魔導子爵Ⅰ
『なんとぉぉぉっ!? 予備動作すらなく、『紅の歌姫』が数十体の『黒の弱兵』をまとめて消滅させたぁぁぁっ!?』
賑やかな実況を聞きながら、支配人室の窓から身を乗り出す。支配人室の窓は試合の間に面しているため、特等席と言っても過言ではない。階層が高いため距離は遠いが、目のいい者であれば充分観戦は可能だ。
俺の目の前では、今日の最終試合が行われていた。フレスヴェルト子爵の要望でもある『紅の歌姫』と、召喚術師の『無限召喚』の試合だ。
対戦相手については少し悩んだのだが、『魔導災厄』は結界を破って貴賓席に流れ弾を飛ばしかねないし、『蒼竜妃』は高速戦闘に突入すると観戦に慣れていない使節団がついていけない。そんな理由から、『無限召喚』が選ばれたのだった。
『だが『無限召喚』も負けてはいないっ! 『紅の歌姫』の不意打ちを耐え抜いた色付きたちが、一斉に攻撃を開始したぁぁぁっ!』
人間の凹凸をなくして、のっぺりさせた人形。『無限召喚』の代名詞でもある『黒の弱兵』は、膝ほどの背丈であるそれが、大挙して押し寄せ物量攻撃を行う。
だが、それだけではない。半年ほど前から使われ始めた新たな使い魔『色付き』は、『黒の弱兵』最大の弱点である耐久力と攻撃力が強化されていた。
赤い人形が炎を生み出し、緑色の人形が気流を生み出す。『紅の歌姫』の奇襲を耐え抜いた十数体の色付きは、お返しとばかりにレティシャを炎の竜巻の中心に閉じ込めた。
『おおっとぉぉぉっ! ここで炎の竜巻がさらに激しさを増したぁぁぁっ! いくら『紅の歌姫』とは言え、これは無傷ではいられないぞ!?』
「……いや、逆だな」
試合の間を見ていた俺は、つい口を開いた。たしかに炎の竜巻は勢いを増したが、術者であるはずの『無限召喚』から戸惑いが感じられるからだ。
と、ここでさらなる変化が起きた。『紅の歌姫』を焼き焦がそうとしていた炎の竜巻が爆発的に巨大化したのだ。そして――。
『色付きたちが、自分で生み出した炎に飲み込まれたぁぁぁっ! 一体何が起きているのかぁっ!?』
やがて限界を迎えたのだろう。炎に包まれた色付きたちは原型を失い、トプンと液体のような何かに変じて試合の間に広がった。だが、それも一瞬のことで、試合の間に広がった液体もすぐに消えていき、後には何も残らない。
「あの炎の竜巻を乗っ取ったのか……?」
色付きが制御を誤って自爆したとは思えない。もしくは、それを圧する火の大渦で反撃したのか。どちらにせよレティシャの仕業なのだろう。
色付きの消滅に合わせて炎も霧散し、中から無傷の『紅の歌姫』が現れる。その様子に観客席からわっと歓声が上がった。
「うおおおお! さすが『紅の歌姫』だぜ!」
「レティシャお姉さまぁぁっ!」
だが、そんな歓声もすぐに静まる。試合の間の中央に、全長十メテルほどの巨人が出現したからだ。
「行け、混色の巨人!」
拡大された『無限召喚』の声が試合の間に響く。その声に呼応して、灰色の巨人が一歩踏み出す。その様を見て観客がどよめいた。
「なんだありゃ!? 初めて見たぞ」
「え? だ、大丈夫なの……?」
そんな彼らの声に答えるはずもなく、混色の巨人は『紅の歌姫』に襲い掛かる。その巨体に似合わぬ速度に、客席からいくつか悲鳴が上がった。
「さすがだな……」
俺は思わず唸った。ここ数年での『無限召喚』の成長は著しい。第二十八闘技場の魔術師だけのランキングを作れば、『紅の歌姫』、『蒼竜妃』、『魔導災厄』が飛び抜けた三強ということになる。だが、『無限召喚』は彼らに追いつける可能性を秘めていた。
さすがに真正面から受け止める気はないようで、なんらかのスパークを伴って振り下ろされた拳を、『紅の歌姫』は強化された身体能力で回避する。混色の巨人の拳が試合の間の石床に突き刺さり、砕けた石片を舞い上げた。
さらに、横薙ぎに襲い掛かってきた次撃を飛んで避けたレティシャは、そのままふわりと空中で制止した。そして、全長五メテルはあるだろうという巨大な炎の大剣を生み出し、まっすぐ叩きつける。
「――っ!」
炎剣が巨人の頭部に直撃し、大爆発を起こす。だが……。
『うおおおっ!? 『紅の歌姫』の魔法が炸裂したにもかかわらず、混色の巨人は健在だぁぁぁっ! 『無限召喚』はどんな怪物を試合の間に呼び出したというのかぁぁぁぁつ!』
「耐えたというよりは、切り離したように見えたな」
レティシャの炎剣が直撃する直前に、混色の巨人の頭部が分離して攻撃を受けたのだ。混色の巨人のサイズが心なしか小さくなっているのも気のせいではないだろう。
ひょっとすると、混色の巨人は『黒の弱兵』や色付きの集合体のようなものなのかもしれない。
そんな分析をしていると、音楽的な詠唱が聞こえてくる。窓から身を乗り出しているとは言え、支配人室まで聞こえてくる音量は珍しいな。と――。
「――氷刃乱舞」
そして、レティシャの追撃が始まった。鋭利な氷片を含んだ極低温の嵐が吹き荒れ、試合の間を蹂躙する。耐え切れなくなった箇所を切り捨てているのか、混色の巨人の身体のあちこちが剥落し、試合の間の石床に落下していく。
『これは凄まじい包囲攻撃だぁぁぁっ! 巨人の身体がどんどん削られていくぅぅぅ!』
氷の嵐に囚われた混色の巨人は、体表面積を小さくするように身体を縮めているが、それで凌げる攻撃ではない。魔法がやんだ頃には、混色の巨人は最初の三分の一程度のサイズになっていた。
『『無限召喚』の混色の巨人がすっかり小さくなってしまったぁぁぁっ! 果たして彼に逆転の目はあるの――むっ!?』
実況者が驚いた声を上げる。それもそのはず、レティシャの攻撃で試合の間に散らばった混色の巨人の破片が、一斉に燃え上がったのだ。しかも、その炎は紫色に揺らめており、ただの炎ではないように思われた。
じきに、混色の巨人の本体からも紫炎が上がる。そして――。
『この巨大な獣はなんだぁぁぁっ!? 『無限召喚』は混色の巨人を生贄に、魔狼を召喚したのかぁぁぁっ!?』
その言葉通り、十メテルはあった混色の巨人に比肩するサイズの狼が試合の間に出現する。その巨体は炎に包まれており、見ているだけでも熱気が伝わってくるようだった。
いくら『紅の歌姫』でも、試合の間という限定的な舞台では苦戦するのではないか。そう思った時だった。
「――氷陣解放」
レティシャの声に応じて、試合の間の石床が輝く。その様子はまるで――。
『こ、これはぁぁぁっ!? 試合の間の床に魔法陣が刻まれているぅぅぅっ!?』
「あれは……さっきの氷か」
思わず呟く。先ほどのレティシャの魔法、氷刃乱舞は、直接的な攻撃だけを目的としていたわけではない。その過程で氷片が試合の間の石床に張り付き、融けることなく残っていたのだ。そして、それこそが魔法陣を構成する要素だったのだろう。
「絶対零度」
まるで空間が凍り付いたかのような異音とともに、炎の魔狼が凍り付いた。もはや巨体を取り巻く炎はなく、微動だにせずただ彫像として立ち尽くしている。そして――。
突如として、魔狼のすべてが砕け散った。光をキラキラと反射しながら、氷の霧がゆっくりと試合の間の石床へ落ちていく。あまりにも圧倒的な光景に、観客たちはただただ目を見開いていた。
『っとぉぉぉぉっ! 切り札の召喚獣を撃破されたことで、『無限召喚』が降参のサインを上げたぁぁぁっ! 勝者は『紅の歌姫』だぁぁぁ!』
目ざとく降参のサインを見つけた実況者により、勝者が決定される。その声をきっかけにして、観客席から歓声が巻き起こった。
「すげえぇぇぇ! 一瞬で倒しちまったぞ!」
「あの狼を見た時は、いくらお姉さまでも無理だと思ったけれど……」
「『無限召喚』もどんどん腕を上げてるな!」
彼らの熱狂は醒めることがなく、口々に魔術師二人を讃え続ける。キャストル王国の使節団は、この試合にどんな感想を抱いたのだろうか。そんなことを考えながら、俺は貴賓席を眺めていた。
◆◆◆
「いやいや、素晴らしかったよ! 噂以上だな!」
全試合が終了したため、挨拶がてら貴賓席に顔を出した俺は、上機嫌なフレスヴェルト子爵に出迎えられた。他の使節団のメンバーも興奮している様子で、悪くない反応に思える。
「お楽しみいただけたようで何よりです」
「魔法試合ももちろんだが、剣闘もなかなか見ごたえがあるものだ。我が国には闘技場が存在しないからね。目新しかったよ」
「左様でしたか」
「だが、やはり最後の試合だな! 召喚した巨人を生贄に魔狼を連鎖召喚する手際も、氷魔法で魔法陣を刻む技術も、非常にレベルが高いものだ」
その技術がどのように優れているのか、子爵は機嫌よく解説してくれる。その様子にひとまずほっとするが、どのみちここまでは想定内だ。問題はここからだが――。
「時に支配人、一つ頼みがあるのだが……」
子爵は距離を詰めると、声のトーンを落として話を切り出した。
「どのようなことでしょうか?」
俺も小声で応じると、子爵は満足したように口を開いた。
「先ほどの試合を観て感銘を受けてな。勝者である『紅の歌姫』と面会する手筈を整えてもらいたいのだ」
「面会ですか? 『紅の歌姫』はすでに帰っている可能性もありますが……かしこまりました。確認してまいります」
俺は逃げ道を作ると、丁寧に頭を下げて退室しようとする。すると、子爵は再び顔を近付けてきた。
「できれば貴賓席以外で頼むよ。こう大勢では、騒がしくて言葉も交わせないからね」
「承知しました」
つまり、使節団の他の人間には聞かれたくないということだ。そう解釈した俺は、まず支配人室へ向かった。子爵には『もう帰っているかもしれない』と答えたものの、試合後のレティシャは支配人室へやってくるのが常だ。
そう考えて支配人室へ戻った俺は、予想通り、扉の前でレティシャと出くわした。
「レティシャ、お疲れさま」
支配人室の扉の鍵を開けると、中に招き入れる。ヴィンフリーデが常駐しなくなったことにより、俺がいなければ支配人室は閉まりっぱなしだ。
「ありがとう。闘技場の見回りに出ていたの?」
「残念ながら、賓客に捕まっていたんだ」
その言葉で察したらしい。レティシャの顔が真面目なものに変わる。
「今日の試合を観て感銘を受けたから、『紅の歌姫』と面会したい。……だそうだ」
「そう……」
「もう『紅の歌姫』は帰っているかもしれない、と伝えている。帰ったことにしても構わないぞ」
そう付け加えると、レティシャの表情が少しだけ緩んだ。
「ありがとう、ミレウス。気を遣わせてしまったわね」
「支配人だからな。『極光の騎士』だって個別の面会には応じていないし、気にする必要はない」
「その分、あなたへのアプローチが多くて苦労していたじゃない。私のせいで賓客の不興を買って、ミレウスが困るのは本意じゃないわ」
「だが……他の使節団のメンバーは除いて、自分だけで話がしたいというくらいだ。ただの賞賛だとは思えない」
「そうね……」
俺の言葉に考え込んでいたレティシャは、やがて顔を上げた。いつもの彼女らしからぬ神妙な表情で、まっすぐ俺を見る。
「……ミレウス。あなたを巻き込んでもいいかしら」
◆◆◆
「ふむ、ここが支配人室か。わざわざ提供してもらってすまないね」
支配人室へ案内されたフレスヴェルト子爵は、相変わらず上機嫌だった。『紅の歌姫』との面会条件は、支配人が同席すること。そう聞いた時には難色を示したが、やがて自分の中で折り合いをつけたのだろう。
「『紅の歌姫』が子爵をお待ちしています」
支配人室の扉を開くと、中にいるレティシャと目が合う。彼女は頷いて静かに立ち上がった。
「おお……!」
レティシャを目にしたフレスヴェルト子爵は大仰な感嘆の声を上げた。それは『紅の歌姫』のファンであれば珍しくない反応だが……。
「初めまして、フレスヴェルト子爵。『紅の歌姫』レティシャ・ルノリアと申します」
「……!」
レティシャの自己紹介に対して、子爵は一言も発しなかった。ただ目を見開いてレティシャを見つめている。
「……フレスヴェルト子爵?」
子爵が固まったまま、どれだけ経っただろうか。思わず声をかけると、彼ははっとしたように俺を見る。
「ああ、すまないね。驚きに我を忘れていたよ。――改めて。キャストル王国の子爵であり、次席宮廷魔術師でもあるユーリス・フレスヴェルトだ」
レティシャに名乗りを返すと、子爵は再び俺に視線を合わせた。今までの子爵らしからぬ、少し威圧的な空気。これから本題を切り出すであろうことは、想像に難くなかった。
「支配人。……先ほども言ったが、ここからの話は他言無用だ」
「はい、心得ています」
俺の返事に一応は納得したのか、子爵は再びレティシャに向き直った。そして、彼女を迎え入れるかのように両腕を広げる。
「ようやく再会できたな、我が娘よ! よくぞ立派に成長したものだ……!」
子爵の言葉は予想通りのものだった。そして、感極まった様子の子爵とは対照的に、レティシャは困惑した表情を浮かべていた。
「フレスヴェルト子爵、何をおっしゃっているのですか……?」
「私だよ、レティシャ。長い間苦労をさせてすまなかったね。だが、もう大丈夫だ。これからはナターシャの分まで、私がお前を守ってみせよう」
「あの……なんのことでしょうか」
レティシャがなおも困惑した声を上げると、さすがの子爵も様子がおかしいと気付いたらしい。彼は信じられないとでも言うように、何度も瞬きをする。
「まさか……私が分からないとでも言うのか? 私だよ。父親のユーリスだ。ほら、何度も楽屋で会っただろう?」
「楽屋と言われましても……失礼ですけれど、人違いではありませんか?」
そう。この短時間でレティシャと立てた作戦は、「人違いだと言い張ること」だった。あまりに単純で心許ないが、これが一番確実だ。
「そんなはずはない……! 母親譲りの容姿や歌声! 私から受け継いだ魔法の才能! どう考えても我が娘レティシャではないか!」
「フレスヴェルト子爵は、娘さんをお探しでしたのね。私が子爵のお嬢さんに似ていることは光栄ですけれど……」
レティシャが人違いであることを重ねて主張すると、子爵は彼女の頭を指差した。
「その髪色こそフレスヴェルト家の証。フレスヴェルト家では、魔法の才覚を受け継いだ者は必ず赤髪で生まれるのだ」
「この街にも、赤髪の人間はたくさんいますわ」
「……どうしたのだね、レティシャ。なぜ認めない? フレスヴェルト家に戻れるのだぞ? ――ああ」
と、子爵は何かに気付いたようだった。
「家督のことなら心配ない。先ほどの試合を観て確信した。お前なら……いや、お前だけがフレスヴェルト家の家名を背負うことができる。他の子供たちでは、魔導子爵の二つ名に耐えられまい」
「……」
「子供に恵まれない子爵は、ついにどこぞの馬の骨を拾ってきたなどと揶揄する貴族もいるだろう。だが、母親そっくりの容貌と魔法の才能を目の当たりにすれば、どんな貴族も黙るだろうさ」
どうやら、子爵の中ではレティシャが娘だということは決定事項のようだった。どのようにお披露目をするか、どのタイミングで宮廷魔術師に名を連ねるか等、思い描いていた計画を次々に口にする。
「聞いた話では、あの『結界の魔女』ディネアに師事していたそうだね。それもまた、レティシャの経歴に箔をつけるというもの」
「まずは国王陛下に謁見せねばな。陛下の後ろ盾があれば、他の貴族の横槍などどうということはない」
それこそ演劇か何かのように、彼は滔々と語り続けた。あまりの自己陶酔ぶりに、俺とレティシャは何度も視線を合わせたくらいだ。
「かの魔導子爵から、そのように見込んで頂いて光栄ですけれど……私はフレスヴェルト家のご令嬢ではありませんし、この帝都を離れるつもりもありませんわ」
「まだそんなことを言っているのかね。いいかい、フレスヴェルト家の魔力を継いで生まれた者にとって、これは責務だ。他の貴族のように、誰でもいいというわけではないのだよ」
そして、子爵は言葉を続ける。
「なに、心配はいらない。この国の風土病……喧騒病だったか。それを解決した暁には、褒美をくださるとイスファン皇帝もおっしゃっていた。首席宮廷魔術師に匹敵するディネア殿の直弟子を引き抜くとなれば、国際問題になりかねないが……なに、実の娘を親元に引き取るだけだ。褒美として申し出れば、断られることはないだろうさ」
そんな子爵の発言に、俺は内心で眉をしかめた。本来であれば、罪のない帝国民を他国に引き渡すなどあり得ない。だが、貴族のお家事情が絡むとなれば話は別だ。本人が人違いだと説明しても、帝国が聞く耳を持たない可能性はあった。
それに、そもそもフレスヴェルト子爵の執着ぶりは少し異常だ。最悪、力づくということも考えるかもしれない。……まあ、レティシャを力づくでどうにかするのは、非常に難題だと言わざるを得ないが。
「まあ、突然のことで驚きもあるだろう。喧騒病を解決し、国元へ帰るまでには少し時間があるからね。とりあえずは、心の準備をしていてくれればよい」
「ですから、私は別人で――」
「それでは、今日のところは引き上げるとしよう。……レティシャ、久しぶりに会えて嬉しかったよ。滞在中は皇城に泊まっているから、いつでも訪ねてくるといい。ああ、見送りはいらないよ」
まったく人の話を聞かない魔導子爵は、鷹揚に頷くと支配人室を去っていく。その姿が完全に見えなくなるまで、俺とレティシャは無言で立ち尽くしていた。