出立Ⅰ
「それじゃ、闘技場をよろしくお願いします」
「うむ。ミレウスも気をつけてな」
「レティシャ、シンシアちゃん。ミレウスをよろしくね」
「ええ。……と言っても、私が助けられるほうかもしれないけれど。ねえ、『極光の騎士』?」
「は、はい、頑張ります……!」
ヴィンフリーデの言葉を受けて、二人がそれぞれ返事をする。さらに、一拍遅れて薄緑色の雛が声を上げた。
「ピッ、ピィッ!」
「うふふ、ノアちゃんもよろしくね」
「ピィ!」
そんなやり取りを交わして、俺たちは馬車へ乗り込んだ。フォルヘイムへ向かうメンバーは、俺、シルヴィ、レティシャ、シンシア、ヴェイナードの五名だ。
基本的にヴェイナードは御者を務めているが、御者席は客車と近いため、全員が会話に参加することができた。
「シンシアちゃんは私服なのね。かわいらしくて素敵」
「その……法服は絶対に着ないようにって、神殿長に言われて……」
「そう言えば聖印も提げていないわね。でも、どうして?」
「エルフ族は独自の宗教観を持っていて、神官をよく思わない……らしいです」
そんな二人の会話を聞きながら、俺は御者を務めるヴェイナードの後ろ姿を眺めていた。旅慣れているだけあって、手綱を取る姿は落ち着いて見える。そのヴェイナードが、突然俺のほうを振り返った。
「――そうでした。ミレウス支配人、一つ注意してほしいのですが……」
「なんでしょうか」
「フォルヘイムでは、『極光の騎士』の名は使わないでください」
「別に構いませんが……理由を教えてもらっても?」
少し言いにくいのですが、と前置いてヴェイナードは理由を告げる。
「三年前の襲撃事件で、『極光の騎士』は帝都の英雄としてその名を轟かせました。ですが、逆に言えば……」
「なるほど。エルフ族にとってみれば、重要な軍事作戦を頓挫させた極悪人でしょうね」
「そういうことです」
それは理解できる範疇のものだった。俺にせよヴェイナードにせよ、フォルヘイムに対して堂々と捧げられる忠心など持ち合わせていない。だからこそ、自分たちを客観的に見ることができた。
「ですが、それなら古代鎧を見れば、誰かが『極光の騎士』だと気付くのではありませんか?」
「大丈夫でしょう。『極光の騎士』と交戦した部隊は全滅していますし、生き残りがいたとしても、鎧の見分けなんてつきません」
「なるほど……」
「……お兄ちゃんたち、なんのお話をしてるの? 『極光の騎士』って誰のこと?」
と、一人だけ事情を理解していないシルヴィが小首を傾げる。まだまだ旅は長いし、時間つぶしだと思って説明するか。
「えーと……そうだな。三年くらい前に、軍事的な意味でバタバタしている時期がなかったか?」
「そうなの?」
どうやら、シルヴィにはピンと来ていないようだった。まあ、彼女がまだ幼い頃の話だからな。そう思っていると、御者台のヴェイナードが再び振り向いた。
「外界の話は純種のエルフにしか明かされませんからね。彼女が知っていることは、ソレイユ王子とバロール筆頭魔術師が亡くなったことくらいでしょう」
「あ、それは知ってるよ! 悪い病気にかかったんだよね? びっくりしたもん」
「悪い病気……?」
俺はヴェイナードに視線を向ける。具体的なことは知らないが、おそらくその二人はあの襲撃事件で命を落としたのだろう。それが病死とは――。
「……つまり、そういうことです」
「フォルヘイムは、思っていた以上に閉鎖的みたいねぇ」
「そうですね、見れば驚くと思いますよ」
レティシャの言葉に気を悪くした様子もなく、ヴェイナードはしれっと同意を示す。この愛国心のなさが、逆に彼の信頼感を増す材料になるのだから不思議なものだ。
「ねえねえ、それで『極光の騎士』って何だったの?」
「なんというか、話すと長くなるんだが……」
そうして、色々と端折りながら経緯を説明する。それでもかなりの時間がかかったが、幸いなことに時間はたっぷりあった。
「お兄ちゃん、強いんだ……! すごいね、お父さんみたい!」
「あくまで古代鎧のおかげだからな。俺が強いわけじゃない」
「あの……シルヴィちゃんのお父さんも強いんですか?」
「うん! とっても強いよ!」
そんなやり取りをしていた時だった。御者席のヴェイナードが幾分鋭い声を上げる。
「皆さん、残念ですがモンスターに目を付けられました。迎撃をお願いできますか?」
「襲撃か……!」
俺は走行中の馬車の幌から顔を出す。ヴェイナードの言葉通り、この馬車を狙っていると思しき四足歩行のモンスターが集団で迫っていた。
「あらあら、格好の的ね」
俺の隣から、レティシャがひょいっと顔を出す。そしてそのまま音楽的な詠唱が始まった。
「真空竜巻」
やがて、群れを中心として巨大な竜巻が発生した。竜巻はモンスターを切り刻みながら、空中へと巻き上げていく。後に残ったのは、運よく群れの端にいた個体だけだった。
「何匹か残っちゃったわ……」
レティシャは残念そうに呟く。走行中のモンスター群の真ん中に魔法を叩き込むという高度な技術を披露したわりに、本人は納得していないらしい。
「ヴェイナードさん、馬車を止めてもらえますか? 私が出ます」
とは言え、残るモンスターは五体しかいない。先ほどからモンスターの動きを見ていたが、そう苦戦することはないだろう。そう判断した時だった。シルヴィの賑やかな声が響いた。
「わたしに任せて!」
言うなり、いつの間にか取り出していた筒――魔工銃とか言ったか――をモンスターに向ける。
刹那、ドン、という音ともに魔工銃から何かが発射された。それはまっすぐモンスターへ向かい、そして激突する。
「なんだ!?」
直撃を受けたモンスターがドサリと倒れる。それに構わず、シルヴィは揺れる荷馬車の上からモンスターを狙撃していく。
「これで、最後!」
そんな声とともに、最後の一匹が倒れ伏す。十歳の女の子とは思えない戦闘力を前にして、俺たちは唖然としていた。
「シルヴィちゃん、凄いです……こんな短時間で殲滅するなんて……」
「えへへ。でも、レティシャお姉ちゃんのおかげだよ。最初の数のままだったら、先に馬に飛びつかれてたと思う」
「……驚いたな」
妹の思わぬ才能につい呟く。シルヴィが護衛として役に立つと豪語していたのは、あながち嘘ではなかったようだ。
「シルヴィちゃん、それって魔道具なの? あまり見たことがない形だけれど」
そしてレティシャは、魔工銃のほうに興味を引かれているようだった。
「うん、そうだよ! ここから氷の弾が出るんだ」
シルヴィは上機嫌で解説する。さすがに触らせるつもりはないようだが、レティシャがまじまじと見つめる様子を嬉しそうに眺めていた。
「あれは氷の弾だったのか……」
氷の魔力というよりは、物理的な衝撃でダメージを与える仕組みなのだろう。なかなか面白い魔道具だった。
「フォルヘイムって、そんな魔道具を作り出す技術があるの?」
レティシャの問いかけに、シルヴィは首を横に振った。
「作り出すことはできなくて、古代文明のものを整備して使ってるだけだよ。でも、そのうちわたしが作り上げるの……!」
シルヴィはそう宣言して気炎を吐いた。彼女の夢は結構なことだが、それがエルフ族の戦力の増強を招くことを考えずにはいられない。俺としては複雑な気分だった。
「そう、それは素敵な目標ね」
そして、シルヴィの夢に大きく理解を示したのはレティシャだった。彼女も新しい魔法を創り上げることを生き甲斐にしているから、通じる部分があるのだろう。そのまま、俺には分からない専門的な魔法の話を始める。
「……さすがは『紅の歌姫』、見事なものでしたね」
と、彼女たちの会話を聞くともなしに聞いていた俺は、ヴェイナードに話しかけられる。
「ええ。おかげで、さっぱり出る幕がありませんでした。……ありがたいことですが」
「安心してください。ミレウス支配人が剣を振るう機会は必ず来ます。皆さんの戦闘力が高いことを考慮して、今回は危険性が高いルートを選んでいますから」
「いや、そこは普通のルートでもよかったのでは……」
思わずぼやくが、ヴェイナードの笑顔は変わらない。
「その分早く到着しますよ? ミレウス支配人は一刻も早く第二十八闘技場に戻りたいだろうと思いまして」
なるほど、それは魅力的だな。戦うだけで時間が短縮できるのであれば、それは願ってもないことだ。
「お心遣いに感謝します」
規則的な馬車の振動に揺られながら、俺は向かう先の地平線を眺めていた。
◆◆◆
「商談の予定がありますので、今日はあの街に停泊します」
フォルヘイムへ向かう旅を始めてから一か月。ここ数日、延々と続いていた赤茶けた地平線の向こうには、意外と大きな街が待ち構えていた。
「今日は街に泊まるの? やったー!」
ヴェイナードの言葉に真っ先に反応したのはシルヴィだ。彼女は好奇心に瞳を輝かせながら、まだおぼろげにしか見えない街に目をこらす。
「商談ですか?」
そんな妹を横目に、ヴェイナードに問いかける。
「ええ。そのうち訪れたいと思っていたのですが、道中が危険なものですから、なかなか立ち寄れなかったのですよ。みなさんのおかげで助かります」
彼は爽やかな笑顔で頷いた。さすがはユミル商会の主、その辺りは抜け目がない。その言葉通り、道中にモンスターや山賊の類に襲われたことは一度や二度ではなかった。
だが、こちらには遠距離攻撃に長けたレティシャとシルヴィがいるし、馬車に近付いてきた敵は強化魔法を受けた俺が片付けている。馬や荷台を狙われることもあるが、シンシアの魔法障壁を貫けるような猛者は誰一人としていなかった。
そんなこともあって、ヴェイナードが危険なルートを選んだことに文句を言うつもりはない。旅慣れていないせいか車中泊にはなかなか馴染めないため、街に泊まるというのも嬉しい話だ。
「それに、この街にはミレウス支配人も興味を持つかもしれない、と思いまして」
「私が、ですか?」
俺は首を傾げた。街の名前はさっき聞いたが、特に聞き覚えはない。
「この街には闘技場があるのですよ」
その言葉に目を見開く。闘技場があるということにも驚いたが、ヴェイナードが俺のことを気遣ったということが何よりの驚きだった。
「第二十八闘技場に比べると規模は劣りますが、この地域では最も大きな闘技場でしょうね」
「そうでしたか……それは気になりますね」
「一応は公営ということになっていますが、財源の大半はこの国の有力者による出資で賄われているようです」
そんなところまで調べてくれていたのか。手を組む相手として、ヴェイナードなりに友好的な姿勢を見せようとしてくれているのだろうか。
そんなことを考えている間にもヴェイナードは馬車を進ませる。そして、大きな建物の裏手に馬車を止めた。
「ここが今日の宿です。私は商談がありますが、皆さんは自由行動をしてもらって大丈夫ですよ」
言いながら、ヴェイナードはてきぱきと宿泊の手続きをこなしていく。二部屋取っており、男女別で部屋を分けるようだ。
「私とミレウスで一部屋でも構わないわよ?」
その様子を見ていたレティシャが、からかうように声を上げる。
「あのな……」
「あら、駄目なの? 私たちの間には子供だっているのに……ひどい人ね」
言いながらも、彼女の目は笑っていた。だが、その言葉を額面通り受け取った人物が二人いた。
「ふぇっ!? お二人に……お子さんが……?」
「えー!? お兄ちゃん、子供がいたの!?」
驚きのあまりか、シンシアは抱いているノアを取り落としそうになり、シルヴィは目を輝かせて俺に迫ってくる。
「お兄ちゃんの子供、見てみたい! どうして会わせてくれなかったの?」
「真に受けるなよ……」
言いながら、俺はレティシャに恨みがましい視線を向けた。だが、彼女は涼しい顔で追い打ちをかけてくる。
「あら、嘘は言っていないわ。名前だってミレウスが考えてくれたじゃない」
「……あー」
なるほど、そういうことか。たしかに嘘じゃないな。俺が納得したからか、二人はさらに勘違いの度合いを深めていた。
「そ、そんな……」
「ピ、ピィ!」
「うわー! 会いたいー!」
さらに話をややこしくしたレティシャから視線を外すと、俺は二人に話しかけた。
「いいか、レティシャが言っているのは生物的な意味での子供じゃない。魔法的な意味合いだ」
そう切り出しても、二人にはピンと来ないようだった。
「えーと……お兄ちゃんたちの身体の一部を使って、人造人間を作ったとか?」
「その発想はどこから来たんだ……」
まさかとは思うが、フォルヘイムではその発想が普通なんじゃないだろうな。ちらりとヴェイナードを見ると、彼は苦笑を浮かべながら首を横に振った。
「古代魔法文明に触れている彼女ならではの発想ですね。人造人間の研究は、フォルヘイムでも完成していませんから」
どうやら濡れ衣だったようだ。妹が育った環境を少し不安に思いながらも、俺は早々に答えを口にした。
「レティシャは新しい魔法を創るのが生き甲斐だ。そして、俺はその魔法にちょくちょく名前を付けている。それだけだ」
自分で創り上げた魔法を『子』と呼ぶレティシャならではの視点だな。そう説明すると、レティシャは残念なような、それでいて嬉しそうな表情を浮かべた。
「ミレウスは察しがいいわねぇ。この話でもう少しからかおうと思っていたのに」
レティシャは降参するように、わざとらしく両手を上げる。
「でも、ミレウスと同じ部屋で構わないというのは本当よ?」
「だ、駄目です!」
「ピィ!」
レティシャのからかいに、シンシアは慌てた様子で反応する。ついでにノアが鳴いたのは、自分を抱くシンシアの腕に力が入ったからだろう。
「まあ、そうだろうな。その場合、シンシアとシルヴィはヴェイナードと同室になるし」
「たしかに、それではお二人に申し訳ありませんからね」
俺とヴェイナードは頷き合うと、さっさと客室へ向かった。もともとレティシャも本気ではなかったのだろう。特に異議を唱えることもなく隣の部屋へ入っていく。
「……それでは、私は商談へ赴きます。遅くなると思いますが、心配しないでください」
荷物を落ち着けると、ヴェイナードは早々に立ち上がった。
「分かりました。お気を付けて」
そうして、ヴェイナードは部屋を出て行く。だが、パタンと閉められた扉は、すぐにガチャリと開かれた。
「お兄ちゃん! 街を見に行こっ!」
そこには、好奇心を満たしたくてうずうずしている妹の姿があった。後ろにはレティシャとシンシアの姿もある。
「まだ夕方にもなっていないし、のんびり街を歩いてみない?」
「みなさんが一緒なら、安全ですし」
二人も乗り気なようで、すでに支度を整えている。俺だって初めて見る街に興味はあるし、ここには闘技場だって存在するのだ。このまま宿屋で時間を過ごしてしまうのはもったいないな。
「ああ、そうしようか」
笑顔で答えると、俺は立ち上がった。




