変異種Ⅰ
生い茂る木々が覆いかぶさり、苔や蔦が壁面を森の色に染める。一見しただけではそれと分からないような形で、その建物は存在していた。
「この遺跡が……」
森と一体化していてよく分からないが、かなり広いように見える。少なくとも第二十八闘技場と同程度の規模はあるだろう。
「なんて大きいのかしら……!」
やはり魔術師の血が騒ぐのだろう。興奮したようにレティシャが声を上げた。とは言え、帝都の地下でさんざん遺跡を見たからか、我を忘れるほどではないようだった。
「えへへ……魔工研究所へようこそー!」
俺たちの前へ出たシルヴィは、嬉しそうに手で遺跡を指し示した。それだけ自分の居場所だという思いが強いのだろう。そう思うと、余計にこの遺跡を破壊したくないな。
遺跡の入口のあった操作盤らしきものを、シルヴィが慣れた手つきで操作する。すると、正面の門がゆっくりと開かれていった。
「こっちだよ!」
門が開ききるのも待たずに、シルヴィが門の内側へ足を踏み入れる。彼女の後に続いた俺たちが遺跡の内部へ入ると、再び門扉が閉じていった。
その技術をじっくり眺めることもなく、俺たちはシルヴィの後に付いていく。エントランス部分は広かったものの、その後の通路は無数に枝分かれしている。慣れないうちは案内人か見取り図が必要だろう。
「ドゥルガ師匠はここだと思うよー」
やがて、シルヴィはとある扉の前で立ち止まった。付近の扉と比べて巨大なことから、特別な部屋であることが窺える。なお、ドゥルガ師匠とは、シルヴィの魔工技師の師匠であり、この遺跡の主任管理者でもある人物だという。
「師匠、こんにちはー!」
俺が密かに警戒心を抱いている間にも、シルヴィがあっさり扉を開く。扉の向こうはやはり普通の部屋ではなかった。様々な機器らしきものが置かれており、魔工技術に関する施設だということはなんとなく分かった。
「その声はシルヴィか」
返ってきた声はぶっきらぼうなものだった。だが、シルヴィは構わず施設に踏み込む。
「うん! あと、ヴェイナード様を連れてきたよー! それとお兄ちゃんも!」
「おうおう……またぞろぞろと来たもんじゃな」
施設で俺たちを待ち受けていたのは、背丈の低い、だががっしりとした体型の持ち主だった。帝都で闘技場の建設や修理をしているギル親方と似ていることから、おそらくドワーフ……いや、ハーフドワーフなのだろう。
「あのね、ヴェイナード様が大切なご用事なんだって!」
「ふむ……坊が結界を抜けてわざわざ来たということは、何かありそうじゃな。……この続きは明日じゃ」
豊かな髭をしごきながらドゥルガさんは立ち上がる。最後の言葉は、一緒に作業をしていたと思しき半竜人に向けたものだろう。その言葉を受けて、半竜人の男性が俺たちの傍をすり抜けて部屋を出て行く。
「シルヴィ、そこの卓を片付けてくれるか」
「はーい!」
その言葉を受けて、シルヴィはてきぱきと近くの作業台らしき場所を片付けていく。そうしてできたスペースに、俺たちは腰を下ろした。
「……人間が三人も訪れるとは、珍しいこともあるものじゃ」
「違うよぅ! 一人はお兄ちゃんだもん!」
ドゥルガさんの言葉を遮るようにシルヴィが抗議の声を上げる。魔工技術の師匠だという話だったが、上下関係はあまり厳しくないようだ。それともシルヴィが特殊なのだろうか。
「ふむ……? そう言えば、さっきもそんなことを言うておったな」
そして、彼の目が俺に向けられる。残る二人は女性なのだから、必然的に俺がシルヴィの兄ということになる。
「ということは、お主はクォーターエルフか」
「シルヴィがお世話になっています。フェリウスと申します」
すんでのところで俺は偽名を使う。シルヴィが余計なことを言わないかハラハラしていたが大丈夫なようだ。遺跡への道中で釘を刺しておいてよかったな。
さらにレティシャとシンシアが軽く自己紹介をすると、ヴェイナードはさっそく本題に入った。
「――この研究所を破壊するじゃと!? 坊、正気か!?」
一通り話を聞き終えたドゥルガさんは、憤った様子で声を上げた。あまりの剣幕に驚いたのか、ノアが羽をバタバタさせる。
「この遺跡には、ワシらが理解できん魔工技術が山のように眠っておるのじゃぞ? それに、運用中の魔工兵器や使い捨て魔道具への魔力充填はどうする気じゃ」
「だからこそ、困ってドゥルガ主任のところへ来たのです」
「困るくらいなら、最初からそんな話を受けんことじゃ」
「彼らはこの研究所を目の敵にしていますから、難癖をつけてくるのは時間の問題でした。フェリウス殿が古代鎧の正式な主人になれば、その分こちらの発言権も大きくなりますし、研究所を守りやすくなります」
「そのために研究所を失っては本末転倒じゃろうが」
ドゥルガさんはむすっとした顔でヴェイナードを睨んだ。彼らの刺々しい雰囲気を感じたのか、隣ではシルヴィがしょんぼりとしていた。その様子を見かねて俺は口を挟む。
「ヴェイナードさんが考えているのは、研究所の破壊ではなく森喰らいの活発化を鎮めることでしょう?」
「ええ、その通りです。森喰らいの活発化は建前に過ぎませんが、その建前を失えば遺跡を破壊する必要はなくなります」
俺の言葉にヴェイナードは頷く。だが、ドゥルガさんの表情は変わらなかった。
「じゃから、それが無理だと言うておる。森喰らいの活性化はこの研究所が排出する歪な魔力が原因じゃが、排出を止める方法はない。ワシも排出魔力の問題にずっと取り組んでおるが、さっぱり進歩はないからの」
「せめて、短期間でもなんとかなりませんか? 古代鎧さえ正式に授与されればこちらのものです。例えば、その間だけこの研究所の利用を止めて……」
「利用を停止しても、この研究所は起動しているだけで魔力を排出する。元の休眠状態に戻すのであれば別じゃろうが、そんな方法は誰も知らぬし、する気もない」
そう断言すると、ドゥルガさんは立ち上がった。もう話は終わりだということだろうか。そうなる前にと俺は慌てて口を開く。
「ヴェイナードさん。一つお伺いしたいのですが、短期間とはどのくらいの期間を想定していますか?」
「目標を達成したと報告してから、一か月は様子を見られると思います」
突然の質問に驚いた様子ながらも、ヴェイナードは問いかけに答える。一か月か。それなら……。
「その間、結界を張ってごまかすというのはどうですか?」
完全な一時凌ぎだし、詐欺に引っ掛けるような心持ちになるが、相手はエルフ族だ。あまり罪悪感を覚えることはなかった。
「無理じゃ。それも試そうとしたが、対エルフ結界のせいで、術者はろくに魔法を練ることができん」
どうやら、同じようなことはすでに考えていたようだった。だが、今回はその時と明確に異なるものがある。そして、ドゥルガさんもそのことに気付いたようだった。
「……そうか、お主らは人間じゃったな。じゃが、この規模じゃぞ? 一人や二人でなんとかなるとは思えぬが」
「彼女は極めて優れた魔術師ですから」
そして、俺の視線がレティシャへ向く。困った時はいつも彼女に頼ってばかりだな。そんなことを考えていると、レティシャはわざとらしく肩をすくめた。
「もう……そんなに期待した目で見られると断れないじゃない。それが古代遺跡の保護に繋がるならなおさらね」
「できそうか?」
尋ねた俺に、レティシャは指を二本立ててみせた。
「必要なものは二つあるわ。一つ目は、シンシアちゃんの手助け」
「わ、私ですか?」
突然の指名にシンシアが慌てる。
「遺跡の規模と結界の性質を考えると、魔力的にも人手的にも私だけじゃ足りないわ。シンシアちゃんの結界はとてもハイレベルだから」
「それで、二つ目は?」
「器の確保ね。今考えているのは、シンシアちゃんに魔力遮断結界を張ってもらって、私が魔力誘導と封印を施す方法なの」
「魔力誘導? 遮断結界だけじゃ駄目なのか?」
「それだけだと、結界内にあるこの研究所が高濃度の魔力に晒されるわ。そして、森喰らいが影響を受けて、人体に影響が出ない保証はないもの」
「なるほどな……」
レティシャの話はもっともだった。俺としても、シルヴィたちが魔力で暴走するところなんて見たくはない。
「だから器が必要なのよ。歪な魔力を集めて、そこに留めておくようなものが」
「話は分かったが……器にはどんなものを用意すればいいんだ?」
「そうね……理想的なのは魔晶石だけど、この研究所の魔力排出量によっては巨大なものが必要になるわね」
「魔晶石か……あれ、たしか高かったよな」
詳しくは知らないが、巨大なものは第二十八闘技場の建設費用より高いはずだ。もはや想像もできない。
「それに、巨大な魔晶石は存在自体が希少だから、お金を積んでも手に入らない可能性が高いわ」
「うーん……どこかに魔晶石を掘り出しに行くか?」
「それも面白そうだけど、代替になりそうなものがあるわ。森喰らいよ」
「森喰らい?」
予想外の回答に素っ頓狂な声が上がる。
「この付近で森喰らいだけが活発化しているということは、歪な魔力と相性がいい素体である可能性が高いわ。
今回の結界作りで一番難しいのは、研究所から排出された魔力だけを誘導するところよ。だから、相性のいい素体をなんとか確保したいところね」
「ということは、森喰らいを倒して、死骸を持ってくればいいのか?」
「ええ。ただ、容量が問題なのよね……歪な魔力を留めて封印する必要があるから、あの大きな森喰らいでも足りないと思うわ」
「大量に森喰らいを狩れば足りるか?」
森喰らいの大型種とは一度しか遭遇していないが、戦って倒せない敵ではない。複数体揃えることは可能だろう。そう考えた俺だったが、レティシャは首を横に振った。
「核となる素体が複数あると、結界が安定しないのよ。だから、できるだけ大物を手に入れる必要があるわ」
「大物……」
その言葉で頭に浮かんだのは、セインが言っていた『変異種』のことだ。大型種どころではない、巨大なサイズだと聞いた気がする。その話をすると、レティシャは乗り気のようだった。
「それは助かります。どのみち、森喰らいの掃討をする必要があったのですよ」
そこへ口を挟んできたのはヴェイナードだった。
「研究所の魔力排出を抑え込んだと報告したところで、森喰らいが頻繁に襲撃してくるようでは、上層部は納得しませんからね」
「そうですか? 排出魔力の影響は生態系に及んでいるわけですし、すぐに鎮静化するとは思えませんが……」
「おっしゃる通りです。ですが、それが分かっていてもケチをつけるのが彼らの仕事です。彼らは変異種の存在をまだ知りませんが、アレの存在を知れば、必ず研究所の破壊を求めるでしょう」
「そういうことですか……」
森喰らいの襲撃を目の当たりにした身としては、奴らを討伐することに異存はない。それが古代鎧の復活に繋がるならなおさらだ。
そんなことを考えていると、しばらく沈黙していたドゥルガさんが口を開いた。
「……坊、あの変異種を討伐するつもりか?」
「ええ。この研究所も古代鎧も、諦めるつもりはありません」
「変異種はあまりに危険じゃ。セインでも勝てるとは思えん」
「そうなのですか?」
思わず口を挟む。彼の戦いぶりをこの目で見たせいか、あの実力で倒せない魔物がそういるとは思えなかった。すると、ドゥルガさんはぎろりと俺に視線を向ける。
「偶然とはいえ、奴と遭遇した部隊は十数人からなる大所帯で、実力も申し分なかった。……だが、生きて帰ったのはそのうち二人だけじゃ」
「そして、その二人はその時の恐怖で今も森へ入ることができません」
ドゥルガさんの言葉をヴェイナードが補足する。
「奴は特殊能力を備えておるようだが、その詳細も不明。生還した二人の断片的な言葉を総合すると、変異種は突然現れて、一切の攻撃が通じなかったそうじゃが……なんであれ、瞬く間に部隊は壊滅した」
「おそらく透明化の能力を持っているのだろうと予測しています」
再びヴェイナードが補足を入れる。透明化か。気配まで消せるのでなければ、対処のしようはあるだろう。レティシャの範囲攻撃なら、攻撃を当てることだってできるはずだ
「そこで、彼らにも討伐に参加してもらうことにしました。彼らは優れた戦闘力を持っています」
そう言ってヴェイナードは俺たちを指し示した。すると、ドゥルガさんは俺たちを疑い深そうに見つめる。
「能力が分からぬ以上、変異種の討伐には前衛が欠かせん。セインは必須としても、奴の邪魔にならんだけの技量を持った戦士がおらぬと、奴の負担が重すぎる」
「彼は超一流の戦士ですよ。他国で最強の戦士の座に君臨していた傑物ですからね」
歯がゆい言葉でヴェイナードがフォローする。だが、ドゥルガさんは納得していないようだった。
「そうは見えんが……」
ドゥルガさんは探るような視線で俺を観察する。歴戦の戦士というには、あまりに横幅が足りない。そう考えているのは明らかだった。
「先ほども、彼はセベク将軍をうち倒したばかりです。なんなら実力を確認しますか?」
「ほう……?」
どうやらセベクが剣の名手であることは、ドゥルガさんも認めるところらしい。ヴェイナードの言葉を聞いて、彼はもう一度俺を見る。その表情には感心したような色合いが混ざっていた。
「……まあ、坊が言うのなら見かけ通りではないのだろう。判断はセインに任せる」
「ありがとうございます」
ドゥルガさんの言葉に、ヴェイナードが頭を下げる。その光景を見ていた俺は首を捻った。たしかに変異種討伐は危険だが、なぜ魔工技師であるドゥルガさんの許可をもらう必要があるのか。
そんな俺の疑問は、ドゥルガさんの次の言葉で解消された。
「セインが前衛に足りると判断したなら……ワシらも魔工部隊として、最大限にお主らを支援しよう」