フォルヘイムⅡ
ヴェイナードに先導されて辿り着いたのは、フォルヘイムの外周部だった。俺たちがいた区域はフォルヘイムの東側だが、その東の端に数十人が集結していた。
「ヴェイナード様! 戻っておられたのですか」
「お帰りなさいませ!」
そして、うち数人がヴェイナードの姿を見つけて挨拶をしてくる。
「戻った。状況はどうなっている」
ヴェイナードは一言で挨拶を終えると、森の奥へ目をやった。何も見えないが、戦闘音らしきものが聞こえてくる。
「中型が推定で三十体。さらに大型の個体が確認されたため、一部の者がすでに戦端を開いています」
「大型を仕留めに行ったのか?」
「はい。街の際で戦っては被害が大きくなるとの判断です」
そうしていくつか確認をすませると、ヴェイナードは素早く指示を出していく。
「最終防衛ラインとして第四、第五部隊はこの場で待機。第三部隊は大型討伐の援護に回れ。第一、第二部隊は中型討伐。多少の討ち洩らしは構わないから、戦線を押し上げるように意識してくれ」
「はっ!」
ヴェイナードの指示を受けて、二十人近くが森へ入っていく。残っているのが十二人だから、一部隊は六人編成なのだろうか。そんなことを考えていると、防衛部隊として残った面々が俺たちに視線を当てた。
「ヴェイナード様、この者たちは?」
「人間だが、森喰らいの討伐に協力してくれる」
「ということは、森へ入ってもらうのですか?」
「人間だからな。彼らには遊軍として動いてもらうつもりだが、一人は……」
そんなやり取りの後、ヴェイナードは俺を見た。
「ミレウス支配人、数メテルで構いません。森へ踏み込んでもらえますか?」
「構いませんが……」
不思議な要望に頷くと、俺は素直に森へ踏み込む。その瞬間、全身を違和感が包んだ。
「なんだ……?」
身体がだるい。妙な脱力感に襲われた俺は、説明を求めるようにヴェイナードを見た。
「この辺りの森には、エルフの力を弱める結界が展開されているのです。純種のエルフであれば立っているのも辛くなりますし、ハーフエルフも継続的に戦闘行為を行うことは困難です」
なるほど。俺がそこまで影響を受けていない理由は、四分の一しかエルフの血が流れていないからか。
「ですが、なぜこんな結界が?」
なんといってもここはエルフの里だ。棲み処と接するような形で、エルフを弱体化する結界が展開されているというのはおかしな話だった。
「詳しいことは不明ですが、森喰らいが関係していると考えています」
「森喰らいというと、今襲ってきているモンスターですね?」
「ええ。奴らが結界を張っているのか、結界が奴らを生んでいるのか分かりませんが、奴らと対峙すると、余計に消耗が激しくなりますからね」
「なるほど……」
俺は剣を抜くと、軽く振り回した。たしかに剣が重く感じられるが……。
「ミレウス、筋力強化を試してみる?」
「ああ、頼めるか?」
俺がレティシャの提案に頷くと、ものの数秒で筋力強化が効果を表す。魔法の援護を受けた俺は、もう一度剣を振りまわした。
「……筋力強化があれば問題ないな。全身鎧を着ている時とそう変わらない」
ヴェイナードが古代鎧を身に着けないほうがいいと言っていたのは、このためだったのかもしれない。そんなことも思いながら、俺は彼に向き直った。
「私は問題ありません。二人と一緒に、遊軍として動いても?」
「ええ、助かります。よろしくお願いします。結界内では魔法の効果も半減しますが、人間の魔法であれば影響はないはずです」
そして、レティシャとシンシアが俺の下へやってくる。ヴェイナードの言葉通り、彼女たちは結界の影響をまったく受けていないようだった。
「ミレウス、頼りにしてるわよ」
「私も頑張ります……!」
「ピピッ!」
そんな二人と一羽を背に庇うようにしながら、俺は森の奥へと進んでいった。
◆◆◆
「あれか……」
森へ踏み込んだ俺たちは、標的である森喰らいと初めて遭遇していた。
全長は一メテルほど。事前に聞いていた話からすると、中型種というやつだろう。その外見は奇異の一言で、無理やり表現するならば、蜥蜴をより虫っぽくして、植物的な質感を与えたような感じだろうか。
「想定される攻撃方法は、噛みつき、爪、尻尾、体当たり……くらいか?」
「変な隠し玉を持っていそうね。飛べるのかしら?」
「個体差があると言っていたからな……」
「あ……! こっちに気付きました!」
シンシアの言葉通り、俺たちが観察していた森喰らいはギロリとこちらを睨みつけた。そして、機敏に足を動かせてこちらへ迫ってくる。
「――俺がやる。動きを掴んでおきたい」
魔法で迎撃しようとしたレティシャを制して、俺は剣を構えた。向こうも俺を標的として認識したようで、まっすぐこちらへ向かってくる。
「――っ」
様子見にと、十メテルまで距離が近付いたところで真空波を放つ。森喰らいは回避しようとしたようだが、避けきれずに下半身を分断される。
「ギェェェィ……!」
虫のような甲高い悲鳴を上げてもがいていた森喰らいは、緑色の体液を撒き散らして息絶えた。
「死んだ……のか?」
あまりに呆気ない気がして、思わず首を傾げる。なおも慎重に森喰らいを検分していた俺を見て、レティシャは面白そうに笑った。
「『極光の騎士』が苦戦するようなモンスターなんて、そういないわよ。……というか、いてほしくないわ」
「まあ、敵が弱いに越したことはないか」
この程度では、もし数十匹集めたとしても、第二十八闘技場の上位ランカーならあっさり全滅させることだろう。興行にするなら、戦う剣闘士を吟味しないと成り立たないな。
「ミレウス、今闘技場のことを考えていたでしょう? このモンスターを猛獣狩りの興行に利用しようとか」
俺の内心を見抜いたかのように、レティシャが声をかけてくる。
「考えて却下したところだ。……悪い、戦いに集中する」
正直に認めると、俺は気を引き締めた。ここは戦場だ。余計なことは考えるべきではなかった。
そして、俺たちは遭遇した森喰らいを撃破しながら森を彷徨う。俺が斬り捨てたものもあれば、レティシャが仕留めたものもいるが、特に苦戦するようなことはなかった。
もちろん、非戦闘員や結界で弱体化しているエルフ族には辛い戦いになるだろうが、俺は多少の疲労感を引きずる程度で済んでいる。
「そろそろ戻るか……?」
そう考えたのは、ほとんど接敵しなくなったからだ。遊軍とはいえ、勝手も分からない森に深入りするわけにはいかない。
そう考えた時だった。強烈な気配を感じた俺は、直感が示した方向へ意識を向ける。
「ミレウスさん……?」
シンシアは驚いたように声を上げるが、俺の様子で察したのだろう。彼女は緊張した様子で俺の視線を辿っていた。
「でかいな……あれが大型か?」
「そう思ってよさそうね」
俺の独り言にレティシャが相槌を打つ。遠くから姿を現したのは、全長四メテルはあろうかという獣めいた森喰らいだった。熊のような見かけだが、身体の数か所から木の枝が生えている。また、表皮は毛に覆われているが、よく見れば細かい木の枝のようだった。
「! 来るぞ!」
まだ二十メテルほど距離があるが、俺は警戒の声を上げた。次の瞬間、森喰らいから生えている枝が伸長し、物凄い速さで俺へ向かってくる。
「――っと」
その攻撃をかわしざまに、襲い来た枝を叩き斬る。その硬さはかなりのもので、芯まで剣が食い込んだものの、枝が折れることはなかった。
初撃に失敗した枝は、鞭のようにしなってもう一度俺を打ち据えようと俺に迫ってくる。
「っ!」
それを再び避けると、最初の一撃を受けて折れ曲がっていた箇所にもう一撃を加える。さすがに二度は耐えられなかったようで、切り離した枝が宙を舞う。
だが、やはり硬い。今までの森喰らいとは一線を画すると考えていいだろう。ならば、全力で当たるべきだ。シンシアには魔法障壁で二人の身を守ってもらって、レティシャに鋭威付与を……。
そう指示を出そうとした瞬間だった。ふと、背後から別の気配が出現した。
「別の大型種か!?」
しかも、強い。俺の直感は、目の前の大型種よりも、背後の気配を警戒しろと告げていた。だが――。
「――おや? 新顔だね」
現れたのは味方のようだった。四、五十歳くらいの男性であり、使い込まれた様子の部分鎧を身に着けている。彼は剣を構えると、森喰らいに向かって踏み込んだ。
「っ!?」
俺は思わず声を上げた。動体視力に自信のある俺でさえ息を呑む速さだ。一瞬で距離を詰めた男は、森喰らいを真正面から斬りつける。
「やはり硬いな」
そんなぼやきが聞こえるが、焦った様子は微塵も感じられない。森喰らいの身体から生えた枝と四肢による攻撃を捌きながら、カウンターで斬撃を浴びせていく。
「見かけによらず剛剣だな……」
その様子を見て呟く。あまりパワーファイターには見えないが、あの頑丈な枝を一撃で斬り落とした時点で尋常ではない。森喰らいの本体も並の強度ではないはずだが、男が斬りつけるとばっと緑色の体液が飛び散っていた。おそらく援護は不要だろう。
「……ん?」
半ば呆気に取られて戦いを観察していた俺は、ふとあることに気付いた。踏み込み、振り下ろし、斬りつける。その動作の各所で、手や足が一瞬輝いているのだ。
踏み込む時には足が、斬りつける時には剣身が赤くぎらつくように輝く。その光景には見覚えがあった。
「闘気……か?」
『大破壊』のように全身から放出されているわけではないが、あの森喰らいをあっさり斬り裂いているのだ。同質のものである可能性は高かった。
「これで終わりだ!」
気合の声とともに、男の剣が森喰らいの首を跳ね飛ばす。もう動かないことを確認すると、男は俺たちのほうへ歩いてきた。
「二人とも、俺の後ろへ」
そう指示すると、俺は数歩踏み出した。味方だとは思うが、この男の戦闘力は尋常ではない。その認識が俺を警戒させる。
向こうもそれは同じようで、興味深そうな表情を浮かべながらも、剣を持つ手には力がこもっていた。
やがて、男は三メテルほどの距離で足を止めた。その距離まで近付いたことで、彼の容姿の詳細が見えてくる。身体はよく鍛えられているようだが、親父や『大破壊』ほどの厚みはない。どちらかと言えばユーゼフと同じタイプだろう。
茶色の髪をオールバックにしており、口元の髭はわざとらしいくらいに整えられている。瀟洒な雰囲気が漂っており、こんな森には不似合いな印象だった。
「やあ、青年にレディ。怪我はなかったかな?」
先に口を開いたのは男のほうだった。どこかわざとらしい気障な言い回し。だが、彼の実力を見たばかりだ。軽く見るつもりはなかった。
「おかげさまで。そちらこそ、お怪我がないようで何よりです」
そして、お互いに値踏みするような目で探り合う。この男が突然斬りかかってきたら、どう対処するか。頭の片隅でそんなシミュレーションを繰り返す。
「君は……かなりの使い手だね」
やがて男が発したのはそんな言葉だった。突然の高評価に戸惑いながらも言葉を返す。
「貴方こそ、見事なお手並みでした。……ともあれ、助けてくださってありがとうございました」
その言葉を機に、俺たちの間にあった緊張感が霧散した。
「気にすることはないさ。見ない顔だが、いつからフォルヘイムにいるんだい? 私以外の人間は珍しいね」
「さっき到着したばかりですから」
「それでいきなり招集されたのか。大変だったね」
そして、戦況について確認をする。どうやらこの大型種が最後の一匹だったらしい。その亡骸を確認するように視線を向けていた男は、やがて俺に視線を戻した。
「ひとまず戻るとしようか。森喰らいの勢力圏にご婦人がたを留め置くわけにはいかないからね」
そう言って男は元来た道を戻っていく。だが、やがて足を止めると、彼はくるりと振り返った。
「そう言えば、自己紹介がまだだったね」
そして、渋い笑顔とともに手を差し出した。
「――私はセイン。セイン・ノアという」