授与Ⅰ
結界の森近くにある、ちょっとした空き地。そこで模擬戦をしていた俺は、上がった息を調えながら頭を下げた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。……やはり腕の立つ剣士との戦いは楽しいな」
相手はもちろんセインであり、他に人の姿はない。初めのうちはギャラリーがちらほらいた稽古も、恒常化すると興味を惹かなくなる。今ではレティシャやシンシア、シルヴィにアリーシャあたりがたまに見物に来るくらいだ。
「筋力強化が前提だけどな」
言いながら、剣の状態を確認する。時に闘気を交えるセインとの戦いは、剣の消耗も尋常ではない。いつもの剣では折れてしまいそうになるため、セインと模擬戦をする時は古代鎧の長剣を持ち出すことにしていた。
手近な岩に腰を下ろすと、俺は取り出した布で剣を拭う。セインも示し合わせたように布を取り出すと、俺の向かいにある岩に腰かけた。
「――そう言えば、イヤリングの話は聞いたか?」
剣身を拭きながら、セインは何気ない様子で口を開く。
「イヤリング? ……いや。何かあったのか?」
思わず胸元のペンダントを取り出す。そのトップには、相変わらず鎖に通されたイヤリングが下がっていた。
「ヴェイナードが、譲ってほしいと言ってきた」
「ヴェイナードがこれを?」
「ああ。変異種討伐の祝賀会の時だ。私にイヤリングの来歴を尋ねてきてな。お前たちに一つずつ贈ったことを説明したのだが……数日後にまた現れて、シルヴィに売ってほしいと頼んでいた」
「そんなことが……?」
あまり宝飾品の類に執着するようには見えないヴェイナードだけに、それは不思議な行動だった。
「それで、シルヴィはなんて?」
「渋っていたな。そうしたら、ヴェイナードは目の前で様々な宝飾品を並べ始めた。どれも値が張る品に見えたが……」
「交換してほしいと? ……このイヤリングにそんな価値があるのか?」
貰っておいて失礼な話だが、そう珍しい品だとは思わない。
「まあ、保存の魔法はかかっているからな。ただのイヤリングよりは高価だろうが……それだけだ。デザインも凝っているとは思うが、少し古めかしいしな」
「それで、シルヴィは応じたのか?」
「いや。ただ、最初は断るつもりだったようだが、ヴェイナードが『元の持ち主を知っている』と言い出してな。だいぶ迷っているようだった」
「元の持ち主……?」
「もう亡くなっているが、どうしても返してやりたいと言っていた。あまり深く聞けない雰囲気だったが、彼の母君のものだったのかもしれんな。五十年以上前に亡くなったと聞くから、デザインが古めかしいのも頷ける」
そして、セインは肩をすくめた。
「結局、その日は引き下がったが、また来ると行っていたよ。てっきり、ミレウスのほうにも話を持ち掛けていると思ったが……」
「特に聞いてないな……」
シルヴィのイヤリングを獲得してから、俺との交渉に臨むつもりだったのだろうか。傍から見れば、俺がこのイヤリングに特別な思い入れがあると思ってもおかしくない。
「まあ、そう深く考えることはない。イヤリングについても、ミレウスがしたいようにすればいい。お前とこうして再会できた時点で、そのイヤリングは役目を果たしてくれたからな」
そして、どこかしんみりした空気が流れる。そんな空気を打ち消すように、セインは話題を変えた。
「ヴェイナードと言えば、フォルヘイムに残らないかと勧誘されたそうだな」
「どこでそれを?」
「ヴェイナード本人だ。派閥へ勧誘したが断られた。家族から説得してくれないか、と言われたよ」
「へえ……」
思わぬ事実に驚く。俺への高評価もそうだし、セインを頼るのも意外だな。心当たりのある要素を考慮しても、そこまで積極に動く理由がピンとこない。
「もちろん、私にはミレウスを説得するつもりはない。だから、これは純粋な興味なのだが……断った理由はやはり闘技場か?」
「ああ。第二十八闘技場を離れるつもりはない」
「そうか……」
セインは短い言葉を返す。だが、その顔には複雑そうな色が浮かんでいた。
「どうかしたか?」
その様子を訝しんでいると、セインは言いにくそうに口を開く。
「私に父親ぶる資格がないことは分かっているし、フォルヘイムに残ってほしいと言うつもりもない。それを前提で聞いてほしいのだが……」
そう前置くと、セインは真剣な表情で俺を見た。
「もし、イグナートに育てられた恩義を返すために闘技場を運営しているのなら、無理に背負う必要はない。あいつには、あの世で私から謝っておく」
「……え?」
その言葉に目を見開く。恩義を返すために、不本意ながら闘技場を運営する。そんなことは考えたこともなかったからだ。幼い頃に見た闘技場への憧憬は、今でも俺の中に残っている。
「イグナートへの借りを返すべきは私だ。ミレウスではない」
だが、そんな俺の心中をセインは知らない。
「闘技場を受け継いだということは、ミレウスも昔から経営の手伝いをさせられていたのだろう? ……ああ、もちろんイグナートを責めるつもりはない。家業を手伝わせるのは当然のことだ」
だが、とセインは続ける。
「このままだと、お前は一生闘技場に縛られたままだ。これまでも、これからも」
「――待ってくれ」
俺は思わず口を挟むと、胸のつかえを一気に吐き出した。
「親父は俺に闘技場の手伝いを強制したことはない。エレナ母さんやヴィンフリーデだってそうだ。むしろ、俺が無理をして闘技場に関わろうとしてるんじゃないかって、いつも心配してくれていた」
親父たちを批判された気がするからだろうか。言っているうちに、だんだん口調が尖ってくる。
「親父から闘技場を受け継いだのは事実だが、それだって押し付けられた訳じゃない。第二十八闘技場を一番の闘技場にすると誓ったのは、あくまで俺の意思だ」
語気も荒く宣言する。なんだか喧嘩口調になってしまったが、それが偽らざる俺の本音だった。
「……」
対してセインは無言だった。俺の声に怒気を感じて、気分を害したのだろうか。そんなことを考えていると、意外なことに彼は笑い声をもらした。
「くく……イグナートには礼をいくら言っても足りないな」
「え?」
予想外の反応に目を瞬かせる。怒らないにしても、不機嫌になるくらいは当然だと思ったのだが……。
「そう肩入れするくらい、親身になってお前を育ててくれたわけだ」
「……そうだな」
頷くと、セインは気まずそうに頭を掻いた。
「すまないな。イグナートを批判するつもりはまったくなかった。……ただ、ミレウスの人生は自分で決めていいんだと、そう言いたかっただけだ」
「……そっか。変に熱くなって悪かった」
そう謝ると、俺たちの間に元の平和な空気が流れる。そんな中で、セインは再び口を開いた。
「それにしても……随分とギャラリーが減ったな。当初はレディたちで華やかなものだったが」
そして大仰に周囲を見渡す。
「そりゃそうだろう。彼女たちは戦士じゃないからな」
好奇心旺盛なレティシャと勉強熱心なシンシアは、アリーシャと魔術談義をしたり、魔工研究所へ顔を出したりしている。古代鎧の授与が決定されるまでの無駄とも思える待ち時間を、彼女たちは有効に活用していた。
「まあ、だからこそできる話もあるか」
と、セインはニヤリと笑った。なんだか嫌な予感を覚えて、俺は少し身構える。
「あの二人、どちらがお前の好みなんだ?」
俺の予感は正しかった。やっぱりそっちの話だったか。
「……さあ」
二人とは誰のことだ、とは聞くまでもない。実の親として気になるのか、単なる野次馬として気になるのかは分からないが。
「妖艶な美人と、清楚な美少女。しかも二人とも凄腕の魔術師とはな……いやいや、さすがは私のむす――」
言いかけて、セインは慌てて言葉を飲み込んだ。彼は一貫して父親らしく振る舞わないようにしているからだろう。俺としてはそれほど忌避感があるわけではないが、その気遣いには好感が持てた。
「二人とも、俺が単独では弱いことを心配して付いてきてくれただけだ」
「わざわざルエイン帝国からフォルヘイムまでか? そこまで行けば、心配というよりは好意だろう」
「……」
俺は沈黙する。彼女たちとの関係性が、一般的なものより親密であることは事実だ。ただ、レティシャはいつもあんな調子だから真意が分からないし、シンシアは俺というよりは『極光の騎士』に恩義を感じているはずだ。
そんなことをぼやかして伝えると、セインは変な顔をした。
「シルヴィやミレウスたちから聞いた話を総合すると、ミレウスは帝国最強の剣闘士で、帝都の英雄なのだろう? しかも、表の顔は躍進著しい闘技場のやり手支配人だ。私が言うのもなんだが、超がつく優良物件だ」
「突然持ち上げてどうしたんだ?」
「持ち上げたつもりはないが、もっと自分に自信を持てばいい」
そして、セインは悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「私が見たところ、どちらも脈はあるぞ。そうでなければ、私やアリーシャの前であれほど緊張するはずもない。……後はお前がどうしたいかだ」
その言葉に俺は肩をすくめた。困っているわけではない。この手の話はヴィンフリーデがよく振ってくるからだ。そして、今回も同じ答えを返すだけだ。
「どうするも何も、俺は第二十八闘技場を帝都一の闘技場にすることで頭がいっぱいだからな。他のことを考えている余裕はないさ」
それは問題の棚上げだが、同時に本音でもあった。現在、闘技場ランキング第二位まで上った第二十八闘技場だが、やはり一位の獲得は容易ではない。十位の時にランクを一つ上げるのとはわけが違う。
「それでは、その後はどうするんだ?」
だが、セインは退かなかった。その表情から、興味本位の質問ではなく、俺のことを案じているということが伝わってくる。
「その後?」
「ランク一位になった後だ。もちろん順位の維持も並大抵の苦労ではないだろうが、一区切りではある。その後も考えておくべきではないか? 彼女たちの気持ちが離れてからでは遅いぞ?」
「離れる……」
思いがけない言葉を口の中で繰り返す。その言葉は思いのほか苦く響いた。彼女たちと添い遂げるような誓いを立てたわけではないし、それどころか恋人関係ですらない。いつ目の前から姿を消されても文句は言えない立場だ。
しかし、彼女たちがいない闘技場が、そして日常が想像できないのも事実だ。そういう意味では、セインの言うことには一理ある。だが……。
「だとしても、第二十八闘技場を一位にするまでは、積極的にはそのことを考えられない。中途半端な意識は、闘技場にも彼女たちにも失礼だと思う」
俺はそう言い切った。甲斐性のない言葉かもしれないが、それが俺の誠意だ。その思いが伝わったのか、セインは神妙な顔で頭を下げた。
「悪かった。……突然ミレウスが女の子を連れて現れたものだから、舞い上がってしまったのかもしれん」
「その調子だと、シルヴィが男を連れてきた時が心配だな」
苦笑を浮かべたセインに、俺は笑いながら答える。親父がヴィンフリーデの男友達に渋い目を向けていたことを思い出したからだ。もちろん、そのことに気付いたヴィンフリーデに怒られていたが。
そんな話をすると、セインは懐かしそうに笑った。
「ふっ……イグナートも人の親ということか」
「むしろ、そうじゃない親父の想像がつかないな……」
「そうか? 私からすれば、闘技場の経営に奮闘するイグナートのほうが想像もつかないのだがな」
「冒険者時代の親父はどんな感じだったんだ?」
「知りたいか? では、イグナートたちとパーティーを組んでいた頃の話をしよう」
そして、セインから様々な話を聞く。闘技場で親父を見つけて、冒険者に誘ったこと。悪の魔導師を討伐するはずが、意気投合して仲間にしてしまったこと。手を出してきた貴族を返り討ちにしたら、国際問題に発展したこと。古代遺跡で死にかけたこと。そして、古竜との戦いと別れ。もはや、一つの英雄譚がそこにはあった。
親父はそんな傑物だったのだ。そのことが無性に嬉しかった。
「ところで……」
一通り語り終えたところで、セインは話題を変えた。雰囲気が戦士としてのそれに近付いたことを感じとって、俺は無意識に背筋を伸ばした。
「――古代鎧の主人になる覚悟は決めたのか?」
「それは――」
思わぬ指摘に口ごもる。セインがそこまで理解しているとは思わなかったのだ。たしかに俺は古代鎧を復活させるためにフォルヘイムへ来たが、同時に魔法剣士の道もわずかながら見えてきた。
だが、古代鎧の主人と魔法剣士は両立し得ない。それがアリーシャの見立てだ。
「私も古代鎧の凄まじさは知っている。たしかにあの圧倒的な戦闘力は魅力的だ。……だが、自分の力だけで高みへ上りたいという気持ちも分かる」
「……正直に言えば、今も悩んでる」
それは、他の誰にも言っていないことだった。古代鎧を復活させるために、長旅に付き合ってくれたレティシャやシンシア。彼女たちに「やっぱり古代鎧はいらないかもしれない」などと言えるはずがない。
「昔から、剣闘士になることは夢だったからな。自分の力だけで、ミレウス・ノアとして試合の間に立ちたい気持ちは今も変わらない。
だが、古代鎧に愛着だってあるし、『極光の騎士』として紡いだ縁もある。それに、闘技場ランキングに大きな影響を与えられるのは『極光の騎士』のほうだ」
「難しいところだな。剣士としてのミレウスと、支配人としてのミレウス。なまじ二つの役を器用にこなしているからこそ、悩みは深いか」
「昔に比べれば、はるかに贅沢な悩みだけどな」
自分に言い聞かせるように告げる。『極光の騎士』を取るか、魔法剣士ミレウスを取るか。剣闘士にすらなれなかったあの頃とは大違いだ。
功名心で言えば、魔法剣士を選ぶべきだろう。この旅で起動回数が復活したとしても、『極光の騎士』の正体を明かすつもりはないからだ。
だが、それでは『極光の騎士』をいいように使い捨てるようなものだ。『極光の騎士』として活動してきた数年間は、俺にとって忘れることができないものであり、身勝手に消滅させることはためらわれた。
「……我ながらひどいな。皆をこれだけ巻き込んでおいて、まだ覚悟が決まってない」
自嘲気味に呟く。旅に出た時点では、魔法剣士の道が開けるとは思っていなかったわけだし、そう非難されることではないかもしれない。だが、何よりも俺自身が、自分の優柔不断ぶりに呆れていた。
「――ミレウス」
そんな俺を静かに見守っていたセインは、やがて口を開いた。
「私にはお前の人生に口を挟む権利はない。だが……ろくに育てられた記憶もない父親ではなく、ただの凄腕の剣士の言葉なら聞く気にならないか?」
その提案を聞いて、俺は小さく噴き出した。この人は本当にブレないな。そして、本気で俺のことを考えてくれていることは分かった。
「……そうだな、興味はある」
そう答えると、セインの口元が緩む。そして彼は俺の剣に視線を向けた。
「ミレウスは『極光の騎士』を演じている自分が嫌いなのか?」
「嫌いというわけじゃないが……後ろめたいな。借り物の力で闘技場の覇者として君臨するのは図々しいと思う」
「自分の実力じゃないと思っているわけか」
「ああ。あの鎧を身に着ければ、誰だって剣闘士五十傑には入れるだろう」
「だが、筋力強化さえあれば、ミレウスは最強クラスの剣闘士と渡り合える実力がある。そうだな?」
その言葉に俺は目を瞬かせた。十年以上フォルヘイムにいたセインが、どうしてそこまで知っているのか。そう尋ねると、セインはニヤリと笑った。
「この私と剣の腕で張り合っている以上、そうに決まっている。剣で私と互角以上に戦えるのはイグナートのやつだけだからな。そして、あいつは闘技場の覇者だった」
懐かしそうに微笑んだ後で、セインは俺に視線を戻した。
「それだけの高みに上っているのであれば、魔法の武具の優劣などオマケに過ぎんさ」
「だが古代鎧だぞ? スペックが破格すぎる」
「その古代鎧を身に着けたソレイユ王子は、イグナートに敗れたわけだろう? その程度のものだ」
「――っ!?」
思いも寄らぬ視点に俺は目を見開いた。古代鎧なんて大したことはない。そう言い切られるとは思ってもみなかったのだ。
「まして、王子の古代鎧は、五大鎧の中でも最も優れた能力を持っていたと言われている。なんといっても王族専用仕様だからな。……だが、結果はどうだ。ハンデまで付いていたくせに、闘技場の覇者に負けた」
そして、セインは大げさに肩をすくめてみせた。
「他の魔法の武具同様、結局は中身次第ということだ。魔法を使えようが、古代鎧を身に着けようが、どちらもミレウスの一側面に過ぎん」
そう言ってから、セインは少し慌てたように言葉を付け加える。
「勘違いしないでほしいのだが、私は古代鎧の主人となることを勧めたいわけではないからな」
「ああ、分かってるさ。……引け目だとか、そんなことを抜きにして俺がどう在りたいか。そういうことだろ?」
「そういうことだ」
ニッとセインは笑顔を浮かべる。それはいつもの瀟洒な笑みではなく、歴戦の戦士としての笑みに見えた。
俺はどうしたいのか。自分の心の中を覗き込み、様々なものを天秤にかけていく。
「……俺は欲張りだからな。支配人として第二十八闘技場をランキング一位にしたいし、『極光の騎士』として試合の間にも立ちたい。ユーゼフとの戦いで閃いた剣技も高めたいし、文句を言ってやりたい相棒もいる」
支配人室から見下ろした試合の間の様子が、引退宣言をした時の万雷の拍手が脳裏に蘇る。ユーゼフとの戦いの熱や、姿のない相棒の澄ました物言いだってそうだ。
そして何より、親父と交わした最後の約束がある。いつか、向こうで胸を張って顔を合わせるためにも、ここを譲るわけにはいかなかった。
「もちろん、魔法剣士の道に未練はあるが……どちらも俺だとしたら、得られるものが多いほうを選ぶさ」
「……そうか」
セインの返答はそれだけだったが、特に不満は感じない。俺が一方的に宣言しただけのことだからな。だが、セインはどことなく嬉しそうに見えた。