二人の幼馴染
【ミレウス・ノア】
ユーゼフ君が弟子入りを志願して、僕と一緒にコテンパンにされた日の夜。クロイク家の夕食には、彼も招かれていた。
「――本当にアテはあるのか? 子供一人くらいはなんとかなるぞ?」
「ありがとうございます。でも、そこまで図々しくはなれません。僕が独り立ちできるまでの生活費は準備してきました」
「さすがロマイヤー家だな……金の使い方が豪快だ」
ユーゼフ君の言葉を聞いて、親父が少し呆れていた。いくら子供一人とはいっても、生きていくにはたくさんのお金が必要だ。
それをあっさり準備したというユーゼフ君に、僕らは驚きを隠せなかった。
「でも、住むところはどうするの? あまりうちから遠いと、稽古に通うのも大変でしょう」
「ここから遠くない場所に、ロマイヤー家が所有する建物があります。そこの管理をする代わりに、住んでもいいという許可をもらいました」
エレナ母さんの言葉にもハキハキ答える。その様子はあまりにも爽やかで、さっき戦っていなければ剣闘士志望だとは信じられなかっただろう。
「これからは、裏庭の稽古なんかに加わることになる。顔を合わせることも多いと思うが、構わねえか?」
親父の言葉は、エレナ母さんとヴィンフリーデに対して向けられたものだ。すでにユーゼフ君を歓迎している僕はともかく、二人にとっては突然の話だ。
ユーゼフ君は悪い子には思えないけど、それでも知らない男の子が、急に裏庭やうちに出入りするという話には抵抗があるはずだった。
「私は構わないわよ。手のかかる子供が三人から四人に増えても、大して変わらないわ」
だけど、エレナ母さんはあっさり受け入れた。まあ、そうなる気はしてたけどね。
「三人って、俺も入ってねえか……?」
親父のぼやきを受けて、僕とエレナ母さんが笑い声を上げた。そして、僕たちはヴィンフリーデの答えを待つ。
知らない人間を受け入れることについては、僕という前例があるけど、それは僕らが三歳くらいだったからできた話だろう。
だけど、ヴィンフリーデが拒否した場合、ユーゼフ君の修業がやりにくくなることは間違いなかった。
「そんなに心配そうな顔をしなくても、私は気にしないわ」
僕らの顔を見て、ヴィンフリーデはおかしそうに笑った。こういうのって、女の子は嫌がりそうなものだけど、やっぱり親父の豪快な性格が受け継がれているんだろうか。
「だって、お父さんが弟子入りを認めたんでしょう? じゃあ心配ないわよ」
その言葉を聞いて、親父の顔が面白いくらいニヤけた。威厳にかかわるレベルで顔が崩れてるけど、何も言わないことにしよう。
「ヴィンフリーデさん、ありがとうございます!」
ユーゼフ君が立ち上がってお礼を言う。すると、ヴィンフリーデが変な顔をした。
「同じ年なんでしょ? ヴィーでいいわ。私もユーゼフって呼ぶから」
「え? でも、それは……」
師匠の娘を呼び捨てにすることにはためらいがあったのか、ユーゼフ君が口籠もる。
「ヴィーの言う通りだな! 同い年で敬語なんざいらねえよ」
「……分かりました、今後はそう呼ばせてもらいますね」
親父がヴィンフリーデ側についたことで、ユーゼフ君も観念したらしい。
「あとよ、俺のこともミレウスみたいに親父と呼んでくれりゃいい。さっきみたいに『イグナートさん』と呼ばれるのは、どうにもむず痒くてよ」
「親父、ですか……!?」
今度はさすがに驚いたみたいだけど、僕としてもそのほうがしっくり来るかな。稽古の時なんかに、僕が親父と呼んで、ユーゼフ君が『イグナートさん』って呼ぶのはなんだか変な気分だし。
ユーゼフ君は僕たちの顔を順番に確認する。親父と呼ぶことを、誰かが不快に思わないか確認したのだろう。
だけど、そこに拘る人間はこの家にはいない。
「……じゃあ、これからは親父と呼ばせてもらいますね」
「おう、よろしくな! さて、話も決まったしじゃんじゃん飯を食えよ! 戦士の基本はトレーニングと食事だからな!」
勧めに従って、僕とユーゼフ君が同時に肉のおかわりをする。その様子を見て、親父は楽しそうに笑っていた。
◆◆◆
「ミレウス、君は闘技場の経営を手伝ってるんだって?」
親父と一緒に朝の稽古を終えて、五人で朝食を食べた後。仕事に出かけた親父の背中を見送りながら、ユーゼフは口を開いた。
「そうだよ。毎日じゃないけどね」
僕たちはリビングに戻って話を続ける。ユーゼフと一緒に稽古をするようになって、今日で三日が経っていた。
まだ日は短いけど、三日も一緒に親父のハードな訓練をこなしていれば、仲間意識で仲は良くなる。
朝、親父を見送った後は、しばらく二人で雑談をすることが日課になっていた。
「君はすごいんだね。あれだけの剣の腕前があるのに、そんなことまでしているなんて」
「そんなことはないよ。僕は居候みたいなものだから、少しでも役に立とうと思ってるだけだよ」
そう答えると、ユーゼフは驚いた後で、納得したような顔つきになった。
「そうだったの? たしかに、ヴィーとミレウスはあまり似ていないとは思っていたけど……」
「でも、ヴィーはエレナ母さんと似てるだろう? けど、僕と親父に共通点はないからね」
「それじゃ、どうして君は――」
言いかけてユーゼフは口籠もる。他の家に預けられている子供は、何かしらの事情を背負っていることが多い。そのことに思い当たって、ユーゼフは踏みとどまったんだと思う。
「三歳くらいの時にこの家に来たから、実はあまり覚えてないんだ」
「そうだったのか……あれだけ剣が使えるんだから、僕と同じ押しかけ弟子だったのかと思ったよ」
「押しかけ事務員にはなっちゃったけどね。さっきも言ったけど、僕は役に立たなくちゃ」
「うーん……」
すると、ユーゼフは不思議そうに首を傾げた。だけど、ユーゼフが口を開く前に別の声が割り込んできた。
「もう、ミレウスはまだそういうことを考えてるのね」
現れたのはヴィンフリーデだった。調子の悪そうなエレナ母さんと寝室に入っていたはずだけど、いつの間にか出てきていたらしい。
「ヴィー?」
「お父さんもお母さんも、ミレウスが役に立つから一緒に暮らしてるんじゃないわ。ミレウスが闘技場の仕事をしなくても、たとえ剣闘士にならなくても、放り出したりするわけないじゃない」
言って、ヴィンフリーデは小さく溜息をついた。
「えっと……ごめん」
なんだか怒られている気がして、僕は真面目に謝った。しん、とリビングの空気が静かになる。
その空気を壊すように、ヴィンフリーデは悪戯っぽく笑った。
「ミレウスがそんなに頑張ってると、私の立場がないじゃない」
それはヴィンフリーデの気遣いなのだろう。その言葉に笑うべきか悩んでいる間に、彼女はどこからともなく小さな包みを取り出した。
「みんなで食べよ?」
包みに入っていたのは、十枚ほどのクッキーだった。勧められるままに一枚を口にすると、バターの香りがふわりと立つ。
「美味しい……」
思わず口から出た感想に、ヴィンフリーデの表情が輝く。その様子からすると、彼女が作ったクッキーなのだろう。
「本当に美味しいね。そこらのお店より美味しいんじゃない?」
続いてユーゼフが舌鼓を打つ。その言葉は決して大袈裟ではない。ヴィンフリーデの料理の師匠……つまりエレナ母さんはとても料理が得意だ。
たまに、うちの闘技場の剣闘士に料理を振る舞うことがあるけれど、そういう時は決まって料理の奪い合いになるくらいだ。
そして、ヴィンフリーデもその腕前をしっかり受け継いでいるようだった。
僕らの反応を見て満足したのか、ヴィンフリーデは笑顔を浮かべると、ユーゼフのほうへ身を乗り出す。
「ねえねえ、ユーゼフは他の国から来たんでしょ? 他の国ってどんな感じなの?」
ひょっとすると、それは意図的な話題転換なのかもしれない。だけど、さっきの話をこれ以上続ける気のない僕にはちょうどよかった。
「うーん……どう話したものかな……」
「ユーゼフがこの街に来て驚いたことはあった?」
切り出し方に迷っているユーゼフに助け舟を出す。すると、ユーゼフは天井を見上げながら口を開いた。
「尚武の気風かな。この国って、強いことを良しとする空気があるよね」
「え? そう?」
思わず声を上げると、ユーゼフは真剣な顔で頷いた。
「この国では、他の国よりも剣闘士の地位が高いよね。国によっては、剣闘士は犯罪者や戦争捕虜ばかり、というところもあるんだ。
でも、この国では剣闘士は英雄であり、スターだ。それくらい、みんな強い人を讃える土壌があるんだよ」
「ふーん」
僕はヴィンフリーデと顔を見合わせた。この国から出たことのない僕たちには、どうにもピンと来ない話だった。
そんな僕らを見て、ユーゼフは苦笑を浮かべる。
「君たちはずっとこの街で生きてきて、そして親父の傍にいるんだから、イメージできなくても仕方ないさ。後は……街を遠くから見た時に、マーキス神殿がやけに大きいことには驚いたかな」
「神殿って大きいものじゃないの?」
「あそこまで大きい神殿は珍しいんじゃないかな。この街の傾向からすると、戦神ディスタの神殿が大きいのは分かるんだけど、それ以上に大きいからね……」
そうだったのか。天神マーキスの神官は闘技場が好きじゃないと聞いてるせいか、この闘技場だらけの街でマーキス神殿が大きいという話はなんだか不思議だった。
「あと、この国って亜人が少ないよね? 純種はともかく、僕が育った町にはハーフエルフや半竜人もたくさんいたんだけど、こっちに来てからあまり見てないね」
「そうなの? この街の比率が普通なんだと思ってた」
「あの人たちとの戦いも面白いんだけどね。特に半竜人なんかは強敵だよ。一年ほど前のことだけど――」
ユーゼフの言葉に僕は身を乗り出した。半竜人はどんな戦い方をするんだろう。そして、ユーゼフはどう戦ったんだろう。
僕はワクワクしながら、ユーゼフの話に耳を傾けた。
◆◆◆
帝都マイヤードは、森を切り開いて作られたと言われるだけあって、周りには森が多く存在する。
中でも、北西にある森は『嘆きの森』と呼ばれていて、あまり人が立ち入らない区域だ。名前の由来は文字通りで、多くの人が嘆いている声が聞こえる気がするのだ。
この森は、他の森とは似ても似つかない植物が多く生えているため、そのうちの一つが変な音を立てているという説が有力だけど、未だにそんな植物は見つかっていない。
だけど、そういったいわくつきの場所は、子供の冒険心をくすぐってやまない。
「二人とも、置いていくわよ!」
「ヴィー、少しペースを落とさないと、後で一気に疲れるよ?」
「それに、魔物だって出るかもしれないし」
先頭を歩くヴィンフリーデに、ユーゼフと僕で呼びかける。すると、彼女は楽しそうにくるりと振り向いた。
「心配しなくても、奥の危険な所には行かないわ。それに、ミレウスとユーゼフがいるんだから、魔物なんて平気よ」
僕とユーゼフは顔を見合わせる。そう言われるのは嬉しいけど、ヴィンフリーデに怪我をさせるわけにはいかない。
ユーゼフの複雑な顔を見るに、その思いは共通だったようだ。
「それでも、森はどこから危険が襲ってくるか分からないんだからさ」
そう声を上げたのは僕で、さっとヴィンフリーデの隣に立ったのはユーゼフだ。一緒に親父の稽古を受けるようになって三年が経つけど、先に手が出るのがユーゼフ、まず口を出すのが僕という図式ができていた。
剣闘士としてはユーゼフのほうが正しいような気もするけど、支配人としての親父を手伝うならこっちのほうが都合がいい。
「ところで、エレナさんの具合はどうなんだい?」
歩きながらユーゼフが切り出したのは、家では話しにくい話題だった。最近のエレナ母さんは、誰の目から見ても調子が悪い。
特に、ユーゼフは別の家に住んでいるから、詳しいことが分からなくて気になるんだろう。
「お医者さんにも診てもらったけど、特に悪いところは見つからなくて……」
そして、ヴィンフリーデは俯きながら言葉を続けた。
「だから、『喧騒病』じゃないかって言われたの」
「喧騒病?」
心当りがなかったのか、ユーゼフは首を傾げる。
「この街の風土病だよ。罹患する人はそんなに多くないけど、ゆっくり衰弱していくんだ。にぎやかな場所が苦手になる人が多いから、『喧騒病』って呼ばれてる」
「そんな病気があったのか……治療法はあるのかい?」
「――ないわ。街を離れて、静かな所で養生すればよくなるらしいけど……治ったと思って街へ入ったら、また発症するの」
沈んだ表情のまま、ヴィンフリーデは近くの小枝を小さく蹴飛ばした。宙を舞った小枝が乾いた音を立てて転がる。
その行方を静かに見ていたヴィンフリーデは、やがてにっこり笑った。
「でも、そうと決まったわけじゃないわ! それに、喧騒病はすぐに命に関わるような病気じゃないから、焦らなくても大丈夫よ」
それは、僕たちにというよりは、自分に言い聞かせるような口調だった。
「そうだね。僕たちが変に騒ぎ立てても、エレナ母さんと親父が困るだけだろうし」
そんなヴィンフリーデを後押しするように、僕はすぐ同意する。できるだけエレナ母さんのフォローはするけど、それで気を遣わせてしまったら意味がない。
「だから、今日はお母さんをびっくりさせるような収穫を持って帰るわよ!」
「そう繋がるんだ……」
「そもそも、収穫ってどんなものをイメージしてるのかな……?」
その言葉に、僕とユーゼフは再び顔を見合わせた。そして、いつの間にか数歩進んでいたヴィンフリーデに慌てて追いつく。
そうして、どれくらい歩いただろうか。道を決めるのは、ヴィンフリーデの気分と僕の勘だ。特に目的のない探検だけど、僕らはだいぶ森の奥深くまで入り込んでいた。
いくら凶悪な魔物がいないと言っても、深部は別だ。特に、この森は植生がおかしいことで有名だし、すでに植物の密集具合は異常なレベルだ。食人植物くらいはいても不思議じゃなかった。
引き返そう、そう提案しようとした時だった。
「ねえ、あれなんだと思う?」
ヴィンフリーデの言葉に、僕は目を瞬かせた。彼女が指差す先――密集した木々の向こうに、少し開けた空間があったのだ。
木々が異常に密集している空間に慣れていたせいか、それはとても不思議な光景だった。
「行ってみよう」
何か惹かれるものを感じて、僕はヴィンフリーデと並走する。少し後ろをユーゼフが付いてくる気配が感じられた。
「これって……家なの?」
「少なくとも、建造物の跡に見えるね」
家というには少し大きい気もするけど、それは間違いなく人が使用することを前提とした建物だった。ただ、屋根を貫いている大樹が示す通り、もはや建物としての使用は不可能だろう。
屋根も半分以上なくなっているし、壁も申し訳程度にしか残っていない。そのため、中に入らなくても内部の様子はよく分かった。
「これ、いつ頃の家なのかな!? ひょっとして、古代文明時代からあったりして」
近くでしげしげと内部を眺めると、ヴィンフリーデは目を輝かせた。
「だとしたら、魔道具か何か残ってないかな。売れば結構な値段になると思う」
そう呟くと、ヴィンフリーデは不満げに僕を見る。
「もう、ミレウスはロマンがないわね。昔の人が使っていた道具なんて、それだけで面白そうじゃない」
「お金になれば、もっと楽しいかもしれないよ。ヴィーが好きなフルーツのパイを毎日食べられるかもしれない」
「っ……そ、それは別の話よ」
ヴィンフリーデは目を逸らしながら答えた。そして、家を貫いて伸びている大樹に手を伸ばす。
「ヴィー、不用意に触れちゃ――」
「立派な木ね。それに、なんだか変わった形をしてる」
僕が制止する間もなく、ヴィーは大樹に手を当てた。
「……あれ? 何も起こらない?」
拍子抜けした僕は思わず首を傾げた。見上げた木は不思議な形をしていたけど、とても悠然としていて、たしかに禍々しい雰囲気はない。
「この木って、ひょっとして二つの木がくっついてるの?」
「え?」
ヴィンフリーデの言葉を受けて、僕は注意深く大樹を観察した。すると、真っすぐ伸びる大樹と、それを補強するように絡みついている木の二種類が存在していることに気付く。
「さすがは嘆きの森、変わった木ばかりだね」
遅れてやってきたユーゼフは、感心したように呟く。僕がヴィンフリーデと一緒に飛び出してしまった分、周りを警戒してくれていた彼だけど、周囲は安全だと判断したのだろう。
そんなユーゼフと入れ替わるように、僕は建物だったエリアを見て回る。本当に魔道具の一つでもあれば、うちの闘技場にも余裕ができる。そう思ったからだ。
「そんなに上手くはいかないか……」
だけど、そんな都合のいい話はなかった。人工物の欠片らしきものはいくつか見つかったけど、これじゃとてもお金にはならない。
そもそも、僕たちでも来れるような森の浅い場所なんだから、何かあったとしても先達が手に入れているだろう。
「ミレウス、そろそろ戻らないか?」
そうして辺りを隈なく調べていた僕に、ユーゼフが話しかけてきた。
「そうだね、ここまでは順調に来られたけど、帰りもそうとは限らないし」
「えー……」
僕ら二人の会話を聞いて、ヴィンフリーデが残念そうに声を上げた。けど、帰りが遅くなれば、体調の悪いエレナ母さんにもっと負担をかけることになる。
それが分かっているヴィンフリーデは、名残惜しそうな表情を浮かべながらも僕らの所へやって来る。
「お母さんにあげるお土産を見つけたかったわ……」
「この木のことを土産話にしたらどうだい?」
すかさずユーゼフがフォローする。上手いぞ、ユーゼフ。僕が心の中で応援していると、ヴィンフリーデは素直に頷いた。
「そうね、そうするわ。……ねえ、また一緒に来ようね? その時はちゃんと何かを持って帰るから」
「もちろん」
そんな会話を経て、僕らはその場を後にする。まるで僕たちを見送るように、風が大樹の葉を揺らしていた。