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再起Ⅲ

 第二十八闘技場うちの食料品関係において、主要な取引先の一つであるマルガ商会。その長であるセイナーグさんは、手渡したリストを見て思案顔を浮かべていた。


「なるほど、新メニューですか……少し珍しい香草も混ざっていますな」


 顎に手を当てたまま、セイナーグさんはリストを見つめる。


「仕入れはできそうですか?」


「大丈夫でしょう。この辺りでは珍しいですが、帝国の端のほうではそれなりに扱っていますから」


「そうですか、助かります」


 俺はほっと息を吐く。香草だけ別の商人に頼むと高くつくからな。マルガ商会が扱っていて本当によかった。


「それでは、今度はこちらの番ですな。ミレウス支配人、今回の納品分です」


 胸を撫で下ろしていると、セイナーグさんが納品リストを渡してくれる。リストを受け取った俺は、目を通した後で首を傾げた。


「いつもより安くありませんか?」


 少しではあるが、想定よりも請求額が少なかったのだ。安く仕入れられるに越したことはないが、数を誤っていただとか、何かしらの理由で買い叩いたということであれば、後でこっちが困る可能性だってある。


「今回は少し供給過多でしてな。一つ一つは大きな変動額ではありませんが、第二十八闘技場と共通する品目も多かったものですから、違和感を覚える程度には安くなったのでしょう」


「そうですか……」


 気にはなるが、高騰して支払額が上がるわけでもない。俺は疑問を頭から追い出すと、別の話をセイナーグさんに振った。


「――なんと、『極光の騎士(ノーザンライト)』殿が復帰されるのですか……! それは喜ばしいことですな」


 セイナーグさんは心から嬉しそうな笑顔を見せた。巨人騒動の折に三十七街区を救われたこともあって、彼は『極光の騎士(ノーザンライト)』に好意的だ。


「引退宣言を聞いた時には、もう二度と姿を見られないものと思っていましたが……そうですか、それは朗報ですな」


「引退を宣言してから、まだ一年ですからね。早々の復帰ということで、『極光の騎士(ノーザンライト)』も照れくさそうでした」


 伝聞調で本音を語る。引退する際には、あれだけ偉そうなことを言った上に、万雷の拍手で送り出されたのだ。それが早々に復帰となれば、どんな顔をしていいか分からない。……フルフェイスの兜で本当によかった。


「『極光の騎士(ノーザンライト)』の復帰を喜ぶ者はいても、非難や嘲笑を浴びせる輩はおりますまい」


 セイナーグさんはそう断言すると、思い出したように言葉を続けた。


「となれば、シンシア司祭も喜ぶことでしょう。最近は多忙を極めておられるようですが……」


「やっぱりそうなんですか?」


 つい聞き返す。シンシアが救護神官として第二十八闘技場うちへ来る頻度は変わっていないが、闘技場への入りがキリギリだったり、終わった後にマーキス神官が迎えに来て、急かしている場面をちょくちょく見かけるからだ。


「今日も、本来であれば一緒にお伺いする予定だったのですが……急用が入ったので同行できないと連絡がありましてな」


 そう事情を明かしたセイナーグさんは、窓の外に視線を向けた。


「従軍から戻ってきた後は、驚くほど精力的に活動しているようですな。帝都の様々な場所でシンシア司祭の姿が確認されています」


「そうでしたか……」


 どうやら、シンシアは思っていた以上に忙しいようだ。こう言ってはなんだが、シンシアらしからぬイメージだな。


「ここ数ヵ月のシンシア司祭は、時折、人が変わったように見えることもありますが……従軍中に何があったのか」


 セイナーグさんは気遣わしげに息を吐いた。人が変わったとは、シンシアが前世であるフィリスを真似ている時のことだろう。まるで聖女そのもののような、穏やかながらも芯のある佇まいは、普段のシンシアを知る人間には信じられなくても無理はない。


「ただ、帝都の人々には人気があるようですね」


 そのおかげと言うべきか、ここ最近、シンシアの人気は急上昇していた。この前も、闘技場を出たところでファンらしき人々に囲まれていたとの報告を受けたし、彼女の声を聞きたいという信徒がマーキス神殿に詰めかけているらしい。


「そうですな。シンシア司祭は命の恩人ということで、三十七街区ではもともと人気が高かったのですが……最近はそれが全域に広がっているようです。それが負担になっていなければよいのですが」


 セイナーグさんは、子を思う親のような眼差しで宙を見つめる。家族と離れて暮らしているシンシアだが、彼のような存在が帝都にいることはありがたいのかもしれない。


 やがて商談を終えた俺は、雑談をしながら闘技場の入口までセイナーグさんを見送っていた。彼の広い見識は何かと参考になるからだ。


「そう言えば、最近は皇城が賑やかなようですな」


「何かあったのですか?」


「最近、他国の使者がよく帝都に派遣されているようなのです。市場に影響が出るようなことはまだありませんが、商機に聡い者たちは動きに注目しています」


「他国の使者……」


 最近の帝国政府の大きな動きと言えば、なんと言ってもフォルヘイム遠征が挙げられる。秘密裏に進められていた征伐だが、玉座にいた王族の首級を上げたということで、成果が大々的に発表されていた。


 正当なエルフ王族である、ルナフレアの無事を知っている俺は首を傾げたものだが、どうやら討ち取られたのは第二派閥の長であるオレイルのことらしい。だが、彼が王家の傍流だったのか、また玉座に座っていたというのは本当だったのかと、訝しい点も多い。


 ただ、帝国が大きく喧伝しているのは事実だし、四年前の襲撃で行き場のない怒りを持っていた帝都民は、この発表を喝采とともに受け入れた。あの襲撃事件の黒幕を知らなかった彼らにとっては、驚きの連続だったことだろう。


「他国が関わりそうな案件など、それこそフォルヘイム遠征くらいしか思い浮かびませんな」


「私もです」


 セイナーグさんも俺と同じ意見のようだった。とは言え、他国に悪いイメージがあるわけではない。他国からの訪問者は、帝都の名物とも言える剣闘試合を観戦したがる傾向にあるしな。


「――ピィ!」


 と、そんなことを考えていた時だった。耳に馴染んだ鳴き声が聞こえてくる。音の主へ視線をやると、そこには少し前まで話題にしていたシンシアが立っていた。俺たちが気付いたと察したのか、胸元に抱かれたノアが羽をぱたぱたと元気に動かしている。


「すみません、間に合いませんでした……」


 元気なノアとは対照的に、シンシアは少し落ち込んだ様子だった。急用が入った旨はセイナーグさんから聞いているが、真面目なシンシアのことだ。少しでも顔を出そうとしてくれていたのだろう。


「なんの、事前に連絡は頂いていましたからな。急用は片付いたのですか?」


「はい、もう大丈夫です」


 セイナーグさんとそんなやり取りを交わした後で、彼女は俺のほうを振り向いた。


「ミレウスさんも、すみませんでした」


「気にすることはないさ。最近のシンシアの忙しさは聞いてるからな。それより、ちゃんと休めているか? ファンの対応も大変みたいだし」


「はい、私は慣れていますから……ただ、神殿の皆さんが気を揉んでくださっているのが、なんだか申し訳なくて……」


「あー……」


 俺は納得する。彼女の『慣れている』は、三千年前に古代文明を打倒した立役者の一人、『天神の巫女』フィリスの経験からくるものだろう。当時虐げられていた人間たちを鼓舞し、十万人を超える義勇軍を作り上げたのだから、その人気は並大抵ではなかったはずだ。


「とは言え、シンシアも疲れないわけじゃないだろう。たとえ自分に好意的だったとしても、気を使うことに違いはない」


 過去の記憶がなんであれ、シンシアの本質は変わっていないはずだ。ただ取り繕うのが上手くなっただけで、負担を感じなくなるわけではない。


「それは……はい」


 彼女は控えめに頷いた。やはりそれなりに疲れているようだ。そんな判断から、俺はちょっとした提案を持ち掛けた。


「もし負担になっているなら、しばらく第二十八闘技場うちでの勤めを減らしてもらおうか? シンシアが望むなら、ガロウド神殿長に掛け合ってみる」


 四日に一度の周期で第二十八闘技場うちの救護担当を務めてくれているシンシアだが、その拘束時間は一回あたり半日近い。多忙な彼女にはかなりの負担だろう。


 それに、マーキス神殿はあまり闘技場に理解がない。多忙な上に人気が高まっているとなれば、シンシアは闘技場の救護神官を辞するべきだという声が内部で上がっていてもおかしくない。


「え――?」


 そんな意図で行った提案だったが、シンシアは目を丸くして驚いていた。それどころか、少し顔が青ざめている気さえする。彼女は胸に抱いたノアをギュッと抱きしめたまま、微動だにしなかった。


 そして。明らかに動揺しているシンシアは、暫しの沈黙の後、大きく深呼吸をして口を開く。


「――私は、これまでと同じように第二十八闘技場ここでお勤めを果たしたいと思っています。ミレウスさんがお嫌でない限り」


 シンシアは()()()()()()で答えた。俺が『聖女モード』と勝手に名付けている状態だ。もちろん前世の意識に乗っ取られているわけではなく、シンシアが自分の意思で使い分けている仮面のようなものだが……。


「悪かった。シンシアの負担を減らすことができればと思ったんだが……」


 帝都で大きな人気を誇るシンシアの聖女モードだが、もちろん四六時中発動しているわけではない。もともと彼女と親しかった俺やヴィンフリーデ、セイナーグさんといった面子と話す時には、いつもの彼女のままだ。


 だが、例外がある。それは極度に困るような話題を振られた時だ。そういう場合は、相手が親しい相手だったとしても聖女モードが発動するのだ。


 つまり、それほどに追い詰められる話題だったのだろう。俺の言葉を受けて、シンシアは綺麗な笑みを浮かべた。


「私にとっても、第二十八闘技場ここは大切な場所です。ミレウスさんとお話しできなくなるのは寂しいですから」


 きっぱりと言い切られる。もともと、俺も乗り気ではなかった話だ。彼女がいいと言うなら、もちろん俺に是非はない。


「もちろん、無理に減らしたいわけじゃないさ。シンシアが今まで通り来てくれるなら、そのほうが嬉しい」


「は、はい! ありがとうございます……!」


 表情が切り替わり、シンシアは明るい笑顔を見せた。同時に聖女モードは解除されたようだが、俺としてはこっちのほうが落ち着くな。


 そんなことを考えていた俺は、ふと周囲に視線を向けた。いつの間にか、俺たちに視線が集まっていたのだ。そこに敵意は感じられないものの、上手く気配を隠しているだけかもしれない。


「あの、ミレウスさん……?」


 シンシアは戸惑った声を上げながらも、周囲を注意深く見回した。有事の際によく行動を共にすることもあって、俺の警戒心に気付いたのだろう。そんな中を一人の少女が近付いてくる。


「――あの! 『天神の巫女』様ですよね?」


「え? は、はい」


 だが、その警戒心は無用のものだった。その眩しいものを見るような表情からすると、先に聞いた『天神の巫女』のファンなのだろう。シンシアが問いかけを肯定すると、少女だけではなく、少し遠巻きに見ていた人々までもが押し寄せてきた。


「やっぱり! そうだと思ったんです!」


「おお、やはり巫女様でしたか! 先日は本当に助かりました」


 あっという間に人の輪ができあがり、シンシアはその中心に閉じ込められていた。輪の外に弾き出された俺とセイナーグさんは、顔を見合わせて苦笑を浮かべる。


「なるほど……こうなるわけですね」


「ええ。それもあって、最近はフードを被って移動することも多いようですな」


「大変ですね……」


極光の騎士(ノーザンライト)』の姿であれば、俺も人々に取り囲まれることがあるが、今のシンシアのように至近距離ではない。剣闘士と神官という職業の違いが出ているのだろうか。


「――マーキス神は、天空から私たちを見守ってくださっています。神を敬い、それに恥じない行いを心掛けているのであれば、何も脅える必要はありません」


 シンシアは穏やかな笑顔で人々に応じていた。彼女の口から、あれだけスラスラと言葉が出てくることには未だ慣れないが……彼らにとっては、あれこそが求める『天神の巫女』なのだろう。


「本当に大変だな……」


 そう呟くと、俺はシンシアの説法を遠巻きに眺めていた。




 ◆◆◆




「なるほどね……『極光の騎士(ノーザンライト)』の復帰第一戦は『双剣クロスエッジ』か。魔法戦士の頂上決戦というわけだ」


 支配人室のソファーに腰かけたユーゼフは、楽しそうな表情を浮かべた。


「最近の『双剣クロスエッジ』は気合が入っていると聞くからね。いくらミレウスでも足下を掬われるかもしれないよ?」


「ユーゼフに負けたことで気合が入ったんだろうな。闘気抜きで戦われたことが、だいぶ悔しかったみたいだ」


「闘気のお披露目は『大破壊ザ・デストロイ』戦と決めていたからね。それに、闘気のおかげで勝てた、と言われると癪だから」


「たしかにな……」


 その気持ちは分かる。『双剣クロスエッジ』自身がそう思わなかったとしても、周囲がそう評する可能性は充分あるだろう。


「あと……実を言えば、『双剣クロスエッジ』と試合をした時には、まだ闘気が安定していなかったからね」


「そうなのか?」


 驚いて訊き返すと、ユーゼフは穏やかに頷いた。


「闘気の源泉は、自分の強さへの絶対的な自信と、さらなる高みを求める心だからね」


「ああ、そうだったな」


 俺がそう答えると、ユーゼフはおかしそうに笑った。


「まさか、ミレウスと闘気の話をする日が来るなんてね。いつかは、親父の代わりに僕が伝えなきゃとは思っていたけど……」


「人生、何が起こるか分からないもんだな……」


 闘気については、フォルヘイムで実父セインに教わったため、俺も概要は分かっていた。そして、時期尚早だと親父が俺に伝えなかったことにも納得がいった。当時の俺が教わっていたとしても、気ばかり焦って空回りしていたことだろう。


「本当だよ。実の父親と再会して、そっち経由で闘気を教わるなんてね」


「とは言っても、概要が分かっただけだぞ。闘気の発現なんて夢のまた夢だ」


 セインに教わって試してみたものの、俺に闘気が発現することはなかった。いくら帝都の英雄、最強の剣闘士などと呼ばれたところで、古代鎧エンシェントメイルという借り物の力がなければ戦えない身だ。

 そんな俺が「自分の強さへの絶対的な自信」を持つこと自体が無理な話なのだろう。


「親父と肩を並べて戦った剣士か……」


 その一方で、ユーゼフはセインの剣の技量に思いを馳せているようだった。親父のパーティー仲間で、ともに古竜エンシェントドラゴンを討伐した闘気使いの剣士と聞けば、戦いたくて仕方ないのだろう。


「僕も帝国騎士団の誘いに乗って、フォルヘイムへ行けばよかったかな」


「看板剣闘士が軒並みいなくなるな……」


 後で聞いた話だが、実はユーゼフにもフォルヘイム征伐の話が来ていたらしい。皇帝がかつての約束を覚えていたのか、それとも目ぼしい戦力に声をかけていたのかは分からないが、すでに俺が帝都を発った後だったことから、悩んだ末に断ったという。


「まあ、セインはそのうち帝都に来るはずだ。その時に戦えばいいさ」


「ああ、そうだったね。楽しみにしているよ」


 そんなやり取りの後、俺は話を元に戻した。


「話が逸れていたが……つまり、『双剣クロスエッジ』を倒したことで、強さへの自信が強固になったということか」


「それだけじゃないけど……まあ、そういうことさ。だから、どのみち『双剣クロスエッジ』に闘気を使うことはあり得なかったんだ」


「なるほどなぁ……」


 そう納得していると、ユーゼフはふと真面目な表情を見せた。


「雪辱に燃える『双剣クロスエッジ』が、これまでと同じ戦い方しかしないとは思えない。ただでさえ、彼は双剣使いで魔法戦士というトリッキーなスタイルだ。油断はできないよ?」


 ユーゼフが言う通りだ。『双剣クロスエッジ』は剣闘士としてデビューすると、瞬く間に上位ランカーまで上り詰めた傑物だ。その昇格スピードはユーゼフに匹敵する。

 そんな剣闘士が本気になっているのだ。これまでと同じ『双剣クロスエッジ』だとは思わないほうがいいだろう。だが――。


「……楽しみだな」


 だからこそ、心の底から湧き立つものがある。


「うん、楽しみにしているよ。『極光の騎士(ノーザンライト)』」


 そして、俺たちは拳を打ち合わせた。



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― 新着の感想 ―
[一言] シンシア登場、しかし何やら前作主人公の終盤を思い起こさせる状態のようで。さてどうなっていきますか… ユーゼフとセインの対決は確かにみたいところですが、セインの登場はアレですね、ミレウスかシル…
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