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変異種Ⅴ

「あれか……」


 それが変異種だということはすぐに分かった。全長十メテルほどの巨体は、四足歩行する生き物から人間の胴体を生やしたような歪な形だ。

 ケンタウロスと似ているが、大きく異なるのは、その下部が蜥蜴や竜のような形状であり、上半身よりも前に突き出していることだろうか。

 そして森喰らい(エルフイーター)の特徴なのか、こちらも植物の根や枝らしきものに覆われており、さらに昆虫の足や触覚のようなものも多々見られた。


「聞いていた通りの見た目ではあるが……醜悪じゃな」


 やがて、ドゥルガさんはぽつりと呟く。変異種の姿を無言で眺めていた俺たちは、その一言で我に返った。


「人型だと聞いていたが……下に竜が付いているとは」


「あまり直視したくない見た目ね……」


 そんな呑気な会話を交わせているのは、まだ変異種と数十メテル離れているからだ。あまり感覚が鋭いわけではないのか、無目的に徘徊しているような印象を受ける。一向に透明化する様子がないことからすると、戦闘時にしか使わないのかもしれない。


「まあ、奴がどんな姿であろうとやることは一つだ。……ドゥルガさん、予定通りでいいかな?」


「うむ。下に竜が付いているとはいえ、儂らがやることは変わらぬ。魔道具の結界は常時展開して他の森喰らい(エルフイーター)やモンスターを近付けぬようにする。一定の距離まで近付いたら、魔工砲やそっちの魔法で先制。透明化した場合は、すぐに塗料を詰め込んだ散弾を発射。各自役目は分かっておるな? 支援魔法をかけておくなら、今のうちじゃぞ」


 ドゥルガさんの言葉は、特に俺に向けられたものだった。セインは筋力強化フィジカルブーストがなくても充分強いが、俺はそうじゃないからな。ただ、この森に入った時点で筋力強化フィジカルブーストはかけてもらったのだが……。


「ミレウス、筋力強化フィジカルブーストをかけ直しておくわ。森に入ってからだいぶ時間が経っているから。……シンシアちゃんはミレウスに防御プロテクト聖属性付与ホーリーウェポンをお願いできる?」


「はい、分かりました……!」


 レティシャの指示にシンシアが頷く。やはり調子が悪そうな二人だが、そのやり取りに無駄はない。そして、レティシャのほうはすでに魔法に集中して……。


 ――大混乱が始まったのは、その時だった。


「なんだ!?」


 ふっと俺たちの周囲が暗くなる。目の前に現れた巨大な何かが、陽の光を遮ったのだ。そしてその何かは、さっきまで遠巻きに見ていた変異種の姿と同一だった。


「――っ!」


 数十メテルあった距離をいつの間に詰めたのか。なぜ物音一つしなかったのか。そして、巨体の割に存在感が薄いのはなぜか。疑問はいくらでもあった。だが、今考えるべきはそこではない。


 標的はレティシャだと悟った俺は、彼女を抱いて飛び退く。おそらく魔法の練り直しになっただろうが、命には代えられない。

 予想通り、彼女がいた場所に巨人の拳が振り下ろされる。握り拳を振り下ろすだけの単純な攻撃だったが、巨体から生み出される破壊力は大したもので、辺り一帯の地面が揺れた。


「ミレウス、ありが――」


 腕の中のレティシャが口を開くが、それを最後まで聞く余裕はなかった。今度はシンシアが狙われていたからだ。敵は意外なほど切り替えが早い。


 シンシアを狙ってきたのは、下部に付いている竜のほうだった。迫る顎を渾身の剣撃で弾き返す。幸いなことに、サイズから考えていたほどの破壊力はなかった。人型と一体化しているせいで上手く動けないのだろうか。


「ミレウスさん――」


 今度はシンシアが礼を言おうとするが、やはりその言葉はかき消された。なぜなら、変異種がふっと目の前から消えたからだ。


「え――?」


「透明化か!」


 そう構えたのも束の間、俺の耳に新たな悲鳴が届いた。


「――うおっ!?」


「きゃぁっ!?」


 悲鳴の発生源を見て、俺は目を疑った。先ほど攻撃を弾き返したばかりの変異種は、十メテル以上離れた魔工部隊を襲っていたのだ。

 一拍遅れて、近くで爆発音が聞こえてくる。この音は覚えている。魔工砲の破壊音だ。


「避けたのか……?」


 爆発したのは、変異種の背後にある木々だ。あの巨体で避けられるとも思えないが……。


「ちっ!」


 マイルを背にしたセインが、連続で襲い来る鞭のような枝を弾き返すのが見えた。枝は人型の腕から生えているようで、その動きに合わせて複数の鞭がセインたちを襲う。


「何が起きている……?」


 疑問が口をついて出る。セインの加勢に向かいたいところだが、また不意にレティシャやシンシアを襲われる可能性もある。迂闊には動けなかった。


 そう悩んでいる間に、魔工部隊の一人がなんらかの筒を構えた。筒の先を変異種に向けているあたり、魔工砲と同じような攻性兵器なのだろう。そして――。


「! 今のは……!」


「消えた……いえ、すり抜けた……?」


 少し離れた場所で起きたおかげで、今度ははっきりと分かった。筒から放たれた何かは、変異種の巨体をすり抜けて背後の木に着弾したのだ。


「どういうことだ……?」


 実体がないわけではない。変異種の攻撃をセインが剣で弾いているということは、そういうことだろう。だが、本体がこれでは攻撃のしようがない。


 変異種の攻撃は再びセインによって阻まれ、巨人の拳や鞭のような枝は後ろの魔工部隊には届いていなかった。セインとしては攻めこみたいところだろうが、彼の剣撃もまた、変異種の身体をすり抜けている。守る仲間が多いこともあって、迂闊に動けないようだった。


「くらえっ!」


 セインに守られている魔工部隊が、再び魔道具を構える。すると、変異種の姿が一瞬消えて、また同じ場所に現れた。


「ん……?」


 その動きに違和感を覚える。変異種の位置はほとんど変わっておらず、わざわざ消えた意味が分からなかった。そう言えば、その前の攻撃でも一瞬姿を消していたな。


「この感じ、能力……形は違うけど、まさか……」


 と、変異種を分析していた俺の耳に、震えた声がかすかに聞こえてきた。見れば、シンシアが青ざめた顔で変異種を見つめている。だが、声をかけようとした俺より先に、レティシャが動いた。


「今度はこっちから仕掛けるわ。背後からの奇襲なら通じるかしら」


 その様子からすると、レティシャにはシンシアの声が聞こえていなかったのだろう。彼女は一歩進み出ると、いつもの音楽的な詠唱を始めた。その瞬間、震えていたシンシアが慌てた声を上げる。


「レティシャさん、駄目で――」


 シンシアの言葉が終わらないうちに、ふっと俺たちの周囲が暗くなる。突然、俺たちの前に変異種が現れたのだ。多少狙いはズレているものの、すでにその拳は振り下ろされている途中だった。


「何っ!?」


 剣を叩きつけて巨大な拳の軌道を変えると、俺は大声でシンシアに問いかけた。


「シンシア、どうした!? 何か知っているのか!?」


 問いながら、彼女を襲う枝の鞭を弾き返す。そこへ返ってきたのは予想外の言葉だった。


「気を付けてください! たぶん、その変異種は魔法に反応して転移してきます……!」


 セインや魔工部隊にも聞かせるつもりだったのだろう。彼女は精一杯の大声で注意を呼びかける。


「なんだって!?」


 俺たちは彼女の言葉に驚くが、納得できる面もあった。突如として現れること、そして一瞬姿が消えること。透明化という前情報に踊らされていたが、テレポート能力であれば簡単に説明がつく。


「ちっ……!」


 だが、今は深く考察している余裕がない。背後の二人を庇いながら戦っているため、思うように動けないのだ。その中で致命傷を受けないように立ち回るのはなかなかの難作業だった。


 だが、レティシャたちも伊達に戦い慣れているわけではない。俺が指示するまでもなく、二人は少しずつ俺から距離を取っていた。そのおかげで次第に動きやすくなってくる。


「――っ!」


 振り下ろされた拳を避けると、俺はその巨大な拳を起点として斬り上げた。実体化している拳を起点にすることで、こちらの攻撃が通じるのではないかと考えたのだ。だが――。


「うぉっ!?」


 それは甘い考えだった。狙い通り拳を斬り裂いた俺の剣は、巨人の手首に達したところでスッと通り抜けたのだ。剣の抵抗が突然なくなったことで、俺はバランスを崩す。


 そして、それを好機と見たのか、変異種の鞭が俺を側面から襲う。姿勢を崩し、身体が伸びきった俺には、それを避ける余裕はなかった。


「ぐ……!」


 なんとか剣を引き戻し、鞭に直接打たれることは回避したものの、その威力を殺すことはできずに五メテルほど吹き飛ばされる。


「ミレウス!」


「ミレウスさん!?」


 二人が緊迫した声を上げる。だが、それに答えている余裕はなかった。目の前には追撃をかけようとした変異種が迫っていたのだ。だが……。


「――消えた?」


 俺が身を起こしている間に、またもや変異種の姿がかき消えた。そして、その姿はセインたちのそばに突如として出現する。たしかに、これは転移と考えたほうがよさそうだな。


「ミレウス、大丈夫!?」


「治癒魔法が使えれば……」


 分析している俺の下へ二人が走ってくる。合流した俺たちは、厳しい顔で変異種とセインの戦いを見つめていた。


「たしかに、襲ってきたのは両方とも魔法を使おうとした時ね。……ということは、魔道具にも反応するのね」


「だから、向こうに転移したんだと思います……」


 そう答えるシンシアを見て、俺は首を傾げた。彼女は明らかに動揺している。三十七街区で蹂躙する巨人(デバステイト)と対峙していた時でさえ、怯えることはあっても動揺はしていなかったシンシアがだ。


「……シンシア。以前にも遭遇したことがあるのか?」


 それは、ただの思い付きを口にしただけだった。だが、彼女の反応は顕著だった。


「っ! それは……」


「でも、森喰らい(エルフイーター)はこの結界の森にしかいないんでしょう? しかも、魔工研究所の歪な魔力がないと生まれなかったわけだし、過去に遭遇なんて……」


 シンシアが答えるより早くレティシャが口を開いた。彼女の言葉を受けて、なぜかシンシアの動揺が大きくなる。


「シンシア……?」


 彼女の手はぎゅっと握りしめられていた。何かが彼女を追い詰めている。だが、その正体が分からない。


「――ドゥルガさん!」


 と、セインの鋭い声が響いた。どうやら変異種がドゥルガさんのほうへ転移したらしい。運が悪かったのは、セインとは逆方向に出現したということだ。おそらく魔道具を使おうとしたのだろう。


 間一髪、セインがドゥルガさんと変異種との間に割り込むが、無茶をしたせいでセインの脇腹を鞭が打ち据える。だが、それでも踏み止まったセインは、お返しとばかりに闘気のこもった斬撃を下半身の竜に叩き込んだ。


「またすり抜けたか……」


 思わず肩を落とす。これまでの攻撃よりは効いているように見えるが、あくまでゼロではない、といった程度だ。俺も感じたことだが、まるで霧に向かって剣を振っているような気分だった。


 相手の攻撃は当たるのに、こちらの攻撃は当たらない。そんな理不尽なことがあっていいのだろうか。


「レティシャ、魔法なら効くと思うか?」


「何かしら手立てはあると思いたいけれど……アイデアを一つ試すにも命懸けね」


「魔法を使おうとすると、こっちへ転移してくるからな」


 レティシャの言葉に同意する。魔法を練る段階で妨害されるため、魔法の発動まで至らないのも厳しい話だ。


「逆に、みんなで魔法や魔道具を連続で使うのはどうかしら。そうすれば向こうはまともに動けないんじゃない?」


「奴は連続で転移しても、構わず拳を振り下ろしているからな。そのモーションの途中で転移した場合、予備動作なしで俺たちの真上に拳が出現する可能性があるが……そうなると避けられない」


 もちろん狙いがズレる可能性もあるが、運次第で死者が出ることは好ましくない。痛む左腕を軽く動かすと、俺は右手の剣を握りしめた。


「俺も加勢してくる。シンシアの言葉通りなら、魔法を使わない限り二人は狙われないはずだ」


「でも、剣は効かないんでしょう?」


「そうだが……いくらセインでも、あの人数を一人で守るのは厳しいはずだ。防戦一方なのが辛いところだな」


 そう言ってセインのほうを見る。その身体には、少しずつ傷が増えているように思えた。急ごう。そして、一歩踏み出した時だった。


「――ミレウスさん、待ってください……!」


 シンシアの言葉を聞いて、俺は二歩目を踏み止まる。振り返ると、彼女は思い詰めた顔で俺を見つめていた。


「その……物理攻撃が効かないほうは、私がなんとかできるかもしれません……」


「本当か!?」


「一体どうやって……!?」


 俺たちはシンシアに詰め寄る。それが本当なら、願ってもないことだ。だが――。


「シンシア、そのためには魔法を使う必要があるのか?」


「……はい。それに、少し長い祈りになります」


 彼女の返事は予想通りのものだった。そして、それは変異種の転移攻撃に晒されることと同義だ。


「危険だ。さっきは二人とも魔法を中断したからよかったが、詠唱を続けた場合、ずっと術者を狙う可能性がある」


 そうなれば、さすがに守りきれない。向こうには大質量の拳という防ぎようのない攻撃手段があるのだ。鞭はともかく、アレは回避するしかない。だが、それを魔法を詠唱している人間に求めるのは酷というものだろう。


「祈り? 魔法じゃなくて……?」


 対して、レティシャは別の観点を持っていたようだった。そう言えば、シンシアはさっき詠唱じゃなくて『祈り』と言っていたな。


「……はい」


「さすが『天神の巫女』と言うべきかしら……」


 それだけで、二人の間には何かが通じたらしい。一人で首を捻っていると、レティシャが軽く説明してくれた。


「神官の魔法の多くは、私たち魔術師の魔法と変わらないわ。たとえば、私とシンシアちゃんが使う筋力強化フィジカルブーストは、どちらもまったく同じ魔法よ。

 けれど、神官にしか使えない魔法もあるの。有名なところでは神々の慈愛(アフェクション)かしら。修練を重ねるのではなくて、神の啓示のような形で会得すると言われているわね」


 レティシャが博識なところを披露してくれる。おかげで、大体のところは理解できた。


「ただ言えることは、授かった神聖魔法は、一般的な魔法では代用できない強力な効果を持つものがほとんどだということね」


 レティシャが説明を終える。それを受けて、俺はシンシアに向き直った。


「シンシアが使おうとしているのも、それなのか?」


「はい。術式はまだ覚えていますから……」


 そう答えるシンシアは、なぜか遠い目をしているように感じられた。


「けれど……実体のない相手に攻撃を通す神聖魔法なんて……」


「何かおかしいのか?」


 思わず、と言った様子で呟くレティシャの声に振り返ると、彼女は小さな声で言葉の続きを囁いた。


「あまりに用途が限定的なのよ。神官が授かる神聖魔法は、必要に応じて授けられるはずなの。治癒系の神聖魔法が多いのも、神官は治癒魔法を使う機会が多いからだと言われているわ」


「じゃあ、シンシアは過去にその手の魔物と戦ったことがある……?」


 俺の思い付きに、レティシャは首を横に振って答えた。


「その手の魔物、じゃ足りないわ。攻撃を無効化する原理が異なれば、まったく意味がないもの。同じ原理で攻撃を無効化する魔物と戦ったことがあるなら別だけれど……そもそも、研究所の魔力に当てられて変異したモンスターよ? 他にも存在していたとは考えにくいわ」


 しばらく悩んでいた様子のレティシャは、シンシアの目の前に立った。その表情は、いつもより少し厳しい。


「シンシアちゃん、信じていいのね? あまりこんなことは言いたくないけれど……魔法を練っている間は、ミレウスがあなたを守ることになるわ。他人を庇いながらあの巨体と戦うことは、命を落としかねないほど危険よ」


 そして、彼女はシンシアの目をまっすぐ見た。


「使おうとしている神聖魔法には、それに見合うだけの確実性があるの?」


「そうだな……俺はともかく、シンシアの身に危険が及ぶことは間違いないからな」


 俺もレティシャの言葉に同意する。シンシアを信じていないわけではないが、変異種を前にして長時間の魔法詠唱は非常に危険だ。やらないに越したことはない。


「もう少しセインと剣を試してみるさ。どこかに反撃の糸口があるかもしれない」


「だ、駄目です……! アレにダメージを与える方法は、他にありませんでしたから」


「?」


 その言い方に引っ掛かりを覚える。やはり、彼女の言い方からすると……。


「シンシアちゃん……あなた、どこで変異種と戦ったの……?」


 俺が口を開くより早く、レティシャが問いかける。問われたシンシアは表情を強張らせたが、真剣な眼差しで俺たちを見つめた。


「お願いします、私を信じてください……! 理由は、その……後で説明しますから」


 シンシアの答えは決して歯切れのいいものではなかった。だが、彼女が本気であることは、見れば分かる。それなら細かい疑問は後回しで充分だ。


「……分かった。シンシアを信じる」


「っ! あ、ありがとうございます……!」


 シンシアはほっとしたように息を吐いた。そして、真剣な表情で進み出る。


「祈っている間は、私はあまり動けません。でも、その分祈りに集中しますから……その、運ばれることはできます」


 それはつまり、シンシアを担いで変異種から逃げ回ることは可能だということだ。だが、いくらシンシアが小柄だとはいえ、人を抱えての戦闘行為は無謀だし、下手をすれば二人とも死ぬ恐れもある。


 とは言え、他にいい手がないことも事実だ。このままではいずれ押し切られるだろうし、やってみる価値はある。


「シンシア、頼めるか?」


「はい……!」


 そして、俺たちは体勢について試行錯誤する。右手は剣を振るうために開けておきたいから、横抱きにするわけにはいかない。だが、荷物のように肩に担ぐとシンシアが苦しいだろう。意外な難題だった。


「……本当にこれで大丈夫なのか?」


「その、祈りに姿勢は関係ありませんから……でも、ミレウスさんが嫌だったらやめます」


「そういうわけじゃないが……」


 やがて落ち着いたのは、横抱きに近い形だった。俺が片手でシンシアを下から支えて、シンシアが俺の首に手を回す。シンシアの顔は真っ赤だし、俺も思うところはあるのだが、身体の自由度やシンシアの負担を考えた結果、これが一番マシだろうという結論に至ったのだ。


「二人とも、気を付けてね」


 そんな俺たちを見ていたレティシャが言葉をかける。彼女は何か言いたそうだったが、結局意味ありげな視線を俺に向けるにとどめる。さすがにからかう場面ではないと思ったのだろう。


「ああ。巻き込まれないように、レティシャは離れていてくれ」


 その言葉に従って、レティシャが少し遠ざかる。俺たちの目の前に変異種が現われても、巻き添えをくらうことはない距離だ。


「それじゃ……いきます」


 レティシャが離れたことを確認すると、シンシアは目を閉じた。神聖魔法の詠唱に入ったのだ。


「――これって……古代語?」


 詠唱の言葉が聞こえたのだろう。レティシャの驚いた声が耳に入る。だが、それに構っている暇はなかった。変異種が転移してきたのだ。


「来たか……!」


 振り下ろされた拳を飛び退いてかわし、飛来した枝の鞭を剣で弾く。時には森の木を盾にして攻撃を凌ぎ、俺は変異種の攻撃からシンシアを守り続けた。シンシアの集中力は大したもので、宣言通り詠唱が途絶えることはなかった。舌を噛まないか心配だったが、それも今のところ問題ないようだった。


 だが、相手は巨大な拳や複数の鞭、そして竜の下半身といった攻撃手段を備えている。そのすべてを防ぎきるのは、さすがに厳しいものがあった。


「くっ……」


 鞭が俺の左肩をかすめる。シンシアに当たらないよう、無理に身体を捻った影響でバランスを崩していたのだ。追撃を受けないようにと、俺は跳びすさって距離を取った。そして、仕切り直しをしようと――。


「しまっ――」


 距離を離したはずの変異種が、俺の目の前に現れた。距離が開きすぎたせいで、転移が発動したのだろう。そのことに思い至った時にはもう遅かった。拳と複数の鞭が俺を狙って動き出す。


 すべてを避けるのは無理だ。そう悟った俺は、シンシアへのダメージを最小限にする選択肢を探す。いくら彼女でも、変異種の攻撃が直撃すれば、集中力は切れてしまう。だが……。


「――楽しそうだ。私も混ぜてもらえるかな?」


 俺目がけて伸びてきた鞭を、セインがまとめて斬り飛ばした。魔工部隊を置いて救援に来てくれたのだろう。数十メテルほど向こうに、魔工部隊の姿が垣間見えた。


 そこからは、立ち回りに少し余裕が生まれていた。セインが護衛についてくれたおかげだ。最も厄介な鞭の大半を引き受けてくれたため、俺も余裕を持って他の攻撃を回避、迎撃することができたのだ。


 そうこうしているうちに、腕の中で微動だにしていなかったシンシアが目を開ける。その目は変異種を見据えており、準備ができたことは明らかだった。俺の首に回していた右腕を外すと、彼女は変異種を指差した。


「汝、摂理から外るること能わず。――顕現せよ(マテリアリゼーション)


 シンシアらしからぬ凛とした声とともに、変異種が眩い光に包まれた。その輝きはしばらく持続した後で、すぅっと消えていく。

 そして、後に残ったのは先程までと変わらない変異種の姿だ。だが、今までとは異なり、その巨体に見合った存在感を発していた。


「ふむ……? ミレウス、何が起きた?」


 同じく変化を感じ取ったのだろう。セインが訝しげに俺を……いや、シンシアを見つめた。


「剣が効くようになったはずだ」


「それは嬉しいな。レディに感謝を」


 セインは訝しげな表情を一転させると、演技がかった仕草でシンシアに礼をした。


「私は先に行く。ミレウスはお嬢さんを預けてから来るといい」


「え……?」


 言われてシンシアに視線を落とすと、彼女はぐったりしており、かなり消耗している様子だった。それだけの大魔法だったのだろう。

 俺は離れて戦いを見守っていた魔工部隊へ近付くと、シンシアを預ける。シンシアはまだ朦朧としていたが、彼女については責任を持って守るとドゥルガさんが引き受けてくれた。


「シンシア、ありがとう。後は俺たちの仕事だ」


「はい……」


 答えるシンシアに頷きを返すと、俺は踵を返して変異種の下へ向かう。


「オリヴィアさん……今度は、ちゃんとできましたから……」


 そんな声が、背後から聞こえた気がした。



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