出立Ⅱ
「なるほどな……たしかに闘技場だ」
停泊することになった街の中心部にある大きな闘技場。その客席で、俺は複雑な感情を抱いていた。
「不満そうね。……気持ちはわかるけれど」
「第二十八闘技場とは……だいぶ違うんですね……」
そう言っている間にも、試合の間で出場者の片方が倒れる。彼は剣と小さな丸盾、最低限の軽装鎧しか与えられておらず、剥き出しの肉体は血に染まっていた。
対するは、しっかりした装備に身を包んだ戦士であり、その体格も見事なものだ。
「処刑の一環だろうからな」
俺は渋い声で答える。倒れた選手はどう見ても大した筋肉がついていないことから、そもそも戦士ではなかったのだろう。
なんらかの犯罪人が、死刑執行の代わりに闘技場で剣闘士と戦わされる。万が一にも相手を打ち倒せば、剣闘士としての人生が開ける場合もある。だが、それは本当に一握りの話だ。粗末な装備だけを与えられて、鍛錬を積んだ剣闘士に惨殺される。それが彼らに用意されたストーリーだった。
「帝都でも行われていることだし、とやかく言うつもりはないが……」
「第二十八闘技場では、処刑人の剣闘試合はしていないものね」
理解を示すようにレティシャが頷く。処刑も闘技場の責務の一つだという考え方があることは知っている。ディスタ闘技場あたりは、罪人の処刑を目的とした興行が多いことでも有名だ。
「俺たちが求める剣闘試合は、一方的な殺戮ゲームじゃないからな」
とは言え、その考え方をこの街に押し付けるわけにはいかない。闘技場にそういった側面があることは事実だし、俺たちのほうが異端だという自覚もある。……少なくとも、今は。
「けど、次の戦いは大丈夫じゃないかしら。両者とも人気があるみたいだし、職業剣闘士同士の戦いだと思うわ」
「ああ、たしかにな」
レティシャの言葉に頷く。試合の間に姿を見せた二人の剣闘士は、なかなかの力量を備えているように見えた。
「お兄ちゃん、強い剣闘士がいたらスカウトするの?」
「よっぽど凄い剣闘士なら、考えるかもしれない」
『大破壊』クラスがいるならスカウトしたいが、あんな傑物は二人といないだろうからな。そんな話をしながら、俺は繰り広げられる戦いに見入っていた。
◆◆◆
「街並みって、こうも違うものなんだな……」
所狭しとひしめき合う小ぶりの集合住宅。空を見上げれば、建物と建物の間に張り巡らされたロープや、そこに吊るされた洗濯物が目に入ってくる。
帝都マイヤードも中心部と外周部ではずいぶんと様変わりするが、それ以上に違和感を覚える。それだけ文化形態が違うのだろう。今まで帝都から出たことのない俺にとっては、どれもが新鮮で、かつ興味深いものだった。
「あの、お待たせしました」
雑多な人混みを飽きることなく眺めていると、後ろから声をかけられる。俺たちの後ろにあるのはこの街のマーキス神殿であり、シンシアはこの神殿に顔を出していたのだ。
さすが大陸で最大の信徒数を誇っているだけあって、この街でもそれなりの存在感を持っているようだった。
「シンシアお姉ちゃん、お帰り!」
旅の間にすっかり懐いたシルヴィが、正門から出てきたシンシアに飛びついた。その頭を撫でているシンシアも自然な様子で、まるで姉妹に見える。
「それで、どうだった?」
「特に大きな事件はないみたいです。埃煙病も、数日程度の滞在で発症するものではないみたいですし……」
シンシアは神殿で得た情報を披露してくれる。彼女が神殿に立ち寄ったのは、この地域の最新情報を仕入れるためだ。
巡礼の旅に出た信徒が訪れることもあって、各地のマーキス神殿では信徒や神官にこういった情報提供を行っているというので、それを利用させてもらった形だ。
「埃煙病ってなーに?」
「この地域の風土病だ。発症すると咳が止まらなくなるらしい」
首を傾げるシルヴィに簡単に説明する。
「ふうどびょう?」
「この辺りでだけ、発症する病気のことです。原因は色々ですけど、埃煙病の症状からすると、この乾燥していて埃っぽい環境が影響していると思います」
シンシアが風土病の説明をしてくれる。彼女は意外と風土病に詳しいようだった。
「シンシア、詳しいんだな」
「いえ、そんな……この旅に出る直前まで、帝都の風土病である喧騒病の調査をしていましたから……」
その言葉に、つい真顔になってしまう。喧騒病は親父たちクロイク家が離れ離れになった原因でもあるからだ。
「喧騒病の調査って、何かあったのか?」
原因でも分かったのだろうか。それなら嬉しい話だが……。そんな俺の期待を裏切って、シンシアは首を横に振った。
「最近、喧騒病の発症者が増えているんです。それで、早めに手を打とうと……」
「そうなのか……」
残念な報告にこっそり肩を落とす。その間にも、彼女は神殿で得た情報を披露していた。
「あと、最近西からの巡礼者が減っているらしいです」
「西から?」
それは看過できない情報だった。フォルヘイムを目指す俺たちは、ずっと西へ向かっている。つまり、巡礼者が減っている何かしらの理由に直面する可能性は高い。
「となると野盗か、西国の出国制限か……病気の蔓延もあり得るかしら?」
「それが、はっきりとした理由は分かってないみたいです」
「そうなの? なんであれ、情報は漏れてきそうなものだけど……」
レティシャは不思議そうに首を捻る。野盗なら生き残りや目撃者がゼロということはないだろうし、出国制限なんてどうしても隙を突く人間が出てくる。病気だって噂くらいは届くはずだ。
「気を付けたほうがよさそうだな……」
そんな話をしながら、俺たちは食事ができる場所を探す。漂っている香りは馴染みのないものが多いが、それでも美味しそうな料理屋に見当を付けると、連れだってぞろぞろと入っていく。
空いている席を見つけて腰を下ろすが、周囲の視線はちらほらと俺たちへ向けられていた。周りから浮いた服装ではないと思うが、やはり異国っぽさが出ているのだろうか。
「――とりあえず、それくらいでお願いね」
冒険者時代にこの辺りに立ち寄ったことがあるというレティシャが、代表して料理を頼んでくれる。運ばれてきた料理はどれも見たことのないものだったが、口に入れてみると意外と美味かった。
「これ、美味しいね!」
「初めて食べますけど、美味しいです」
「ピッ!」
シルヴィやシンシアも同じ感想を抱いたようで、笑顔で料理を頬張っている。ノアも野菜を少しもらってご満悦らしく、物凄い勢いでついばんでいる。
「そう言ってもらえると、見繕った甲斐があったわ」
賑やかな喧騒の中、レティシャは微笑みながら酒杯を呷った。そして、俺の前に置かれた酒杯に目を止める。
「あら、飲まないの?」
「剣が鈍ると、いざという時に困るからな……」
「そんなに強いお酒じゃないから、ミレウスなら大丈夫よ」
レティシャはけっこう酒好きだからな。一人だけ飲んでいるのは寂しいのだろうか。さすがにシルヴィやシンシアに飲ませるのは早い気がするし。
「じゃあ、わたしが飲むー!」
「シルヴィにはまだ早い」
伸びてきたシルヴィの手をぺちっと叩くと、彼女は「えー!」と口を尖らせた。この賑やかな妹が酔うとどうなるのか、興味はあるが試すつもりはない。
「ミレウスさん、すっかりお兄ちゃんなんですね」
そんなやり取りを見ていたシンシアがクスリと笑う。
「だってお兄ちゃんだもん!」
「なんだそりゃ……」
そんな会話をしながら、見慣れない料理を次々と口に入れる。レティシャはそんなに食べていないが、シンシアとシルヴィは俺が驚くほどの食欲を見せていた。
そして、注文した料理が打ち止めになった頃合いだった。俺たちの卓の傍にぬっと立つ男がいた。その顔に浮かんでいるのは、あまり上品ではない類の表情だ。
「嬢ちゃんたち、いい食べっぷりだな。こっちのテーブルで一緒に食えよ」
そう言って親指で指し示す。その先には、同じような表情を浮かべた男が三人ほど座っていた。
「……」
対して、三人は沈黙していた。怯えているというよりは、きょとんとしている様子だ。レティシャはともかく、他の二人はこういったシチュエーションに馴染みがないのだろう。
「見ての通り、食べ終わったところなんですよ。ご期待に沿えなくて申し訳ありません」
そんな二人に任せるわけにもいかず、俺は紳士的に口を開いた。だが、言葉を受けた男はわざとらしく俺に視線を当てる。
「へっ、一人は男だったのか。なよっちいから気付かなかったぜ」
どうやら退く気はないようで、男は馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「おや、そうでしたか」
俺はあくまで話を流す。だが、それが相手の気に障ったらしい。
「てめぇ、女ばっか連れて調子乗ってんじゃねえぞ……!」
「はぁ」
再び、男の言葉を適当に受け流す。彼らの物腰からすると、強化魔法のない俺でも勝てる程度の力量だろうし、あまり気を遣う必要もないだろう。
「きゃっ、こわぁい」
そして、レティシャがわざとらしく俺に身を寄せた。彼女は悪ノリすることに決めたようだった。……レティシャがその気になれば、一瞬で消し炭だろうに。
「へへっ、怖くなんてねえさ。俺たちぁ優しいからよ」
そんなレティシャの様子を見て、男は鼻の下を伸ばしている。知らないとは幸せなことだ。
呑気な感想を抱きつつ、俺は対応について頭を巡らせた。このまま酒場を出てもいいが、問題はこいつらが付いてきた場合だ。強化魔法がなくても対処は可能だが、どうせなら徹底的にぶちのめしたほうが後腐れがないかもしれない。それに……。
俺はとある方向に意識を向けた。このちょっとした騒ぎを面白そうに見ている客はいくらでもいるが、そこにいる集団だけは興味の質が違っているように思えたのだ。その確認と牽制を兼ねて、俺はわざとらしく視線を当てる。
だが、俺の視線を受けても彼らに変化はない。どちらにせよ、店は出たほうがいいだろう。そう結論を出した時だった。
「――皆さん、ここにいたんですか。探しましたよ」
店の入口から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。商談で別行動を取っていたヴェイナードだ。彼は店内を一瞥した後で、堂々とこちらへ歩み寄ってくる。
「明日は八つの鐘と同時に出発しますからね。今日は早めに休んでください。最近、西方面は人の行き来が少ないそうですし、何があるか分かりませんから」
「……?」
その物言いに引っ掛かるものを覚えつつも、俺は立ち上がった。勝手の分からない街で、無闇に喧嘩を買っても仕方がないのは事実だ。俺とヴェイナードに促されて、女性三人も立ち上がる。
俺たちの退場に文句をつけてくると思われた男たちは、意外なことになんのリアクションも起こさなかった。未だ目はぎらついているが、追ってこないなら当面は問題ない。
それ以上騒ぎを起こすことなく退店した俺は、ヴェイナードに笑顔を向けた。
「ヴェイナードさん、ありがとうございました。どう対処するか悩んでいたところです」
「いえ、お礼を言われるようなことはしていませんよ」
そう返しながら、ヴェイナードは出てきた料理店に目を向ける。男たちが追ってくることを警戒しているのかと思ったが、それにしては緊張感がない。
彼がその理由を説明したのは、次の日の朝だった。
◆◆◆
「盗賊団の襲撃、ですか?」
「あくまで可能性ですが……昨晩、皆さんが夕食を取っていた店内には盗賊団の一味とおぼしき人物がいたのです」
出立の朝。朝食を食べながら、ヴェイナードはさらりと物騒なことを口にした。
「実は、西からの旅行者が激減しているという情報がありまして。昨日の商談相手も嘆いていたのですよ」
「その情報はこの街のマーキス神殿からも聞きましたが……盗賊団が原因だとまでは知りませんでした」
「一般には出回っていない情報ですからね。近くに神出鬼没の盗賊団がいるなどと、市井に知れれば混乱が生じます」
それに、とヴェイナードは付け加える。
「私が話を聞いたのは、この街でもかなりの有力者ですからね。原因がはっきりしないのは、襲撃中の盗賊団の姿を誰も見たことがないからですが……争いがあったと思われる痕跡であれば、ちょくちょく発見されるのです」
「目撃者を確実に全滅させているために見つからないと?」
「そう考えられています」
その言葉に俺は考えこんだ。昨晩の違和感を合わせて考えると、結論は一つだ。
「つまり、私たちで囮を務めて、そのまま盗賊団を返り討ちにしろというわけですね」
「え?」
俺の言葉に、シンシアが目を丸くして驚く。
「あの時、ヴェイナードさんがわざわざ出立の時刻や方角を口にしたのは、盗賊団に情報を流すためでしょう?」
「ミレウス支配人は話が早いですね」
ヴェイナードは悪びれずに答えた。やはりそういう目的だったのか。
「驚きましたよ。すでに盗賊団の一味らしき人物と接触しているのですからね。彼らは情報収集と獲物の物色を兼ねていたのでしょう」
「ええと……それって、夕食の時に話しかけてきた男の人のことですか?」
シンシアが疑問を提出するが、ヴェイナードは首を横に振る。
「彼らではありません。……まあ、あの場にいた盗賊団に唆された可能性はありますが」
つまり、俺たちの情報を得るために焚きつけたわけか。しかし、ということは……。
「すでに俺たちは狙われていたと?」
「旅人は等しく獲物なのでしょう。……それに、彼らの狙いは積み荷だけではありませんから」
「ふむ……」
彼が言いたいことは分かった。金目のものを積んでいないとしても、俺たちの馬車にはレティシャやシンシアがいる。嫌な話だが、彼らにとって美人は下手な荷物よりも価値がある。囮としては最適だ。
「あの時はとっさの判断で情報を流したのですが……事後承諾になって申し訳ありませんでした」
そして、ヴェイナードは真摯な表情で頭を下げる。
「まあ、すでに目を付けられていたのであれば、どの道同じなのかもしれませんが……」
そんな彼に対して、俺は正直なところを口にした。
「盗賊団の襲撃があれば返り討ちにする。そのことに異存はありません。ただ、わざわざ情報を撒いて盗賊団を誘き寄せるというのは……」
「旅の危険性を増したことは申し訳ありません。ただ、私たちに事態を解決する力がある以上、見過ごすわけにもいかないかと」
彼は当然のように答える。その様子には、なんの嘘も混ざっていないように思えた。
「……意外ですね」
ヴェイナードに正義感がないとは思っていないが、そこまでする人物だというのは予想外だったな。だが、どちらかと言えば好ましい方向に裏切られたわけで、悪い気はしない。王族の末裔であり、派閥の重要人物だということが関係しているのだろうか。
「もちろん、見返りはあります。少し遅れて隊商に扮した私設兵が付いてきますから、ただ襲われるよりも安全ですし、危険に備えて様々な物資の提供を受けました。今後の旅に役立つはずです」
その答えは納得できるものだった。ついでに取引相手から何かしらの利益を引き出したのだろうが、そこまで追及するつもりはない。
「問題は、私たちで対処できるかどうか、ですね」
盗賊団の規模は不明だが、襲った隊商をすべて全滅させていることからすると、かなりの人数である可能性が高い。それを俺たち数人で撃退できるのか。
そう伝えると、ヴェイナードは気負う様子もなく微笑んだ。
「皆さんの実力を考えると、悩む必要はないでしょう。それこそ、一国の軍隊でも引っ張ってくる必要がありそうですからね」
俺たちが街を発ったのは、それからしばらくしてのことだった。