再起Ⅰ
【支配人 ミレウス・ノア】
フォルヘイムから帰国して、数カ月が経ったある日。支配人室の机に並べられた二枚の書類を見て、俺は長らく沈黙していた。
そのうち一枚の書類には、こう書かれている。
【闘技場ランキング】
一位【玉 廷】 ディスタ闘技場
二位【黄金廷】 バルノーチス闘技場
三位【白銀廷】 ルエイン帝国第二十八闘技場
四位【赤銅廷】 ルエイン帝国第十九闘技場
五位【黒石廷】 マイヤード闘技場
六位【黒石廷】 ルエイン帝国第三十闘技場
七位【黒石廷】 ルエイン帝国第六十二闘技場
八位【白砂廷】 ルエイン帝国第九闘技場
九位【白砂廷】 ルエイン帝国第四十七闘技場
十位【白砂廷】 ウェルヌス闘技場
――三位。それが、第二十八闘技場の今の順位だった。前回二位だったことを考えると、これまでずっと上り調子だった順位が初めて落ちたことになる。なお、前回はペナルティで大きく順位を落としていたディスタ闘技場は、再び闘技場の頂点に返り咲いていた。
「……順位、落としちゃったわね。ごめんなさい」
と、無言で順位表を見ていた俺をどう思ったのか、ヴィンフリーデが声をかけてきた。俺がフォルヘイムへ行っていた間、彼女は支配人秘書として第二十八闘技場の運営をしてくれていたから、特に気にしているのだろう。
「ヴィーのせいじゃないさ。最大の理由は、剣闘士ランキング一位だった『極光の騎士』がいなくなったことだからな。それに、集客効果の高い『紅の歌姫』が休場していたことも響いているはずだ」
俺はきっぱりと否定する。そもそも、この事態を招いたのは俺だ。準備期間と割り切って、レティシャと共に第二十八闘技場を空けたのだから、彼女が気に病む必要はない。
「けど、魔法試合に反対する闘技場への対応で、遅れを取ったことは事実だわ。お客さんを呼び込める催しだって、あまり上手く行かなかったし……ミレウスなら、もっと上手くできたはずよ」
「それは買い被りだ。そもそも、今回は四位以下に転落することも覚悟していたからな。本当に、ヴィーとダグラスさんには感謝しかないよ。……それに、悪い報せばかりじゃない」
俺は話題を変えるためにもう一枚の紙を手に取った。それは、三か月に一度発表される剣闘士ランキングの表だ。ヴィンフリーデの自責の思いを逸らす意味でも、有効な内容だろう。
「なんと言っても、ユーゼフが剣闘士ランキング二位に上がったんだからな」
それは、俺が帝都へ帰還して最も驚いたことだった。幼馴染にして、第二十八闘技場の看板剣闘士でもある『金閃』ユーゼフ・ロマイヤー。たしかに実力的には二位でもおかしくないと思っていたが、こうもあっさりランクが上がるのは予想外だった。そして、その最大の理由というのが――。
「あの『大破壊』を相手に、ほぼ互角の戦いをしたなんてな」
「けど、負けは負けだもの。本人はとっても悔しがっていたわよ」
「まあ、ユーゼフだからなぁ」
結局、二人の試合は僅差で『大破壊』が勝利したらしい。だが、『大破壊』をそこまで追い込んだ剣闘士は、それこそ『極光の騎士』くらいのものだ。
当時のランク二位『双剣』と三位の『魔鏡』を連続で破り、さらに『大破壊』に比肩する実力を見せつけた。さすがにここまで来れば、ユーゼフを三位以下に置いておくわけにはいかなかったのだろう。
そんなことを考えながら、手元のランキング表に視線を落とす。
【帝都剣闘士ランキング】
一位 『大破壊』……ディスタ闘技場
二位 『金閃』……ルエイン帝国第二十八闘技場
三位 『双剣』……バルノーチス闘技場
四位 『魔鏡』……バルノーチス闘技場
五位 『剣嵐』……ディスタ闘技場
六位 『千変万化』……ルエイン帝国第二十八闘技場
七位 『緋炎舞踏』……バルノーチス闘技場
八位 『剛腕剛脚』……ディスタ闘技場
九位 『瞬雷』……ルエイン帝国第十九闘技場
十位 『不落城』……マイヤード闘技場
最大の変動はユーゼフのランキング上昇だが、他にも『剣嵐』が第二十八闘技場の『千変万化』を抜いたことや、初めて第十九闘技場の剣闘士がランクインしたことなど、今回のランキングは変動が多かった。
『千変万化』が『剣嵐』に抜かれたことは意外だが、俺の見立てではあの二人は実力伯仲だ。また『千変万化』が抜き返すことはできるだろう。今は『剣嵐』がそこまで腕を上げたことを賞賛するべきかもしれない。
「第二十八闘技場が二人、ディスタ闘技場が三人、それにバルノーチス闘技場が三人。三つの闘技場で、上位ランカーのほとんどを占めたわね」
机の向こう側から、ヴィンフリーデがひょいっとランキング表を覗き込んでくる。そして、彼女はわざとらしい笑みを浮かべた。
「次のシーズンは第二十八闘技場の上位ランカーが増えるし、剣闘士の評価で言えば有利になりそうね。……ねえ、『極光の騎士』?」
「ああ、そうだな」
俺はあっさり頷く。この手のからかい方はレティシャで慣れているからな。だが、ヴィンフリーデは不満のようだった。
「もう、かわいくないわね。もう少し動揺したり拗ねたりしなさいよ」
「そんなに拗ねた俺が見たいのか? たぶん面倒くさいぞ」
「……間違いないわね」
ヴィンフリーデは小さく笑うと、再びランキング表に視線を落とした。
「上位の闘技場で上位ランカーの数が同じなら、やっぱりものを言うのは順位ね。もし『極光の騎士』が……一位になって、他の剣闘士がそのまま繰り下がるなら――」
「一位と三位、それに七位が第二十八闘技場の所属になるな」
俺はヴィンフリーデの言葉を引き継いだ。一位のくだりで言葉に詰まったのは、今の恋人なら『極光の騎士』には負けないという思いだろうか。まあ、そこは戦ってみるまで分からない。
「『極光の騎士』は、次シーズンからの復帰でいいのよね?」
「ああ。次の闘技場ランキングの集計期間を考えると、それがベストだ」
「復帰後の第一戦は、誰が相手になるかしらね。ユーゼフも戦いたがっているけれど……」
「上位ランカーとの組み合わせにするつもりだが、引退試合で戦ったばかりからなぁ……」
闘気を習得したユーゼフと試合をしてみたいのは事実だが、支配人としては厳しいものがある。ヴィンフリーデも分かっているようで、それ以上は何も言わなかった。
「……あら?」
ふと、ヴィンフリーデは窓際に寄ると、身を乗り出した。
「ヴィー、どうかしたか?」
「なんだか歓声が聞こえたような気がして……でも、今日は試合のない日だったわよね」
「そのはずだが……外じゃなくて廊下のほうじゃないか?」
そんな話をしていると、トントントンッ、と早いリズムで支配人室の扉が叩かれた。この軽快なリズムで扉を叩く人物は一人しかいない。
「お兄ちゃん! あのね――」
俺の顔を見るなり、賑やかな声で話し始めたのは妹のシルヴィだ。親元を離れ、帝都へ来た頃は寂しそうな素振りを見せることも多かった彼女だが、持ち前の明るさのおかげか、最近ではすっかりこちらの暮らしに馴染んでいるように思えた。
「どうしたんだ?」
言いながら、妹の耳にちらりと視線を送る。ハーフエルフと見紛う長さを誇る彼女の耳だが、俺の目には普通の人間の耳にしか見えない。あのイヤリングと交換で、ヴェイナードからもらったという幻術のイヤリングのおかげだ。
交換対象として、ヴェイナードから様々な装飾品等を提示された彼女は、迷わずそれを選んだらしい。短い期間だが、耳を隠しながら帝都で暮らしていた記憶がそうさせたのかもしれない。それを思うと申し訳ない気もするが、今、それに助けられているのは事実だった。
なお、エルフ族の入国に警戒している帝国政府には、あえて彼女がクォーターエルフであることを説明している。万が一バレた時のリスクを懸念した結果だ。
黙っていればバレなかったのに、敢えてエルフ族である旨を申し出たこと。彼女は『極光の騎士』に助けられたが、身寄りがないため預けられたこと。俺以外に、『紅の歌姫』と『天神の巫女』も身元引受人として立ってくれたこと等の理由により、意外とあっさり認可が下りたのだった。
「――もう、シルヴィちゃんったら足が速いわねぇ」
と、そこへ野太い男の声が聞こえてくる。そちらに目をやれば、第二十八闘技場に所属する上位ランカー『千変万化』が頬に手を当てて感心していた。
移籍してきたばかりの頃は、その屈強な肉体と仕草や喋り方の乖離に困惑していた第二十八闘技場のスタッフも多かったが、今となってはすっかり受け入れられている。
「……なるほど。賑やかな声の主はこの二人だったのか」
「うふふ、そうみたいね。……シルヴィちゃん、どうしたの?」
ヴィンフリーデは笑顔で頷くと、シルヴィに目線を合わせるべくかがみ込んだ。
「あのね、『千変万化』さんが、契約しないかって!」
「契約?」
オウム返しに尋ねるヴィンフリーデを横目に、俺はシルヴィを背中に庇うようにして『千変万化』の前に立った。
「契約とはどういう意味だ?」
そう告げると、『千変万化』はニヤニヤと笑みを浮かべながら言葉を返してくる。
「もう、『お兄ちゃん』は過保護ねえ。アタシはシルヴィちゃんの魔道具の技術を見込んで、対等な関係でシルヴィちゃんを雇いたいの」
「なんだ、そういうことか」
その言葉は納得できるものだった。『千変万化』は試合で使うもの以外にも数多くの魔道具を所有しており、壊れていたり、起動しないものも多いという。
闘技場の魔工技術スタッフとして正式に働きはじめたシルヴィだが、彼女の技術力の高さは第二十八闘技場中に知れ渡るようになり、ついには『千変万化』の耳にも入ったようだった。
「もちろん、専属にして囲い込むワケじゃないわ。たまにウチへ来て、魔道具の修理や整備をしてもらえれば充分よ」
「だって!」
『千変万化』が言葉を結ぶなり、シルヴィは元気に口を開いた。その瞳は輝いており、魔道具に触れられることを楽しみにしているようだった。
まあ、『千変万化』の人格には信頼を置いているし、シルヴィがどれほど魔工技術に情熱を持っているかも知っている。特に問題はないだろうが……ちゃんと『千変万化』に送迎をしてもらわないと、暴漢に襲われたら大変だな。
「お兄ちゃん、ダメなの……?」
そう考え込んでいるのを否定と捉えたのか、シルヴィはしゅんとした様子でこっちを見上げる。俺は慌てて首を横に振った。
「いや、構わないぞ。というか、シルヴィの技術を見込んでの依頼だろ? 俺の了解を得なくてもいいさ」
「でも、お兄ちゃんに相談したかったんだもん!」
「そ、そうか……」
表情を輝かせてそう言われては、それ以上何も言えない。そんな俺たちのやり取りを見て、『千変万化』が面白そうに笑う。
「ミレウスちゃんったら、本当に『お兄ちゃん』してるのねぇ。突然シルヴィちゃんを連れて帰ってきた時には驚いたけれど、安心したわ」
そんな言葉に肩をすくめる。『千変万化』の言葉は、周囲の人間の共通認識でもあった。対外的には親戚の子だということにしているため、シルヴィが俺を「お兄ちゃん」と呼んでいても不思議には思われていない。
ヴィンフリーデを「お姉ちゃん」と呼んでいることもあって、まさか俺だけ実の兄妹だとは誰も気付いていないだろう。
「だって、お兄ちゃんだもん!」
えへへ、と嬉しそうに笑うシルヴィの頭を撫でようとして……慌てて引っ込める。ここは闘技場だ。公私混同は避けなければならない。たとえ、シルヴィが残念そうな顔をしていようとも、だ。
俺はコホン、と軽く咳ばらいをして空気を切り替える。
「ともかく、契約については問題ない。シルヴィの気持ち次第だ」
「やったー! お兄ちゃん、ありがとう!」
俺の服の袖を掴んだまま、シルヴィは嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねる。古代鎧、闘技場の地下ギミックに続いて、新たに魔工技師として活躍できる案件を見つけたのだ。彼女が喜ぶ気持ちはよく分かった。
「とりあえず、いくつかの条件は詰めておいたほうがいいか」
シルヴィにはああ言ったものの、彼女は経済的な部分ではまだ子供だ。もちろん、『千変万化』がシルヴィの技術を安く買い叩くとは思っていない。むしろ心配しているのは、シルヴィが格安、もしくは無償で魔道具等の修理や整備をして、魔工技術の市場を荒らしてしまうほうだ。
魔工技師は失われた職業だが、その手の仕事がないわけではない。それらの用務は特殊な職人や魔術師ギルドが手掛けていることが多いため、下手に荒らすと後を引くことは間違いなかった。
そんなことを言い含めようと、息を吸い込んだ時だった。再び支配人室の扉がノックされて、訪問者が姿を見せる。
「あ、ダグラスさん」
「ミレウス。いくつか伝えておきたいことが――む、来客だったか」
第二十八闘技場の副支配人にして、『金城鉄壁』の異名を持つ剣闘士でもあるダグラスさんは、『千変万化』の姿を見て身を翻した。
「あら、来客だなんて大層なものじゃないわ。遠慮しなくていいわよ、『金城鉄壁』。ちょうど話も終わったところだから」
そんなダグラスさんを呼び止めると、『千変万化』はシルヴィのほうに向き直った。
「じゃあ、シルヴィちゃん。詳しい話はまた今度詰めましょうね」
「うん! またね、『千変万化』さん!」
「シルヴィちゃん、そろそろベルディお姉ちゃんと呼んでくれても……ううん、無理強いはよくないわね」
なんだかよく分からない葛藤を抱えながら、『千変万化』はダグラスさんの脇をすり抜けて退室していく。それと入れ替えに、今度はダグラスさんが支配人室へ入って来た。
「ダグラスさん、何かあったんですか?」
「次の闘技場連絡会議の日取りが決まったと連絡があった。……ただ、場所が妙でな。バルノーチス闘技場でやるらしい」
「バルノーチスですか?」
思わず訊き返す。ランク上位の闘技場を集めて行う闘技場連絡会議は、慣例としてランク第一位【玉廷】の闘技場で行われる。
だが、前回は第一位につけていたバルノーチス闘技場は、ディスタ闘技場に抜き返されて第二位に順位を落としている。それがなぜ、会場を変更したのだろうか。
「そう言えば、ディスタ闘技場で崩落事故があったわね。その関係かしら」
「そうなのか?」
思わぬ情報に目を瞬かせる。
「言わなかった? ミレウスが留守にしている間に、ディスタ闘技場の試合の間が崩落したのよ」
「それはまた……」
「あの闘技場は、帝国が誕生した頃からあった建物だからな。突貫工事で仕上げた部分も多いと聞いたし、無理もないだろう」
そう補足したのは、かつて親父と一緒にディスタ闘技場に所属していたダグラスさんだ。そう聞くと、余計に安全性絡みの話かと勘繰ってしまうな。
「けど、ちょうどよかったです。近いうちにバルノーチス闘技場へ行く予定でしたから」
「ほう? ということは、『極光の騎士』の相手が決まったのか」
俺の言葉に、ダグラスさんがぴくりと片眉を動かした。
「そのつもりです」
「だが、『極光の騎士』は剣闘士ランキングから抹消されているだろう。看板剣闘士をまとめてユーゼフに倒されたばかりのバルノーチスが認めるか?」
「どうでしょうね……まあ、その時はディスタ闘技場に話を持っていくだけです。試合間隔の観点から、次はバルノーチスだと考えただけですから」
「『極光の騎士』が相手であれば、よほど無様な戦いをしない限り、負けて悪評が立つことはないからな。そう考えれば、断ることはないか」
ダグラスさんはひとまず納得したようだった。そんな彼に、俺は冗談交じりで問いかける。
「ダグラスさんも連絡会議に来ますか?」
「二度と行かぬ」
ダグラスさんは素晴らしい反応速度で拒否する。俺が不在だった期間に開かれた会議には、ダグラスさんが代理で参加したのだが……どうやらろくなことがなかったらしい。
第二十八闘技場に協力的な第十九闘技場の支配人に確認したところ、残念な支配人の幾人かが、俺の時と同じようにダグラスさんに嫌味を飛ばしていたのだという。
だが、どれだけ穏やかに見えても、ダグラスさんは生粋の剣闘士だ。支配人たちはそこを見誤ったのだろう。ダグラスさんが放った殺気に怯えて、彼らはその後一言も発しなかったらしい。
その話を聞いて、俺としては溜飲の下がる思いだったのだが、ダグラスさんにしてみれば、剣で叩き斬ることもできず、ストレスが溜まる一方だったようだ。
「イグナートも我慢できなかっただろうな。あいつなら円卓を叩き割っているところだ」
「その様子が目に浮かびます」
素手で机を粉々にする親父を思い浮かべて笑う。素手でも簡単に衝撃波を生み出す親父のことだ。机で済めば上々だろう。
「ともかく、次の連絡会議はバルノーチス闘技場だ。間違えないようにな」
「分かりました。……あ、そうだ。ダグラスさん、もし時間があれば、今後の運営について話があるのですが……」
「聞こう」
そして、詳しい打ち合わせが始まる。俺が不在にしていた期間にあった、色々な物事への対処。フォルヘイムやその道中で考えていた、新しい催しや既存の運営方法の改善。結果を出すためには、早めに動くしかない。
すっかり日が暮れるまで、俺たちは支配人室で意見を交わしていた。