侵攻Ⅲ
街が、燃えていた。
木々と一体化している造りが仇となり、街の四分の一ほどが炎に包まれている。火がついているのは、俺たちが逗留していた混血種の区画が主だったが、これは区画と接している結界の森から敵が進行したためだろう。
「そんな……お兄ちゃん、どうしよう!?」
焼け落ちる建物を目の当たりにして、シルヴィが身を寄せてくる。自分が暮らしてきた街が焼失しようとしているのだ。動揺して当然だろう。
「まずは状況の把握と、安全の確保だな」
そういう意味では、訪問者にすぎない俺は冷静でいられた。どれくらい攻め込まれているのか。エルフの防衛戦力はどの程度のものなのか。
「できることなら、セインとアリーシャを見つけたいところだが……」
シルヴィや研究所のメンバーを護衛してここまで来たわけだが、混乱の渦中にあるこの街で彼らの安全を確保する自信はない。できれば土地勘があり、戦闘力でも信頼の置ける彼らに預けたいところだった。
「偵察してくる。……二人は彼らと一緒に隠れていてくれ」
「一人でいいの?」
「レティシャとシンシアは人間だからな。敵だと勘違いされる可能性がある」
なんと言ってもここはエルフの国だ。だが、魔工研究所のメンバーがいれば、彼女たちが敵じゃないことを説明してくれるだろう。
そう考えた俺は小さく笑った。自分がいつの間にかエルフに肩入れしていることに気付いたからだ。もちろん、エルフ族に思い入れがあるわけではない。俺が縁を紡いだエルフのほとんどが、この区画に住んでいる。それだけの話だ。
「とは言え、相手も相手だしな……」
小さく息を吐く。おそらく相手はルエイン帝国の兵士であり、言うなれば同胞だ。帝国への忠誠心があるわけではないが、やはり生まれ育った国に愛着はあるし、彼らの中には第二十八闘技場の常連だっているかもしれない。
そして何より、復讐という強い動機がある。その点で言えば、彼らを制止することもためらわれた。
「……行ってくる」
そんな思いを振り払うと、俺は一人で街中へ歩を進める。あちこちから炎が上がっており、今も悲鳴は耐えない。燃えてから少し時間が経っているのか、動く人影はあまり見当たらなかった。
「ん――?」
そのまま、区画の中心部まで足を進めた時だった。初めて複数の人影が視界に入る。それも、狩る側と狩られる側の両者だ。
「もうやめてくれ!」
「助けてぇ……っ」
逃げ惑うのはハーフエルフの男女数名だ。武器を持った兵士たちが彼らを追い回している。その様子は、相手をいたぶろうとしているようにすら見えた。
「無駄だ。逃げる場所なんてねえさ」
嗜虐的な声がハーフエルフたちを追いかける。復讐のためとなれば、そうなる気持ちも分からないではない。民間人の命を容赦なく奪っていたのはエルフたちのほうだ。
……だが。三年前のあの記憶は、逃げ惑うハーフエルフたちにこそ重なっていた。非戦闘員が一方的に蹂躙される絵図を思い出した俺は、無意識のうちに剣に手を掛ける。
どうする。自分の心の天秤を見極めようと、俺は目の前の光景を凝視していた。そして……やがて心を決める。
「……紫電の鞭」
俺の左手から、眩い光を放つ雷の鞭が伸びた。輝く鞭を垂らしたまま、俺はハーフエルフを追い回している兵士たちに近付いていく。目の前の獲物に夢中になっているのか、俺の存在に気付く様子はなかった。どうやら、研究所を襲った兵士より練度は低いようだった。
そんな分析をしながら、俺は紫電の鞭を兵士とハーフエルフの中間に叩きつけた。
「なんだ!?」
狩りを妨害された兵士たちが、剣呑な目つきで俺を睨みつける。ようやくこちらの存在に気が付いたようだった。
「敵か!?」
「いや、エルフがあんな重装備をつけるわけがない」
彼らは戸惑いながらも、俺から視線を外さない。それでもハーフエルフたちを逃がさないような陣形を取っているのはさすがと言うべきだろうか。少しずつ陣形を整える彼らに、俺は一歩ずつ近付いていった。
「――エルフへの憎しみは理解できる。俺もそうだからな」
「……あん?」
俺と相対した男は、訝しげに、かつ挑発的な声を返してきた。
「だが、限度というものがある。非戦闘員をいたぶった挙句に売り飛ばすとなれば、さすがにやりすぎだろう」
それが俺の結論だった。甘いかもしれないが、非戦闘員には被害を出したくない。種族がどうであれ、あんな光景はもう見たくなかった。それに――。
「ましてこの区画にいるのは、政治にも参加できず、底辺の存在とされている混血種ばかりだ。怒りの矛先が違うのではないか?」
そう言い切ると、彼らの言葉を待つ。彼らに家族を失った怒りや悲しみが彼らに宿っているのであれば、できるだけ言葉を交わしたかった。だが……。
「お前、何言ってんだ? こいつらに恨みって……なんの話だ?」
「……なんだと?」
きょとんとした顔を見せる男に、こちらも拍子抜けする。俺のように過去を引きずっている人間は少数派なのだろうか。そう訝しんだ矢先に、彼らの援軍が到着した。
「アンタたち、何やってんだ! さっさとエルフを捕まえるんだよ!」
援軍の十数人を率いているのは、精悍な女戦士だった。その物言いからすると、彼女がリーダーなのだろう。彼女の姿を認めた男は、慌てた様子で口を開く。
「お頭! 実は、こいつが邪魔をしやがって……」
「泣き言言ってんじゃないよ! さっさとしな!」
「へい!」
男は威勢のいい返事をすると、ハーフエルフを捕まえようとする集団へ戻っていく。そして、入れ替わるように女戦士が俺の前に立った。
「――で? お前はなんだ?」
彼女は威圧するように睨みつけてくる。その気迫はかなりのものだったが、俺は淡々と答えを返した。
「エルフへの恨みは分かるが、やりすぎだ。そう説得しようとしていたところだ」
「恨み?」
先ほどの男に続き、彼女も怪訝そうに俺を見つめる。そして、馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「ハッ、アタシたちには関係ないね」
そう言うと、ふと横に視線を向ける。そちらでは、先ほどの男たちがハーフエルフをまた追い回しているところだった。
「女の顔に傷をつけるんじゃないよ! 値が下がる!」
「分かってるぜ、お頭!」
そんなやり取りが耳に入ってくる。その様子を見ているうちに、俺の疑念は確信へと変わっていった。
「……お前たちは帝国軍ではないな? 戦力増強のために雇われた盗賊団、もしくは傭兵団といったところか」
フォルヘイムに気付かれないよう、こっそり兵を進めていた帝国軍だが、二国の距離は遠い。送りこんだ人数は決して多くないはずだ。そして、不足分は現地で調達するつもりだったとすれば理解はできる。
それならば、その傭兵なり盗賊団なりが下種な凶行に及ぼうと知ったことではないのだろう。エルフの防衛戦力がそちらに割かれることを考えれば、帝国としてはむしろ歓迎する話だ。そう納得していると、女戦士は嘲るようにニヤニヤと笑った。
「その通りだけど……不思議だねぇ? そんなこと、帝国軍のお偉い騎士様はみんな知っているはずさ」
そして、彼女の笑みは次第に獰猛なそれに変貌していく。
「あんた、帝国軍じゃないね? ってことは、殺しても問題ないわけだ」
そして、剣呑な光を瞳に灯しながら、腰の大斧を引き抜いた。
「そうだな……ありがたい話だ」
だが、笑みを浮かべたのはこちらも同じことだった。相手が帝国軍でなければ、遠慮なく叩き潰すことができる。
「あんたたち! この鎧野郎を先に片付けな!」
配下に号令をかける。すでに姿を見せていた二十人ほどに加えて、さらに三、四十人が集まってくる。思ったよりも大規模な集団のようだった。
「大渦潮」
その中心を見据えて、俺は早々に魔法を起動した。凄まじい勢いで高速回転する大渦が発生し、敵集団を蹂躙する。ある者は吹き飛ばされ、ある者は水に呑み込まれていった。
「ちっ、魔法剣士か!」
女戦士は忌々しげに吐き捨てると、部下たちに指示を出していった。残った数十人で陣形を作り、俺を包囲しようと動き出す。
「――ふむ」
もちろん、それを悠長に待つつもりはない。俺は剣を構えると、先手必勝とばかりに真空波を立て続けに撃ち込んだ。
「ぐはっ――」
「うぉっ!?」
風魔法の威力増幅を受けた真空波が直撃し、地面の土砂ごと敵が吹き飛んだ。さすがに前衛は耐えたようだが、魔術師や弓使いといった後衛は数人が戦闘不能に陥ったようだった。
そして、相手が怯んだところへ剣を構えて強襲する。反応が間に合っていない剣士を斬り捨て、振るわれた戦槌をかいくぐってその胴を薙ぐ。両手に短剣を持った男をリーチの差で斬り裂くと、その身体を蹴り飛ばして飛来した火炎球の盾にして凌いだ。そして、一斉に放たれた矢を剣で弾き――。
「ほう……」
そして、半身立ち位置をずらす。先ほどまで俺の頭があった場所を、かなりの質量と速度を持った矢が通り過ぎていった。よほどの強弓でなければ放てない一撃だ。
「避けやがった……!」
悔しそうに女戦士が呟く。彼女は弓を持っていないため、先ほどの射撃はそれ以外の人物だろう。そして、その人物が潜んでいる場所には心当たりがあった。
「剣矢」
近くの建物に剣を向けると、剣先から光の矢を放つ。矢は建物の二階の窓に吸い込まれ、まさに二射目を射ようとしていた男の胸に突き刺さった。ぐらり、と男の身体が揺れて、巨大な弓と共に地面へ落下する。
「ちぃっ……!」
その様子を見た女戦士に焦燥の色が浮かぶ。
「切り札だったのか? だとしたら悪いことをしたな」
「舐めたことを……っ! お前たち、蜂の巣にしてやんな!」
激昂した女戦士の命令に従って、複数の魔法や矢が降り注ぐ。それと同時に、俺もまたクリフに指示を出していた。
『クリフ、魔法の連続起動だ。できるな?』
『もちろんです』
頼もしい声とともに、多種多様な魔法が古代鎧から放たれる。『極光の騎士』の引退試合で使った、疑似的な魔法の連続起動だ。目まぐるしい勢いで魔法の射出先を決定する必要があるが、やってできないことはない。
降り注いだ攻撃魔法と矢の雨を、俺は古代鎧の魔法と真空波の弾幕で正面からねじ伏せていった。
「嘘だろ!? あの飽和攻撃に一人で対抗したってのか!?」
そんな声を発したのは誰だったか。相手の攻撃を相殺した後も、続々と魔法が射出先を求めてくる。そして、それらを放つ先は一つしかない。
「返すぞ」
「――っ!」
シンプルな魔法が多いとは言え、出力が上がった古代鎧によって撃ち出される魔法の数々はかなりの破壊力を秘めていた。密度を増した氷雨や、光条の規模が倍以上になった電撃。そして、効果範囲が拡大された竜巻。
それらの魔法が立て続けに彼らを襲ったのだ。まともに立っていられるはずはない。実際、もうもうと上がった土煙の中から立ち上がったのは、たった一人だった。
「……さすがは首領と言ったところか」
「ふざけやがって! なんてでたらめな野郎だ……!」
血液交じりの唾を吐くと、女戦士は大斧を肩に担いだ。そして、一息に俺目がけて投擲する。
「っ!」
予想外の攻撃を身を投げ出してかわす。立ち上がろうと身を起こしたところを、再び斧が襲ってくる。よく見れば斧の柄には太い鎖がついており、投擲してもすぐ回収できるようになっているようだった。
「珍しい武器だな……」
遠心力を利用して、まるで鞭のように斧が襲い掛かってくる。鞭と違って、刃がついている方向に気を使わなければならないことを考えると、非常に扱いの難しい武器だ。彼女はかなりの使い手なのだろう。
大斧を避けた俺を、時間差で鎖の先についた錘が襲う。鎖のもう一方に付いていた凶器だろう。斧ばかりを気にしていると、この錘に頭をかち割られるわけだ。だが――。
「――氷武器生成」
俺は頭を沈めて錘の攻撃をかわすと、氷の剣を上に突き出した。錘のついた鎖が氷剣に絡まり、女戦士と俺の間で鎖がピンと張る。
「闘技場では、ありとあらゆる武器が使われるからな」
鎖を引き寄せようとする女戦士の力に合わせて、俺は前方へ跳んだ。そして、俺を迎撃するべく斧を振り被った顔面目掛けて氷剣を投げつける。
「ちっ!」
さすがの反応で女戦士は氷剣を弾き飛ばす。だが、それで終わりではない。飛んで来たのは氷剣だけではない。それに巻き付いていた鎖も同様だ。大斧を振り回すだけあって、鎖は太く、かなりの質量を持っていた。それが無秩序な形で彼女を襲う。
「がっ――!?」
そして、自らの鎖に打ち据えられた女戦士の隙を見逃さず、剣を一閃させる。彼女はごふっと血を吐くと、血走った目で俺を睨みつけた。
「畜生……ボロい儲け話だったのに、邪魔しや……がっ……」
そして、どさりと崩れ落ちる。それ以上動かないことを確認すると、俺は周囲の状況を確認した。街が燃えている上に、大規模な戦闘をしたこともあって、周囲に人影はない。襲われていた住人たちも逃げ出したようだった。
「……ん?」
と、近付いてくる気配を感じて、俺は視線を街の奥へ向けた。気配の主は、やがて建物の陰から姿を現す。
「む――」
その姿を見て、俺は警戒レベルを引き上げた。全身鎧に覆われて顔は見えないものの、かなりの手練れであることを窺わせたからだ。だが、相手は気負った様子もなくこちらへ歩いてくる。
「――激しい戦闘音が聞こえると思えば……ミレウス支配人でしたか」
「ああ、ヴェイナードさんでしたか。そのお姿は初めてですね」
相手の正体を知った俺は、警戒を解いて剣を下ろす。そして、まじまじとヴェイナードの古代鎧を観察した。
同じ古代鎧のはずだが、かなりデザインは異なっている。全体的に俺の古代鎧より装甲が薄いように見えるが、肩や背中など、部分的に厚みを増している箇所もあった。
左右非対称であることや、兜に不思議なパーツがついていることもあって、同じ古代鎧だとは思えない。ヴェイナードの古代鎧は特務師団長の仕様だと聞いた記憶があるが、その分鎧も特徴的なのだろうか。
「だいぶご活躍されたようですね」
あちこちに転がっている傭兵を見て、ヴェイナードは満足そうな声を上げた。
「おかげで、フェリウス殿は古代鎧の継承者として、同胞を守るために戦ったと主張することができます」
「状況はどうですか?」
そう尋ねると、ヴェイナードの声が渋いものへ変わる。
「この区画と中央区画の境目で、侵攻を食い止めています。ですが、一部は侵入されたようですね」
「中央区画との境目ですか……」
逆に言えば、この混血種の区画は防衛を放棄したということだ。三年前の襲撃がふっと頭をよぎる。あの時、帝国は古竜の奇襲を警戒して騎士団を動かさなかった。ならば、彼らの真意はどこにあるのだろう。
「対応が間に合わなかったようです。父とも未だに連絡が取れていませんし、王宮が混乱しているのは事実でしょう。
ミレウス支配人、フォルヘイムの防衛に手を貸してもらえませんか。私たち二人がいれば、大軍であろうと恐れる必要はありません」
そしてヴェイナードは手を差し出す。だが、素直に頷くことはできなかった。
「相手によります、としかお答えできませんね」
「……どういう意味でしょうか」
ヴェイナードはこちらをまっすぐ見た。お互いに兜越しだが、それでも視線が交錯する。
「相手は帝国軍です。彼らの動機が私のそれと同等とは限りませんが、それでも理解はできます」
「ほう、そうでしたか……」
ヴェイナードは驚いたように口を開くが、彼が気付いていなかったとは思えない。意図的に黙っていたのだろう。帝国に住まう人間に、帝国軍と戦えと言えるわけもない。
「その割に、こうして戦ってくださったようですが……」
「彼らは正規の帝国軍ではなく、傭兵か何かのようでしたからね。それに、非戦闘員を無闇に手にかけるのは気に入りません」
「ふむ……」
俺の言葉を受けて、ヴェイナードはしばらく考え込んでいた。
「ならば、ミレウス支配人にはこの区画をお願いしたい。この区画に残っているのはほとんどが非戦闘員です。……戦える者は、すでに交戦して魂を大地に還していますからね」
なるほど、それなら協力できる余地はあるか。正規の帝国軍と対峙した時にどうなるかは分からないが。
「なお、区民の多くは森の外れに避難しています。そこが見つからなければいいのですが……」
「森の外れ……結界の森の中ですか?」
「結界の森の近くですが、結界の範囲からギリギリ外れている場所があるのですよ。相手は結界のことを知っているようですから、結界の森付近に潜んでいるとは思わないでしょう。……まあ、セイン殿が彼らを守っていますから、簡単にやられることはないでしょうが」
ヴェイナードが付け加えた言葉は貴重な情報だった。
「セインさんもいるのですか? ……それならば、一度合流したいのですが」
「なぜです? ミレウス支配人は単独で充分戦えると思いますが」
訝しむヴェイナードに、俺は魔工研究所のメンバーを連れてきていることを説明する。彼は研究所のことは諦めていたようで、兜越しでも驚きが伝わってきた。
「なるほど……それならば、たしかにセイン殿に預けたほうがいいでしょうね。避難場所までご案内しましょう」
「ありがとうございます」
答えると身を翻す。まずドゥルガさんたちと合流して、彼らをセインが守っている避難場所へ連れて行く。それに、帝国軍の状況を確認する必要もあるだろう。セインたちが情報を持っていればいいが……。
そんなことを考えながら、俺は街外れへと急いだ。