魔導子爵Ⅱ
「強烈な人だったな。観戦している間は、比較的好感の持てる貴族だったんだが」
「思い込みの激しさは、年を取っても変わらなかったみたいね……」
子爵との面会で疲れきった俺たちは、ソファーに身を投げ出していた。
「まさか、家を継がせるつもりだったとはな……」
「本気かどうかは分からないわよ。フレスヴェルト家で女性が当主になったなんて記憶はないもの。あの人がそんな掟破りをするかしら」
「けど、他の子供には魔法の才能がないんだろ?」
「そうね……風の噂で聞いた程度だけど、よくて中の上といったところかしら」
「ちなみに、あの子爵は?」
尋ねると、レティシャは少し考え込む。
「そうねぇ……最低でも上の中、かしら。少なくとも魔力量は私と大差ないわ。たまにギルドを通じて論文が流れてくるくらいだから、魔法構築の技量も高いはずよ」
「さすがは魔導子爵ということか……」
予想外の高評価に渋面を浮かべる。第二十八闘技場で例えると、『紅の歌姫』、『魔導災厄』といった最上位クラスに匹敵するということだ。
「『極光の騎士』ならともかく、生身では厳しいな……」
そう呟くと、レティシャが小さく笑った。
「ミレウス、戦うことが前提になっているわよ」
その指摘にはっとする。言われてみれば、今回の件で俺が剣を持つ可能性は低い。そのことに気付いて肩をすくめる。
「……物騒な事件に巻き込まれ続けた弊害だな」
「でも、嬉しいわ。無理やり連れて行かれそうになったら、正義の騎士が助けてくれるのね?」
「だからって、わざと捕まるなよ?」
艶めかしく微笑むレティシャに釘を刺すと、俺は話題を元に戻した。
「子爵は、喧騒病を解決した褒美にレティシャを連れて帰ると言っていたが……」
「やりかねないわ。帝国に限った話ではないけれど、国内に逃げ込んだ他国の貴族については、求めがあれば引き渡すのが慣例だもの」
「よく知ってるな……」
思わず感心する。貴族にも他国にもあまり興味がなかったせいで、俺はその方面には疎いからな。
「他人事じゃないもの。……ただ、本当にこの知識が有用になるとは思わなかったわ」
「すまないな……『紅の歌姫』として有名になったばかりに」
話の流れからすると、子爵が『紅の歌姫』の噂をどこかで聞いて、娘に似ていると気付いたことが始まりだろうからな。
そういう意味では、彼女をスカウトした俺が原因だと言えなくもない。そう謝罪すると、レティシャは驚いた様子で首を横に振った。
「ミレウスのせいじゃないわ。もう十年以上経っているし、今さら婚外子の生存情報を掴んだところで、偽物扱いされるだけ。そう判断したのは私だもの」
「それはそうかもしれないが……」
「『紅の歌姫』の名前が売れたことで、あの家がまた暗殺を企むようなことがあれば……その時は、それなりの対応をするつもりだったけれど」
ほんの一瞬だが、彼女は凄みのある笑顔を浮かべた。だが、その表情はすぐに苦笑交じりのものへ切り替えられる。
「さすがにこの展開は予想外ねぇ……敵意じゃなくて、好意を向けられるなんて」
「演技の可能性はあるか?」
「それも考えたけれど……私を殺したいなら、わざわざ声をかける必要はないわ。警戒されるだけだもの」
「ということは、フレスヴェルト子爵は本気でレティシャを連れて帰りたいわけか……」
悪意が向けられるよりはマシかもしれないが、対処がややこしいのも事実だ。あの子爵の様子だと、帰国の話を娘は泣いて喜ぶに違いないと、本気でそう考えていそうだ。
「とりあえず……ギルド長に相談してみようかしら」
「そうだな。子爵もディネア導師には一目置いているようだし」
レティシャの言葉に同意する。レティシャの師である『結界の魔女』ディネアは、イスファン皇帝に諫言を許された唯一の存在だ。その影響力は非常に大きい。
「ただ、ギルド長は政府に近すぎる存在だから……絶対に味方だとは言えないわ」
「場合によっては、子爵の肩を持つと?」
「外交的な外堀を完全に埋められると厳しいわね」
「そうなるまでが勝負か……。となると――」
「喧騒病の原因や対処方法を、こっちで見つけておきたいところね。なんの功績もなしに、帝都の住人を連れて帰りたいとは言いにくいでしょうから」
もちろん、手柄がなくてもレティシャを連れ帰ろうとする可能性は高いが……こちらで突き止めてしまえば、帝国におけるレティシャの重要性は増す。優秀な人材の流出は懸念事項だろうし、帝国が味方になってくれる可能性だって出てくるかもしれない。
「喧騒病については、もともとヴィンフリーデの件があったけど……ますます深刻な話になったわねぇ」
そう呟くと、レティシャは物憂げに溜息をついた。
◆◆◆
「最近、少し客足が減っているか?」
「そうですね、満席には届かない日が続いています」
第二十八闘技場の支配人室で、俺は副支配人のダグラスさんと向かい合って座っていた。ヴィンフリーデがほぼ休んでいるため、支配人室で話をすることも久しぶりだ。
「やはり、原因は喧騒病か?」
「そうですね。どちらかと言えば、喧騒病に伴う根も葉もない噂のほうが響いている気がしますが」
「ふむ……人が多くて賑やかな場所へ行くと発症する、というものか」
「ええ。騒がしい場所が苦手になる、という特性から来たものでしょうが……他の闘技場にもそれとなく聞いたところ、どこも客足が落ちているようです」
ダグラスさんの言葉に頷く。最初はどこかの闘技場の陰謀かとも思ったが、事態はもはや社会不安の域だ。これでは得をする闘技場などないはずだった。
「いっそのこと、他の娯楽施設の仕業であれば納得もするのですが……闘技場に次ぐ大手娯楽である演劇も客足は落ちているようですしね」
「そもそも、誰かの企みであるとは限らんからな。噂の真偽はともかく、賑やかな場所が発症のきっかけだと考える者がいてもおかしくはない」
「となると、手の打ちようがありませんね……」
「ふむ……他国の使節団とやらが成果を挙げることを期待するしかないか」
「……そうですね」
ダグラスさんの言葉に苦笑を浮かべそうになるが、なんとか踏み止まる。その使節団の長が『紅の歌姫』の父親であり、成果の見返りに彼女を連れて帰るつもりだということは、他の誰にも伝えていない。
本人か俺が口を滑らせない限り、彼女がフレスヴェルト子爵の娘であるかどうかは分からない。そうである以上、ダグラスさんとはいえ、無闇に情報を拡散するわけにはいかなかった。
「喧騒病と言えば……ヴィンフリーデの様子はどうだ?」
「相変わらずですね……エレナ母さんの件があったので、ヴィーは喧騒病のことをよく知っています。それが救いでしょうか」
「そうか……エレナも辛いところだろうな」
「前触れもなく、突然ですからね」
あのエレナ母さんのことだ。きっと自分を責めてしまうだろう。同行するユーゼフが、上手く気を紛らしてくれるといいのだが……。
「ユーゼフは、二か月の欠場予定だったな」
「はい。向こうでの滞在期間にもよりますが……たぶん、ヴィーが早く闘技場へ帰れと急かすでしょうから」
俺は苦笑を浮かべる。支配人としてはありがたい限りだが、幼馴染としては申し訳ない。俺の中で相反する感情が渦巻いていた。
「ユーゼフの分は、新しく所属した『七色投網』やモンドールに頑張ってもらいましょう」
「そう言えば、あの二人はミレウスが念入りに訓練をしていたな。……調子はどうだ?」
「だいぶ手強くなったと思います。『七色投網』はスタイルが確立しているので、どちらかと言えばシルヴィの領域ですが……」
「魔法網の改造か……まったく、優秀な妹を連れ帰ったものだ」
ダグラスさんの頬が緩む。人懐っこいシルヴィは、当然ながらダグラスさんにも懐いていた。
「ダグラスさんの魔法盾も整備してもらいますか?」
「……すでに調整してもらった」
ダグラスさんは少し気まずそうに答える。どうやら、ダグラスさんもシルヴィを信頼に足る技師だと判断したようだった。
「あの盾は、私が思っている以上に多機能だったようでな」
「それは楽しみですね」
それはつまり、戦術の幅が広がるということだ。どんな機能か尋ねたいところだが、『極光の騎士』として対峙する可能性がある以上、ここは掘り下げるべきではないだろう。
「それで、モンドールはどうだ?」
「順調です。九位か十位には入れるんじゃないかと思っています」
「ほう……!?」
ダグラスさんが身を乗り出す。
「組み合わせにもよりますが……上手く相性のいい上位ランカーとぶつけることができれば、望みは充分あります」
「ミレウスがそこまで言うとはな……楽しみにしていよう」
そして業務上の打ち合わせを終えると、ダグラスさんは退室していく。その後ろ姿を見送っていると、入れ替わりでこちらへ向かって来る人影があった。レティシャだ。
「喧騒病の究明はどうだ?」
「さっぱりよ……他の土地の風土病と違って、どうにも分かりにくいのよねぇ」
支配人室のソファーに腰を下ろすと、レティシャは首を横に振った。
「特別な地理条件もないし……せいぜい内陸部の国ということくらい。埃煙病みたいに分かりやすければいいのに」
「埃煙病は……乾燥した空気や頻繁に舞い上げられる砂埃が原因だったか?」
俺はフォルヘイムへの道中を思い出す。その途中で立ち寄った街で、シンシアがそんな説明をしてくれた気がする。
「ええ、そんなところよ。あの国は喉や肺に悪影響を及ぼす要因が多いから」
「喉か……そういう意味では、喧騒病ってどこの部位の病気なんだろうな」
そう呟くと、レティシャは自分の頭を指差した。
「頭でしょうね。その見解はどの調査機関も共通しているわ。幻聴が聞こえる以上、耳か脳の病気だという説が有力よ」
「それはまた、手を出しにくい領域だな」
「そうなのよねぇ……だいぶ調査が難航しているから、原因究明と並行して治療法を探る動きも出ているわ」
「原因が分からないのに、治療法なんて分かるのか?」
「もはや手当たり次第ね。喧騒病が根付いている街だけあって、民間療法レベルの話はいくつも転がっているから」
レティシャの表情は晴れない。あまり成果が出ていないのだろう。
「治療法として最も有力だった、静かな場所での療養にも意味はないようなの。幻聴が聞こえるから、静かな場所で落ち着きたいという願いは当然だけれど、それで快方に向かった人はいないわ。それどころか、人によっては却って幻聴が気になるケースもあったみたい」
「ということは……確実なのは、帝国の外へ出るという方法だけか」
現に、末期の喧騒病だったエレナ母さんは、今も別の土地で元気に暮らしている。体調が優れないという話も聞いたことがない。
「今のところはそれだけね。でも、帝国政府としては認めないでしょうね」
「人口が流出するだけだからなぁ……」
「聞いた話では、使節団は人体実験を希望しているそうよ」
「人体実験!?」
思わず目を見開く。まさかとは思うが、ヴィンフリーデたちを無理やり実験台にするつもりなのだろうか。
「喧騒病を発症した重罪人がいるらしいわ。その人の耳を切り落として症状が改善するかを試したいようね」
「なるほどな」
それなりの線引きがあることにほっとする。ただ、実験を目的として、喧騒病患者を冤罪で捕まえる懸念もある。油断はできないだろう。
「ギルドでは薬草の類も試しているけれど、どれも誤差の範囲ね」
「難しいものなんだな……」
話が堂々巡りになってきたところで、俺は話題を変えた。
「あれから、子爵に動きはあったか?」
「魔術師ギルドを通して、毎日のように面会依頼が来ているわ。もちろん、丁重にお断りしているけれど」
レティシャは肩をすくめて答える。
「そうか……第二十八闘技場には何の音沙汰もないから、喧騒病の解明に専念しているのかと思った」
「連絡を取りたいなら、魔術師ギルドを通してくれって伝言したのよ。ミレウスが板挟みになる必要はないもの」
「そうだったのか……ありがとう、気を遣わせたな」
「魔術師ギルドにはギルド長がいるもの。子爵も無理は通せないわ」
「レティシャの家へ押しかけてはいないのか?」
子爵の性格なら、それくらいは当然のようにやるだろう。そう思ったが、レティシャは首を横に振った。
「今のところ大丈夫よ。秘密主義の魔術師が多いから、ギルドはそういった情報提供は行わないもの。ただ……最近、魔術ギルドに顔を出すと、帰りに必ず尾行がつくのよねぇ」
「子爵の手下だろうな……レティシャの住居を突き止めたいのか」
「そうでしょうね。警戒して広域結界を展開していたから気付いたけれど……」
ということは、レティシャ自身の察知能力では気付かなかったのか。さすが歴史ある子爵家というべきか、そこそこ練度の高い部下を連れているようだった。
「本気だな……レティシャは、近所の住人には顔を知られているのか?」
「ええ、もちろんよ。もし家の近くで聞き込みをされてしまえば、あっさり分かってしまうわ」
「まあ、帝都は広いからな。そうそうバレるとは思わないが……」
とは言っても、可能性はゼロではない。帝都の住民は、所得によって居住エリアが分かれる傾向にあるし、実験施設が必要であるため、魔術師は広い敷地を取得する。その辺りから絞れば、それなりに効率的な調査は可能だろう。
さらに、レティシャはそれなりに有名だし、そもそもが目立つ容姿だ。尾行ではなく、聞き込みに人員を振り分けた場合、意外とあっさり見つかる可能性もあった。
「もし見つかったら……その時はミレウスの家に泊めてもらおうかしら」
そんな俺の深刻な想像をよそに、彼女は悪戯っぽい流し目を向けてくる。だが、たしかに避難場所は考えておいたほうがいいだろうな。
「エルミラに泊めてもらえばいいさ」
「エルミラの家は水竜人用にカスタマイズされているから、暮らすには不便なのよねぇ」
「だが、俺の家だと色々と誤解を招くからな」
そう答えると、レティシャは楽しそうに笑顔を浮かべた。
「あら、私は構わないわよ? 第二十八闘技場の支配人と『紅の歌姫』の爛れた関係が取り沙汰されても」
そんな恐ろしいことを告げるレティシャに、俺は肩をすくめてみせる。
「そもそも、家にはシルヴィがいるからな」
「シルヴィちゃんとは、一緒に数カ月の旅をした仲よ? 嫌われてはいないつもりだけど」
むしろ、シルヴィなら喜ぶだろうな。夜通しで喋ろうとする妹の姿が目に浮かぶ。思わず緩みそうになった頬を引き締めると、俺は真面目な顔で答えた。
「最終手段としては考えておくが……尾行には気を付けてくれ」
「はぁい、分かったわ」
レティシャはわざとらしい声で返事をする。だが、彼女としても実験施設がある自宅から離れたくはないはずだ。わざと居所をバラすようなことはしないだろう。
「じゃあ、今日のところは帰るわね」
「ああ、気を付けて。……送ろうか?」
そう提案すると、レティシャは一瞬きょとんとした後で、嬉しそうに笑顔を浮かべた。だが、そのまま首を横に振る。
「ヴィンフリーデがいない分、支配人の仕事が積み上がっているでしょう? そこまで甘えるわけにはいかないわ」
ソファーから立ち上がると、レティシャは支配人室の扉へ向かう。そして、扉の前でくるりとこちらを振り返った。
「ありがとう、ミレウス」
「礼を言われるほどのことはしてないさ。……レティシャなら大丈夫だと思うが、気を付けて」
「ええ、任せて。尾行者は返り討ちにしてあげるわ」
「まあ、程々にな……」
そんな軽口を交わして、レティシャは支配人室を去っていった。