が耐えられないわ」
そう抗議するレティシャの頬はうっすらと赤くなっていた。演技ではなく、本当に照れているらしい。こういう展開は予想していて、打ち合わせでも褒め文句を考えておくと言っておいたのだが、さすがに耐えられなかったようだ。
「……そうか」
とは言え、恋人に面と向かって褒め称えられた場合、照れてもおかしくはない。恋人役という設定上からも問題はないはずだ。レティシャの様子を見た子爵が、いっそう不機嫌になっているあたりからしても間違いない。
「君の言葉は、我が娘への賛辞として受け取っておこう」
しばらく沈黙していた子爵が口を開く。どうやら心の整理をつけたようで、その顔は真面目なものに戻っていた。そして、彼の目が鋭く細められる。
「『極光の騎士』君。君のことは調べさせてもらったよ」
「準備がいいな」
淡々と答える。その程度のことはしてくるだろうと思っていた。子爵は大仰な仕草とともに、『極光の騎士』に関する情報を披露する。
「いやいや、実に見事なものだ。英雄と言っても差し支えないだろう。帝都の危機に颯爽と現れ、単騎で大軍を殲滅。剣闘試合では無敗を誇り、さらには神話の巨人さえも斬り捨てたという。民衆からの人気も非常に高いようだ」
そこで言葉を切ると、子爵は俺の様子を窺うようにまじまじと視線を向けてくる。
「……それで、どこまでが真実なのだね? あまりに話が出来過ぎている」
「そうか」
子爵は俺の淡泊な反応に少し拍子抜けしたようだが、再び自信満々の笑みを浮かべて口を開いた。
「私はこう考えている。帝国が、意図的に英雄を作成したのだとね」
フレスヴェルト子爵の推理は俺を驚かせた。なるほど、そういう考え方もできるのか。的外れな推理ではあるが、俺は少し感心したくらいだ。
「エルフ族の襲撃も巨人騒動も、俺一人の力で解決したものではない。たまたま目立ったのが俺だっただけだ。自分が英雄だとは思わん」
「ほう? ここへ来て殊勝なことを言い始めたね。だが――」
そこで、子爵は後ろに視線を送った。ダルスではなく、もう一人の体格のいい人物のほうだ。
「お前の見立てはどうだ」
「……私では勝てません」
彼は静かな声で答える。どうやら彼は、『極光の騎士』の力量を測るために連れて来られたようだった。
「そうか……まあ、それなりの技量を持つ人物でなければ、帝国も英雄に仕立て上げようとは思わんだろうからな」
「あくまで私の見立てですが、ロムレス殿に匹敵するのでは、と」
あくまで余裕の表情を浮かべていた子爵は、その言葉に目を見開いた。
「剣聖に匹敵するだと!? 我が国でも最高峰の剣士だぞ?」
「この御仁は、ロムレス殿と同じくらい勝ち筋が見えません」
「む……」
護衛の思わぬ高評価を受けて、子爵は言葉に詰まっていた。『極光の騎士』をこき下ろして、レティシャの目を醒ますつもりだったのだろうか。
「だが、魔術はどうだ。君は魔術の腕前も卓越していると聞く。その腕を見せてもらいたい」
自分の得意分野だからか、子爵は余裕の笑みを浮かべた。だが、俺はこともなげに首を横に振る。
「魔術は苦手でな。有事の際以外には使わないようにしている」
「なに……?」
予想外の返答だったようで、子爵は唖然としていた。魔術の腕前について、俺がプライドを持っていると思っていたのだろう。彼が宮廷魔術師ならなおのことだ。
「だが、報告では魔術一つで大軍を打ち破ったと……」
「先程も言ったが、俺は一人で戦ったわけではない。噂に尾ひれがついただけだ」
俺は堂々と言い切った。レティシャたちの助けもあったし、何より古代鎧とクリフという助力がある。嘘はついていない。
「……」
フレスヴェルト子爵は言葉が出てこないようで、呆気にとられた顔をしていた。魔術勝負でも挑むつもりだったのだろうか。
「それに、私が傍についているもの。『極光の騎士』が大きな魔術を使う必要はないわ」
畳みかけるようにレティシャが口を開いた。搦められた腕に子爵の険しい視線が刺さるが、素知らぬ様子で俺も頷く。
「その通りだ。……ふむ。レティシャの魔術を、俺が放ったと勘違いしている者も多そうだな」
「そうかもしれないわね。……ふふ、手柄を横取りした罪は重いわよ?」
「埋め合わせは考えておく」
そんなやり取りも、子爵には仲睦まじく見えたのだろう。彼の表情がさらに渋いものへと変わる。もうひと押ししようと、俺は一歩踏み出した。
「……俺たちの関係は見ての通りだ。彼女が無理やり連れていかれるようなことがあれば、他国であろうが地の果てであろうが、必ず取り戻す」
「……!」
放った殺気に反応して、ダルスと護衛の男が真剣な顔で身構えた。子爵が反応を示さなかったのは、気付かなかったのか、それとも胆力ゆえか。
やがて、子爵は思案顔で口を開いた。
「なるほど、君の娘への想いは分かったよ。だが、レティシャのことを想っているなら、本人の幸せを考えるべきではないかな?」
「俺以外の人間が、彼女を幸せにできるとは思えんな」
きっぱり言い切ると、子爵はさすがに鼻白んだ様子だった。だが、やがて気を取り直したように口を開く。
「これは力を持った貴族の義務だ。本人の意思より優先されるのだよ」
「そのために、赤の他人を拉致するのか?」
「赤の他人ではない。その魔術の才能も容貌も、すべてが私の娘であることを示している。今は混乱しているだけだよ」
「話は平行線だな。……ともかく、彼女を渡すつもりはない。俺が言いたいのはそれだけだ」
言って、レティシャの腰に手を回す。彼女も心得たもので、甘えるように身を寄せてきた。
そのやり取りを目にした子爵の表情は目まぐるしく変わっていたが、やがて無表情で固定された。やがて、彼は後ろの従者に顔を向ける。
「……ダルス、客人はお帰りだ。丁重に案内してくれ」
「畏まりました」
どうやら、今日の会見はここまでのようだった。子爵に気に入られることはないだろうが、印象づけられればそれでいい。今後は、レティシャも『極光の騎士』の存在を言い訳に使いやすいはずだ。
「それでは、こちらへ」
ダルスに案内されながら、俺はそんなことを考えていた。
◆◆◆
皇城の正門を出た俺たちは、近くの建物の陰に潜んでいた。『極光の騎士』も『紅の歌姫』も顔が売れているため、堂々と街を歩くと面倒なことになるからだ。
「レティシャ、もういいぞ」
「あら、つれないわね。このまま街を歩いてもいいのよ?」
そんな軽口を返すと、レティシャは組んでいた腕をそっと外した。
「でも、生身のほうが腕は組みやすいわね」
「まあ、そうだろうな」
鎧ごしでは腕を組むのも大変だ。と、レティシャは真面目な顔で俺を見つめた。
「付き合ってくれて、本当にありがとう。大きな借りを作っちゃったわね」
「俺の借りのほうがよっぽど大きいからな。利子を返済できたかどうか、という程度だろう」
「あら、あなたの甘い言葉にはそれ以上の価値があったわよ?」
「夜通し考えたからな」
肩をすくめて答える。すると、レティシャはわざとらしい上目遣いで俺を見つめた。
「あらあら。そんなに悩まないと、私の長所は思い浮かばないのかしら」
「より伝わりやすい言葉を考えたんだ。しかし……よかったのか? その言葉のおかげで、子爵は余計に不機嫌だったが」
「娘が恋人を連れてきた時の父親なんて、そんなものじゃない? もしあなたが紳士的に振る舞ったとしても、どうせ難癖をつけられるだけよ」
「恋人の存在は、子爵にとってあらゆる面で邪魔者でしかないからな」
その言葉には一理あった。それに、万が一にも気に入られて、一緒にキャストル王国に招かれても面倒だしな。
「今頃、子爵は『極光の騎士』の情報を仕入れ直しているところでしょうね」
「暗殺者でも送りこんでくるか?」
「だとしても、『極光の騎士』を見つけることは不可能だもの。存在しない人物を暗殺することはできないわ」
確実に『極光の騎士』が現れるのは、剣闘試合だけだからな。そして、次の試合はまだ先の話だ。
「それにしても……子爵は実の娘だと信じて疑っていないな」
俺は子爵の様子を思い出す。レティシャが別人であるという可能性は、まったく考えていないように見えたが……。
「昔から母親にそっくりだとは言われていたわ。髪色は違うけれど、それも逆に証明になってしまうし」
言いながら、レティシャは自分の長い髪を指先で弄んだ。
「二人とも綺麗な赤毛だからなぁ。けどまあ、他人の空似で押していくしかないか」
「ええ。……こうなってくると、ルノリア姓を名乗ったのもまずかったわね。そのうち気付かれるかもしれないわ」
「ルノリアは母方の姓なのか?」
問いかけると、レティシャは首を横に振った。
「さすがにそんな危険なことはしないわ。ルノリアは、母が十八番にしていた役の人物名よ。……どこかに、あの劇団との繋がりを入れておきたかったから」
「そうか……」
劇団が襲われた時、彼女はまだ十歳程度だったはずだ。その気持ちは分かった。
「少なくとも、レティシャ・フレスヴェルトよりは、レティシャ・ルノリアのほうがしっくり来るわね」
「今さら名前が変わったら、実況のサイラスさんが困るだろうな」
俺は第二十八闘技場が誇る実況者の顔を思い浮かべた。まあ、剣闘士の来歴に箔がつくから、それはそれで喜ぶかもしれないが。
そんな会話をいくつか交わした後、レティシャは大通りのほうへ視線を向けた。
「それで、どうするの? 来た時と同じように不可視で闘技場まで戻る?」
「そうだな。頼めるか?」
「ええ、任せて」
そして、レティシャの魔法が俺を包む。魔法の効果が発揮されていることを確認すると、俺は闘技場へ歩き出した。レティシャは喧騒病の調査があるため、ここからは別行動だ。
俺はあまり混んでいない道を選んで、闘技場へと向かっていく。人々が俺を視認できない以上、通行人にぶつからないよう気を付ける必要があるからだ。
『――主人は伴侶を決めたのですか?』
と、クリフが話しかけてきたのはそんな時だった。たとえ古代鎧が起動していなくても、クリフ自身は活動可能だ。
『どうせ一部始終を聞いていたんだろう?』
『主人が歯の浮くような台詞を並べているところなら聞きましたよ』
『父親相手にな』
『まず外堀から埋めていくわけですね』
分かった風にクリフが念話を返してくる。俺は兜の下で苦笑を浮かべた。
『その後の会話も聞いていたなら、演技だと分かるだろう』
『その割に、彼女は嬉しそうだったということも分かりました』
『褒め言葉に違いはないからな』
そんなやり取りをしながら、走ってきた少年に道を譲る。クリフとの念話には慣れているから、それくらいで誰かとぶつかるようなことはなかった。
『とは言え、あの父親は難敵ですね。水面下での争いはなかなかのものでした』
『水面下での争い?』
なんのことか分からず問いかけると、クリフは得意げに押してくれる。
『あの父親とレティシャ殿は、魔力による陣取り合戦を行っていたのです。それだけで魔術が成立するわけではありませんが、魔術の成否や威力に影響が出ます』
『そんなことがあるのか……初めて聞いたな』
『才覚のある魔術師でなければできませんからね。かつては、魔術師たちが穏便に喧嘩をしたい時に用いられたこともありました』
『それで、どっちが勝ったんだ?』
『勝負はつきませんでしたが、なかなかの見ものでしたね。まさか、今の時代でもあのような高度な戦いが見られるとは』
クリフはよく分からないところで感動しているようだった。彼の感性はよく分からない。
『ただ……あの男には気を付けてください』
『あの男? 三人いたが誰のことだ?』
俺は突然の警告に気を引き締める。
『ダルスと呼ばれていた男性です。懐かしい魔力を感じました』
『そうなのか? あまり強敵だとは思わなかったが……』
俺はダルスの顔を思い浮かべる。気配操作についてはかなりのものだが、それだけだ。優れた魔術師であれば、戦った時にもっと別の手段を取ったのではないか。
『おそらく、本人は関係ないでしょう。彼の懐に、何らかの魔道具があったはずです』
『それが懐かしいということは……古代文明時代の魔道具か』
『はい。……まあ、魔力の強さは大したことがありませんでしたから、取り越し苦労かもしれませんが』
『そうか……クリフ、ありがとう』
魔導子爵家ともなれば、貴重な古代魔道具だって所持しているのだろう。ダルスをあまり脅威と見なしていなかった俺は、心からクリフに感謝した。
『お礼は身体で示してもらいたいものですね。最近はシルヴィ殿が鎧を拭いてくれていますが、たまには――』
『はいはい、心を込めて拭き上げるよ』
そんな会話を交わしながら、俺は第二十八闘技場へと戻るのだった。