フォルヘイムⅤ
「ミレウス、お疲れさま……その傷はどうしたの?」
「い、いったい何があったんですか……!?」
「ピッ?」
エルフの王宮での話を終え、ヴェイナードの館へ戻った俺を留守番組が迎えてくれる。頬の傷に気付くと、二人は怪訝そうに俺を見つめた。
「まあ、なんというか……」
頬の傷に触れながら、俺は王宮での経緯を説明する。
「相変わらず、ミレウスは闘技場のことになると容赦がないわね」
「大きなお怪我がなくてよかったです……」
さっと手を伸ばしたシンシアが、俺の頬に触れた。彼女の手の先に治癒魔法の光が集まり、頬の傷を癒していく。この程度の怪我で魔法を使ってもらうのは申し訳ないが、最近の彼女は軽傷でも治してくれる。見知らぬ土地ということで、警戒心が強くなっているのだろう。
「ありがとう、シンシア。……以前に、エルフ族は闘技場に否定的だと聞いたことはあったからな。覚悟しておくべきだったんだろうが……」
「たしかに、もともと否定的な傾向はありますが……三年前の事件があったばかりですから、余計に過敏に反応したのでしょう」
自戒をこめた呟きに、ヴェイナードが意外な言葉を返してくる。俺が視線を当てるとヴェイナードは肩をすくめた。
「ミレウス支配人が気を悪くされると思って黙っていたのですが……闘技場と剣闘士は、今のエルフ族にとって忌むべき存在なのですよ」
「……どういうことですか?」
「三年前の事件で、エルフ族の王子にして希代の英雄であったソレイユ殿を殺したのが剣闘士だからです」
「それは、つまり――」
その言葉で、かつてヴェイナードが語っていた話と三年前の話が繋がる。やっぱりそうだったのか。
「ええ。第二十八闘技場の先代支配人であるイグナート氏のことです」
「じゃあ、親父が倒した指揮官は、やっぱりエルフ族の王子だったんですね」
ということは、さっき謁見したルナフレアの兄になるわけか。どちらかと言えば、反応していたのは周りの重臣たちだった気もするが。
「ええ。ソレイユ王子は達人級の剣技と魔法を修めており、エルフ族で最高の戦闘力を持った英雄でした。古代鎧を身に着けた王子に勝てる者は、この世界に存在しない。そう信じられていたのです」
「なるほど……その英雄を倒した親父は、国を挙げて憎まれているわけか」
「ソレイユ王子はカリスマ的な人気を誇っていましたからね。外の事情を知らない混血種はともかく、純種にとっては王子の仇です。ですので、ミレウス支配人もお聞きになった通り、エルフの上流社会で彼は『悪鬼イグナート』と呼ばれています」
「悪鬼イグナート……」
その単語を口の中で何度か繰り返す。いつの間にか、レティシャとシンシアが心配そうに俺を見つめていた。
「ミレウス……」
「ミレウスさん……」
二人は俺から視線を話さない。親父を貶められて怒り出すと思ったのだろう。だが――。
「悪鬼イグナート、か。『闘神』ほどじゃないが、悪くないリングネームだな」
「……え?」
笑顔を浮かべた俺を見て、三人が怪訝な顔を見せた。
「自分の戦いが、何年も経った今でも語り継がれてるんだろ? 親父なら喜ぶさ」
「……そういうもの?」
レティシャが不思議そうに尋ね、隣のシンシアも小首を傾げる。たしかに、人によっては怒ったり嘆いたりする話だろう。だが、俺には確信があった。
――へっ、俺の試合が今でも語り継がれてるんだぜ? 剣闘士冥利に尽きるってもんよ。
そう言って豪快に笑うに違いない。それがイグナート・クロイクという剣闘士だ。
「それに……」
俺は小さく笑う。
「親父の戦いぶりは、悪鬼なんて表現じゃ生ぬるいからな。俺とユーゼフがどれだけ痛い目にあったか」
そうおどけると、二人の表情が緩んだ。俺が本当に気にしていないことを悟ったのだろう。
「……あら? でも、それじゃ『極光の騎士』はどうなるの? 同じく帝都を守った英雄だし、憎まれていそうなものだけど」
そして、レティシャが新たな疑問を提出する。言われてみればそうだな。
「たしかに『極光の騎士』はソレイユ王子の腹心であるバロール筆頭魔術師を倒していますが、目撃者がいないせいであまり話題に上がりませんでした」
「目撃者がいないなんて、そんなことがあり得るかしら?」
「そのバロールとかいうやつが、門の魔法を暴走させて、展開していた部隊ごと俺を異空間に飛ばしたからな」
結局、脱出できたのは俺とバロールの遺体だけだったはずだ。そう答えると、レティシャは目を丸くして驚いていた。
「よく無事に帰ってこられたわね……けど、それなら目撃者が皆無なのも分かるわ」
「でも、帝都の噂を聞けば、『極光の騎士』さんがその周辺で戦っていたことは分かってしまいませんか……?」
今度はシンシアが口を開く。
「ソレイユ王子の死がそれだけ大きかったということですよ。バロール殿は貴族の出ではなく、その優秀さをソレイユ王子に買われて腹心になった人物でして、貴族社会ではあまり人望がなかったということも大きな理由ですが……」
なるほど、そのおかげで『極光の騎士』のほうは警戒されていなかったわけか。世知辛い話だが、それに助けられたのは事実だな。
そして、話は本来の目的である古代鎧の使用承認へと移る。
「それで、古代鎧の承認はどうなったの?」
「認められる方向で進んでいると思う。ただ……」
古代鎧の承認条件が遺跡の破壊であることを話すと、彼女たちの表情が引き締まる。
「古代遺跡の破壊ですって!?」
特にレティシャの反応は顕著だった。難易度という面でもそうだし、古代の叡智である遺跡を破壊するなど言語道断なのだろう。
「あの遺跡は我々にとって重要な施設ですからね。その優位性を奪うつもりなのでしょう」
「優位性?」
「ええ。実は――」
首を傾げたレティシャに、ヴェイナードが事情を説明する。対エルフ結界の中に古代遺跡があること。そのため、混血種のほうが魔工技術の面では大幅に進んでいること。
「それに、あの遺跡には、本来は使い捨てであるはずの魔道具に魔力を充填する施設がありましてね。森喰らいとの戦いで犠牲者を減らすことに大きく貢献しているのです」
「それを聞くと、余計に破壊できないわね……」
「ヴェイナードさん、どうしますか?」
俺はヴェイナードに問いかけた。政治的な事情が絡む以上、俺が勝手に判断するわけにはいかない。
「ひとまず、遺跡に行きましょうか。向こうにほぼ常駐している魔工技師もいますから、彼らの話を聞こうと思います」
答えるヴェイナードの顔は、相変わらず渋いままだった。
◆◆◆
「お兄ちゃん、早く早く!」
対エルフ結界が張られた森の中を、賑やかな少女の先導で進んでいく。鬱蒼とした森の中にあっても、彼女の足取りに迷いはない。
「シルヴィちゃん、嬉しそうですね」
そんな妹を見て、隣を歩いていたシンシアがクスリと笑う。
「なんだか目的を忘れていそうだけどな」
対エルフ結界の影響を受けることもあって、ヴェイナードはあまり古代遺跡の場所に詳しくない。そこで案内役が必要だったのだが、ヴェイナードが指名した案内人は魔工技師のシルヴィだった。
おかげで気楽ではあるが、彼女の性格上、色々と脱線しないように気を付けておく必要がありそうだった。
「お兄ちゃんに仕事場を見せるんだって、勢い込んでいたわね」
今度はレティシャが口を開く。
「帝都で第二十八闘技場を案内したから、そのお返しのつもりかな」
「好きな人を好きな場所へ案内するのは嬉しいものよ。……ねえ、お兄ちゃん?」
レティシャのからかうような呼びかけに、肩をすくめて答える。そして、俺は後ろにいるヴェイナードを振り返った。
「大丈夫ですか?」
「ええ。戦闘行為をしているわけではありませんからね」
平然とした声色だが、その動きはいつもより鈍いように思われた。クォーターエルフであるうえに強化魔法をかけてもらった俺と違い、ハーフエルフのヴェイナードには結界の影響が強いようだった。
「あの、ミレウスさんと同じように、筋力強化をかけましょうか?」
「ピィピィ!」
「お気持ちだけで結構です。それに……実を言えば、すでに筋力強化はかけているのですよ」
シンシアとノアに話しかけられたヴェイナードは、自嘲気味に肩をすくめた。
「そうなんですか?」
「筋力強化の効果も結界の影響を受けますから、こんなものです」
「そうですか……?」
俺は首を傾げると、手をぶんぶんと振ってみる。幾度となくかけてもらった筋力強化だが、効力が変わったとは思えない。
「ああ、ミレウス支配人は大丈夫でしょう。シンシアさんやレティシャさんの魔法は結界の影響を受けませんからね」
「あら? 同じ効果を持つ魔法でも、エルフ族の魔法だけが減衰するの?」
「ええ。ハーフドワーフや半竜人の魔法には影響が出ないことを確認済みです」
「それじゃ、古代鎧の出力も落ちるのかしら?」
「残念ながら、その通りです。そのこともあって、余計にこの辺りは純種のエルフが近寄れないのですよ」
「人とエルフじゃ魔法の作法は全然違うと聞くけれど……そういった技巧的なものじゃなくて、もっと本質的なレベルに作用する結界なのかしら」
「ん……?」
レティシャの言葉を聞いた俺は、ふと首を傾げた。結界の話ではない。それは、俺にとってもっと重要なことだった。
「ミレウスさん、どうしたんですか?」
「ピィ?」
その様子に気付いたシンシアたちが、不思議そうに俺を見上げる。
「気付いたんだが……エルフの魔法なら、俺でも使えるんじゃないのか?」
それはつまり、『ミレウス・ノア』が魔法戦士として闘技場に立てる可能性があるということだ。これまで気付かなかったのは迂闊としか言いようがないが、エルフ族の血を忌避していたせいで、メリットのほうにまで意識がいかなかったのかもしれない。
「たしかに、その可能性はあるわね。ミレウスの魔力がエルフ族由来のものだとしたら、私じゃ教えられないもの」
そう答えたのは、かつて俺に魔法の手ほどきをしてくれたレティシャだ。
「じゃあ、フォルヘイムの誰かに教えてもらえれば……」
「ああ、フォルヘイムにいる間に試してみたい。……人間にしか見えない俺に、魔法を教えてくれる物好きなエルフがいるか分からないが」
しかも、俺は突然現れた余所者だからな。そんな俺に魔法の手ほどきをしてくれる変わり者がいればいいが、これまでに出会ったエルフの態度からすると、それも困難を極めそうだった。
新たな難問に深く溜息をつく。だが、その悩みは妹によってあっさり解消された。
「え? お母さんに習わないの?」
「……あ」
間抜けな声が漏れる。そう言えば、実母のアリーシャはハーフエルフの魔術師だったな。
「アリーシャ殿は魔法教室を開いていますからね。適役でしょう」
さらに、ヴェイナードが情報を追加してくれる。彼女は魔法教室の教師なのか。それはありがたいな。
「お兄ちゃんが魔法を教えてって言えば、お母さん喜ぶと思うよ!」
「……そうだな」
どうにも複雑な気分だが、自分で強化魔法を使える可能性に比べれば、個人的なわだかまりなんて小さなものだ。
「研究所から戻ったら、一緒におうちに帰ろうね!」
そして、相変わらず妹は賑やかだった。