再起Ⅳ
『極光の騎士』復帰戦の開催当日。試合会場となる第二十八闘技場は、凄まじい熱気に包まれていた。
満席は珍しいことではないが、観客の気迫が尋常ではないのだ。闘技場内の各フロアの巡回を終えた俺は、そんな感想を抱いた。
「私も同意見よ。今日は空気が違うもの」
俺の感想に同意を示したのは、第二十八闘技場の看板剣闘士でもある『紅の歌姫』レティシャだ。今日は彼女の試合はないのだが、復帰戦を控えた俺をからかいに来たらしい。
彼女はソファーから立ち上がると、支配人室の窓を通じて観客席を眺める。
「相変わらず『極光の騎士』は大人気ねぇ……。よかったわね、ミレウス」
「ああ、そうだな」
俺が頷くと、レティシャは興味深そうに目を瞬かせた。
「あら、てっきり謙遜すると思ったのに、素直に認めたわね」
「……一年前に、あれだけ盛大に見送られておいて、ノコノコと復帰したわけだからな。観客に呆れられたんじゃないかって、心配くらいはするさ」
正直に答えた俺だったが、レティシャはおかしそうに笑い声を上げた。
「そんな人はいないか、いてもごく少数よ。復帰に呆れている人ばかりなら、こんな異様な熱気は生まれないわ」
そう断言したレティシャは、壁に貼られた紙に視線を向けた。そこには、今日の試合の組み合わせと時間が書かれている。予定表を眺めたレティシャは、興味深そうに口を開いた。
「それで、ミレウスはいつ『極光の騎士』になる予定? まさか、試合直前まで支配人室で仕事しているわけじゃないでしょう?」
俺が『極光の騎士』だということを知っているレティシャだが、彼女がそれを知った時には、もう『極光の騎士』は引退していたからな。ひょっとして、支配人と剣闘士をどうやって両立しているのか見に来たのだろうか。
「そうだな……前の試合が終わったことを確認し次第、というところか」
「直前じゃない! 精神集中の時間を取ったりしないの?」
俺の答えにレティシャが目を丸くして驚く。
「前の試合で緊急事態が起きたりすれば、支配人として判断を下す必要があるからな。姿を眩ませるわけにはいかない」
「それはそうだけど……器用ねぇ」
レティシャが感心したように声を漏らす。そして、話題は別のものへ変わっていく。
「え? 魔術師のランキングができるの?」
「ああ。さすがに剣闘士ランキングと統合することはできないが、魔法試合を組んでいる闘技場同士で話をつけた。あくまで非公式という体だが、まずは一歩前進だな」
そして、そうなれば目の前の『紅の歌姫』がランキング一位になることは間違いないだろう。ランキングが非公式だとしても、優秀な魔術師が揃っている第二十八闘技場が目立つことに変わりはない。
魔法試合自体は、だいぶ帝都に浸透してきている。非公式が公式になる日もそう遠くはない。俺はそう踏んでいた。
「あらあら、また悪そうな顔をしているわね」
「後ろ暗いことは何もないぞ。魔法試合の普及に努めているだけだ」
「本当に色々な手を考えるわねぇ……。じゃあ、この間言っていた集団戦も普及の一環かしら?」
「ああ。実際の戦いでは剣と魔法が入り乱れるわけだしな。集団戦を通じて、剣と魔法の垣根を崩したい、という思いもある」
「集団戦も面白そうだけど……向き不向きが露骨に出そうね」
「もともと、剣闘士は個人戦闘に特化しているからな。向いていない剣闘士を無理に出すつもりはないさ」
「それじゃ、私は誰と組もうかしら……」
考え込む素振りを見せた彼女は、やがて悪戯っぽく微笑む。
「そうね、『極光の騎士』なんかどうかしら。息もぴったりだと思うわよ」
「戦力バランスが崩れるな……」
わざとらしく告げるレティシャに俺は苦笑を返した。『極光の騎士』と『紅の歌姫』が組んだ場合、対抗できる組み合わせがあまりに少ない。
「『極光の騎士』と『紅の歌姫』が同じ試合の間に立つとしたら、たぶん対戦相手になった時だな」
「それは……ちょっと困るわね」
「何がだ?」
首を傾げる俺に、レティシャは蠱惑的な微笑みで答えた。
「『極光の騎士』の正体を知ってしまったもの。いくら私でも、想い人に攻撃魔法を放つのは気が進まないわ」
「……古代鎧の防御力なら大丈夫だろう」
「もう、そういう問題じゃないわよ」
悪戯っぽい表情に切り替えて、さらに言葉を続けようとしたレティシャだったが、そこへ扉をノックする音が響く。扉を開けると、そこにはヴィンフリーデとシンシアが立っていた。
「あら、レティシャが来ていたのね」
「ミレウスさん、レティシャさん、こんにちは」
「ピィ!」
三者三様の声を上げると、二人と一羽は支配人室へ入ってきた。二人は細長いスティック状のものを手にしており、そこから甘い香りが漂ってくる。『極光の騎士』の復帰戦に合わせて売り出した、第二十八闘技場の新商品だ。
「そっちの売れ行きはどうだ?」
「今日は様子見といったところね。こうやって私たちが買えたくらいだから」
言いながら、ヴィンフリーデが新商品を手渡してくれる。こちらは甘味であり、他闘技場よりも女性客が多い第二十八闘技場の特性を考えて用意したものだ。持ち運びや食べやすさを重視したため、シルエットは細長い棒に見える。
「ありがとう」
小腹が空いていたこともあって、早速一口かじる。生地は揚げドーナツに似ており、表面は少し固めだが、中身はふんわりと仕上がっている。間に挟まれたバタークリームがコクとなめらかさを演出していた。
「やっぱり美味いな……」
バタークリームにはわずかな塩気も含まれていて、それがまた癖になりそうだった。そんな生地とクリームがスパイスの甘い香りとあいまって、見た目のシンプルさを裏切る複雑な味わいを作り上げる。
「そう言ってもらえると嬉しいわ」
機嫌よく応じたのは、考案者であるヴィンフリーデだ。本人はこれを食べる気がないようだが、試食のしすぎで太ったとぼやいていたからな。たぶんその関係だろう。
そして、今度はシンシアに視線を送る。甘党の彼女は、試作品の試食にも積極的に関わっていたのだが……こちらは控えるつもりはないようだ。ひたすらもくもくと菓子を頬張っており、まるで小動物のようだった。
「二人を見ていたら、私も食べたくなってきたわ……」
どちらかと言えば、甘味より酒類が好きなレティシャだが、そんなシンシアの様子に感化されたのか、新商品に興味を示した。まあ、目の前であれだけ美味しそうに食べられると無理もない。
「レティシャもいたなら、もう一つ買ってくればよかったわね」
「大丈夫よ。ミレウスにもらうから」
「別に構わないが……」
すでに半分ほどの長さになった棒菓子をレティシャに差し出す。すると、同時に別の方向からも棒菓子が差し出されていた。
「そ、それじゃ私の分を……!」
別方向から菓子を差し出したのはシンシアだった。差し出された棒菓子には、まだ口を付けた形跡がない。……あれ? さっき一心に食べていた気がするけどな。
「……ひょっとして、二つ買っていたの?」
同じことを考えたのだろう。レティシャがきょとんとした表情で問いかける。
「は、はい……! でも、一つ目でお腹がいっぱいになりましたから……!」
「そうなの? ありがとう、シンシアちゃん。それじゃ頂くわね」
そんなやり取りを見ながら、俺はヴィンフリーデに声をかける。
「この出来で売れ行きがそこそこ程度か……」
「最初は仕方ないわよ。それに、今回は串焼きに持っていかれちゃったから」
「俺も立ち寄ったが、たしかに盛況だったな」
もう一つの新商品である串焼きは、予想を超える人気を集めていた。闘技場で温かいものが食べられる時点で珍しいし、ヴィンフリーデが調合した串焼き用スパイスの香りは、売り場フロアに来た客の心を鷲掴みにしたようで、長蛇の列ができていたのだ。
「後はリピーターになるかどうか、そして集客に繋がるかどうか、だな」
「どうかしらね……でも、滑り出しとしてはいいんじゃない?」
「ああ、そうだな。……今年こそ」
「え?」
つい漏れ出た言葉に、ヴィンフリーデが首を傾げた。
「いや、なんでもない」
俺は軽い笑顔でごまかす。――今年こそ、闘技場ランキング一位を勝ち取る。去年は準備期間として割り切っていたが、経営は順調だし、仕込みも大半が成功している。一位は決して夢物語ではないはずだ。そんな手応えを感じながら、俺は残った棒菓子を頬張った。
◆◆◆
『一年の時を経て! ついに! あの男が帰ってきたぁぁぁっ!』
闘技場を揺るがす大歓声と、それを割って響く賑々しい実況。一年前のあの日、もう二度と試合をすることはないと別れを告げた試合の間に、俺は再び立っていた。
「『極光の騎士』、待ってたぜぇぇぇ!」
「帰ってきてくれたんだな!」
歓声は大きな音のうねりとなって試合の間を包んでいるが、それでもいくつかの言葉を聞き取ることはできた。その声が肯定的なものであることに、こっそり胸を撫でおろす。
『誰もが待ち望んでいた最強の剣闘士は、どんな戦いを見せてくれるのかぁぁっ!? ――帰還した英雄! 『極光の……騎士』ぉぉぉぉっっ!』
その声に応えて右腕を振り上げると、更なる歓声がリングを揺らした。
『――この光景も久しぶりですが……不思議と悪くないものですね』
『それは嬉しいな』
どんな心境の変化があったのか、クリフの思わぬ反応に頬が緩む。たまには古代鎧を真面目に磨くことにしようか。……と、そんなことを考えている間に対戦相手の姿が現れた。
『対するは! 剣闘士ランキング第三位にして、魔術と双剣を極めた異色の英傑! 『双剣』クラース・シンクレアぁぁぁっ!』
その声に合わせて、『双剣』がゆっくり試合の間の中央へ歩いてくる。腰の左右に吊られた双剣の柄に手をやると、彼は闘志に満ちた視線を向けてきた。
「『極光の騎士』……待っていたぞ」
「……待たせたな」
普段なら「そうか」と答えているところだが、口が勝手に動く。それは『双剣』だけではなく、剣闘士や観客に対しての言葉でもあった。
「お前が引退したと聞いた時は唖然としたし、憤りもした。だが……もう勝ち逃げはさせない」
その決意を証明するように、彼は双剣を抜き放った。やや小ぶりに作られた二つの剣身が、陽光を受けてキラリと輝く。
「負けるつもりもなければ、逃げるつもりもない」
『双剣』の抜剣に応えて、俺も長剣を抜き放つ。試合直前の高揚が全身を包み、意識が鮮明になっていく。
『それではぁぁぁっ! 魔法戦士の頂点を決する世紀の一戦! 『極光の騎士』対『双剣』……始めぇぇぇぇっ!』
その言葉と同時に、『双剣』が身を低くして突っ込んでくる。途中で飛躍的に速度が上がったのは、筋力強化を自分にかけたからだろう。
即座に剣の間合いに入った『双剣』は、右手の剣を閃かせた。その剣撃を長剣で弾くと、続けざまに逆側から別の刃が襲ってくる。その剣撃をさらに受け流した時には、また右手の剣が振るわれていた。
「――っ」
『双剣』の左手側に回り込むように位置取りを変えて、右手剣の範囲から逃れる。だが、それを予期していた『双剣』は、すかさず左手の剣を突き出した。
『双剣』の刺突に自分の剣を割り込ませ、相手の剣を逸らしざまにカウンターで剣を振るう。『双剣』は軽く飛び退いて反撃を避けたかと思うと、すぐに距離を詰めて両手の剣での猛攻を再開した。
『おおっとぉぉぉっ! 『双剣』の猛攻が『極光の騎士』を襲っているぅぅぅっ! 神速の剣撃の応酬だぁぁぁっ!』
お互いに相手の隙を突こうと目まぐるしく動き、そのまま数十合を打ち合う。こちらが剣一本であるのに対して、相手は二本だ。手数の多さでは『双剣』に軍配が上がる。
嫌な軌道を描いて襲ってきた剣を、引き戻した長剣で弾き返す。相手は二本の剣を操っているが、剣の速度は俺のほうが速い。剣を片手で持つよりは、両手で持つほうが振速は上だからだ。
さらに言えば、剣撃の重みも両手持ちである俺のほうが上ということになる。ただ――。
「ちっ!」
俺は身を捻って襲い来る刃をかわした。『双剣』は魔法戦士だ。俺がダグラスさんのように盾を使わないのは、師である親父が剣を両手持ちで使っていたことと、そもそも剣を片手で扱えるだけの筋力がなかったからだが、彼には筋力強化がある。
彼の剣撃には、片手で扱っているとは思えない威力があり、その事実は『双剣』を上位ランカーたらしめている一因となっていた。
左右上下、様々な角度から襲い来る双剣を弾き、かわし、受け止める。息をもつかせぬ連撃を捌きながら、俺は『双剣』の動きを分析していた。そして――。
「――っ!」
ギン、と硬質な音が響く。絶妙なタイミングで振るわれた『双剣』の左剣を、俺が鎧の籠手で受け流したのだ。下手をすれば腕を斬り飛ばされかねないが、見極めは可能だ。
なぜなら、双剣には剣の主従があるからだ。片方ずつ振るっている時はともかく、ほぼ同時に剣を振るった時には、どちらかに力の偏りが出るのだ。剣は全身を使って扱うものであって、腕だけで振るものではない。
そして、身体のバネや重心は分割できるものではないため、必然的にどちらかの剣に力が入り、もう片方はさほど力が乗らない。主の剣と従の剣の見極めができれば、籠手の頑丈な箇所で弾くことは可能だった。
「『極光の騎士』が籠手で『双剣』の剣撃を受け止めたぁぁぁっ! これは『双剣』が防御を抜いたのかぁぁっ!?」
そんな実況の声とは逆に、『双剣』の表情は険しいものへ変わる。自分の剣を見極められたことを悟ったのだろう。それでも攻勢に出た『双剣』だったが、彼が踏み込んだ瞬間を狙って、俺は蹴撃を繰り出した。
「くっ――!?」
二本の剣を操ることに意識が向いていたためか、『双剣』は俺の蹴りを避けきることができなかった。
そして、バランスを崩した『双剣』に大振りの一撃を叩きつける。なんとか剣で受け止めたものの、俺の剣の勢いを殺すことができず、彼は五メテルほど吹き飛んで試合の間を転がっていく。
『なんとぉぉっ! 今度は『極光の騎士』が『双剣』を吹き飛ばしたぁぁぁっ! 目まぐるしい攻防だぁぁぁっ!』
追い討ちをかけることはせず、『双剣』が立ち上がるのを待つ。ダメージは大したことがなかったようで、彼はふらつく様子もなく立ち上がった。
「――さすがだな。それでこそ『極光の騎士』だ。だが……俺も足踏みをしていたつもりはない」
試合の間の床で擦れたのだろう。『双剣』の頬からは血が流れていたが、その目は闘志に満ちている。
『極光の騎士』の復帰戦の決着がつくまでには、まだ時間がかかりそうだった。