出立Ⅳ
「やっと出発できたな……」
「思いのほか時間を取られてしまいましたね」
ようやく動き始めた馬車の中で、俺はヴェイナードと言葉を交わしていた。
盗賊団を返り討ちにして、後処理を街の私設兵に託した俺たちだったが、すぐに出発とは行かなかった。時間がかかった理由は多々あるが、功労者である俺たちを歓待したいと街の有力者が強く希望したため、辞退するのに時間がかかったのだ。
「……レティシャ、そっちは大丈夫か?」
そして、今度は御者台にいるレティシャに声をかける。基本的にはヴェイナードが御者をしているのだが、一時的に代わってもらったのだ。その理由はもちろん、ヴェイナードに訊きたいことがあるためだ。
「ええ、大丈夫よ。それに、聞き耳も立てているから心配しないで」
冗談交じりの返事を確認すると、俺は改めてヴェイナードのほうへ顔を向けた。
「さて……ヴェイナードさん、いくつかお伺いしたいのですが」
「ええ、なんでも聞いてください」
ヴェイナードはいつも通りの笑顔を浮かべていた。だが、その目は神妙なものと言っても差し支えないだろう。
「一つ目ですが、あのハーフエルフとは知り合いだったのですね?」
盗賊団に交じり、謎の木を用いて結界術を駆使していたハーフエルフ。会話の内容からして、彼とヴェイナードが知り合いだったことは間違いない。
「その通りです。名前までは知りませんが、彼はフォルヘイムの住人でしたから、見覚えがありました」
「それだけの関係性で顔を覚えるものですか?」
「ミレウス支配人もご覧になった通り、彼はハーフエルフです。フォルヘイム在住の混血種であれば、全員顔くらいは覚えています」
その言葉に小さく驚く。フォルヘイムに混血種がどれくらいいるのか分からないが、十人や二十人ということはないだろう。彼の言葉が事実なら、かなりの記憶力だ。
「つまり、彼はヴェイナードさんの派閥に属していたと考えてよろしいですか?」
俺はもう一歩踏み込んで質問をした。すると、ヴェイナードは苦笑を浮かべる。
「混血種はすべてうちの派閥のようなものです。……ですが、それは庇護を受けているという意味でしかありません」
「派閥の権力争いに関わるような立場ではなかったと?」
「その通りです」
ヴェイナードは静かに頷く。その様子は嘘をついているようには見えなかった。
「それでは、あの木はなんだったのですか? そこらに生えている樹木とは明らかに違うようでしたが」
「……あれは、聖樹の影響を強く受けた木だったのでしょう。たまにそんな個体が発生するようですから」
「聖樹?」
「ええ。エルフ族に伝わる巨樹です。国家機密に属するため、あまり詳しくは申し上げられませんが……」
「――っ!」
と、その言葉を聞いて、はっと息を呑んだ人物がいた。シンシアだ。俺とヴェイナードが視線を向けると、彼女は慌てて首を横に振る。
「す、すみません……! なんでもないです」
ノアをぎゅっと抱きしめている様子からすると、なんでもないようには見えないが……。まあ、シンシアのことは後でいいか。今はヴェイナードから話を聞くことが重要だ。
「ふむ……」
そのヴェイナードはシンシアの反応が気になっているようだが、こちらの質問を優先してもらおう。
「質問の続きですが……つまり、あのハーフエルフは国家機密を盗み出したということですか?」
「聖樹そのものではありませんが、たしかに重要機密ではありますからね。ただ……」
俺の質問を受けて、ヴェイナードは渋い顔を見せた。そして、少し考え込んでから言葉を続ける。
「彼が聖樹の近くへ行くことができたとは思えません。たとえ純種でも、おいそれとは近付くことができないはずです。……踊らされたのかもしれませんね」
「ええと……つまり、ハーフエルフが重要機密を盗み出せるように、敵対派閥が手筈を整えたと?」
「おっしゃる通りです。ミレウス支配人には申し訳ありませんが、早々に面倒ごとが待っていそうですね」
ヴェイナードは嫌な予測を口にした。その推測から意識を逸らすように、俺は話題を変える。
「次にヴェイナードさん自身のことについてお伺いしたいのですが……先程のアレは魔工銃ですよね?」
「……ええ、その通りです」
ヴェイナードは素直に認める。実際、彼の動きは戦い慣れしている者のそれだった。これまでは彼を戦力外として扱っていたが、かなりの戦闘力を持っていると考えていいだろう。
「騙すつもりはなかったのですが、皆さんがお強いものですから、わざわざ私がしゃしゃり出る必要はないと思いまして」
「なるほど……少なくとも、もう演技は不要ですよ」
そう告げると、ヴェイナードは小さく驚いたようだった。
「演技、ですか?」
「実力を隠すために、わざと身のこなしのレベルを下げていたでしょう?」
悔しいことに、俺も騙されていたからな。だが、さすがに戦闘中まで演技はできないようで露呈したのだ。おそらく彼は体術も一級品のはずだ。
そんなことを考えていると、御者台にいるレティシャが声をかけてくる。
「ヴェイナードさん、私からも質問していいかしら? あの魔工銃は、シルヴィちゃんのものと比べて、あまりにも巨大な魔力を秘めていたようだけれど……あんなものが、フォルヘイムには沢山あるの?」
「フォルヘイムには古代文明の遺産が山のように眠っていますからね」
ヴェイナードは曖昧に答えを返す。だが、それを補足したのは予想外の人物だった。もう一人の魔工銃所持者であり、魔工技師でもあるシルヴィだ。
「でも、あんなに凄い魔工銃は他にないよー?」
「そうなのか?」
訊き返すと、彼女は予想外の言葉を返してきた。
「――だって、ヴェイナード様の魔工銃って、古代鎧の一部だもん」
「っ!?」
その言葉に、ヴェイナードを除く全員が息を呑んだ。俺を『極光の騎士』たらしめていた古代鎧。あの鎧と同格の存在が、こんなに身近にいたというのか。
「まあ、そうですね」
ヴェイナードはあっさりと認める。古代鎧は純種のエルフに授与されると聞いていたが、彼は例外だったのだろうか。
「私が所持している古代鎧とはかなり異なっているようですが……」
「五つの古代鎧は、みんな仕様が違うんだよ! ヴェイナード様の古代鎧は特務師団長の仕様だから、隠蔽とか遠距離狙撃に特化してるの」
自分の領域の話になって嬉しかったのか、シルヴィが楽しそうに口を挟んでくる。それにしても特務師団か……つまり、潜入や暗殺を前提にした仕様ということだろうか。
「じゃあ、『極光の騎士』さんの……いえ、ミレウスさんの古代鎧は……」
思わず、といった調子でシンシアが尋ねる。その質問は俺としても大いに気になるところだった。
「お兄ちゃんの鎧は、近衛騎士団長が使ってた古代鎧だよ」
「近衛騎士団……?」
思いがけない仕様に驚く。比べようがないから分からないが、防御能力に優れていたのだろうか。そう首を捻っていると、ふとヴェイナードの顔が目に入る。その様子は、さっきまでとは何かが違っていた。
「ヴェイナードさん、どうかしましたか?」
それが気になって声をかける。だが、彼はすぐにいつもの表情を取り戻した。
「いえ、なんでもありません。他の古代鎧の詳細を知るのは初めてでしたから、つい聞き入ってしまいました」
「なるほど、そうでしたか」
そう言われてしまえば、それ以上追及することもできないか。
「まあ、なんにせよ……」
俺は改めてヴェイナードを観察した。古代鎧の主人ということは、彼の戦闘力を大幅に上方修正する必要がありそうだった。そして……。
「古竜と戦った時に、加勢してくれたのはヴェイナードさんだったのですね」
それは問いかけと言うよりは確認だった。『極光の騎士』と古竜との最後の激突時に、古竜の眼を狙撃した存在がいたことは記憶に新しい。
あの援護がなければ、力場が拮抗して押し切れないうちにこっちが魔力切れになっていた可能性は高い。
「闘技場の結界を貫き、さらに古竜に傷を与えられる出力。そして、遠距離から正確に眼を射抜く狙撃技術。そんな規格外の存在は半信半疑でしたが、貴方が古代鎧の主人であるなら納得はいきます」
「……古竜を屠る絶好の機会でしたからね」
ヴェイナードは素直に関与を認めた。だが、その言葉は新たな疑問を呼び起こす。
「てっきり、エルフ族は古竜と共存関係にあると思っていましたが、ひょっとして……」
「ミレウス支配人のお考え通りです。エルフ族には、古代文明の恩恵によって意のままに動かせる古竜が数体いました。ですが、それらの支配権は主流派閥が握っています」
「それはまた……」
思わずぼやく。あんな災害級の存在を操ることができるなら、主流派閥の優位は絶対的なものだろう。正直な話、古代鎧の主人を味方につけたところで、太刀打ちできるようには思えないが……。
「だからこそ、王族の傍流とは言え、ハーフエルフである私に古代鎧が授与されたのですよ。もちろん裏工作に励みはしましたが、その裏には自分たちには古竜がいるという、彼らの驕りがあったのです」
「なるほど……」
俺が古竜を倒せた理由の一つは、古代遺跡の結界が古竜を狭い空間に閉じ込めてくれたことにある。もし奴が自在に飛び回れたのなら、とどめを刺す前に逃げられていたことだろう。
俺が納得していると、ヴェイナードはなぜか微笑みを浮かべた。
「エルフ族が従えていた古竜は四体いましたが、もはや生存しているのは一体だけです。うち一体は四十年ほど前に、そしてもう一体は二十年ほど前に屠られました。そして……最後の一体についてはミレウス支配人もよくご存じでしょう」
ヴェイナードは意味ありげな視線を向ける。つまり、第二十八闘技場で『極光の騎士』が倒した古竜もそのうちの一体だったということか。
「おかげで、彼らの軍事的な優位は大幅に低下しました。もちろん古竜が軍事力のすべてではありませんが、アレはあまりにも強大すぎる」
「なるほど、それで加勢してくださったわけですか」
「さすがに悩みましたよ。古代鎧の隠蔽結界を最大出力で展開したとは言え、客席から堂々と狙撃したわけですからね。魔術に長けた人間や、魔法耐性が高い人間が見れば分かりますから」
それでも断行するほどに、千載一遇のチャンスだったのです。ヴェイナードはそう言い切った。
「なお、残る一体は地竜ですが、動きが非常に遅いうえに完全に服従しているわけではないため、手駒としては難がありますからね。風竜のほうを始末できたことは幸いでした。おかげで、彼らも少しは現実を直視できるようになったことでしょう」
「細かいことを伺って恐縮ですが、現実を直視とはどういう意味でしょうか?」
そう尋ねたのは、ヴェイナードの口調に明らかな刺があったからだ。
「彼らは、この大陸を我が物にする機会を窺っているのです。現実も未来も見据えずに、後ろばかりを振り返っている。エルフ族にそんな力がないことは自明の理だというのに、困ったものです」
「大陸にある他の国々を滅ぼして、覇を唱えるつもりですか?」
「そのようですね。……ああ、ご安心ください。そもそも、フォルヘイムに大陸を統一するような力はありません。まして、古竜がいなくなった今となってはただの夢物語です」
ヴェイナードは辛辣だった。だが、それだけに彼の心のうちを垣間見た気がするな。
「なるほど、よく分かりました。裏事情まで教えてくださってありがとうございます」
「いえ、こちらの事情に巻き込んだのは私ですから。ところで……私からも一つお伺いしてよろしいでしょうか?」
「なんでしょうか?」
俺は内心で首を傾げた。手持ちのカードを伏せているのはヴェイナードのほうであって、俺の隠し事と言えば第二十八闘技場の地下遺跡のことくらいだ。
そう疑問に思っていると、ヴェイナードはシンシアに視線を向けた。……いや、違う。正確に言えば、彼女が膝に乗せているノアに視線を向けたのだ。
「先ほど、木の結界を破ったのはその雛鳥ですね? そして、おそらく木の枝の状態だったアレを成木へ成長させたのもおそらくは……」
「あの、それは……」
シンシアは困ったように俺を見る。
「そのようですね。巨人騒動時に三十七街区で見つけたので、保護したのです」
シンシアの代わりに答えると、ヴェイナードは興味を引かれたようだった。
「三十七街区のどの辺りか、覚えておいでですか?」
「さて……あの時は緊急事態でしたから、詳しい場所は覚えていませんね」
「そうでしたか。始めて見る生き物でしたので、少し気になりまして」
そう言ってヴェイナードは話を打ち切った。だが、彼は何かを思い出すように遠い目をしては、しきりにノアへ視線を向けていた。