廃止Ⅰ
『極光の騎士』が復帰して三か月ほど経ったある日。俺とヴィンフリーデは、支配人室で最新の剣闘士ランキング表を見つめていた。最も気になるのは復帰した『極光の騎士』の順位だが……。
「まずは三位か……想定していた中では最上の結果だな」
俺は満足して頷く。この前の試合で三位の『双剣』を倒したとはいえ、それだけでこのランク付けは破格と言っていいだろう。
順位の近い剣闘士同士の試合であれば、勝敗が順位に直結することも多いが、復帰したての『極光の騎士』はランク外だ。十位あたりに位置付けられることも覚悟はしていた。
「『極光の騎士』が一位じゃないランキングは久しぶりね。……なんだか昔を思い出すわ」
「そうだな」
俺が『極光の騎士』となり、彼女が支配人秘書となって間もない頃。『極光の騎士』が史上最速のペースでランキング表を駆け上がっていた時期を思い出す。
「……ふふっ」
と、ヴィンフリーデが不意に笑い声を上げる。目で問いかけると、彼女は嬉しそうにランキング表に視線を落とした。
「あの頃は、胡散臭い全身鎧がランキングを駆け上がっても嬉しくなかったけど……中身がミレウスだと分かったら、途端に嬉しくなるわね」
そう告げたヴィンフリーデの顔を窺うが、正体を隠していたことに対する皮肉ではなさそうだ。本当に喜んでくれているのだろう。
「問題はここからだな。次は『大破壊』と一戦交えたいところだが……すぐに応じてくれるかどうか」
「あら、ユーゼフは眼中にないの?」
「前々回に戦ったばかりだからな」
悪戯っぽく尋ねるヴィンフリーデに、肩をすくめて答える。『大破壊』と互角に戦ったというユーゼフと、試合の間で戦いたい気持ちは俺にもある。だが、支配人としての俺は、素直に頷くわけにはいかない。
「それにしても……ユーゼフが二位で、ミレウスが三位。そして、『千変万化』さんが七位」
ヴィンフリーデはランキング表に指を当てて、一人ずつ上位ランカーを確認していく。三位に『極光の騎士』が割り込んだことを除けば、上位ランカーの序列は変わっていないはずだ。
「ディスタ闘技場は……一位、六位、それに九位。バルノーチス闘技場は、四位、五位、八位……」
口に出して数えていた彼女は、やがて口角を上げた。
「このまま行けば、闘技場ランキングの剣闘士評価はトップになるかしら?」
「少なくとも、ディスタ闘技場に大きく差を付けられることはないだろう」
ということは、他の部分――集客数など運営面での勝負になるはずだ。
「お客さんの入りでは負けてないはずよ。ディスタのほうが少し規模は大きいけど、いつも満席というわけじゃないし。……それに、今年は催しも評判がいいわ」
同じことを考えたようで、ヴィンフリーデが顎に手を当てて口を開く。そこに、今度は俺が言葉を付け加えた。
「ヴィーが考えてくれた新商品も当たったしな」
彼女が考えてくれた串焼きと甘味の二種は、どちらも大きな評判を呼んでいた。それらの売り場には毎回行列ができていて、一瞬で売り切れている。今までスペースを持て余し気味だった売り場フロアが、今では過密状態になる始末だ。
「考案者としては嬉しい限りよ」
「この前も、外で売りに出さないかと提案されたからな。これで九件目だ」
有償で製法を教えてほしい、料理を卸してほしい、などと、商機に目敏い商人たちが話を持ち掛けてくるのだ。闘技場という閉鎖空間の外で売り出しても、充分売れるという見込みがあるのだろう。
「けど、そのうち誰かが再現に成功すると思うわよ? いくら帝都で珍しい香草だと言っても、知ってる人はいるでしょうし」
「構わないさ。それまでに、本場は第二十八闘技場だというイメージを印象づけることができれば問題ない」
闘技場ランキングには、そういった話題性も加味されるからな。第二十八闘技場にとっては大きな追い風になるはずだ。
剣闘士は充実していて、集客数や話題性もディスタ闘技場に引けを取るとは思えない。もし現時点で闘技場ランキングを決定することになれば、一位になる可能性は充分あるだろう。
「……いや、まだだな」
だが、ここで油断するわけにはいかない。一昨年も一位に手を掛けたつもりでいたが、ディスタ闘技場の支配人代理だったジークレフの妨害で、蓋を開ければ二位止まりだ。現在一位のディスタ闘技場に、大きく差をつけるつもりで運営に取り組むべきだろう。
「今度は集団戦だな。集団戦に前向きな剣闘士の選定は進めているが……開幕は誰でやろうか」
それに、人数もまだ確定していない。人数を増やし過ぎると観客が疲れるし、運営サイドとしても費用がかさむ。二対二程度が妥当だろうか。
……という相談をしたつもりなのだが、ヴィンフリーデから返事はない。
「ヴィー?」
不思議に思って問いかけると、ヴィンフリーデははっとした様子でこちらを見た。
「え? ……ああ、ごめんなさい。少し考え事をしちゃって」
そして、どこか慌てたように書類を整理し始める。どうやら俺の言葉は聞こえていなかったらしい。いつの間にか、顔色も悪くなっている気がするが……。
「調子が悪いなら、無理するなよ。俺やダグラスさんでなんとかするから」
「そうね……寝不足のせいかしら。気を付けるわ」
彼女の返事に内心で首を傾げる。そう言えば、最近は彼女らしからぬミスが増えていたな。この前も第二十八闘技場のランキング表の集計を間違えていたし、何かあったのだろうか。ユーゼフに心当たりがないか聞いてみるべきか。
そんなことを考えていると、支配人室の扉がノックされた。扉を開くと、そこには副支配人であるダグラスさんが立っていた。
「ダグラスさん、どうしたんですか?」
そう言いながらも、彼が手にしている書状に視線を向ける。訪問の原因はこれだろう。
「帝国政府から連絡があってな」
予想通り、ダグラスさんは手に持っていた書状を俺に差し出した。
「三日後、緊急で闘技場連絡会議を行うそうだ」
書状を受け取った俺に、ダグラスさんは内容を簡潔に説明してくれる。続けられた言葉は、俺が予想だにしていないものだった。
「――どうやら、ディスタ闘技場が廃止されるらしい」
◆◆◆
「――書状でもお伝えした通り、ディスタ闘技場は廃止となります。取り壊し時期等は未定ですが、興行は半年後をもって終了する予定です」
緊急開催された闘技場連絡会議。その会場は、議題となるディスタ闘技場で行われていた。前置きの挨拶もそこそこに、帝国政府代表であり、司会も務めるレオン団長が本題を切り出すと、卓についている支配人たちがどよめいた。
「このディスタ闘技場が……」
「書状を見てもにわかには信じられませんでしたが、真実なのですな……」
支配人たちの反応は、俺と似たようなものだった。あらかじめ廃止する旨を伝えられていても、信じられないという思いが強かったのだろう。帝国最大にして最古の闘技場。それが消滅するというのだから。
「詳しい話については、ディスタ闘技場の支配人であるヴァリエスタ伯爵からお伝えします。……伯爵、よろしいですね?」
「ああ、もちろんだ」
レオン団長の言葉を受けて、ディスタ闘技場の主が口を開いた。だが、その口ぶりには覇気がない。
息子であるジークレフに毒を盛られていた後遺症なのか、それとも長年運営してきたディスタ闘技場を解散するためか。そんなことを考えながら、伯爵の説明をじっと待つ。
「……ディスタ闘技場が造られたのは、今から四十年ほど前。この帝都ができてすぐの頃だ。尚武の気風を根付かせたいとの陛下の意向もあり、帝都の中心部に建設された」
現皇帝とともにルエイン帝国の未来を切り開いてきた伯爵は、昔を懐かしむような表情で話を切り出した。ちょっとした苦労話を交えながら、帝国の発展とともにあったディスタ闘技場の変遷を語る。
「――そして、いつしか帝都は『剣闘都市』と呼ばれるほど闘技場が立ち並ぶ、大陸でも類を見ない街へと発展した。この円卓に居並ぶ諸君らや、その先代、先々代たちのおかげでな。もはや、意図的な旗振り役は不要であろう」
「それが廃止の理由……?」
そう声を上げたのは誰だったか。その問いかけに対して、ヴァリエスタ伯爵は静かに頷いた。
「それも理由の一つだ。……まあ、直接的な原因は施設の老朽化だがね。諸君らも知ってのとおり、最近、ディスタ闘技場では施設に起因する事故が多発している」
「ディスタ闘技場ができた頃は、まだ帝国も誕生したばかりで、熟練した職人もろくにいませんでしたからね」
伯爵をフォローするようにレオン団長が口を開く。
「事故が起こるたびに部分的な修繕を行ってきたのだが、ここまで来ると建物自体が限界だと認めざるを得ない。……ギル親方には『この建物をいつまで酷使するつもりか』と怒られたよ」
その言葉に支配人たちから笑い声がもれる。ドワーフにして、闘技場建設の第一人者である彼の世話になっていない支配人はいない。ギル親方の言葉が一言一句脳裏で再生されたのだろう。
「だが、闘技場の建設には莫大な費用がかかる。その間は興行もできず、剣闘士たちの生活も立ち行かなくなるだろう」
第二十八闘技場の移転時、俺自身が同じことで悩んでいたこともあって、伯爵の心中は痛いほどよく分かった。第二十八闘技場の場合は、都心から少し離れた場所へ移ったため、土地代の差額を建築費用に充てることができたが、ディスタ闘技場で同じことはできないだろう。
「しかし、政府としても優先事項というものがある。ディスタ闘技場の移転を十全に行えるだけの援助は見込めぬ」
「……?」
その言葉に、俺を含めた幾人の支配人が怪訝な表情を浮かべた。つまり、ディスタ闘技場には帝国政府から資金が流れていたということだろうか。
もしそうであれば、ディスタ闘技場は大きなアドバンテージを持っていたことになる。その金額によっては、同じ闘技場ランキングで評価されることが不当な気さえしてしまうが……。
「ヴァリエスタ伯爵、一つよろしいでしょうか。今のお言葉からすると、ディスタ闘技場は帝国政府から公的な資金援助を受けていたと解釈しても?」
俺と同じ結論に達したのだろう。第二十八闘技場と協力的な関係にある第十九闘技場の支配人、シャードが伯爵に問いかける。
「その通りだ。元々、ディスタ闘技場は国策として建設されたものだ。当然、その経営にも国が関与している。そして……そのこともまた、廃止を決めた理由の一つだよ」
伯爵は怒った様子もなく、淡々と説明を続けた。
「先ほども言ったが、この街には多くの闘技場が存在している。資金を自前で調達して、巨大な闘技場の運営に成功している者もな」
口にこそ出さなかったが、伯爵の視線が俺やシャード支配人のほうへ向けられる。
「その新しい力を、国策の残滓が妨げるわけにはいかん」
「ヴァリエスタ伯爵……」
思わず唇から声がもれる。最大の闘技場であるディスタ闘技場の支配人が、そんなことを考えているとは思いもしなかったからだ。
「それに……見ての通り、儂も体力の限界でな。支配人業を続けるのはちと厳しいものがある」
その言葉を受けて沈黙が流れる。伯爵の体力低下の原因は、かつてディスタ闘技場の支配人代理でもあった彼の息子、ジークレフによって引き起こされたものだからだ。
そんな気まずい沈黙を打ち消すように、ヴァリエスタ伯爵は背筋を伸ばした。
「この件については、陛下にもご了承を頂いた。『寂しいが、決めたことなら仕方ない』と、そうおっしゃっていたよ」
そう結ぶと、ヴァリエスタ伯爵は椅子に深く掛け直した。これで説明は終わりということだろうか。だが、彼は重要なことを一つ告げていないはずだ。
「――伯爵、もう一つお伺いしたいのですが……」
俺が声を上げようとした矢先に、シャード支配人が口を開く。ヴァリエスタ伯爵の視線が向いたことを確認すると、彼は言葉を続けた。
「ディスタ闘技場に所属する皆さんは、今後どうなるのでしょうか? 彼らがフリーになるのであれば、第十九闘技場としては獲得に動きたいところです」
やはり、彼も俺と同じところが気になっていたようだった。もし『大破壊』や『剣嵐』をスカウトすることができれば、集客数の大幅な上昇は間違いない。それに、闘技場ランキングにだって影響を及ぼすはずだ。
「たしかに……!」
「気になるところですな!」
シャードの発言に他の支配人たちが興味を示す。それは俺も同じことで、ヴァリエスタ伯爵に注意を集中していた。
「それについては、私からお答えしましょう」
だが、答えは予想外の場所から返ってきた。政府代表でもあるレオン団長だ。彼は咳ばらいをすると、手元の資料を見ながら説明する。
「ディスタ闘技場に所属する剣闘士ですが、彼らが不当に買い叩かれることのないよう、帝国政府が間に入ることになりました。我々としては、ディスタ闘技場と環境が似通っている闘技場への移籍を進めるべきだと考えています」
「それはつまり……移籍先はこの中で決めると?」
「そう受け取ってもらって構いません。少なくとも、上位ランカー三名と、剣闘士五十傑の八人については、十全に近い環境を維持するため、この会議の出席者……ランキング十位以内の闘技場への移籍が妥当でしょう」
問いかけた支配人に頷くと、レオン団長は再び手元の資料に視線を落とした。そして、再び口を開く。
「ただし、それら十一名の移籍については条件があります」
「条件?」
予想外の言葉に首を傾げる。
「ええ。まず一つ目は、移籍金の支払いです。慣行ですが、契約途中で剣闘士が移籍する場合には、移籍金を移籍元闘技場に支払いますよね? それと同じようなものだと思ってください」
「廃止される闘技場に移籍金を払うのですか? 廃止ということは、契約終了と同義だと思いますが」
そう尋ねたのはどこの支配人だったか。少し理不尽だと思ったのだろう。
「移籍金はディスタ闘技場の収益になるわけではありません。これらの資金は、移籍先が見つからなかった剣闘士やスタッフへ支給されます」
レオン団長はよどみなく答える。なるほど、そういう仕組みか。五十傑以内の剣闘士は引く手数多だろうが、それ以外の剣闘士たちは別だからな。
「他にも条件はいくつかあります。まず、剣闘士契約書の提出。これは不利な契約を結ばせていないかを確認するためのものです。次に――」
レオン団長はスラスラといくつかの条件を挙げる。それらの条件は、どれもディスタ闘技場の剣闘士が不利にならないように付されたものらしく、第二十八闘技場の基準からすればまったく問題なかった。
――もし『大破壊』をスカウトできたら。そんな期待に胸を躍らせる。そうなれば、もはや剣闘士方面でトップ評価を得られることは間違いない。
自分で言うのもなんだが、第二十八闘技場には『極光の騎士』と『金閃』という、彼に匹敵する数少ない剣闘士が二人もいるのだ。
同じ闘技場の所属になれば、交流戦以外でも戦える機会がある。『大破壊』にとっては悪くない話のはずだった。
「これは『大破壊』を引き入れるチャンスですな!」
「新進気鋭の『剣嵐』も捨てがたい……!」
「『七色投網』も集客効果が大きそうですなぁ」
誰を獲得するつもりなのか、支配人たちは一様に頬が緩んでいる。降って湧いた人材獲得チャンスに興奮している様子だった。
「それと、もう一つ条件があります」
と、そんな俺の耳にレオン団長の声が届く。
「ディスタ闘技場は、罪人の処刑試合の大半を引き受けてくれていました。そこで、今後の体制確保のためにも……」
「……?」
突然降って湧いた不穏な単語に、俺は眉根を寄せた。
「――上位ランカーの移籍先となった闘技場については、処刑試合を義務付けます」