聖樹ユグドラシルⅣ
致命傷を受けた腹部に、セベクは自ら小枝を突き立てる。死期を早めるだけの行為を前にして、俺は思わず口を開いた。
「何を――!?」
「がぁぁァァ……ッ!」
セベクから苦悶の声が上がる。その行動の意味は分からないが、俺は本能に従ってとっさに剣を振り抜いた。刻み込まれた破壊痕をなぞるように放った剣撃は、中身の肉体ごと鎧を上下に分断しようとする。だが――。
「仕留め損ねたか……!」
思わず呻く。古代鎧の防御力に阻まれ、即死させることはできなかったからだ。
そんな俺の目の前で、セベクが変容していく。身体が膨らみ、ボロボロになっていた古代鎧が弾け飛んだ。やがて現れたのは、皮膚を樹皮に置き換えたような歪な人型。あくまで人の形を留めていることからすると、樹人に近いのだろうか。
「ミレウスさん!」
「ミレウス!」
セベクだったものから距離を取った俺の下へ、シンシアたちが駆けてくる。様子を見ていたはずだが、さすがに尋常な事態ではないと判断したのだろう。
「ミレウスさん、大丈夫ですか……!?」
「俺は平気だが……これの正体を掴みかねている」
俺は動き出す様子のないセベクを見つめた。植物化したにしては、あまりにも原型をとどめすぎている気がするが……。
「……ミレウスさん、不思議な木の枝を見ませんでしたか?」
「木の枝? セベクが自分の傷口に突き刺したやつか?」
回答にならない回答に首を傾げる。だが、シンシアは納得したようだった。
「たぶん、それはユグドラシルの亜種です」
「ユグドラシルの亜種?」
そう言えば、ヴェイナードがそんなことを口走っていた気がするな。詳しくは国家機密だと言っていたが。
「ユグドラシルの近くで育った植物は、特殊な性質を持つことがあるんです。空間転移能力を持っていたり、結界を張る力があったり……」
「ん? じゃあ、さっきの植物操作も……」
シンシアの説明で、ふと思い出す。セベクが投げ捨てたあの枝も亜種だったのだろうか。その話をすると、彼女はあっさり頷いた。
「たぶん、亜種の能力だったんだと思います。ノアちゃんが対処してくれましたけど……」
「本当に不思議な子よねぇ……」
レティシャがノアを撫でる。ノアは嬉しそうに目を細めていたが、やがて微動だにしないセベクのほうを向いた。
「ピィッ!」
その瞬間、俺たちは戦闘モードに入った。俺は剣を握りしめ、シンシアは魔法障壁を展開する。レティシャの魔法がセベクの足下で炸裂し、凄まじい大爆発が彼を飲み込んだ。
「ぴくりと動いたな」
「ええ、明らかに意思があったわね」
そんなことを言い合いながら、土煙が収まるのを待つ。その間に、気になっていたことをシンシアに尋ねることにした。
「シンシア、セベクが自分に突き刺したほうの亜種は、どんな力を持っているんだ?」
さっきは話を逸らしてしまったが、本来なら真っ先に確認するべき事項だ。問いかけに対して、シンシアは土煙を見つめながら答える。
「たぶん、接続の力を持った亜種です。昔の戦いでも、何度か現れたことがあります」
「接続ということは、接続先は必要よね……」
シンシアの言葉に反応して、レティシャが考え込む。だが、彼女はすぐにはっとした様子で顔を上げた。
「まさか……ユグドラシル?」
と、シンシアが張った魔法障壁に何かが激突した。何度もぶつかってくるそれは、まるで剣のようで――。
「あの剣は……セベクのものか」
もはや樹人と化したセベクだったが、その手には古代鎧の剣が握られていた。鎧はすべて弾け飛んでいたが、剣だけは壊れなかったのだろう。
「剣を握っているということは……意識があるのか?」
俺は一歩進み出た。いくらシンシアが防壁を張っているとはいえ、彼女の魔力も無尽蔵ではない。
「俺が行く」
俺は剣を振りかぶると、横手からセベクに殺到する。灼熱の剣を付与した剣が赤く輝き、炎の揺らめきとともにセベクを強襲した。
「っ!?」
俺の接近に気付いたセベクが剣を合わせる。だが、体勢を崩したのは俺のほうだった。反応速度と筋力。そのどちらもが、さっきまで戦っていたセベクを明らかに凌いでいる。
お返しとばかりに振るわれた剣を弾くが、やはり剣撃の重さが尋常ではない。身体が植物化した見返りに、これだけの筋力を得たということだろうか。
「ミレウスさん……!」
俺の背中に、シンシアの声が届く。先ほどから防戦が続いていて、気が気ではないのだろう。だが、俺は焦っていなかった。
「風衝鎚」
凝縮した風を撃ち出してセベクの姿勢を崩すと、赤熱した剣でその胴を薙ぐ。反撃で振るわれた剣を受け流すと、今度はその腕を斬り飛ばした。
「……どの程度意識があるのか知らんが、剣士としての技量は下がったな」
それが俺の結論だった。理性が失われているのかもしれないし、強化された肉体に付いていけていないのかもしれない。どちらにせよ、今のセベクは身体能力以外に取り柄がなかった。
そして、そんな手合いとはいくらでも手合わせしている。俺は相手の攻撃を紙一重でかわすと、一撃で首を跳ね飛ばした。セベクの頭部は放物線を描いて宙を舞い、どこか乾いた音を立てて地面に落ちる。だが――。
「……そう来たか」
俺の目の前で、斬り落とした頭部が再生する。それだけではない。その前に失ったはずの腕部も修復されていた。
「――紅蓮の監獄」
と、再生中のセベクが業火に包まれた。詠唱が聞こえていたことからすると、レティシャの魔法だろう。金属でさえ融解しそうな灼熱の炎の中で、歪な人型は姿を失っていく。やがて残されたのは、ただの灰だった。
「あらあら……灰から復活するなんてタフな人ねぇ」
だが、レティシャは呆れたように肩をすくめた。よく見れば、灰が再び集まろうとしていた。
「氷の葬送」
そこへ、レティシャの氷結魔法が追い打ちをかける。厚い氷に閉じ込められた灰は、さすがにそれ以上動けないかと思えたが……。
「……復活したか」
「無から生成したわね……」
レティシャと二人で呆れていると、シンシアが一歩進み出る。
「あの……たぶん、ユグドラシルと繋がっている限り、何度でも復活すると思います」
それは嬉しくない情報だった。だが、ふと思いつく。
「逆に言うと、奴を何度も倒せばユグドラシルが消耗するということか?」
「その可能性はありますけど……百回や二百回じゃすまないと思います」
「む……」
さすがにそれは面倒だな。だが、彼女たちの協力があれば、それくらいはこなせる気がする。
そう考えた時だった。地面が不自然に振動したことを悟った俺は、二人を抱えてその場を飛び退いた。
「きゃ――」
軽い悲鳴が上がるが、その声は途中で途切れた。巨大な木の根が俺たちがいた場所を貫いたからだ。
「また植物操作か……!」
連続で飛んで来た木槍をかわすと、頭上から降ってきた巨大な木の葉をレティシャが魔法で吹き飛ばす。吹き飛んだ木の葉の行方を追うと、森の木々に接触して爆発を起こしたところだった。
「物騒な葉っぱもあったものね……研究材料に欲しい気もするけれど」
「家が吹き飛ぶぞ」
「その時は泊めてくれるわよね?」
そんな軽口を叩きながら、俺は二人を抱えて逃げ回る。執拗に狙って来るセベクはシンシアの魔法障壁任せだ。それはキリがない作業だったが、そのうちあることに気付いた。
「操作されている植物が限られている……?」
最初にセベクと戦った時には、全方位の植物が敵だった。だが、今は違う。木の根による攻撃を除けば、すべての攻撃は同じ方向から放たれていた。
「ノアか……!」
何度か植物が動き出す気配を見せるが、そのたびにノアが鎮圧していたのだ。鳴き声を上げていないせいで気付くのが遅れたが、ずっと植物操作の主導権争いをしているようだった。
ということは、俺たちを攻撃している植物は、操られているものではない。……おそらく、ユグドラシルそのものだ。
「レティシャ。シンシアを連れて上空を目指せ」
抱えているレティシャに指示を出す。飛んでしまえば、木の根による不意打ちは受けない。もちろん木の根は伸長するだろうが、上空までは届かないだろうし、万が一届いてもシンシアの魔法障壁で対処すればいい。
「ミレウスはどうするの?」
「セベクをあしらいながら、ユグドラシルを狙う」
「援護射撃はしてもいいわよね?」
「ああ、頼む」
そんな会話をしているうちに、二人の身体がふわりと浮かぶ。さらに、その周囲を球体上の魔法障壁が覆ったことを確認すると、俺はユグドラシルの巨大な幹を見つめた。
巨大ではあるが、あくまで常識的な大きさだ。幹の太さはせいぜい直径二十メテルといったところだろう。問題は樹皮の強度だが……。
試しとばかりに、長距離から風魔法で威力増幅した真空波を放つ。生半な魔法障壁なら一撃で破壊する威力を秘めている真空波だ。だが、俺の攻撃は枝葉を揺らしただけで、さっぱりダメージを与えたようには思えなかった。
ならば、と俺はユグドラシルへ向かって駆け出す。セベクの襲撃をかわしながら接近すると、淡く輝く大樹が目の前にそびえ立った。
「次元斬」
破壊力では最高クラスであろう魔法剣を発動すると、枝や根の攻撃を避けてユグドラシルの幹へ叩き込む。空間が軋むような異音を引きずって、斬撃がユグドラシルを捉えた。だが――。
「浅いな……」
思わずぼやく。次元斬が与えたダメージは、たしかに幹に刻まれていた。だが、そう深い傷ではない上に、その傷跡はあっという間に塞がっていく。
「再生するのか……」
俺は渋い表情を浮かべる。ユグドラシルの巨大さも手伝って、次元斬を連発するだけでは倒せないことは明らかだった。ならば――。
「腐食の枝」
鞭のようにしなる枝の攻撃を避けると、すべてを腐食し溶かす凶悪な魔法剣を幹に突き立てる。剣が突き立った場所を中心にどろりと樹皮が解けていくが……やがて、再生する速度が上回り、腐食していた跡は綺麗さっぱり消滅していた。
「……灼熱の剣」
植物に、そして再生系の魔物に有効とされる炎を纏わせて、今度は枝を叩き斬ろうとする。だが、結果は今までとなんら変わることはなかった。と――。
「ミレウス、離れて! ……溶岩煉沼」
上空から聞こえてきた声に従って距離を取る。すると、ユグドラシルの周囲に異変が起きた。大樹を中心として、直径三十メテルほどの地面が赤熱し始めたのだ。それだけではない。凄まじい高温で熱せられた地面はやがて溶岩と化し、ユグドラシルの周囲を溶岩の沼へ変貌させる。
溶岩の沼の中央にたった一本だけそびえ立つ大樹。見ようによっては幻想的な光景だが、実態は溶岩の破壊力とユグドラシルの再生能力のせめぎ合いだ。溶岩は絶えずユグドラシルを炭化させ、周囲を燃え上がらせる。だが、それに負けない勢いでユグドラシルも再生を続けていた。
「……レティシャでも駄目か」
拮抗している戦いを見て、俺は苦々しく呟いた。これだけの大魔法だ。いくらレティシャでも長時間は維持できないだろう。現時点で拮抗しているということは、決定打にはならないということだ。
やがて魔法の効果が切れると、地面に広がっていた溶岩は次第に冷えて固まっていく。だが、木の根による地中からの攻撃を妨げるほどではないようで、俺は足下から生えてきた木の根を飛び退いてかわした。
「しかし……どうしたものかな。あの溶岩でも倒しきれないとなると、雷霆一閃でも厳しいか」
『そうですね……雷霆一閃が連発できればともかく、アレはチャージタイムが長い魔法剣ですから』
ユグドラシルとセベクの相手をしながら打開策を考えるが、相手は理不尽なまでの再生能力を誇っている。あまりいい案は浮かばない。眼前に広がる大樹を、俺は苦い顔で睨みつけていた。