侵攻Ⅴ
「状況を探れ。ただし、分散せず纏まって行動させろ。定時連絡の間隔は短く設定するようにな」
「はっ、すでに向かわせております。深入りせず、手掛かりを見つければすぐ報告するよう命じています」
部隊全滅の報を受けて、張り詰めた空気の中でやり取りが行われる。そして、部隊長の幾人かが俺に刺すような視線を当てた。
「――待て。俺が尋ねる」
彼らを手で制すると、大隊長は俺を正面から見つめる。
「『極光の騎士』。貴公らの策略ではないだろうな」
「……心当たりはない」
「なんらかの罠を仕掛けるための時間稼ぎをしていたわけではないと?」
「非戦闘員を餌にする趣味はない。そもそも、俺はフォルヘイム側ではないからな。共謀するほど知人もおらん」
「ふむ……」
大隊長は考え込んだ後で、俺の背後に目を向けた。
「貴公が利用されたという可能性もある。非戦闘員が襲われていれば、助けるだろうと見込んでこの状況を作った可能性がな」
「……」
その問いかけに、俺は即答できなかった。なんせ状況が不可解なのだ。誰かが策略を巡らせた結果である可能性は否定できない。
「だとすれば、それは俺の敵だ」
また睨み合いが続く。そんな空気を破ったのは、いつの間にか後ろに来ていたセインだった。彼の強さを感じ取ったのか、大隊長を始めとした数人が身体を強張らせた。
「人間――?」
「強い……」
そんな呟きを無視して、セインは俺に話しかけた。
「ミ――『極光の騎士』。こちらも同じ被害が出ているようだ。帝国軍の姿を見て逃げ出した者たちが行方不明になった」
「――なに?」
その言葉を受けた俺は、思わずセインを振り返る。
「子供もいたはずだから足も速くないし、森を進んだ痕跡もあった。だが、忽然と痕跡が消えたらしい」
「戦闘の跡は?」
「ない」
相手が軍隊であれモンスターであれ、襲われれば何かの跡は残るはずだ。それがないというのは不可解だった。
「……その事実を知って、彼らと親しかった者を中心にパニックが起きはじめている。目の前にいる帝国軍の仕業だ、とな」
「まずいな……」
そう呟いた瞬間だった。避難民たちのほうから、追い詰められた叫びが聞こえた。
「逃げろぉぉぉ! 奴らは俺たちを少しずつ殺していくつもりだ! 早く逃げるんだ!」
「落ち着け! 悪意のある第三者の可能性もある! 迂闊に動くな!」
セインが大声で呼びかけるが、その声が届いたのは比較的近くにいた人々だけだった。遠くにいたハーフエルフたちを中心に悲鳴や怒号が上がり、てんでバラバラに逃げ始める。完全な恐慌状態だった。
「――大隊長! 偵察が戻りました!」
そんな中、帝国軍の輪から人が駆けてくる。
「話せ」
「はっ! 偵察部隊が森の中を捜索していたところ、仲間の遺留品らしきものを複数発見しました」
「遺留品? 遺体ではないのか?」
「はい、主に武器防具の類でした。防具は破損がひどく、武器には特に異常はありませんでした」
「戦闘の痕跡は?」
「何もありませんでした。見つかった武器にも使用された形跡はなく……木々が多く、見通しの悪い場所であったことと、深入りを禁じていたこともあって、それ以上の情報はありません」
「そうか……ご苦労だった。遺留品を発見したエリアに集中して人員を投入しろ」
「はっ!」
報告してきた部下が、再び帝国軍の輪の中へ戻っていく。その様子を見送っていると、大隊長がこちらを向いた。
「聞いての通りだ。……『極光の騎士』。私はルエイン帝国第一騎士団第三大隊長アレクセイ・ロッドだ。協力を要請する」
「協力?」
問い返すと、彼は静かに頷いた。
「帝国軍と非戦闘員のエルフ双方に被害が出ている。すべてとは言わんが、情報を共有して事に当たるべきだろう」
「分かった。……俺も情報を集めるとしよう」
そして、俺は避難民たちの輪の中へ戻った。この辺りは話し合いの場に近かったせいか、浮足立ってはいるが、まだパニックには陥っていない。すると、少し奥からフードらしきものを被った人物が近付いてくる。フードで顔はよく見えないが、下の服装で予想はついた。
「『極光の騎士』、話はどうなったの?」
やはり、その声はレティシャのものだった。隣にいるフードはシンシアだろう。服装以前に、薄緑色の雛を抱えている時点で丸わかりだ。
彼女たちが軽く顔を隠しているのは、相手が帝国軍だからだ。正体不明とされている『極光の騎士』はともかく、二人はれっきとした帝国の住民だ。表立って帝国軍と戦えば、帝都に居づらくなるのは間違いない。
「双方に同様の被害が出ている。手を組んで事態に当たる」
「同様の被害……帝国軍にも行方不明者が出ているの?」
「武器防具類はいくつか見つかった。戦闘の痕跡はないが、防具は大破していたらしい」
「そう……行方不明なんてかわいいものじゃなさそうね」
そして、二人に帝国軍から得られた情報を伝える。だが――。
「シンシア、どうした?」
俺は途中で話を切った。シンシアの様子がおかしい。話を聞いてはいるのだが、どこか上の空であり、その顔には不安の色が浮いていた。
「すみません……その、なんだか嫌な気配が……」
「嫌な気配? 魔力由来のものか?」
そしてレティシャのほうを見る。だが、彼女は首を横に振った。
「特におかしな感じはしないけれど……」
話を続けてほしいとのシンシアの要望に従って、俺たちは話し合いを再開する。だが、状況が不可解すぎて、今後の方針を立てることも難しい。
「俺たちも失踪した避難民の跡を追ってみるか?」
「そうね。情報が少なすぎるわ」
俺たちは頷くと、混乱して森の奥へ逃げ込んだ避難民たちを追うように移動する。奥が危険だという認識はあるようで、あちこちにへたりこんだ避難民の姿があった。
「……特におかしな様子はないな」
しばらく進むが、特におかしな痕跡は見つからない。森が深くなったせいか、木々が多く視界が遮られることもあって、一向に事態が見えてこなかった。こうも森が深いと、広域知覚も通じないだろう。
「……上から見てくる。落下速度減衰」
そう言い残すと、重力を軽減する魔法を発動する。そして、頑丈そうな大樹を選んで枝から枝に飛び移っていく。
「ん……?」
その途中で、ヒラヒラとしたものが視界の隅に映る。不審に思って近づいた俺は、表情を強張らせた。
ただの布切れにも見えるが、よく見ると縫い目がある。それに、こんなに深い森にあまり汚れていない布があることも不自然だ。
「服……の一部か?」
だとすれば、帝国軍と同じように遺留品を残して消えたということだ。周りを見渡すと、高層にある木の枝に、いくつか似たような服の残骸があることに気付いた。それらをいくつか回収すると、俺は木の枝から飛び降りた。
「ミレウス、それは――?」
「おそらく遺留品だ。高層の枝にいくつかひっかかっていた」
服だったものをレティシャに差し出すと、彼女は目を瞬かせた。
「高層の枝に? ……相手は飛行系、もしくは樹上生活に長けた魔物かしら」
「争った跡はなかった。それに、遺体もな」
俺たちは遺留品であろう布切れを前にして首を傾げる。――と、その時だった。遠くから、だが、たしかに悲鳴が聞こえた。
「今のは!?」
「急ぐぞ!」
俺たちは悲鳴の聞こえた方向へ走る。レティシャたちも筋力強化を使ったため、かなりの速度で現場へ迫ることができた。
「なんだ……!?」
その遠くない距離で複数の悲鳴が上がる。その悲鳴は連鎖して森に響き渡り――。
そして、突如として消失した。
「悲鳴が消えた!?」
密集している木々を幾度も潜り抜けるが、犠牲者らしき姿は見当たらない。ただ鬱蒼と木々が茂っているだけだ。だが――。
「また遺留品か……」
上方を確認すると、また服の残骸が木の枝に引っかかっているのが見えた。少なくともここで何かあったはずだ。だが、その正体が分からない。
「悲鳴はすれど姿は見えず、ね。さすがに気味が悪くなってきたわ」
レティシャは冗談めかして言うが、少し本心が混ざっているように見えた。人々が不可解な方法で、次々と失踪しているのだ。薄気味悪くて当然だろう。
「シンシアは大丈夫か?」
それならば、シンシアも不安に駆られていておかしくない。そう思って問いかけると、シンシアは慌てたように返事をする。
「はい、大丈夫です。ただ……」
そして、何かを思い出すように彼女は虚空を凝視する。
「この状況、どこかで……でも、フィリスさんの記憶にもそんなこと……」
フィリスは、シンシアの前世だという三千年前の『天神の巫女』だったな。どうやら彼女は大昔の記憶を検索しているようだった。だが、いい答えは得られなかったようで、曇った表情で首を横に振る。
「一度戻るか」
「そうね……帝国軍が何かを掴んでいることに期待しましょう」
「あまり離れていると、避難している皆さんも心配するでしょうし……」
二人の同意を得ると、俺たちは元来た道を戻っていく。途中で逃げ出したハーフエルフたちにも遭遇したが、その数は意外と少ないように思えた。森へ逃げ込むことを思いとどまったのか、そういった人物はあらかた逃げ終わったのか。
そんなことを考えているうちに、俺たちは避難民たちのエリアまで戻ってきていた。そして、向かい合うような形で帝国軍も健在だ。俺は情報交換をしようと、大隊長のアレクセイに声をかける。そして……。
「ピィィィッ!」
突然、ノアが鋭い鳴き声を上げた。何かを警戒しているように、小さな翼をバタバタと羽ばたかせる。
「ノアちゃん……!?」
シンシアが慌ててノアを抱きしめる。その様子を見ていたレティシャが、ふと首を傾げた。
「ノアちゃん、何かに魔力を使っているわね……」
「ノアが? 何をしようとしているか分かるか?」
そう尋ねるが、レティシャは首を横に振った。
「特殊すぎて分からないわ。でも、私たち三人を覆っていて……結界に近いのかしら?」
彼女が答えた直後だった。
「うわぁぁっ!」
「ひっ!? な、なんなのっ!?」
――悪夢の正体が、俺たちの前に姿を現した。
◆◆◆
最初に上がった悲鳴は避難民のものだった。だが、それはすぐに帝国軍へ伝播していく。
「どうした!?」
俺たちは悲鳴が上がっている方角を見て……そして絶句する。声の主は帝国兵だった。その顔は恐怖に歪んでおり、その身体は――。
半分以上が、植物と化していた。
「なんだと……!?」
呆然と呟いたのは誰だったか。すでに腰まで樹木と化している兵士は、助けを求めるように手を伸ばした。だが、伸ばされた腕も付け根から順に質感が変わっていき、やがて節くれだった木の枝でしかなくなる。
「ああああああああっ」
木の枝と化した自分の腕を見て、兵士は涙を浮かべながら半狂乱で叫ぶ。
「嫌だあああぁっ! た、たすけ――」
恐慌に陥った兵士は助けを求めるが、最後まで口にすることはできなかった。それより先に首が、そして顎が植物化していき……やがて、恐怖に歪んだ顔までも樹皮に覆われていく。その様子はあまりにもグロテスクだった。
そうして完全に植物へ置き換わると、今度は急激な勢いで成長し始める。腰の太さだった幹は直径を増し、空を目指して伸びていく。膨張に耐えられなくなった鎧が弾け飛び、ガラン、と音を立てて地面に転がった。
「嘘だろ……?」
その音で我に返ったのか、中隊長の一人が乾いた声音で呟く。その言葉は、場にいる全員の思いを代弁していた。
「……」
俺は言葉もなく、人間だった木をただ見つめる。もはや物を言うこともなければ、身じろぎすることすらない。完全な植物がそこにはあった。
コツン、と誰かの肩が俺に当たる。見れば、いつの間にかレティシャが隣へ来ていた。さすがの彼女も顔が青ざめていたが、それを笑うことはできない。俺もまた、兜の下の顔は真っ青のはずだ。
「レティシャ。ああいった変化魔法に心当たりはあるか?」
「あるわけないわ。あんなの無茶苦茶よ……」
半ば拗ねたようにレティシャがぼやく。その気持ちはよく分かった。
「やけに木々が多いとは思ったが……それもこれが原因だったわけか」
呻くように呟いたのは、大隊長のアレクセイだ。彼はレティシャを興味深そうに見ていたが、やがて周囲に視線を向ける。
「……人数が減ったな」
「そして、木は増えたな」
おそらくだが、百人単位で木へ転じたはずだ。集団の外側に植物化が集中しているということは、そこを中心とした魔法か何かが使われたのだろうか。
「いったん植物化は終わったようだが……これで打ち止めとも考えにくい。すでに何度も、こうして兵が失われているのだからな」
「この場をピンポイントで狙われれば、俺たちも植物になるだろう」
「嫌なことをはっきり言う」
アレクセイは小さくため息をついた。そして、ちらりと隣のレティシャに視線をやる。
「ところで、そちらは紅の歌姫とお見受けするが……」
「あら、帝国騎士団の大隊長に名前を覚えていただいているなんて、光栄ですわ」
場合によっては敵対していた可能性などおくびにも出さず、レティシャは演技かかった礼を披露する。
「第二十八闘技場にはよく行くからな。だから、貴女が卓越した魔術師であることも知っている。この現象の原因……いや、対処法に心当たりがあれば教えてほしい」
「残念ですけれど、私にも心当たりはありません。これは、一般的な魔法とは一線を画しています。大人数での大掛かりな儀式魔法か、それこそ古代魔法文明の技術でもない限り――」
「古代魔法文明……」
彼女の言葉を聞いた俺は、ふとクリフの言葉を思い出した。そして念話で問いかける。
『クリフ。これはあの鍵がもたらした結果か?』
『申し訳ありませんが、答えることはできません』
『答えられないということは、鍵が関与しているということだな?』
そう結論付ける。それなら、この無茶苦茶な現象にも多少は納得がいった。
『ですから、答えられないと申し上げていますが……ただ、主人に一つだけお伝えできることがあります』
『なんだ?』
『この古代鎧の能力を加味しても、主人に命の危険が迫っています』
『……そうか』
そう言えば、この鎧の先代主人はあの鍵絡みで命を落としたんだったな。つまり、古代鎧の防御力では、あの植物化は防げないということだろうか。
焦りが俺の心を支配する。次の攻撃までどれくらいあるのか。それまでに対策を見つけなければならない。それとも、散り散りになって目標を分散させたほうがいいのか。
焦る心を無理やり押さえつけて、最善の策を探し続ける。だが、そもそもが理不尽な事態だ。いい案が出ないうちに時間だけが過ぎていく。
そんな時だった。誰かの手が俺の腕に触れる。振り返ると、そこにはシンシアが立っていた。
「シンシア……大丈夫か?」
そう尋ねたのは、彼女の表情がこれまでにないくらい思い詰めたものだったからだ。
「私……この状況を知ってる気がします」
だが、シンシアは問いかけには答えず、木と化した人々に視線を向けながら言葉を続ける。
「はっきりした記憶がないのは……たぶん、私が拒んだから……あの光景に、フィリスさんの感情に耐えられなくて……」
木々を見つめていたシンシアの瞳が、虚ろなものになっていく。三千年前の出来事を、夢の内容を追っているのだろう。
だが、やがてその瞳が光を宿した。彼女はきっとこちらを見上げる。
「でも……それが皆さんを助ける手掛かりになるなら、見ない振りなんてできません」
そして、彼女は微笑む。
「フィリスさんの最期は、別の夢で見ました。ということは、この状況は切り抜けることができたはずなんです。だから……」
言葉を切ると、シンシアは俺に体重を預けてきた。そこで、彼女が震えていることに初めて気付く。だが、俺が何かを言うより早くシンシアが口を開いた。
「しばらく、お願いします」