出立Ⅲ
「……なんだか変な感じね」
再び始まった赤茶けた地平線。その様子を眺めていたレティシャは、ふと首を傾げた。
「どうした?」
そう問いかけると、レティシャはしばらく考え込んでから口を開いた。
「そうね……知らない間に敵の結界に踏み込んでいる感覚、が一番近いかしら」
その言葉を受けて、俺たちの間に緊張が走る。それはヴェイナードも例外ではないようで、鋭い目で周囲を見回していた。
「あ……!」
次に声を上げたのはシンシアだった。俺たちの視線を受けた彼女は、進行方向の一点を指差す。
「あの辺りの景色が、一瞬ブレたような……」
言われて俺も目を凝らすが、特に変わった様子はない。それは他のメンバーも同じようで、一様に顔を見合わせていた。
「……解呪」
そんな中、シンシアは次の行動に移っていた。彼女を中心として白光が広がり、周囲の百メテルほどを包み込む。
「凄まじい効果範囲ね……」
その光景を見たレティシャが呆れたように呟く。彼女が驚くくらいなのだから、シンシアはかなりの魔法を使ったのだろう。
そして白い光が収まった後の景色は、さっきまで見えていたものとはがらりと変わっていた。
「ミレウスさん、あれ……!」
最初に声を上げたのは術者のシンシアだった。彼女の目線の先には、横転した馬車を含む四台の隊商らしき馬車と、それを取り囲む数十人の人影があった。
「やはり盗賊団か。……これまで目撃情報がなかったのは、この結界のおかげだな。私たちを襲うつもりで待ち伏せていたら、別の獲物を見つけたといったところか?」
その様子を見て、ヴェイナードは納得したように呟いていた。だが、その表情はすぐに渋いものに変わる。再び景色がぼやけ始めたのだ。
「結界の再展開!? ……これだけ大きな結界を短時間で展開するなんて、かなりの使い手ね」
今度はレティシャが口を開く。『結界の魔女』の直弟子にそう言わせるとは、かなりの技量なのだろう。
「あ! 危ない!」
シルヴィの声に目をやれば、ずっと遠巻きにしていた盗賊団が隊商の馬車と距離を詰めたところだった。遠くてよく見えないが、太陽の光を反射して輝いているのは剣身だろう。
俺はついレティシャを見るが、彼女は悔しそうに首を横に振った。
「遠すぎるわ。魔法を届かせることはできるけど、精度も下がるから馬車を巻き込むかもしれない」
そう言っている間にも、再展開された結界のせいで視界はぼやけていく。また解呪したとしても、レティシャの魔法が届く距離に近付くまで、隊商が無事でいるとは思えない。
「シルヴィ、届くか?」
続いて、俺はシルヴィに問いかけた。あの魔工銃とやらはだいぶ射程が長いようだったが……。
「届くけど、威力が落ちるから意味がないよぅ……」
シルヴィはしょんぼりとした様子で答える。さすがに無理だったか。となれば、彼らには犠牲を覚悟してもらうしかない。
そんな思いでぼやけていく景色を睨んでいた時だった。御者台のヴェイナードがおかしな動きをしていることに気付く。
「ヴェイナードさん?」
問いかけるが返事はない。その代わりに、彼は何かを右腕に嵌めているようだった。それは、まるで鎧の右腕部のようで――。
「部分着装。狙撃モード起動」
そんな声が聞こえたかと思うと、彼の右腕が伸長する。……いや、違う。鎧のような右腕で、筒のようなものを構えていたのだ。そして、その筒は最近になって見慣れた得物と似ていた。
「魔工銃……?」
俺の問いかけに答えるように、バヂッという異音が響く。ヴェイナードの魔工銃から何かが放たれたのだ。放たれた魔法は、もはやおぼろげにしか見えない隊商の馬車に着弾し、それを取り囲む盗賊団を巻き込んで光を放つ。
「あ……巻き込んで……」
その様子を見ていたシンシアが焦ったように口を開く。だが、俺はその光景に見覚えがあった。
「たぶん、雷の範囲攻撃だ。効果を落として気絶を狙ってるんじゃないか」
俺がそう答えたのは、三年前の一幕を思い出したからだ。本人の口から聞いていたが、やはりあの雷魔法はヴェイナードだったのだな、と実感する。
「――作戦だったとは言え、私が撒いた種です。誘き出した盗賊団によって、他の隊商に犠牲が出るのは本意ではありませんからね」
彼はそう告げると、再び魔工銃を構えた。俺たちの馬車をまっすぐ走らせたまま、正面に向かって魔法を放つ。
「解呪散弾」
彼の銃身から数十個の光の弾が同時に放たれる。それらは放射状に広がり、前方の見えない結界に接触する。
「結界が消えた……?」
俺たちの前に、再び盗賊団が姿を現す。向こうもこちらを警戒しているようで、最低限の人数だけを残して、残りの数十人はこちらを向いていた。
「ミレウス支配人、陣形は?」
「いつも通り俺が出る。シンシアは馬車の周囲に防御魔法、三人は馬車に立て籠って迎撃してくれ」
ヴェイナードの問いを受けて、俺は全員に指示をする。これまではヴェイナードを戦力として扱っていなかったが、しっかり戦ってもらおう。
そして、すでに準備を終えていた俺は、最後に兜を被る。
「筋力強化」
同時に、レティシャによって強化魔法がかけられる。それを確認するなり、俺は荷台から飛び出した。
「撃てぇっ!」
その瞬間を狙っていたのか、敵から矢が浴びせられる。だが、大した威力もないただの矢だ。そんなものは避けるまでもない。
もはや起動しない古代鎧を着込んでいる理由は、何も『極光の騎士』を演じたいからではない。俺たちは前衛一人に後衛四人というバランスの悪いパーティー構成であるため、できるだけ防御力を高めたかったのだ。
それに、鎧があるとないでは、戦術にも幅が出てくるし、敵の注目を集めることもできる。
「あいつ、平然としてるぞ……!?」
「全身鎧かよ……だが、あんなクソ重いモン着て満足に動けるわきゃねぇ。先に馬車を狙え! 上玉がいるはずだ、傷は付けんなよ!」
そんな声とともに、今度は馬車に向かって矢が浴びせられる。特に馬を狙っているあたりは、さすが盗賊というべきか。
「なんだ?」
だが、放たれた矢は馬に刺さることもなければ、馬車を破壊することもない。シンシアの魔法障壁は燦然と輝き、すべての攻撃を弾いていた。
「馬車に取りつけ! 全員で攻撃すりゃそのうち破壊できる!」
頭目らしき男の指示を受けて、盗賊たちが殺到する。だが、集団で殺到するのは自殺行為だった。
「砂地獄」
レティシャの魔法によって足下の地面が細かな砂へと変わり、そのまま十数人が地に呑み込まれる。そして、勢いきって駆けていた彼らがすぐに止まれるはずもなく、さらに数人が追加で地中へ落ちていく。
「な、なんだ――ぐっ!」
焦って立ち止まる盗賊たちだが、それはシルヴィやヴェイナードの格好の的でしかない。俺が剣を振るうまでもなく、奴らの人数は半減していた。
「なめやがってっ!」
それでも数は力だ。レティシャたちの弾幕を突破した盗賊が、俺を目がけて剣を振り上げる。だが……。
「遅い」
一気に踏み込むと、がら空きになった胴を薙ぐ。そして次に近付いてきた男を斬り捨てると、飛来した矢を籠手で弾く。馬車からあまり離れないように気を配りながら、俺は群がろうとする盗賊たちを撃破していった。
「な、なんだこいつ!」
「気を付けろ! 強えぞ……!」
やがて、果敢に攻勢に出ていた盗賊たちの動きが弱まる。すでに過半数が倒れていることもあり、撤退を考えはじめてもおかしくないタイミングだ。だが、それでは目的は達成できない。少なくとも、この盗賊団の結界術師は捕らえておく必要があった。
「どうやって見つけたものかな」
盗賊の顔面に籠手をめり込ませながら、周囲を見回す。明らかに陣容の厚い場所があれば突貫するところだが、一点突破を警戒しているのか、重要人物が潜んでいそうな場所はなかった。
「頭目はあいつだろうが……」
大声で指示を出している奴はいる。周りの態度からしても、リーダーと見て間違いないだろう。だが、装備や身のこなしからして、結界術師だとは思えなかった。もちろん全滅させれば解決する話なのだが、すでに盗賊団の腰は引けていた。
「お前ら! ずらかるぞ!」
ついに頭目らしき男が撤退の指示を出す。慣れたもので、奴らはてんでばらばらの方向へ逃げ去ろうとしていた。どうする。どこに術者がいる。そう目を凝らしていた俺は、視界がおぼろげになっていくことに気付いた。
「また結界か!?」
どの方角を見ても景色がぼやけているということは、俺たちを中心にして結界を張ったのだろう。逃げるための時間稼ぎか。
シンシアかヴェイナードが結界を破るまで待つしかない。そう考えた瞬間だった。
「ピィッッッ!」
聞き覚えのある鳴き声が背後から聞こえてくる。その声には何度か助けられているため、結界が破れたことを不審に思うことはなかった。
「あれは……!?」
そして、明瞭になった視界には、明らかな異常が生じていた。突如として、一本の木が生えていたのだ。それどころか、謎の木はさらに成長しており、みるみる間に五メテルほどの高さへ到達する。
考えるよりも早く、俺はその木へ向かって駆け出していた。
「――っと」
正面から飛んできた石礫を、真空波でまとめて吹き飛ばす。同時に、俺の顔には笑みが浮かんでいた。今の石礫は魔法によるものだ。ということは、目的の術者が放った可能性が高かった。
さらに飛来する魔法をことごとく弾き、俺は木の根本へ迫る。他の盗賊とは異なり、術者が逃げ出す様子はなかった。
そうして謎の木の木陰に入った時だった。ふっと術者の姿が見えなくなる。またもや認識阻害の結界を張ったのだろう。だが――。
「がっ!?」
「……直前まで姿が見えていれば充分だ」
相変わらず姿は見えないが、手応えはあった。相手を確実に斬り裂いた自信はある。
「ピィッッ!」
反撃を警戒して位置を変えようとした俺の耳に、再びノアの鳴き声が届く。その直後、俺の目の前に男が一人うずくまっていた。
「くそっ! なんだあの鳴き声は!」
胸から血を流しつつ、男は怒声を上げた。
「その反応からすると、やはりお前が術者だな」
「……」
俺の問いかけには答えず、男は忌々しげにこちらを睨みつける。その顔を見て、俺はわずかに顔を顰めた。
「……ハーフエルフか」
「だからなんだ」
「……少し因縁があるだけだ」
そして、喉元に剣を突きつける。
「なぜ逃げなかった?」
問いかけても男は答えない。だが、彼の意識が後ろの木に向いていることは分かった。
「この木が原因か。こうも根付いて成長してしまえば、担いで逃げることもできん」
「……!」
そう誘導すると、ハーフエルフの男の表情が歪む。口にこそ出さないが図星だったらしい。突如として成長するのがこの木の特性かとも思ったが、やはりこれはノアの仕業なのだろう。
そうして、男が背にしている木を観察していると、後ろから声が聞こえてくる。ヴェイナードだ。
「この木は……なるほど、それでこれだけ強固な結界術を使用できたわけか」
「何か知っているのか?」
目の前のハーフエルフから目を離さずに問う。声しか聞こえないが、ヴェイナードは何かしら納得しているようだった。
「さっきの結界術を使用したのは、その男ではありません。この木です」
そう告げると、ヴェイナードは俺たちを素通りして木に手を当てた。
「聖樹から生まれた亜種か? だが、なぜそれがこんな所に……」
考え込んでいた様子のヴェイナードは、剣を突き付けられた男に視線を向ける。その表情がわずかに強張ったのは、同じハーフエルフだったからだろうか。
「この辺りに木の枝が落ちていませんでしたか?」
だが、彼が発したのはよく分からない問いかけだった。いったいなんのことだろうか。目の前には五メテルほどに育った怪しげな木があるが、この枝のことなのか。
「木の枝ですか?」
俺は首を傾げる。そして詳細を尋ねようとしたところで、別の声が割って入った。
「――地下に埋まっているのではありませんか」
驚いたことに、声の主は目の前のハーフエルフだ。その言葉を聞いたヴェイナードは渋い表情を浮かべていた。
「顔に見覚えがあると思えば……」
「申し訳ありません……ですが、もう限界だったのです! 奴らの狙い通りに喰い殺されるくらいなら、せめて一矢報いてから逃げようと……!」
「それで枝を持ち出したと?」
「……はい」
俺を置いてけぼりにしたまま、彼らの会話は進む。この二人が顔見知りであることは疑いようがなかった。先程の「木の枝が~」というのは何かの符号だったのだろう。
「なぜ盗賊団などに帰属した?」
「どうせ私を受け入れてくれる場所なんてありません。それなら、純種どもに一泡吹かせてやろうと思って……」
「盗賊団を唆して、フォルヘイムを襲うつもりだったということか。……気持ちは分かるが、盗賊団の一員として活動していた以上、庇うことはできない」
「覚悟の上です。……ヴェイナード様、申し訳ありませんでした」
「謝る必要はない。……私も、お前もな」
二人の様子を見ていた俺は、喉元に突きつけていた剣を下ろした。男は項垂れており、もはや反撃したり逃げたりするようには見えなかったからだ。
「さて……応援の部隊が着いたようですし、後始末をしましょう」
その言葉を聞いて、俺はヴェイナードと同じ方向へ視線を向ける。すると、数台の馬車が迫っている様子が見て取れた。これがヴェイナードの言っていた私設兵なのだろう。
その様子を見ながら、俺は馬車へと向かう。と言っても、シンシアたちが乗っている馬車ではない。俺たちの計画に巻き込まれた不運な隊商たちの馬車だ。
馬車を引くはずの馬は息絶えていたが、人間のほうは無事だったらしい。彼らは荷台の陰から、俺たちを驚いた様子で見つめていた。
「……無事か?」
彼らの馬車まで辿り着くと声をかける。古代鎧を着ているせいで、つい『極光の騎士』の声を出してしまったが、特に問題はないだろう。
「助かりました! あなたは命の恩人です!」
「もう駄目だと思いました……!」
俺の問いかけに、何人かが声を上げる。そんな中、四つの馬車のうち一つだけが、誰も顔を出さなかった。訝しんで中を覗くと、血臭が鼻を突く。
「怪我人か?」
そこにいたのは、腹部から血を流してぐったりしている少年と、それを介抱している中年の男性だった。格好からして、二人とも商人なのだろう。介抱をしていた中年男性は、はっと俺のほうを見た。
「はい……。彼は私の弟子なのですが、先ほどの襲撃でお腹に矢を受けてしまって……」
そう説明する間にも、少年の苦しげな呻き声が聞こえてくる。顔はすでに青白くなっており、死に至るのも時間の問題だろう。そう判断した俺は、一旦荷台から引き上げる。
「シンシア! 来てくれ!」
そして、シンシアたちがいる馬車に向けて手を上げた。少し距離があるが、声は届いただろうか。そう心配したのも束の間、馬車から飛び降りると、一目散にこちらへ駆けてくるシンシアの姿が見えた。
「腹部に矢を受けて、重傷の少年がいる。頼めるか?」
「はい!」
普段の様子からは想像もつかない素早さで、シンシアは怪我人がいる馬車へと乗り込んだ。直後、馬車から柔らかい光が溢れる。
「よかったです、間に合いました……」
俺が顔を覗かせると、そこにはほっとした様子で微笑むシンシアと、呆気に取られた表情で自分の腹部に手を当てている少年の姿があった。
「あれだけの傷を一瞬で治すとは……! あなたはとても優秀な魔術師なのですね。本当にありがとうございます」
商人はシンシアに向かって深々と頭を下げた。……そうか、今のシンシアは法服を着ていないから、神官だとは分からないのか。彼女が魔術師と呼ばれているのは変な気分だな。
そんな思いとともに彼らを眺めていると、商人は次に俺のほうへ向き直った。そしてひとしきり礼を述べた後で、まじまじと俺を見つめる。
「あの、人違いであれば申し訳ないのですが……ひょっとして貴方は『極光の騎士』では?」
「っ!」
その言葉に息を呑んだのは俺ではない。隣にいたシンシアだ。そして、その反応で確信したのだろう。商人は嬉しそうに俺の手を取った。
「やはりそうでしたか! 私はルエイン帝国を本拠地にしていまして、貴方の試合は何度も拝見しているのです……!」
「……そうか」
予想外の展開に、俺はどう答えるか悩んでいた。ヴェイナードには、フォルヘイムで『極光の騎士』だとバレないようにと注意されていたが、ここからフォルヘイムまではまだ遠い。そう問題はないだろうが……。
「剣闘士を引退されたと聞いた時は驚きましたが……いやはや、まさかこんな所でお会いできるとは!」
「え!? 『極光の騎士』なの!?」
さらに、シンシアに治療してもらったばかりの少年も寄ってくる。
「うわーっ! すごい! こんな近くで見られるなんて……!」
少年特有のキラキラした眼差しで俺を見つめる。なんだか居心地が悪いのは、俺が今の自分を『極光の騎士』だと思っていないからだろう。
「こら、まずお礼を申し上げるのが先だろう。……申し訳ありません、この子は貴方の大ファンでして、喜びのあまり失礼を……」
「……問題ない」
慌てて弟子をフォローする商人に、『極光の騎士』として言葉を返す。少しブランクはあったものの、長年演じていた人格だけあって、すんなり言葉が出てくるのはありがたいことだ。
そんなことを考えていると、ふとシンシアと目が合う。彼女は、嬉しそうに微笑んだ。