廃止Ⅱ
「それって……第二十八闘技場の方針を知っていて、剣闘士の獲得を妨害してきたということ?」
「その可能性は高いと思う。剣闘士と処刑試合の話は切り分けて考えるべきだと粘ったが、駄目だった」
緊急で開かれた闘技場連絡会議から戻った俺は、憤りとともに結果を報告していた。支配人室にいるのは、俺とヴィンフリーデ、ダグラスさん、そしてユーゼフの四人だ。
「ミレウス。バルノーチス闘技場が事前に探りを入れてきたと言っていたな?」
「はい。処刑試合をするつもりはないのかと聞かれました」
「ふむ……」
俺の答えを聞いて、ダグラスさんは考え込む。
「クロード支配人にしては珍しいな」
「珍しい、ですか?」
ダグラスさんの人物眼には俺も信頼を置いている。俺はその言葉の続きを待った。
「彼はそう悪辣な類の人間ではない。……もちろん、公明正大だと言うつもりは微塵もないがな」
「でも、ランキングを下げたくないからって、ユーゼフと『双剣』たちの試合をずっと組んでくれませんでしたよね?」
異論を唱えたのはヴィンフリーデだ。だが、ダグラスさんは穏やかに笑った。
「その程度が彼の限界だよ。少なくとも、表立って第二十八闘技場と敵対しようとはするまい」
「では、処刑試合の話を持ち掛けてきたことは……?」
「まさにそこだ。彼が第二十八闘技場の剣闘士獲得を妨害しようと考えていたなら、そんなに露骨な確認をするとは思えぬ」
「たまたま処刑試合の話題が出ただけで、クロード支配人は関係ないと?」
重ねて問いかけると、ダグラスさんは首を横に振った。
「そうとも限らん。他の誰かに利用された可能性もある」
「なるほど……」
たしかにその可能性はあるか。その前提で、俺は第二十八闘技場に敵意を持つ闘技場を思い浮かべる。
「となると……怪しいのはマイヤード闘技場あたりでしょうか」
マイヤード闘技場は、バルノーチス闘技場と並ぶほど古い闘技場だ。ディスタ闘技場、バルノーチス闘技場と同じく、帝国貴族が支配人を務めている。つまり――。
「貴族特権を利用して、処刑試合のルールを追加したということかい?」
「ああ。レオン団長からすれば、妥当な提案だっただろうからな」
ユーゼフの言葉に頷く。レオン団長が第二十八闘技場の方針を知っていたとも思えないし、政府として処刑試合の受け皿が必要なことも事実だ。わざわざ貴族の提案を蹴って揉めるほどのことだとは思わなかっただろう。
「まあ、あそこは魔法試合にも否定的だしね。妥当なところかな」
ユーゼフが納得したように頷く。そして、次に口を開いたのはヴィンフリーデだった。
「それで、どうするの? ディスタ闘技場の人材確保は諦めるの?」
「ああ。第二十八闘技場の方針を変えるつもりはない」
俺はきっぱりと言い切る。死を売り物にしたくないという親父の考えは、そのまま俺の信条でもあった。
やがて、俺は気分を変えるように明るい声で言葉を続ける。
「まあ、『七色投網』あたりは引き抜きたいところだな。彼はランキング十四位だから、処刑試合の縛りもない」
「ああ、『七色投網』との戦いは楽しいからね」
「『千変万化』と『七色投網』の試合は見ごたえがありそうだな」
と、そんな話で盛り上がっていた時だった。トントン、と支配人室の扉がノックされる。
「失礼します。ディスタ闘技場のヴァリエスタ伯爵がお見えなのですが……」
「ヴァリエスタ伯爵が?」
従業員の言葉に、俺たち四人は顔を見合わせた。
◆◆◆
「突然押しかけてすまなかったな」
第二十八闘技場を訪問してきたヴァリエスタ伯爵は、ソファーで向かい合う俺たちを見回した。そして、ダグラスさんに視線を止める。
「ダグラス、久しぶりだな」
「たしかに、前々回の闘技場連絡会議以来ですな」
「あの時のダグラスは、話しかけられる雰囲気ではなかったからな。数に入らんよ」
そう言って伯爵は肩をすくめた。そう言えば、ダグラスさんが代理出席した連絡会議は一悶着あったんだったな。
「あの会議で、何度か助け舟を出してくれたことには感謝しています」
「あの残念な会議を除けば、実に十五年ぶりか? お互い老けたものだ」
伯爵は目を細めて笑う。彼は建国当時からディスタ闘技場の支配人を務めている。かつて親父とともにディスタ闘技場に所属していたダグラスさんのこともよく知っているのだろう。
「イグナートはたまに顔を出していたが、ダグラスはさっぱり顔を見せてくれなかったからな」
「……一方的に第二十八闘技場へ移籍した身で、ディスタ闘技場に足を踏み入れるのは図々しいと思いまして」
伯爵の冗談めかした言葉に、ダグラスさんは真面目な顔で答える。そう言えば、ダグラスさんが試合と観戦以外の目的でディスタ闘技場へ行くのを見たことがないな。そんな理由があったのか。
「相変わらず真面目な男よ。ディスタ闘技場は、この街に尚武の気風を生むために建造されたものだ。であれば、暖簾分けを厭うことなどあり得んさ」
そして、伯爵は少し遠い目をする。
「……まさか、イグナートが闘技場を建てるとは思わなかったがな。あの『闘神』に経営ができるのかと心配したものだ」
「試合の間と同じように常勝、とはいきませんでしたが……イグナートが後悔していたとは思えませんな」
「そうか……イグナートが剣闘士として復帰したくなった時には、いつでもバックアップをすると伝えていたのだが……いらぬ心配だったか」
そして、伯爵は俺たちに視線を向けた。
「何より、これだけ優秀な後継がいるのだからな。あやつは強すぎるが故に、人を育てることに向いていないと思っていたが……蓋を開けてみれば、ミレウス支配人と『金閃』という傑物を育て上げたわけだ」
「いえ、私は――」
「ありがとうございます。イグナートも、そう言われることを一番喜ぶでしょう」
異を唱えようとした俺を遮って、ダグラスさんが答える。そう答えられてしまっては、今更何も言えない。
「……羨ましいものだ」
そして、伯爵はぽつりと呟く。その声は決して大きいものではなかったが、感情のこもった声に俺たちは顔を見合わせた。その様子に気付いたのか、伯爵は自嘲気味に笑う。
「いや、すまぬな。それに比べて、儂は息子を真人間にすることさえできなんだ。そう思うと情けなくてな」
その話が、かつてディスタ闘技場の支配人代理を務め、違法行為に手を染めたどころか、実の親まで毒殺しようとしていたジークレフのことを指しているのは間違いなかった。
「情けない話だが、あれ以来めっきり気落ちしてしまってな……ここだけの話だが、息子に跡目を譲って引退するつもりだ」
「引退、ですか?」
「ああ。この状態で満足に公務を果たせるとは思えぬ。引退という選択肢すら見えなくなる前に身を引こうと考えている」
伯爵は静かに頷いた。どこか弱々しいその様子に、俺はふと気付いたことがあった。
「失礼なことを申し上げるようですが、ディスタ闘技場を廃止する理由も……」
「ああ。ディスタ闘技場を改修……いや、再築するということになれば、膨大な業務を抱え込むことになるだろう。だが、今の儂に務まるとは思えぬからな」
やはりそうだったのか。かつて、ジークレフを告発して追い詰めたのは俺だ。それがディスタ闘技場の廃止に一役買っていたというのは複雑な気分だな。
「他の者に任せることも考えたが……いつまでも旧時代の年寄りが幅を利かせるわけにもいくまい。そう考えているのは本当だよ。政府内でも、闘技場に予算を割くのはいかがなものかという声が上がっていたしな」
「そうでしたか……」
あの会議での発言は、衷心からのものだったらしい。貴族の発言としては驚きだが、よく考えれば、伯爵は建国前から皇帝と共に戦い、建国時に貴族になった人物だ。生粋の貴族とは少し価値観が異なるのかもしれない。
「ひょっとして、ヴァリエスタ伯爵はそのことを伝えるために、わざわざお出でになったのですか?」
ふと思いついて尋ねる。だが、伯爵はゆっくりと首を横に振った。
「いや、そうではない。……儂が来たのは謝罪のためだ」
「謝罪……?」
一瞬ジークレフのことかと思ったが、その件については話がついている。ということは……。
「ディスタ闘技場の剣闘士の移籍についてだ。もはや引退する身ということで、取り決めはレオン団長や他の支配人たちに任せていたが……まさか、あのような取り決めをするとは思わなんだ」
「なるほど、そっちでしたか。……それで、他の支配人たちとは誰のことですかな?」
俺より早くダグラスさんが声を上げる。ヴァリエスタ伯爵と付き合いの長いダグラスさんは、俺では聞きにくいことを正面から尋ねた。
「クロードとアルベスだ。あの二人に儂を含めた三人は、会議に先立って重要事項の腹案を作成することも多くてな」
アルベスとは第三位であるマイヤード闘技場の支配人の名前だ。……ということは、やはりそうだったのか。
「つまり、第二十八闘技場だけが上位ランカーの獲得に乗り出せない条件を付けたのも、二人の企みというわけだ」
今度はユーゼフが口を開く。ひょっとして、二人とも俺の立場では聞きにくいことを、代わりに聞いてくれようとしているのだろうか。
「そう言われても仕方あるまい。……特にアルベスは魔法試合に否定的な上に、前回のランキングで第二十八闘技場に抜かれて焦っていたようだからな」
伯爵は素直に認めると苦笑を浮かべた。
「だが……あの二人はジークレフとは違う。多少の策謀は巡らせるだろうが、違法行為に手を染めることはないはずだ。
それに、会議の後で、儂からレオン団長にこの顛末は伝えている。団長の立場上、今回の話の撤回はできぬにしても、次からは注意深くなるだろう」
どうやら、ヴァリエスタ伯爵はそれなりに本気で動いてくれたらしい。そのことには感謝するべきだろうが……。
「後は、どの闘技場が誰を獲得するか、ですね」
俺が最も警戒しているのは、バルノーチス闘技場が上位ランカー三名を独占することだ。もしそうなれば、闘技場ランキングにおける剣闘士評価で差を付けられてしまう。
「少なくとも、全員をクロードがかっさらうことはないだろう。『大破壊』はともかく、『剣嵐』と『剛腕剛脚』はアルベスが獲得するつもりだと打診があったからな」
俺の懸念が分かったのか、ヴァリエスタ伯爵が極秘情報を教えてくれる。
「そうですか……ありがとうございます」
それは救いと言えば救いだが、痛いことに変わりはない。俺は苦虫を噛み潰したような顔で、今後の方策を練っていた。
◆◆◆
「上位ランカーの移籍先が決まった?」
「ええ。ヴァリエスタ伯爵から連絡があったわ。まだ極秘だけど、特別に教えてくれたみたいね」
ヴィンフリーデの優れない顔色からすると、あまりいい予感はしないな。そんな思いを抱きながら、差し出された書状を受け取る。そして――。
「なんだって……!?」
目を見開いて驚く。そこに記されていたのは最悪の結果だった。『大破壊』、『剣嵐』、『剛腕剛脚』。上位ランカーの三人が、すべてバルノーチス闘技場へ移籍する。書状にはそう書いてあった。
「話が違うぞ……」
呻きながら書状の続きに目を通す。そこには、『剣嵐』と『剛腕剛脚』と交渉していたマイヤード闘技場が急に獲得を辞退したため、バルノーチス闘技場へ移籍することになったという旨が書かれていた。
「マイヤードの独断か、それともバルノーチスと組んでいたのか……どちらにしても嫌な話だ」
俺は憮然として呟く。マイヤード闘技場は魔法試合に否定的だ。第二十八闘技場が一位になる可能性を危惧してバルノーチスに上位ランカーを譲った、と見るのは考え過ぎだろうか。どちらにせよ、このままでは闘技場ランキングにも大きく影響するだろう。
「わざわざ伯爵が知らせてくれたのも頷けるわ……」
「とは言っても、何ができるわけでもないしな……そもそも、第二十八闘技場は獲得に手を挙げられない」
そう言いながらも、ふつふつと怒りが湧いてくる。そんな俺を心配したのか、ヴィンフリーデが何事かを口にしようとしていたが、それより早く支配人室の扉が開かれた。ユーゼフだ。
「やあ。二人してひどい顔色だけど、どうしたんだい?」
剣闘士ランキング第二位の色男は、爽やかな笑顔でヴィンフリーデの隣に立つ。最近、支配人室へ来る頻度が増えているのは、俺たちのことを心配しているからだろうか。彼女から書状を受け取ったユーゼフは、大仰に肩をすくめてみせた。
「違法ではないけど、露骨なやり方だ。貴族たちのやりそうなことだね。……ヴァリエスタ伯爵の英断を少しは見習ってもらいたいものだ」
そして、ユーゼフは壁に貼ってあったランキング表に目を向ける。
「このままだと……一位、四位、五位、六位、八位、九位がバルノーチス闘技場の剣闘士になるわけか。上位ランカーが六人とは笑えるね」
「他の上位ランカーは、第二十八闘技場が三人、十九闘技場が一人……人数差がひどいわね」
ヴィンフリーデも憮然とした様子でランキング表を眺める。いくら俺とユーゼフが二位と三位でも、ここまで上位ランカーを独占されると太刀打ちすることは難しい。そう歯噛みしていると、ユーゼフがこちらを向いた。
「それで、どうするんだい?」
「え?」
突然の問いかけに訊き返すと、ユーゼフは悪戯っぽく笑った。
「この程度でへこたれるミレウスじゃないだろう? それとも闘技場ランキング一位は諦めるかい?」
「……そんな訳があるか」
挑発とすら言えるユーゼフの言葉に、俺は熱をこめて答える。同時に、今後の方針が頭の中で繋がっていった。
「単純な話だ。上位ランカーの人数については、第二十八闘技場の剣闘士をランク入りさせればいい」
「たしかに単純だね。……でも、どうするつもりだい?」
「有望株の特訓だ。ユーゼフや『千変万化』にも手伝ってもらうぞ」
「つまり、僕たちとの練習試合を組むのかい? もちろん構わないよ」
ユーゼフが頷く。もちろんそれだけではないが、強者との戦いはそのまま得難い経験になるからな。
「それに、アドバイスもしていこうと思う」
「へぇ……? たしかにミレウスのアドバイスは的確だし、僕もお世話になっているけど……」
ユーゼフは驚いたようにこちらを見た。これまで、ユーゼフ以外に戦い方のアドバイスをしたことはないからだ。皆、これまでに積み重ねてきた戦闘スタイルというものがあるし、何より支配人でしかない俺が矯正しようとしても反発を招くからだ。だが……。
「支配人の俺はともかく、『極光の騎士』からの指摘なら素直に聞くんじゃないかと思ってさ」
その程度であれば、古代鎧の起動回数を減らさなくても、レティシャあたりに筋力強化をかけてもらえばいい話だ。
「たしかにね……『極光の騎士』からの助言なら、効果は大きいだろう」
ユーゼフは納得した様子で頷く。すると、今度はヴィンフリーデが口を開いた。
「それで、特訓をする有望株って誰なの?」
「モンドールだな。それに、移籍してくる予定の『七色投網』も候補に入れている」
そう、上位ランカーでこそないが、剣闘士ランキング十四位の『七色投網』は、第二十八闘技場に移籍してくることになっていた。二つ返事で移籍を了承してくれた彼だが、望むなら移籍前から特訓に参加してもらってもいいだろう。
それに、第二十八闘技場にはシルヴィがいるからな。彼の代名詞である魔法の網を強化することだってできるかもしれない。
そしてモンドール皇子だ。現在はランキング十七位だが、そのポテンシャルは非常に高い。あと二、三年あれば、放っておいても十位以内に入るだろうが、上手く指導すればすぐに才能を引き出せるはずだ。
「なるほどね、それは面白そうだ」
ユーゼフは楽しそうに笑う。アドバイスというよりは、純粋に戦いを楽しむつもりなのだろう。助言はこっちの仕事だから、特に問題はない。
「そして、俺たち二人に共通の課題があるんだが……」
「なんだい?」
興味を惹かれた様子のユーゼフに、俺はニヤリと笑ってみせた。
「最低でも、俺たちのどちらかが剣闘士ランキング一位になる必要がある」
「なるほど、その通りだね。……ということは、『極光の騎士』が僕の特訓相手になってくれるのかな?」
「そのつもりだ。起動回数は温存したいから、頻繁にとはいかないが……」
「それは楽しみだね。……なんだろう。今から凄くワクワクしてきたよ」
ユーゼフは闘志を秘めた笑顔を見せた。そして、それは俺も同じことだ。まるで試合を前にして向かい合っているような錯覚を覚える。
「……それじゃあ、『大破壊』を倒して、一位を獲るのは僕に任せてもらおうかな」
「いや、それは俺の仕事だ」
同時にニヤリと笑うと、俺たちは拳を打ち合わせた。