侵攻Ⅱ
黒焦げになった木々からは水滴が滴り、足下には焼け落ちた枝と水たまりが敷き詰められている。そんな異様な森の中を歩いていた俺たちは、研究所の近くで身を潜めていた。
「研究所が目的……にしては中途半端な人数ね」
「ここが目的なら、森の広域に矢を降らせる意味がないからな」
「あれだけの矢ですから、他にもどこかにいそうです……」
俺たちの視線の先にいるのは、総勢三十名ほどの集団だ。重装備は少ないが、全員が戦闘用の装備を身に着けている。すでに戦端が開かれており、研究所の入口付近には、彼らと同じような装いをした人間が倒れていた。
研究所にはドゥルガさんがいるし、他にも魔工部隊のメンバーだって多少はいる。彼らが応戦しているのだろう。
黒焦げになったとはいえ、森の中であることが幸いして、身を隠す場所には困らない。それを利用して、俺たちは奴らの声が聞こえるところまで接近していた。
「がっ……!」
回り込んで研究所に侵入しようとしていた兵士が倒れる。おそらく魔工銃で狙撃されたのだろう。
「盾を前に出して押し込め!」
怒声とも思える声が響き、十人ほどの兵士が大盾を掲げて並んだ。そして、そのまま入口へ向けて殺到する。
「厳しいか……?」
魔工銃による攻撃は盾に弾かれており、兵士たちの前進を止めることはできない。もっと強力な魔工砲なら効き目があるだろうが、それらの魔道具が使用されることはなかった。
「よし、そのまま突入しろ! 近付けばどうと言うことはない!」
指揮官の指示を聞いて、俺は剣を抜いた。これ以上見守ると研究所に犠牲者が出る。
「俺が入口の兵士を片付ける。奴らを片付けるまで潜んでいてくれ」
「その後は挟み撃ちでいいのかしら?」
「ああ。……雷属性付与」
剣に青白い雷を纏わせると、俺は彼女たちから離れる。そして、兵士たちの横手から飛び出した。
「なんだ!?」
「何者だ!」
「――竜巻」
指揮官たちのほうへ剣を向けると、彼らの足下から竜巻が巻き起こる。対エルフ結界のせいで威力は期待できないだろうが、足止めには充分なはずだ。発動時間の長い魔法で時を稼ぐと、後ろには構わず入口へ駆け出した。
「貴様――!」
最後まで言葉を聞くことなく、しんがりにいた戦士を斬り捨てる。その後ろの戦士は盾を掲げるが、強力な雷を纏った剣の前には無力でしかない。
「ぐぉっ!?」
「がぁっ!」
突き出された槍を籠手で弾き、がら空きになった胴に右手の雷剣を叩き込む。その陰から飛び出して来た兵士の顔面に掌打を放ち、横合いから迫る兵士の剣を弾き飛ばす。相手の練度は意外と高かったが、苦戦するほどのことはなかった。
「な、何なんだお前は! エルフの切り札か!?」
「ん――?」
最後の一人が驚愕に目を見開く。その言葉に引っ掛かりを覚えるが、もう遅かった。相手の攻撃をかわした俺は、反射的に雷剣を振るっていたのだ。
「当たり前すぎて疑問を持たなかったが……人間だな」
最後の一人が崩れ落ちるのを見ながら、ぽつりと呟く。エルフしかいないこの国に、武装した人間種。それはつまり、これが国内レベルの物事ではない可能性を示していた。
「考えるのは後か」
突入部隊の全滅を確認すると、俺は背後を振り返った。そこには、俺を取り囲むように指揮官たちが立っている。ボロボロになっているところからすると、放った竜巻は意外といい仕事をしてくれたようだった。
俺は指揮官に剣を向けて問いかける。
「答えるとも思えんが……何者だ」
「問答に付き合うつもりはない。――やれ」
指揮官は煌煌とした眼差しで俺を睨みつけると、部下に指示を出した。直後、複数の魔法や矢が俺に降り注ぐ。それらをかわし、あるいは剣で弾いて凌ぐと、畳みかけるように兵士が得物を構えて突っ込んできた。
「……っ」
一人目の剣をかわし、二人目の槍を弾く。三人目の剣を潜り抜けると、かがんだ姿勢からバネを使って斬り上げた。感電した三人目を目くらましにして、死角から二人目の槍使いに斬撃を浴びせ、ついで一人目の側面に回り込んで胴を薙ぎ払う。
一人目は顔を引きつらせながらも剣で防御したが、その剣をすり抜けて雷剣が兵士を襲う。
「――ふむ」
斬り込んできた三人を返り討ちにすると、俺は小さく声をもらした。さっきも思ったが、彼らの練度は意外と高い。ただの野盗の類には思えなかった。
飛んで来た矢を剣で叩き落とすと、相手の配置を確認する。密集していれば楽に片付けられるのだが、後衛は程よく散開していた。やはりそれなりに訓練された集団だ。
「まずは……」
俺はまっすぐ指揮官を狙った。雷剣の威力を理解したのだろう。指揮官は剣で受けようとはせず、身を捻って剣撃をかわす。だが、そのおかげで剣以外へ警戒が疎かだ。
「がはっ!」
剣を目くらましにして放った掌打が、指揮官の顔面を襲う。直撃を受けて後方に倒れていく指揮官に剣で追い打ちをかけると、動揺している後衛に狙いを定めた。
「!」
狙われたことに気付いたのだろう、後衛の魔術師が魔法障壁を展開する。いい反応だった。だが――。
パリン、という甲高い音とともに障壁が砕け散る。雷属性付与のおかげで剣に魔力が乗っていることもあって、障壁の破壊は一振りで足りた。
返す刀で魔術師を斬り伏せ、矢を飛ばしてきた弓使いを真空波で返り討ちにしていく。ふと気付けば、相対する敵は誰も残っていなかった。
「あらあら、一人で片付けちゃったのね」
俺が周囲を確認していると、大樹の陰からレティシャたちが姿を見せた。そう言えば挟み撃ちにするという話だったな。
「あの、古代鎧の感覚は取り戻せましたか?」
続いてシンシアが口を開く。
「問題ない。それに、思ったほど魔法の威力が減衰していない」
そう告げて俺は剣身を眺めた。まだ効力が残っている雷剣は、うっすらと青白く輝いている。
『――これまでは鍵の封印に力を割いていましたからね。出力は底上げされているはずです』
『そうなのか?』
割り込んできた念話に驚きの声を返す。そして、これを契機に問いかけた。
『クリフ、鍵とは何なんだ?』
それは、古代鎧の授与式以来ずっと疑問に思っていたことだった。鍵を封印していたとのことだが、もう鍵がない今となっては秘匿する理由もないだろう。
『鍵のことを伏せていた理由は、エルフに鍵の在処を知られたくなかったことと、その……』
クリフは口ごもる。念話で口ごもると言うのも変な話だが、そうとしか言えない念が伝わってきたのだ。その感覚から、俺はなんとなくもう一つの理由を察した。
『ひょっとして、俺を巻き込まないためか?』
起動回数の復活方法を頑なに教えてくれなかったのも、エルフの巣窟に乗り込むことを心配していたからなのかもしれない。
『……あくまでついで、です』
『そっか。……ありがとう』
照れたような返答に笑いを堪える。念話だから多少は伝わっているはずだが、クリフは何も言わなかった。
『ということで、もはや主人に隠し事をする必要はないのですが……申し訳ありません。鍵の詳細な情報については、ロックがかけられています』
クリフは神妙な声でそう宣言した。結局、またはぐらかされるのか。そう内心で肩を落とす俺だったが、今回のクリフは少し違っていた。
『――ですから、ロックに抵触しない範囲でお伝えしましょう』
『いいのか?』
こちらから尋ねたにもかかわらず、つい訊き返す。
『古代鎧を再起動させるために、エルフの国へ潜り込んだのでしょう? そこまでした主人に隠し事はしたくありません』
そう前置くと、クリフは言葉を続けた。
『あの鍵は、とあるものを起動するための装置です』
『とあるもの? 古代文明に関係しているんだよな?』
尋ねるが、クリフから答えは返ってこなかった。ロックとやらが影響しているのだろう。
『正体には触れられませんが……主人がおっしゃった通り、三千年前の文明に関係するものです。
――そして、先代の主人が命を落とした原因でもあります』
「なんだって!?」
思わず声を上げる。突然俺が口を開いたことで、レティシャたちが不思議そうに俺を見ていた。
「どうしたの? ……ああ、人工精霊さんとお話していたのかしら」
「その通りだ。驚かせて悪かった」
謝ると、再び思考に戻る。先代の主人ということは、当たり前だが古代鎧の継承者であり、かなりの戦闘力を誇っていたはずだ。それが命を落としたとなると……。
『魔道具のようなものか?』
俺がイメージしたものは、第二十八闘技場の地下にある結界発生装置だ。あの技術力を攻撃に転用すれば、凄まじい破壊力だって得られるだろう。
『申し訳ありませんが、それも答えられません』
『そうか……少しずつ外堀を埋めていこうと思ったんだが、そうもいかないか』
ということは、ソレ自体じゃなくて、周囲に及ぼした影響なんかから予測するべきだろうか。
『ソレを運用して、どんな成果があった?』
『そうですね……結果として、神々の介入を受けました』
『神々……?』
話のスケールが一気に大きくなったことに戸惑う。だが、ここに至ってクリフが嘘をつく理由もない。神という存在にはあまり縁がない俺だが、シンシアの神託には何度か世話になっているしな。
『それだけ強大な破壊力を持っていたということか……』
『破壊力と言うと語弊がありますが……まあ、世界を一変させるだけの影響力はありましたね』
『破壊力じゃなくて影響力……』
『定義によっては破壊とも言えますが』
クリフの謎掛けのような答えに首を捻る。だが、それを深く考えることはできなかった。シンシアが俺の目の前に立ったからだ。
「ミレウスさん、あの……」
そう口を開くシンシアの視線が俺の背後を向く。つられて振り返ると、そこには研究所の入口と、そこに立つシルヴィの姿があった。魔工砲を構えて緊張感を漂わせている混血竜人のマイルも一緒だ。
手を振って挨拶をすると、シルヴィの顔がくしゃっと歪む。そして、彼女は一目散にこちらへ走ってきた。
「お兄ちゃん……! 怖かったよぅ……!」
そして、硬い鎧を気にすることなく抱き着いてくる。旅の間はモンスターの襲撃や盗賊団との戦いにも臆していなかったことを考えると、少し意外な反応だった。
「助かりました。こっちにも被害が出ていて、もう駄目かと思っていましたから」
次いで、マイルが口を開く。よく見れば彼の脇腹には血が滲んでいるし、衣服の袖は焦げていた。
「あの、治癒魔法を……」
同じことに気付いたシンシアが声をかけるが、マイルは首を横に振った。
「僕は頑丈にできていますから、大したことはありません。それより、ドゥルガ師匠をお願いできませんか?」
言って、マイルは研究所の中に入る。レティシャを見張りとして入口に残すと、俺たちはドゥルガさんがいる場所へと向かった。
「ドゥルガさんも負傷したのですか?」
ドゥルガさんは研究所のトップにして、ハーフドワーフでもある。魔道具が豊富にある研究所では、かなりの戦力になりそうだが……。
「はい。突然研究所に侵入されたせいで、まともに応戦できなかったんです。ドゥルガ師匠が決死の覚悟で武器庫までの道を切り開いて、ようやく攻勢に転じることができたのですが……」
そしてちらりと視線を向ける。その先には、すでにこと切れた研究員の姿があった。その傍には、外にいた兵士たちと似た装備を身に着けた遺体も転がっている。
「研究所内で強力な魔道具を使うわけにもいかず、第一陣を追い出すまでに複数の犠牲者が出ました」
マイルは淡々と説明する。そのことが、逆に彼の心情を表していた。
「……ここです。師匠、入ります」
やがて、俺たちを先導していたマイルが立ち止まる。部屋の中に入ると、そこにはぐったりと横たわるドゥルガさんの姿があった。あちこちに巻かれた包帯は赤黒く染まり、血臭が部屋を満たしていた。
「マイルか。外はどうなった……?」
マイルの姿に気が付くと、まどろんでいた様子のドゥルガさんはぱちりと目を開けた。
「シルヴィのお兄さんたちが片付けてくれました。もう大丈夫です。それより――」
「大治癒」
マイルが説明するより早く、シンシアがドゥルガさんの隣にかがみこんでいた。治癒魔法の光に包まれていたドゥルガさんは、やがてむくりと身体を起こした。
「こりゃ大したもんだな……嬢ちゃん、ありがとうよ」
言いながらも、ドゥルガさんはまだフラフラしていた。精神的な疲労や、無理やり魔法で身体を回復したことによる違和感は残るからだ。だが……。
「ぬっ!? その鎧はまさか古代鎧か!?」
俺のほうを見たドゥルガさんは、カッと目を見開いた。突然の気迫に押されている間にも、ドゥルガさんは古代鎧を色んな角度から眺めたり触ったりしている。
「なるほどな……! 坊のとは全然違うもんだな!」
「ええと……」
突然職人気質を発揮したドゥルガさんに戸惑う。今はそんな場合じゃないと思うんだが……。そんなことを考えていた俺だったが、その思いは杞憂だったようだ。ドゥルガさんは遠い目で虚空を見つめる。
「あいつらも、もう少し長生きすりゃ古代鎧を生で拝めたってのによ……」
その言葉に、グスッという泣き声が重なる。シルヴィだ。その声で我に返ったのか、ドゥルガさんは俺のほうへ向き直った。
「継承者、街の様子はどうだ?」
「分かりません。私たちが森へ入った時はなんともありませんでしたが……」
この襲撃の目的は分からないが、この研究所だけということはないだろう。そう考えると、街が襲われている可能性は非常に高かった。そう説明すると、ドゥルガさんは厳しい表情を浮かべた。
「いつ敵の増援が来るとも分からぬ以上、ここに留まるのは危険じゃ」
そして、彼はマイルとシルヴィに視線を向ける。
「生き残っている奴らに伝えろ。自分で運べる程度の研究成果だけを持ってエントランスに集合じゃ、とな」
「はい、分かりました」
「行ってくるね!」
指示を受けた二人はさっと姿を消した。さらに、その様子を見ていたシンシアも口を開く。
「あの……私も所内を見てきます。お怪我をしている人だっているでしょうし……」
「ああ、頼む」
頷くと、シンシアも小走りで部屋を出る。その姿を見送っていると、ドゥルガさんが俺に声をかけてきた。
「順番が逆になったが……継承者よ、街まで護衛を頼めるか? 今の状況では、ワシらだけで街まで辿り着くことは難しいじゃろう」
「ええ、もちろんです」
そして、俺も立ち上がる。ないとは思うが、倒した兵士たちが目を覚ましたり、増援が来るとまずい。今はレティシャに任せているが、俺も入口付近にいたほうがいいだろう。
そう考えた俺は、入口へ向かう通路を歩いていく。研究所員や兵士の亡骸がちらほらと目に入り、どうにもやるせない気持ちになる。
倒れている兵士はやはり人間であり、大掛かりな軍事行動である可能性を考えざるを得なかった。目的が不明だが、何を狙っているのだろうか。
そんなことを考えながら、俺は研究所の入口に辿り着く。すると、そこにはぺたんと座り込んでいるシンシアの姿があった。そう言えば、負傷者がいないか見て回ると言っていたが……。
「シンシア、どうした?」
その様子に疑問を抱いて声をかける。
「ミレウスさん……」
振り向いたシンシアは青ざめており、今にも泣き出しそうな表情を浮かべていた。腕に抱かれたノアが心配そうに主の顔を見上げているが、それに反応することもない。
――ただ事ではない。そんな認識が俺の意識を研ぎ澄ませる。
俺が注視する中、シンシアは傍にある遺骸を指差した。兵士らしい服装ではないが、耳は人間のそれだ。魔術師だったのだろうか。
エントランス内で力尽きているということは、最初に研究所に侵入し、そこで返り討ちにあったのだろう。
だが、それがどうしたというのか。首を傾げる俺に、シンシアは震える声で答えた。
「この方は……帝都のマーキス神殿にいた……私の先輩です」
「なんだって!?」
思わぬ展開に、俺は思わず大声を上げた。そして思い出す。マーキス神殿は、帝国軍の極秘任務に従軍するよう求められていたのではなかったか。
俺は周囲に倒れている兵士たちの遺体をもう一度見回した。練度の高い兵士だと思っていたが、それならレベルの高さにも納得できる。そして何より、動機には事欠かない。
その結論に至った俺は、呆然と呟いた。
「まさか、こいつらはルエイン帝国の軍人なのか……」