聖樹ユグドラシルⅢ
エルフ族の幹部が集う建物を後にした俺は、無事にシンシアたちと合流を果たしていた。
「ご無事でよかったです……! 遅かったので、何かあったのかと……」
「ピィ!」
「色々あってな。ところで、何か騒ぎがあったのか? それを口実に出てきたが……」
ほっとした様子の一人と一羽に頷きを返して、逆に問いかける。すると、今度はレティシャが口を開いた。
「待ちきれなくて、ちょっと仕掛けてみたのよ」
「仕掛けた……魔法を撃ち込んだのか?」
そうなると犯人探しが始まって、潜んでいるレティシャたちも危険にさらされるはずだが……。
「大地魔法や風魔法で植物を意味ありげに動かしてみたのよ。だいぶ焦っていたようだから、ここにいるエルフたちはユグドラシルのことを知っているとみてよさそうね」
なるほどな。俺は納得すると、今後のことに気持ちを切り替えた。
「二人とも用意はいいか? ユグドラシルを破壊しに行く」
「ええ、もちろんよ」
「頑張ります……!」
「ピィピィ!」
そして、俺たちはユグドラシル目指して聖地と呼ばれる森を進んでいく。ユグドラシルの位置を感知できるのはシンシアだけだが、相手は樹木のため移動することはない。おかげで、あまり迷わず進むことができた。そして――。
「あれか……」
思わず呟く。俺の視界の奥には、そびえ立つ一本の大樹が映っていた。大量の木が生えている森の中にもかかわらず、その異質さを肌で感じ取ることができる。うっすら輝いている見た目もそうだが、何よりその存在感が異質だった。
「はい……」
「あれが、神話にも出てくる霊樹ユグドラシルなのね」
二人が真剣な目でユグドラシルを見据える。まだかなりの距離があるはずだが、もはや気を抜くわけにはいかない。慎重に近づきながら、俺たちは戦術を模索する。
「破壊するためには、どうすればいい」
尋ねると、シンシアは思い出すように空を見上げた。
「三千年前の決戦では、マーキス神が天空から浴びせた神罰の光が決定打でしたけど……」
「さすがにそんな真似はできんな」
俺は聞いたことを後悔する。神話レベルの戦いだったことをすっかり忘れていた。
「でも、ずっと眠っていたせいか、今のユグドラシルの気配は当時よりはるかに小さいです。……私たちなら、きっとできます」
そう告げるシンシアの顔には、また聖女のような雰囲気が漂っていた。
「ユグドラシルの枝を斬り落として、その後で幹を輪切りにしていく……くらいのつもりでどう? 斬り落とした枝は、私のほうで燃やすなりするわ」
「……そうだな」
レティシャの提案に頷く。足場となる枝は残しておくべきだろうが、その順番で体積を削っていこう。そう考えた時だった。何者かの気配を感じた俺は足を止める。
「……誰かいるな」
「え?」
二人がきょとんとした顔を見せる。だが、俺には確信があった。剣を抜いたまま近付くと、俺の予想を示すように真空波が飛んできた。
「挨拶代わりか」
小さな真空波を当てて軌道を逸らす。逸れた斬撃が背後の巨樹に激突し、大きな枝が地面へ落ちる。その様子を耳で把握しながら、俺はユグドラシルの根元へと近付いた。
「ふむ……」
そして悟る。意外なことに、ユグドラシルを守護しているのはたった一人の人物だった。本来なら大軍を差し向けて守るべき存在だが……おそらく、ユグドラシルが生えている場所そのものが国家機密なのだろう。
そして、理由がもう一つ。一人で大部隊を超える戦闘力を持っているからこそ、単騎でユグドラシルの守護を任されていたのだろう。俺は彼の名をぽつりと呟いた。
「……セベク将軍」
「貴様はフェリウス……! なぜここにいる!」
俺の姿を認めたセベクは、熾烈な眼差しでこちらを睨みつける。その視線を受け止めつつ、俺は内心で首を捻っていた。彼は過激派の幹部であり、ユグドラシルは穏健派の秘密兵器だ。いくら適役とは言え、別派閥の幹部にユグドラシルの防衛を委ねたりするものだろうか。
「ユグドラシルの防衛を命じられたのでな。共闘するか?」
俺は挑発交じりに問いかける。これで反発したセベクが出て行けば儲けものだが……。
「ふざけるな! 貴様のような雑種に聖樹の守護を任せるわけがない!」
「……そうか」
やっぱり、そう上手くはいかないか。だが、だからと言って引き下がるわけにはいかない。一度退いて、不意打ちでもしてみるか。そう考えた時だった。
「――っ!」
反射的に抜き放った剣が、セベク将軍の剣を弾き返した。
「……なんのつもりだ」
鍔競り合いをしながら問いかける。すると、彼は瞳に剣呑な光を灯した。
「貴様と共闘するつもりはないが……ちょうどよかった。その鎧は雑種が身に着けていいものではない。返してもらうぞ」
「王女から正式に授与されたものを、なぜ返す必要がある」
淡々と返すと、セベクはせせら笑った。
「ふん、おめでたい奴だ。……我々が本気で貴様を古代鎧の継承者として認めると思うか?」
「……つまり、死ねば所有権は白紙に戻ると?」
「そういうことだ」
セベクの言葉は納得できるものだった。そもそも、ヴェイナードが奔走していたとは言え、どこの馬の骨とも知らないクォーターエルフに古代鎧を授与するなんて、通常では考えられない。もともと俺を暗殺する予定だったのだろう。だが――。
「……何がおかしい」
つい上げてしまった笑い声にセベクが反応する。
「ヴェイナードはそれも織り込んだ上で、俺に古代鎧を授与させたわけだ」
「なに?」
「どうせ俺を暗殺すればいい。お前たちがそう判断することも、ヴェイナードは予想済みだったということだ」
「なんだと……?」
その言葉に気色ばむセベクだったが、やがて気を取り直したように口を開く。
「だとすれば、お前は最初から裏切られていたということだな。……無様な男よ」
セベクは鼻を鳴らした。だが、俺はヴェイナードが裏切ったとは思わなかった。たとえ暗殺者を差し向けられたとしても、俺なら退けることができる。ヴェイナードはそう考えていたはずだ。
「無様なのはお前たちだ。策謀でヴェイナードに敗れ、戦闘で俺に敗れるのだからな」
「なんだと!」
セベクは挑発に激昂すると、一歩離れて剣を振りかぶった。繰り出された一撃を弾くと、俺はカウンター気味に剣を振るう。それを避けたセベクは、剣を大きく振って牽制すると後方へ跳んだ。
「雑種が調子に乗るな!」
俺を目がけて、セベクの周囲から無数の氷弾が放たれる。あまりに数が多いため、剣で弾くにしても限界があるだろう。
「流光盾」
青白く輝く盾を展開して、襲い来る氷弾を受け止める。光の盾に当たらなかった氷の弾は後ろの木々を貫通しており、セベクの魔法の威力を示していた。
「数を重視した魔法でこの威力か……」
『あの鎧は殲滅戦仕様ですからね。その気になれば、魔法一つでこの森を焦土と化すことができるでしょう』
『物騒な……』
その言葉にげんなりするが、この古代鎧だって似たようなことは可能だし、人のことは言えない。それどころか、ここにはユグドラシルがあり、王族貴族が森に潜んでいるせいで、大規模魔法は使いにくいことを考えると、朗報とさえ言える。
そんなことを考えながら、伸びてきた炎の鞭を弾き返す。そのまま距離を詰めようとするが、頭上から降ってきた石槍の雨に遮られた。枝葉を揺らして落下してきた鋭利な槍は、地面に突き刺さると、そのまま地中深くへ沈んでいく。やはり驚異的な威力だった。
「竜巻」
お返しとばかりに、封印が解けて強化された風魔法を叩きつける。今の古代鎧なら、十人からなる部隊程度ならまとめて吹き飛ばす威力があるはずだった。
「――下降流!」
だが、巻き起こった竜巻は、上空から押し寄せた風の塊に吹き散らされて消滅する。同じ風魔法のはずだが、あきらかにこちらが押し負けていた。
『主人、魔法の撃ち合いはこちらに不利です。主人の魔法技能では、相手に致命傷を与えることはできません』
そこへ、クリフの無情な念話が響く。分かってはいたが、そうもあっさり言われると悲しいものがあるな。そんなことを思っていると、新たな異変が俺を襲った。
「なんだ!?」
近くに生えていた蔓が、一斉に俺を目指して動き出したのだ。さらに、頭上から鋭利な枝が降り注ぎ、足下の花が毒々しい色合いの何かを噴霧する。
慌ててその場を飛び退くと、俺がいた空間を植物たちが埋め尽くしていく。その異様な動きに俺は舌打ちした。全方位が植物に囲まれている森の中では、あまりに不利な戦いだ。
セベクの魔法に気を取られると植物に捕らえられそうになり、植物を薙ぎ払っているとセベクの魔法が炸裂する。息もつかせぬ連撃は、少しずつ俺を追い詰めつつあった。
『クリフ、これも古代鎧の魔法か?』
地面から飛び出して来た鋭利な木の根を回避すると、クリフに問いかける。
『いえ、こういった魔法はありません。操作系の魔法は複雑ですからね。宮廷魔術師仕様の鎧であれば扱えたかもしれませんが……』
クリフの回答を聞きながら、避けようのない鎌鼬を真空波で相殺する。そうこうしているうちに、周囲が破壊痕で様変わりしていった。
「む……」
近くに潜んでいるはずのレティシャやシンシアは大丈夫だろうか。そう考えた時だった。強力な魔力の波動とともに、またもやあの鳴き声が聞こえてくる。
「ピィィィーッ!」
「ノアか!?」
その瞬間、俺をつけ狙っていた植物たちが動きを止める。かつてのように萎れることこそないものの、ただの植物に戻ったように見えた。
「どういうことだ!? なぜ動かん!」
一方、セベクは驚愕しているようだった。いつの間にか手にしていた小枝のようなものを見つめた後、忌々しそうに投げ捨てる。その隙を突いて、俺は攻勢に出た。
「大渦潮」
高速回転する渦巻が発生し、セベクを内側に閉じ込める。傭兵との戦いでも使用した、かなりの威力を秘めた魔法だ。だが……相手を包み込もうとしていた水流は、一気に内側から弾け飛んだ。そして、中から余裕の笑みを浮かべたセベクが無事な姿を見せる。
「その程度か――ぬっ!?」
直後、セベクの表情が変わる。彼の頭上に、直径数メテルはある巨大な木の枝が落下してきたのだ。大渦潮を目くらましにして、俺が真空波で頭上の巨枝を斬り落とした結果だった。一拍遅れて、到底避けようのない大質量がセベクを飲み込む。
「ちぃっ!」
と、セベクを押し潰そうとしていた巨枝が、バラバラになって吹き飛ばされた。おそらく風魔法を炸裂させたのだろう。その中から姿を現したセベクは、やはり無傷だった。だが……。
ギィン、と剣戟の音が響く。セベクが巨枝に対処している時間。その隙があれば、接近戦に持ち込むことは容易かった。付与魔術をかけた剣が閃き、セベクを襲う。
「ち――」
そして、手数を重視して連撃を浴びせていく。やはり剣の腕では俺に軍配が上がるようで、セベクの剣に余裕はなかった。と――。
「――っ」
足下に純白の輝きが広がったことに気付き、咄嗟に横へ跳ぶ。一拍遅れて、白い光の柱が立ち昇った。
「……そうだったな」
古代鎧の主人は、集中しなくても魔法を使用することができる。自分はその恩恵に与っているくせに、すっかりそのことを忘れていた。連撃で魔法を使う暇を与えないつもりだったが、そうはいかないようだった。
中距離戦が得意なのだろう、距離を取ろうとするセベクだったが、俺も執拗に追いすがって剣を振るう。何度も剣を振るううち、傷は与えられなかったものの、剣がセベクの鎧をかすめるようになっていく。
「妖剣舞!」
やがて、焦燥の色を浮かべたセベクが魔法剣を発動させると、四本の黒剣が彼の周囲に浮かんだ。そして、四剣は様々な軌道で俺に殺到する。
「っ!」
一本目を弾いて二本目にぶつけ、三本目は身を捻ってかわす。四本目は俺の肩口を浅くかすめたが、大きなダメージはなかった。
だが、俺の体勢が崩れたことは事実だ。それを見逃すはずはなく、セベク本人の剣が追撃をかけてくる。しかし――。
「氷尖塔」
地面を割って巨大な氷柱が立ち昇り、俺とセベクの間を割った。次の瞬間、俺は氷柱の側面から回り込み、バランスを崩したセベクに剣を振るう。なんとか剣を打ち合わせたセベクだが、続く連撃がその鎧を捉えた。
「ぐっ!?」
だが、古代鎧の硬さはかなりのもので、剣撃の大半は鎧によって止められていた。鎧に穴を開けることには成功したが、肉体のほうには軽傷しか与えていないだろう。魔法剣による威力増幅を考えると、驚異的な防御力だった。
「……大したものだ」
「なんだと!?」
鎧への賞賛を自分への皮肉と捉えたのか、セベクが憤る。それに答える代わりに、俺は再び剣を振るった。そして、剣を打ち合わせた瞬間に火炎槍を発動させる。
「ぐぁッ!?」
本来なら大したダメージを与えないはずの炎の槍が、セベクの脇腹を直接焼く。先ほどの斬撃で破壊した部分を狙われては、さすがの古代鎧も守り切れないようだった。
こちらにも熱気が襲ってくるが、古代鎧の防御力を抜くほどではない。俺は構わず剣を振るい、フェイントに対応しようとしたセベクの側面に雷魔法を炸裂させた。
「っ!」
それでも反撃しようと踏み出した足下に氷蔦を張って足を滑らせ、その肩口に斬撃を浴びせる。地面へ倒れ込んだセベクを包むように焦炎の竜巻が巻き起こり、凄まじい熱気が空気を焦がした。
剣と魔法を組み合わせて、相手の攻撃の起点を潰し、こちらの攻撃の隙をなくす。ユーゼフとの最後の試合で見出した魔法剣技を確認するように、俺は剣と魔法を操り続けていた。
「む……?」
と、セベクの動きが雑になったことで、俺は警戒心を研ぎ澄ませた。集中力が切れたとは思えない。ならば――。
刹那、セベクを起点として大爆発が巻き起こった。事前に予想していたおかげで直撃は免れたが、それなりに鎧も損傷しただろう。
「貴様――」
舞い上がった土煙が晴れると、そこには自らもダメージを受けた様子のセベクが立っていた。おそらく俺より被害は大きいだろう。
「その剣技……そんな馬鹿なことがあるか……ソレイユ王子しか辿り着けなかった高みだぞ……!」
俺の耳に呆然とした声が届く。その声色はフェイクではなく、衷心からの言葉であるように思えた。ソレイユ王子とは、三年前の戦いで親父と戦った古代鎧の継承者だったか。セベクの中で、彼がどんな位置にあったのか。それは知りようのないことだった。
「それを雑種……ごときが……そんなわけがあるかぁぁぁッ!」
呆然としていたのも束の間、セベクが怒りの咆哮とともに殺気を放つ。エルフ族最強の剣士であることのプライドからか、彼は剣での戦いを選んだようだった。剣に付与魔術をかけると、俺目がけて駆けてくる。
だが、それでは俺に有利なだけだ。迫ったセベクに対して、剣と魔法を矢継ぎ早に浴びせていく。再び魔法剣技をその身に受けて、セベクの古代鎧が目に見えて損傷していった。
「――大地の壁」
そして、斬撃をくらって後方に跳び退ろうとしたセベクの背後に土壁を展開する。背中から壁に激突してできた大きな隙を捉えて、俺はまっすぐ剣を突き出した。
「ぐぉ――!?」
刺突がセベクの腹部を貫き、大地の壁にその身体を縫い留める。力を込めて深く刺さった剣を引き抜くと、傷口から鮮血が迸った。彼は背後の土壁にもたれたままずるり、と崩れ落ちる。
「……終わりだな」
傷口から溢れる血液が古代鎧を染める。致命傷を受けたセベクは呆然とした顔で俺を見つめていた。
「俺は……エルフ族最強の剣士、だぞ……」
セベクはうわごとのように呟く。その矜持が、最後に魔法ではなく剣を選ばせたのだろう。それは彼の敗因でもあったが、その思いには共感できるところがあった。
「そうだとしても……俺は最高の剣闘士だからな」
「……」
もはや答える声はない。剣を手放したセベクは、その手をゆっくり自分の傷口へ持っていき――。
いつの間にか隠し持っていた小枝を、腹部の傷口に突き刺した。