侵攻Ⅰ
【支配人 ミレウス・ノア】
帝国への帰還を二日後に控えた俺たちは、長旅に向けて備えをしていた。と言っても、必要なものは帝都を発つ前に揃えている。追加で補充が必要になるのは、食糧品などの日持ちがしないものだけだ。
「こんなものかな……」
まとめた荷物を見て一息つく。後は馬車に積み込むだけだ。
「少し増えちゃったわね」
荷物が増えているのは、レティシャが研究用にと手に入れた魔工研究所の魔道具だ。本来なら外部へ流出させるものではないが、彼女の結界のおかげで研究所が存続できたことを考慮して、特別に融通してくれたらしい。
「これくらいなら、馬車に全部入りますから」
シンシアのほうは目立った荷物の増加はないが、細かい彫り物がされた木の櫛なんかを買っていたはずだ。俺はさっぱり知らなかったが、植物加工においてエルフ族の右に出る者はいないらしい。
「荷台に積み込んでおくか?」
「そうね……貴重品はともかく、毛布なんかは運んでおいてもいいかもしれないわね」
レティシャの同意を得て、俺たちは荷物を裏庭の荷台へ運び込む。そして、二回目の運搬に移ろうとした時だった。視界に映る森に違和感を覚えた俺は、ふと足を止めた。
「ん……?」
何がおかしいのだろう。首を傾げて森の様子を見た俺は、じきに違和感の正体に気付いた。
「森が燃えている……?」
森の奥から、幾筋かの煙が上がっていたのだ。俺の呟きに反応して、レティシャとシンシアが俺の視線を追う。
「本当に火事です……!」
「それに、研究所がある方角じゃない……!」
そう言っている間にも立ち昇る煙の本数は増えていき、やがて赤い炎がちらちらと見えはじめる。凄まじい火勢の広がり方だ。
直後、ピーッという高音が響き渡る。森喰らいの襲撃時にも鳴らされていた警報だ。他の住民もこの緊急事態に気付いたようだった。
「火を消せ! 魔法を使えるものは森へ!」
突如として騒がしくなる。この街は森と半ば一体化しているため、放っておけば延焼に巻き込まれる可能性が高い。それだけに彼らも必死だった。
ただ、大きな問題が一つある。燃えているのは結界の森だ。エルフの純種はもちろんのこと、ハーフエルフも思うように動けないはずだった。
「私も行ってくるわ。一人でも多いほうがよさそうだから」
「私も行きます……! 魔法障壁で延焼を抑えるくらいはできますし、結界の影響もありませんから」
二人の言葉に頷く。そして、結界の影響を大して受けないのは俺も同じことだ。それに――。
「俺も行く。古代鎧があれば、水属性魔法が使えるからな」
そう宣言すると、二人は一瞬驚いた様子だった。すっかり忘れていたのだろう。残り起動回数は百回であり、充分な回数とは言えないが、ここで知らん顔をするわけにもいかない。対エルフ結界があるから、筋力強化は彼女たちにかけてもらったほうがいいだろうが。
二人に待っていてくれるよう伝えると、俺は館へ駆け戻った。そして、手早く古代鎧を身に着けていく。
『まさか、復帰後の初起動が消火活動とは……』
「俺らしいだろう?」
『開き直りましたね……たしかに、主人らしいと言えば主人らしいですが』
クリフの念話におかしなノイズが混じる。たぶん笑っているのだろう。そんなやり取りをしながら、俺はレティシャたちの下へ戻った。
「さあ、行きましょう? 『極光の騎士』が一緒だなんて心強いわ」
そんなレティシャのからかいに、シンシアがクスリと笑う。
「……急ぐぞ」
自然と出てきた『極光の騎士』の声色で、俺は二人に出発を告げた。
◆◆◆
「白雨」
凄まじい量の水が、広域にわたって猛烈に降り注ぐ。『紅の歌姫』は天候をも操る――そんな謳い文句を頭に浮かべながら、俺は沈下されていく炎を見つめていた。
「まさか、こんな大技を使うことになるなんて……」
限定的に降り注ぐ豪雨を見つめながら、レティシャは不満げに呟いた。結界の森の特性が作用したのか、生半な水魔法ではさっぱり火が消えなかったのだ。それは彼女だけの問題ではないようで、消火のために森に入った他のクォーターエルフたちも戸惑っている様子だった。
「大変だったな。……だが、これで終わりだろう」
俺たちの目の前で、雨の勢いに負けた炎が次々と消えていく。かなりの面積が燃えてしまったようだが、街への延焼は食い止めることができたのだから、よしとするべきだろう。
周囲を見渡せば、木々で視界こそ悪いものの、消火に当たっていたクォーターエルフたちがちらほら目に入る。火が消えた後も街からの応援は増加しており、彼らは一様に森の奥を目指していた。火事の原因を突き止めようとしているのだろうか。
そんな時だった。俺の背筋にぞわりと悪寒が走り、森の奥で気配が膨れ上がる。思わず剣を抜いた直後、森の広範囲にわたって無数の矢が降り注いだ。
「うわぁぁっ!」
「なにが起き――」
ほうぼうで悲鳴が上がり、消火活動に当たっていたクォーターエルフたちが倒れていく。遠距離からの不意打ちだったため、魔法職が多い彼らでは対応しきれなかったのだろう。
「二人とも俺の後ろへ!」
一方、俺は飛来する矢を片っ端から斬り払っていた。幸いにも一般的な矢であったため、全身鎧の俺にはほぼ効かない。自分に当たることは気にせず、後ろの二人に当たりそうな軌道の矢だけを弾いていく。
それに、ここが森の中であることも幸いした。雨のように降り注いだ矢だったが、放物線の軌道を描いて飛来したせいで、木々にかなり遮られていたのだ。
「右の大樹を盾にするぞ」
そう指示を出す頃には、すっかり余裕ができていた。シンシアが魔法障壁を展開してくれたのだ。もはや飛来する矢を気にする必要はない。
「この分だと、火事は人為的なものだろうな」
「そうね……あまりにタイミングがよすぎるわ」
「ひどい……」
周囲の惨状を見て、シンシアが声を震わせる。ざっと周りを見渡しただけでも、十数人のエルフ族が倒れている。そして、うち数人はすでにこと切れていた。見える範囲だけでこれなのだ。被害の総数はかなりのものだと思われた。
「ミレウスさん。この場にいる人たちだけでも、治してきていいですか?」
「ああ。またどんな攻撃が来るか分からない以上、固まって動くぞ」
そうして、シンシアは近くで倒れているエルフたちに治癒魔法をかけて回る。その間にも何度か矢が降ってきたが、治した人々は木を盾にして凌いでいるようだった。
「あ――」
そうして、次に治療する人物の下へ近付いた時だった。倒れている姿を見て、俺たちははっと息を呑んだ。
「アリーシャ……さん……!?」
シンシアの呟きで、アリーシャもこちらに気付いたようだった。腕と脇、そして足に合計五本の矢が刺さっている。引きずられたような血の痕からすると、矢を受けた後でなんとか木陰に潜んだのだろう。
「ごめん……ね……みっともないところを見られた……わね」
「話は後です! すみません、我慢してくださいね」
アリーシャの傍にかがみ込むと、刺さっている矢を引き抜いていく。矢が刺さったまま治癒魔法をかけると厄介なことになるからだ。シンシアは手慣れた様子で矢を引き抜いていき、最後に治癒魔法をかけた。
「……ありがとう、シンシアさん。助かったわ」
「いえ……」
礼を言われながらも、シンシアの表情は優れない。すぐ近くに複数の遺体があったからだ。森の中にありながらも、少し開けた場所であったことが災いしたのだろう。アリーシャが命を落とさずにすんだのは、冒険者時代の勘が役立ったおかげかもしれない。
「行かないと……!」
そして、アリーシャは焦った様子で立ち上がろうとする。そんな彼女を、俺たちは慌てて押しとどめた。
「今、危険な目に遭ったばかりだろう」
しかも、アリーシャが見ていた方角は森の奥だ。そちらへ進む気だとすれば、矢を放った奴らと鉢合わせする可能性も高い。
「シルヴィが研究所にいるのよ!」
「シルヴィが?」
思わず訊き返す。だから奥へ進もうとしたのか。炎に巻かれている上に、矢を放つような悪意を持った存在が近くにいるのだ。心配になって当然だろう。
「セインはどうした」
不意打ちだったとは言え、セインがいればあんなに負傷することはなかったはずだ。
「あの人は相談があると呼び出されて、中央区画へ行っているの。騒ぎを聞けば戻ってくるでしょうけど……」
中央区画と言うと、王宮がある辺りか。それは間に合いそうにないな。
「俺が行こう。ハーフエルフにこの森は辛いだろう」
「助かるけれど……いいの?」
アリーシャはほっとしたような、それでいて不安そうな顔で問いかけてくる。
「無論だ。……二人とも、一緒に来てもらえるか?」
レティシャとシンシアに視線を向けると、二人はこくりと頷いた。
「ええ、もちろんよ」
「シルヴィちゃんが心配ですから……!」
その言葉に頷きを返すと、俺は研究所がある方角へ向き直った。そして、タイミングよく振ってきた矢の雨を真空波でまとめて吹き飛ばす。
「奴らの目的が分からん。できればセインと合流することだ」
「ええ……」
声をかけられたアリーシャは、なぜかきょとんとしていた。その様子を不思議に思っていると、ふと彼女が口を開く。
「ミレウス……なのよね? なんだか雰囲気が違うわ」
ああ、そういうことか。説明しようとするが、レティシャのほうが早かった。
「今のミレウスは『極光の騎士』ですもの。戸惑う気持ちは分かりますけれど、中身はミレウスで間違いありませんわ」
「『極光の騎士』……ああ、古代鎧を身に着けているときは、正体を隠して戦っていると言っていたわね」
アリーシャは納得した様子で手を打つ。
「……半ば無意識に切り替えてしまうからな。分かりにくくてすまない」
「謝ることじゃないわよ。器用な子だとは思うけど。……それじゃ、シルヴィのことお願いね」
「ああ」
言葉少なに返す俺を見て、アリーシャはクスリと笑いをもらす。そして、いつ矢が降ってきても対応できるように、木陰から木陰へと渡って戻っていった。あの様子なら、矢が降ってきても大丈夫だろう。
「……行くぞ」
去っていくアリーシャから視線を外すと、俺は研究所へ向かって踏み出した。