聖樹ユグドラシルⅥ
焼け落ちて真っ黒になった家屋の跡地。大穴が空いて今にも崩れそうな倉庫。フォルヘイムの街には、戦いの爪痕が色濃く残っていた。そんな中で、俺はシルヴィたちの家を訪ねていた。
「ごめんなさいね、少し古いものだけど」
「いや、助かるよ。手ぶらでルエイン帝国まで帰るのは厳しいからな」
アリーシャが用意してくれた旅装を受け取る。先の戦いで大きな被害を受けたこの区画だが、それは俺たちが泊まっていたヴェイナードの館も例外ではなかった。
この区画では大きな屋敷だったためか、他の家屋よりも徹底的に破壊されていたのだが……そのせいで、同時に俺たちの旅装も失われたのだ。
彼女の言葉通り、毛布や旅行用のマントには少し年季が入っていたが、それは彼らがこの国へ来た時に使っていたものだからだ。実用性は充分だろう。
「この家が残っていて助かったな」
次いで、家から出てきたセインが自宅を振り返った。屋根の一部が焦げていたり、扉が破壊されていたりするものの、ちゃんと原型を留めている。居住が不可能なレベルで家を破壊された住民もいることを考えると、幸運だったと言える。
「よし、これで全部だな」
俺は受け取った旅装を荷台に積み込む。もちろんヴェイナード邸の馬車は失われていたのだが、セインがどこからともなく調達してくれたのだ。馬車を引く馬の確保には苦労したが、倒壊した馬小屋の下敷きになりながらも、かろうじて生きていた馬をシンシアが治療してくれたおかげでなんとかなった。
後は、帰るだけだ。そんな思いとともに、ちらりと王宮の方角を見る。それだけで察したのか、セインが口を開いた。
「ヴェイナードには私から伝えておく」
「ああ、頼む」
俺たちがユグドラシルを滅ぼして街へ帰ってきた後も、ヴェイナードがこの区画に姿を見せることはなかった。戦禍に見舞われた住民の保護や復興案を通す傍らで、権力争いが過熱化しており、王宮を離れられないのだという。
とは言え、俺たちのことも忘れてはいないようで、『今のうちにフォルヘイムを出国しておいたほうがいい』との伝言は受け取っていた。挨拶もせず発つことに申し訳なさはあるが、ヴェイナードにとってもそのほうがいいという判断だろう。
「レイオットさんを亡くしたばかりだというのに、彼も気の毒だな」
同じ方向を見ながら、セインが遠い目をする。ヴェイナードの父親であり、第三位の派閥長であるレイオットは、先の襲撃で死亡したらしい。さらに第二位、過激派の派閥長も戦死しており、最大派閥の長であるアルジャーノンの独裁を阻止するために奮闘しているのだろう。
「聞いた話では、ヴェイナードと王女が手を組んだらしい。アルジャーノンに対抗するためだろうが、思い切ったものだ」
「そうなのか?」
新しい情報に驚く。たしかに、同年代の数少ない知人だとは言っていたが……。純種の頂点であるルナフレアと、王家の傍流とは言えハーフエルフのヴェイナードが手を組むとは意外だったな。
そう伝えると、アリーシャがひょっこりと顔を覗かせた。
「案外、ヴェイナードさんも昔の記憶を持っているのかも。それなら仲良くなりそうよね」
「……え?」
突然の言葉に固まる。だが、アリーシャはなんでもないように言葉を続けた。
「ここ百年くらいの間に生まれたエルフって、生まれる前の記憶を持っているって主張する子がちょくちょくいるのよ。そういう子って、不思議とルナフレア様のお傍付きになることが多いから」
「生まれる前の記憶……?」
思わず呟く。それは、つまり――。
「古代魔法文明時代に生きていた夢を見るらしいわ。教え子にも、ハーフエルフだけど一人だけそんな子がいたもの」
それが真実かどうかは分からないけどね、とアリーシャは付け加える。その言葉を聞いた俺は、反射的にシンシアに視線を向けた。
「シンシア、どう思う?」
小声で尋ねると、彼女も小声で言葉を返してくる。
「たぶん、私と同じです……。ユグドラシルは、エルフの魂を保管していましたから……むしろ、人間なのに捕らわれた私がイレギュラーなんだと思います」
「そういうものか……」
実を言えば、どうにもピンと来ない。だがまあ、もはや滅びた存在である以上、追求のしようがないし、考えても仕方ない話だ。そんな意識から、俺は話題を変える。
「それにしても、ようやく帝国へ帰ることができるな」
当初は、フォルヘイムでの滞在時間を数日と見積もっていたからな。まさか数ヶ月かかるとは思いもしなかった。
「帝国から来ていた皆さんは大丈夫でしょうか……」
俺の言葉を受けて、シンシアが心配そうな表情を浮かべた。帝国騎士団とともに従軍していたマーキス神官は同僚のようだし、余計に気になるのだろう。
「意気揚々と凱旋、というわけじゃないからな……」
フォルヘイムの街へ攻め込んだ帝国軍だが、その一部は思わぬ形で返り討ちに遭っていた。最後の一体である古竜が現れたのだ。支配下にありながらも、あまり命令を聞かない個体だと聞いた記憶があるが、縄張りへ誘導でもされたのだろう。
秘密兵器であるユグドラシルを俺たちが滅ぼしたことで、一気に帝国軍が有利な状況になったかと思っていたのだが、そう簡単にはいかないようだった。
「王宮を攻め落としたのだから、敗走というわけではないでしょうけど……彼らの目的はなんだったのかしら」
レティシャが話に加わる。彼女が言う通り、帝国騎士団は王宮へ攻め上り、そこで王族らしき人物を仕留めている。とは言っても、唯一の直系王族であるルナフレアは避難していたのをこの目で見ている以上、討ち取られたのは別の人物、もしくは影武者だろう。
情報の裏は取れていないが、玉座で帝国騎士団に討ち取られたのは、第二位の派閥長であるオレイルではないかという噂が流れていた。
「さあ……結局、騎士団は玉座にいたエルフを討ち取って撤退したわけだからな。もともとそれが目的だったのか、諦めて撤退したのか……」
「もしくは他に目的があったか、ね」
レティシャの言葉に頷く。帝国の目的が三年前の復讐にあるのであれば、たしかに一定の成果を挙げたと言えるだろう。だが、それだけを理由にこんな大掛かりな軍事行動を起こすだろうか、という疑問はあった。だが……。
「まあ、なんでもいいさ。帝国の外交問題に興味はないからな。闘技場の運営に支障が出なければ充分だ」
「けど、『極光の騎士』が復帰したら、あの大隊長さんは訪ねてきそうね。また騎士団に勧誘されるんじゃないかしら」
「それは勘弁してほしいな……」
俺は肩をすくめる。国際情勢が気にならないわけではないが、俺の最優先事項は第二十八闘技場をランキング一位にすることだ。それ以外のことに深入りしている余裕はなかった。
「……帝国の話をしていたら、早く闘技場に帰りたくなったな」
すでに闘技場を空けて半年近く経っているからな。ずっと闘技場と共にある人生だったせいで、どうにも落ち着かない。と――。
「お兄ちゃん、ごめんね! 遅くなっちゃった」
シルヴィの賑やかな声が響いた。彼女はなぜか大きな背負い袋を引きずっており、その袋の中で何かが触れ合ってカチャカチャと音を立てている。今日は顔を見ないと思っていたら、これが理由だったのか。
「なんだか重そうだが……それは何なんだ?」
尋ねると、妹は嬉しそうに袋の口を開けて見せてくれた。
「えっとねー、工具と、魔工銃と――」
「ええと……餞別か? 悪いが、俺は工具の類はよく分からないからな。気持ちだけで充分だ」
魔工銃なんかには少し興味を惹かれるが、これはシルヴィの大切な護身武器だ。もらってしまうわけにはいかなかった。
「え? ……いくらお兄ちゃんでも、これはあげないよぅ。工具は魔工技師の命だもん」
「お、おう……」
それは正論なのだが、そもそも話が噛み合っていない。そう思っていると、シンシアがシルヴィに近付いた。
「ひょっとして……一緒に帝国へ来るつもり、ですか?」
「――は?」
思わず声が漏れる。たしかにそれなら辻褄が合うが……。戸惑った俺は、セインとアリーシャのほうを見る。二人は娘の無茶な提案に苦笑している……ことはなかった。彼らは真剣な眼差しで俺を見つめる。
「ミレウス。苦労を押し付けてばかりですまないが……しばらくシルヴィを預かってもらえないか」
「どういうことだ?」
突然の申し出を訝しんでいると、セインはちらりと王宮の方角に視線をやった。そして、少し小さな声で言葉を続ける。
「あくまで勘だが……この先、フォルヘイムはキナ臭くなる。場合によっては、今回以上の事態に陥るかもしれん」
「また襲撃されると?」
「分からないが、私の悪い予感はよく当たるからな。……それに、シルヴィを出国させるなら今しかない」
セインが言いたいことはよく分かった。現在、フォルヘイムの国境付近は襲撃のどさくさで混乱が続いている。俺が出立を急いでいるのは、その隙をついてさっさと出国するつもりだからだ。
そして、シルヴィが出国するのであれば、今が絶好のチャンスであることに変わりはない。
「二人はどうするんだ?」
だが、シルヴィだけを出国させる必要があるだろうか。おそらく森喰らいの変異種も今後は発生しないだろうし、揃って移住してもよさそうなものだ。
「本来であれば一緒に出国したいところだが……この区画には、もはや戦える者がほぼいないからな。モンスターに襲われれば大きな被害が出るだろうし、この状況で住民を見捨てるわけにもいくまい。
それに、私は今回の件でだいぶ顔が知れてしまった。姿が見えないとなれば、すぐに気付かれるだろう」
「もちろん、ずっと預けっぱなしのつもりはないわ。ここが落ち着き次第、私たちも帝都へ行くから」
「私とアリーシャなら、多少の無茶は利くからな」
セインはニヤリと笑う。彼らはたった二人でエルフの里に乗り込んだ強者だ。その言葉には説得力があった。
「シルヴィは……いいのか?」
別に、シルヴィを預かることは問題ない。ハーフエルフにしか見えない耳をどうするかという問題はあるが、シルヴィ自身はいい子だからな。だが、それ以上に本人の気持ちが気掛かりだった。
「うん……ここにいたら、またあんな事があるんだよね?」
「……」
思わず沈黙する。『あんな事』とは、研究所が襲撃されて多くの知り合いが命を落としたことだろう。十歳の女の子が経験するには酷な事態だ。
「それに、ドゥルガ師匠も、研究所を出て行くんだって」
「どうやら、エルフの上層部とやり合ったみたいだな。何が原因かは教えてもらえなかったが、出て行くのは事実だ」
セインがシルヴィの言葉を補足する。そんなことになっていたのか。
「ドゥルガ師匠がいないんだったら、ここにいても魔工技術の勉強はできないし……」
シルヴィはしゅんとした様子で俯いた。そう言えば、シルヴィは魔工技師としてはすでに一人前で、ドゥルガさんしか指導できる人がいないんだったか。
「でも、お兄ちゃんと一緒だったら、色んな魔道具を触れるよね?」
そして、シルヴィは顔を上げる。だが、その瞳には不安の色が浮かんでいた。自分なりに納得しようと必死なのだろう。
「一般的な人と比べれば、魔道具に触れる機会は多いな。闘技場には魔道具や魔法的なギミックが多いし、魔道具コレクターの剣闘士もいる。……ああ、それに古代鎧もあったか」
さらに言えば、地下には結界を発生させている古代遺跡があるしな。それに、レティシャや『魔導災厄』は魔道具についての造詣も深い。相談することはできるだろう。そんな話をすると、シルヴィは嬉しそうに笑った。
「よかった……これからもよろしくね、お兄ちゃん」
そして、もう一度笑顔を見せる。最初よりは柔らかい笑顔になったことにほっとしながら、俺はシルヴィの大きな背負い袋を荷台に引き上げた。
「図々しいことは承知している。……ミレウス。お前にばかりつらい思いをさせて、本当にすまない」
「絶対に……今度は絶対に迎えに行くわ」
と、俺の前に進み出た二人は神妙な顔で口を開いた。ここ数カ月の滞在でだいぶ打ち解けた気もするが、やはり引け目は消えないようだった。
「こっちのことは気にしないでくれ。さっきも言ったが、第二十八闘技場は魔工技術だらけだからな。魔工技師は大歓迎だ」
まだ十歳の妹を労働力としてこき使うのは気が引けるが、自分の居場所を見出せないうちは、仕事があったほうが落ち着くだろう。昔の自分を振り返って、そんな結論に至る。
「レティシャさん、シンシアさん。どうかシルヴィをよろしくお願いします」
そんなことを考えていると、いつの間にかアリーシャがレティシャたちに頭を下げていた。
「シルヴィちゃんが安心して暮らせるように、手を尽くしますわ」
「は、はい……! 頑張ります……!」
その光景を変な気分で眺める。もし彼らと長年一緒に暮らしていたなら、俺はこの光景をどんな気持ちで眺めていたのだろうか。照れくさかったり恥ずかしく思ったりするのだろうか。そう内心で首を捻っていると、今度はセインがレティシャたちに話しかけた。
「そして、ミレウスのことも頼んでいいかな? お二人のような素敵なレディがミレウスの傍にいてくれることは奇跡だからね。願わくば、生涯の伴侶と――」
「げほっ!」
その言葉を聞いた俺は思わず咳き込んだ。この人は最後の最後に何を言っているのか。父親という実感が薄いからよかったものの、この台詞を親父が口にしていたら、頭をはたくくらいはしていただろう。
そう抗議しようとした時だった。なぜか、シンシアがセインの前へ進み出た。
「――お任せください。たとえ何があっても、私は最後までミレウスさんのお傍にいますから」
「!?」
その予想外の反応に、場の全員が固まった。だが、彼女は気にした様子もなく慈愛に満ちた微笑みを浮かべている。それは、これまでにも何度か見せた聖女モードのようだが……。
「嬉しいわ。シンシアさん、ミレウスをよろしくね」
「はい」
付き合いが短いおかげだろう、セインやアリーシャのほうが復活は早かった。アリーシャの言葉を受けて、シンシアは柔らかく笑う。ただ、少しぎこちない気もするが……。
「予想外ね……」
俺と同じく唖然としていたレティシャが呻くように呟いた。彼女にしては珍しく、頭を抱えそうな風情だ。すると、アリーシャが彼女に声をかける。
「レティシャさん。結界のこと、本当にありがとうございました」
「これからも、ミレウスを支えてやってほしい」
「ええ、もちろんです。公私ともに彼の支えでありたいと思いますわ」
「……」
レティシャは以前からそんなことを口にする傾向にあるが、今の言葉に含みを感じるのはシンシアのせいだろうか。俺が沈黙していると、セインが悪戯小僧のような顔でこっちを見ていた。
――もう黙っていてくれ。
そんな念が通じたのか、セインはこれ以上場を引っ掻き回すようなことは言わなかった。ただ、からかうような笑みを浮かべているだけだ。この雰囲気に耐えられず、俺は無理やり話題を変えた。
「……さあ、出発するぞ。時間が経てば経つほど、出国が面倒になるからな」
「あ、逃げた」
そんなアリーシャの言葉を無視して、御者台に乗り込む。往路で馬を御してくれたヴェイナードはいないからな。旅の間に馬の御し方は覚えたつもりだが、上手くいくだろうか。
「――よし、帰るぞ」
全員が馬車に乗り込んだことを確認すると、馬を歩ませる。後ろの荷台を振り返れば、シルヴィが両親にずっと手を振っているのが見えた。
売り上げや集客数はどうなっているだろうか。何か事件は起きていないか。第二十八闘技場のことに思いを馳せながら、俺は手綱を握り続けていた。