蠢動 Ⅱ
「つまり、ウィラン家は落ち目なんだな」
「そうなるわね。先代が元気だった頃はともかく、病床に伏してから凋落していったみたい。お兄さんもこの前亡くなって、彼が跡目を継いだのはつい二か月前ね」
ウィラン男爵が闘技場を訪問してから数日後。俺はヴィンフリーデと集めた情報を整理していた。
男爵は今のところ大人しくしているが、もし闘技場の敵に回る可能性があるなら、情報を集めて分析しておく必要があった。
「ウィラン家は軍閥貴族か……」
「そうよ。今は閑職しか与えられていないようだけれど」
「なるほどなぁ。ということは、目的はいいポストに就くために、『極光の騎士』という後ろ盾を得ようとしたってところか」
「『極光の騎士』が貴族の後ろ盾になるの?」
逆なら分かるけど、とヴィンフリーデが不思議そうに口を開く。
「突出した武力はいつの時代だって有用だからな。親密な関係を見せることで、周囲が勝手に恐れたり評価したりしてくれる。
そういうメリットがないと、ユーゼフが舞踏会に招かれたりしないさ」
そう説明すると、ヴィンフリーデは渋い表情を浮かべた。しょっちゅうユーゼフが舞踏会に招かれて、貴族令嬢と話をしていることには複雑な思いがあるのだろう。
「ま、警戒する必要はなさそうだな。適当に『駄目でした』って伝えておくよ」
「それって、実際に『極光の騎士』に伝えたりはしないのよね? もし、本当に天神の聖騎士だったら、ちょっとまずいんじゃないかしら」
心配した様子でヴィンフリーデが確認してくる。『極光の騎士』の正体を知らない彼女からすれば、万が一の事態が気になるのだろう。
「うーん……じゃあ、今回はちゃんと伝えておこう。その上で『極光の騎士』がどう言うか、だな」
「ええ、そのほうが安心ね」
ヴィンフリーデはほっと息を吐く。幼馴染を騙していることの罪悪感から、俺は少し視線を逸らした。
気まずさをごまかすために、少し闘技場の見回りでもしてこようか。そう考えた時だった。コンコン、と支配人室の扉がノックされた。
「あ、ダグラスさん」
現れたのは、副支配人であるダグラスさんだ。この前もそうだが、定時連絡以外でダグラスさんが支配人室を訪れる時は、高確率で揉め事の報告だからな。少し身構えてしまう。
「剣闘士が一人、移籍したいと言ってきた」
話の内容はやっぱり揉め事だった。それにしても、引き抜きか……。
「移籍先は第十九闘技場ですか?」
真っ先に思い浮かぶのは、裏でリシェール商会が糸を引いている第十九闘技場だ。あそこは資金力が桁違いだし、お金の使い方が他の闘技場とは一線を画していた。
「詳しくは聞いていないが、そのようだな」
ダグラスさんは静かに頷く。うちに所属する剣闘士については、魔術師を除きダグラスさんが管理をしてくれている。
そのため、こういった話については、彼からもたらされることが一番多かった。
「具体的には、誰の話ですか?」
「シルベスだ。あいつは金遣いが荒いからな。その辺りにつけ込まれたのかもしれん」
剣闘士の雇用形態は様々だ。犯罪者や剣闘士奴隷が主流だった頃は、最低限の衣食住が与えられるだけだったそうだが、ここ数十年は大きな戦争もないため、剣闘士奴隷になるような人間は稀だ。
そして、この国では剣闘士の地位が比較的高いため、犯罪者をその枠に入れたくないという心理も手伝って、明らかな処刑目的以外での剣闘士登用は下火になっていた。
そんなこともあって、うちの剣闘士の雇用形態は一般的なそれとほとんど変わらない。特に期限を切っているわけではないため、本人が辞めたいというならそれまでだ。
強制的に引き留められる契約も結べないことはないが、親父はそういったものを好まなかったため、そのまま現在に至っていた。
「本人が希望しているのであれば、仕方ありませんね。気になるのは、他の剣闘士への波及ですが……」
「今のところ、そういう動きはなさそうだ。あそこは八百長を強要されるという噂もあるしな」
「引き抜き防止のためにも、その辺りの黒い噂は積極的に広めていきたいところですね。……まあ、外部に漏れるとややこしくなりますが」
そんな、世間には顔向けしにくい話も交えつつ、俺たちは善後策を協議する。そして、だいたいの方針が決まったところでほっと一息ついた。
「……引き抜きするほどに、うちの剣闘士を評価してくれるのは嬉しいけど、いざ実行に移されると困りますね」
「そうだな。試合の組み合わせも考え直す必要がある」
「えーと、次のシルベスの試合はいつの予定だったかな……」
「三日後だ。マルスと戦う予定だったが、ほとんどの剣闘士は前後に試合が入っている」
「となると……魔術師のほうから出てもらいますか」
俺は向こう十日分の組み合わせ表を眺める。剣闘士の管理はダグラスさんの仕事だけど、魔術師だけは俺の管轄になる。
ダグラスさんは歴戦の剣闘士だし、面倒見もいい。だけど、魔術師の価値観や行動原理は理解が難しかったらしく、まだしも適性のある俺が管理することになっていた。
「じゃあ、ミロードあたりになりそうですね。強さのバランス的にも悪くないし」
「なるほど。それでは、確定し次第教えてくれ」
「ええ、分かりました」
俺の返事を聞くと、ダグラスさんは支配人室を後にする。その後ろ姿を見送ると、俺はヴィンフリーデのほうに顔を向けた。
「というわけで、ミロードに話をしてくる」
「分かったわ。彼の居場所は分かる?」
「あの年季の入った宿屋だろ?」
ヴィンフリーデが頷いたことを確認すると、俺は椅子から立ち上がった。
◆◆◆
「あら、ミレウスじゃない」
闘技場の廊下を歩いていた俺に声をかけたのは、『紅の歌姫』レティシャだった。
その隣には『蒼竜妃』エルミラが立っており、涼やかな薄青の髪がレティシャの燃えるような紅髪と対照的だった。
「二人とも、どうしたんだ?」
第二十八闘技場のランキングで言えば、『紅の歌姫』は三位、『蒼竜妃』は四位だ。
強くて美人ということで、二人ともかなりの人気を博しているが、「第二十八闘技場は女で客を釣っている」と陰口を叩かれる由縁でもある。
もちろん、二人の強さは仕込みではなく実力によるものだ。レティシャは冒険者として戦い慣れているし、エルミラも戦いと無縁ではいられない人生だったらしい。
彼女たちが剣闘士として頭角を表せば話題性が期待できるな、という下心込みでスカウトしたことは事実だが、まさかそれが現実になるとは思っていなかった。
「……待ち合わせ」
そう答えたのはエルミラのほうだ。口数は少ないが、回答はとても明快なため、意思疎通に困ることはない。
「待ち合わせって、誰とだ?」
まさか、第十九闘技場ってことはないよな。さっきの引き抜きの一件が脳裏をかすめて、俺は思わず身構える。
「……ん」
だが、エルミラが指したのは隣のレティシャだった。
「なんだ……」
思わずほっと息を吐く。よく考えれば、魔術師を戦わせている闘技場はうちだけなんだから、心配し過ぎだったか。けど、十九闘技場はそのうちやりかねないよなぁ。
「待ち合わせに闘技場を使わせてもらったのよ。この闘技場って、私たちの家の真ん中くらいにあるから」
「ああ、そういうことか」
スカウトした当初から二人は仲がいい。というよりも、レティシャをスカウトしたらエルミラを紹介されたのだ。
魔術師が剣闘試合に出る理由は様々だが、剣闘士のように誇りを求めて、というタイプは少ない。
一番多い理由は、魔法研究の後援者探しだろうか。それを軸にしつつも、レティシャのように自分の魔法を広めたい者や、エルミラのように人探しの一環として出場している人間もいる。
後は、魔法実験の場として使っている『魔導災厄』の爺さんとかもいるけど……まあ、あの人は特殊だからなぁ。
「調査、行く」
「調査?」
俺はオウム返しに問いかける。一言一言は短いが、エルミラは無口なわけではない。ただ、長い文章は喋らないか、レティシャが喋るのを待つ傾向にある。そんな予想通り、エルミラに代わってレティシャが口を開いた。
「魔術ギルドから依頼があったのよ。最近、街中で不思議な発光現象が起きているって」
「発光……『旅人の灯火』に不具合があったとか?」
俺はつい聞き返す。『旅人の灯火』とは、この帝都マイヤード全域に施されている魔法陣だ。
と言っても、大掛かりな割に効果は単純で、地面に描かれた魔法陣がうっすら輝き、夜でも少し明るい、といった程度のものだ。
見ようによっては幻想的な光景と言えるため、これを目的の一つにする観光客もいると聞く。
「それが、光にぶつかって吹き飛ばされた住人が複数いて、中には怪我人もいるみたい」
「あー……『旅人の灯火』に物理的な脅威はないか」
「ええ、どれだけ魔法陣が暴走しても、『旅人の灯火』が攻撃力を持つことはないから、別物でしょうね」
「なるほど、それでレティシャに依頼が来たわけか」
レティシャはまだ若いが、こう見えてかなりの実績を上げている。依頼の費用もそれなりの額になるため、ギルドも本腰を入れているのだろう。
「さあ……ひょっとすると、ただの嫌がらせかもしれないわね。この間、しつこく身体を触ろうとする副ギルド長に仕返ししちゃったから」
そう言って、彼女は悪戯っぽく笑う。
「仕返し……?」
「たまたま、通信用の魔道具が置いてあって、副ギルド長が私に迫ろうとする一部始終が館内放送で流れたわ」
「うわぁ……」
彼女は艶然と微笑んでいるが、明らかに大事件だ。レティシャは俺によく絡んでくるから、扱いが雑になっているが、ちょっと気を付けたほうがいいだろうか。
「心配しなくても、ミレウスにそんな罠を仕掛けたりしないわ」
まるで俺の心を読んだように、レティシャが口を開く。……おい、今、罠を仕掛けたって言ったぞ。
だが、そっちの心の声は届かなかったらしい。彼女はなぜか、俺に向かって両手を伸ばす。
「だから、いつでも歓迎するわよ?」
「なんの話だよ」
俺がジト目で答えると、レティシャは蠱惑的な笑みを返した。
「もう……分かってるでしょう?」
俺は周囲に人影がないことを確認する。彼女にとってこの程度の発言は挨拶代わりだが、周りの人間がどう思うかは別問題だ。
特に『紅の歌姫』は熱狂的なファンが多いから、俺が刺されかねない。
隣のエルミラは、そんな俺たちのやり取りにも慣れているせいか、少し呆れた表情で口を開く。
「……不毛」
その言葉は、俺の心情を正確に表していた。




