フォルヘイムⅠ
鬱蒼と緑が生い茂る森。それがフォルヘイムの第一印象だった。森と言っても画一的なものではなく、進むにつれて植生も変わってくる。
馬車が通るための道は存在しているが、少し脇に逸れるとすぐ深い森に囚われる。そんな錯覚に陥りそうだった。
そして、そんな道を進むこと数日。俺たちはついに、フォルヘイムの中心部に辿り着いていた。それは森の中にぽっかりと開いた平野のようであり、これまで目にしなかった石造りの建物と、木々と一体化した建物が混在して独自の雰囲気を作り上げていた。
「これがエルフの里か……」
文化も違えば種族も違う。一見しただけでそう理解できる街並みに、俺は目を奪われていた。
「止まれ! 何者だ!」
里の検問所なのだろう。道を塞いでいたエルフが、厳しい目を俺たちに注ぐ。
「ヴェイナード・クロム・ディエ・ユグドルシアだ。客人をお連れした」
「……ヴェイナード殿か」
ヴェイナードの名乗りを受けても、エルフたちは警戒を解かなかった。
「失礼ですが、調べさせてもらいますぞ」
そして、ずかずかと荷台に乗り込んでくる。その様子に不快感を覚えなかったわけではないが、他の街でも同じようなことは何度かあったし、憤ることもない。
「人間だと!?」
だが、俺たちを見た彼らの反応は予想以上のものだった。殺気立っているとすら言えるだろう。彼らは細剣や弓矢を構えると、俺たちに狙いを定める。
「彼らは客人だと言いましたが」
「人間がなんの用だ」
「彼らは森喰らいの討伐要員だ。それに、うち一人はルナフレア様に謁見させる予定もある」
「なんだと!?」
その言葉に一層色めき立つ。だが、ヴェイナードがそれを気にする様子はなかった。
「さあ、通してもらいましょう」
堂々と告げるヴェイナードに気圧されたように、エルフたちは道を空ける。そして再び動きはじめた馬車は、中心部ではなく大きく右側に逸れていく。
「申し訳ありませんが、中心部に進めるのは限られた者だけです。一度、根城にする場所へご案内します」
その言葉は納得がいくものだった。さっそく人間種に対する敵意を見せられたこともあって、誰も文句を言う様子はない。
しばらく馬車を進ませると、今までより雑多な印象を受ける一画へ突入する。そして、行き交う人々を観察していた俺は、あることに気付いた。
「ひょっとして、ここはハーフエルフの居住区ですか?」
「ええ、その通りです。ハーフエルフ以外にも、クォーターエルフや他種族の混血種もいますが」
つまり、純種はいないということか。その事実に少しほっとする。俺もそうだし、純粋な人間であるレティシャやシンシアにとってもありがたい話だ。
「おお、ヴェイナード様!」
「あ、ヴェイナードさまだ! おかえりなさい!」
と、人気が増えるにつれて、ヴェイナードの姿に目を止める者が増えてくる。馬車を止めることはしないが、ヴェイナードも柔らかな表情で頷いたり手を振ったりしていた。子供まで声をかけてくるあたり、意外と人気者だな。
「人望があるんですね」
「私はこの区画のまとめ役の一人ですからね。顔を知られているだけですよ」
「そうですか?」
「権力があるだけじゃ、子供には好かれませんから……」
俺の言葉に続けてシンシアが口を開く。たしかにな。それに、この区画に入ってからのヴェイナードは、雰囲気が少し柔らかくなった気がする。
そうしてしばらく進むと、馬車はとある建物の裏手で足を止めた。ヴェイナードは御者台を下りると、長旅に耐えた馬を軛から解放する。
「私の家です。フォルヘイムに逗留中は、ここを拠点にしていただいて構いません」
「到着ぅ!」
ヴェイナードの言葉が終わるか終わらないかのうちに、シルヴィが元気に荷台から飛び降りた。
「ヴェイナード様、ありがとう! お世話になりました!」
そして、彼女は俺に手を差し出す。
「……ん?」
その動作に首を傾げていると、シルヴィは口を尖らせた。
「ん?じゃないよぅ! お兄ちゃんも一緒に帰るでしょ?」
「いや、俺は……」
妹の言葉に面食らうが、シルヴィからすれば当然のことなのだろう。彼女は待ちきれない様子で身体を揺らしている。
だが、彼女の家族……両親はこの旅の目的ではないし、さして興味がないとはいえ、会うとなればさすがに心の準備も必要だ。
「シルヴィちゃん、お父さんとお母さんはミレウスさんが来ることを知ってるんですか?」
「ううん、知らないよー。だって、手紙を出しても馬車のほうが早く着きそうだったもん」
どうにも気乗りしない俺に、助け舟を出してくれたのはシンシアだった。首を横に振るシルヴィに、かがみ込んで目の高さを合わせる。
「とっても久しぶりなんですよね? 突然帰ってきたらびっくりするでしょうし、おうちでも準備があるんじゃないですか?」
「うーん……そうかも」
シンシアの言葉に頷くと、シルヴィはくるりと身体の向きを変えて俺に向き直った。
「じゃあ、先に帰ってるからね!」
そして、背を向けて数歩進んだところで再び振り返る。
「お兄ちゃん、絶対に帰ってきてね!」
そんな妹に苦笑しながら手を振ると、俺はヴェイナードの館に足を踏み入れた。
◆◆◆
ヴェイナードの館で旅装を解いた俺たちは、リビングらしきところで彼の話を聞いていた。
「ご家族に挨拶しておいたほうがよろしいでしょうか?」
「お気遣いなく。父は中心部にある館に住んでいますから、ここに住んでいるのは私だけです」
「そうでしたか」
今の物言いだと、母親に言及していないな。そう考えかけて気付く。彼はハーフエルフで、父親はエルフの派閥長。ということは、母親が人間なのだろう。ヴェイナードが何歳なのか知らないが、すでに亡くなっているのかもしれない。
「それで、今後の予定ですが……」
ヴェイナードは早々に本題を切り出した。俺としてもさっさと用件を片付けて闘技場へ帰りたい。そんな思いからつい身を乗り出す。
「古代鎧の起動回数は、エルフ王族の承認によって回復します。そのため、王族――ルナフレアに会ってもらう必要があります」
「ルナフレア……その方がフォルヘイムを統治しているのですか?」
俺は敢えて質問する。彼女は王女であり、最後に残った正統な王族だが、即位はしていない。そこまではシルヴィに確認済みだ。だが、情報の裏は複数から取るべきだろう。
「いえ、彼女は即位していません」
「そうでしたか。それは女性だからですか?」
「過去には女性が即位した例もあるのですが、今は政情が安定していませんからね」
なるほど、派閥間の争いにケリがつくまではお預けということか。
「あまり詳しくは言えませんが、この国には力を持った派閥がいくつかあります。そのせいで、即位一つとっても順調には進まないのですよ」
そして、彼は指を三本立てる。
「主流派は規模が大きく、その中でもさらに穏健派と過激派に分類されます。対立が深刻化しているようですから、もはや別派閥と考えていいでしょう」
「もう一つはなんですか?」
そう問いかけたのは、もちろん指の数に合わせてのものだ。
「父の派閥です。かつては巨大な派閥だったようですが、百年前、父が人間種を妻として迎え入れたことを契機として、凋落の一途を辿っています」
ヴェイナードは皮肉げに語る。自分の存在こそが、派閥を縮小させた原因だと考えているのだろうか。
「ということは、支持基盤は混血種ですか?」
「純種の中にも、昔からの支持者はいますし、比較的若い世代にも支持されています。後は……主流派閥を快く思っていないか、とにかく現状に不満がある者たちの受け皿でもありますね」
「なるほど、大変ですね」
フォルヘイムの内情にあまり興味はないが、ヴェイナードが苦労しているだろうことはよく分かった。だが、それはそれだ。それよりも、俺にはどうしても外すことができない確認事項があった。
「それで……三年前の襲撃を企てたのはどの派閥ですか」
親父の仇であり、闘技場の仲間たちの仇でもある派閥。それだけは聞いておく必要があった。もし可能であれば、首謀者にだけでも復讐してやりたい。そんな思いが心の奥底で蠢く。
「過激派です。……ただ、指導者であるソレイユ王子とバロール筆頭魔術師は戦死し、当時の派閥長だった人物も責任を取らされて極刑に処されていますから、矛先を向けるに足る相手がいません」
「……そうですか」
その回答を受けて、俺の復讐心が萎れていく。だが、彼の言葉をどの程度信じていいかは悩むところだった。ヴェイナードからすれば、俺がここで過激派に戦いを挑むのは最悪の展開だ。それを避けるためであれば、嘘をつくこともあり得るだろう。
もちろん、俺も無闇に敵討ちに励むつもりはない。親父に誓ったのは、復讐ではなく闘技場の躍進だ。
それに、俺に付いてきてくれたレティシャとシンシアの身に危険が及ぶことになるからな。まずは古代鎧を騙し取ることで、復讐の第一歩とするべきだろう。
そう自分に言い聞かせながら、ヴェイナードの説明を頭に叩き込んでいく。やがて、エルフ族の派閥事情を一通り覚えると、俺は小さく一息ついた。
「ここまで詳しく内情を教えてくださってよかったのですか?」
「ルナフレアの謁見では他派閥の者も立ち会いますから、アドリブが必要になるかもしれません。ミレウス支配人であれば、情報があれば上手く立ち回ることができる」
「それは買い被りですよ。いつ失言をするか、分かったものではありません」
そう答えるが、ヴェイナードに心配する素振りは見られない。
「まあ、大丈夫でしょう。なんと言っても、こちらには古代鎧を入手しているという絶対的なアドバンテージがありますからね。最悪、古代鎧を持ち逃げしてしまえばいいのです」
「そういうものですか……?」
そう答えた瞬間だった。ピーッという高音が館を貫いた。音源は館の外だと思うが、おそらくこの区域全体に聞こえているだろう。そう思わせる大きさの音だ。それは、つまり……。
「警報ですか?」
「おっしゃる通りです。この辺りは厄介な生き物と棲息地が重なっていまして、時々戦いになるのですよ」
ヴェイナードは涼しい顔で答えた。だが、その視線はチラチラと窓の外へ向けられている。少なくとも、それなりの事態ではあるのだろう。
「行かなくてもいいのですか? ここでのヴェイナードさんの立場はよく分かりませんが、非常事態なのでしょう?」
「……そうですね」
そう助け舟を出すと、ヴェイナードは立ち上がった。そして、レティシャとシンシアに向き直る。
「よろしければ、ご協力をお願いできませんか?」
「私は構わないけれど……どうして私たちに?」
レティシャは不思議そうな顔で問いかける。この旅はヴェイナードと俺との間で決まったことであり、旅の間も俺が代表して話をしていたからだ。
「ミレウス支配人とは相性の悪い場所だからです」
「相性?」
二人の会話に思わず割って入る。たしかに、剣も振り回せないような狭い場所なんかとは相性が悪いが……。
「とは言っても、私だけここに残るのも落ち着きません。一緒に行きますよ」
「ありがとうございます。……ああ、古代鎧は身に着けないほうがいいでしょう」
ヴェイナードがそう付け加えたのは、俺が鎧を入れた箱のほうへ向かったからだろう。王女との謁見前に古代鎧の情報を漏らすべきではないということか。
納得すると、革鎧を身に着ける。最後に剣を手に取って、俺はヴェイナードの館を出た。