追及 Ⅲ
会議でジークレフが捕らえられてから、二月が過ぎようとしていた。当時は帝都を大いに騒がせた伯爵子息の逮捕劇も、月日が経てばそれなりに収まってくる。
情報操作の甲斐あって、第二十八闘技場にとって重要な『第七十一闘技場の事故は仕組まれたものだった』という話も合わせて広まっており、魔法試合を観戦する客数についても、なかなかの回復を見せていた。
そして、魔法試合の客数を回復させた第二十八闘技場と第十九闘技場が業績を上げたこととは対照的に、ディスタ闘技場の客数は下がっているようだった。やはりジークレフの一件が尾を引いているのだろう。
闘技場ランキング一位を目指す身としては歓迎するべきかもしれないが、こんな形でディスタ闘技場を超えても意味がない、という思いもある。
複雑な気分で支配人室の窓を眺めていると、ヴィンフリーデが口を開いた。
「ミレウス、聞いた? ヴァリエスタ伯爵が復帰するらしいわ」
「闘技場の支配人に戻ってくるのか。なんだかほっとするな」
それは朗報だった。体調不良でディスタ闘技場の一線を退いたヴァリエスタ伯爵だが、体調不良の原因はジークレフに少しずつ毒を飲まされていたからであり、今では健康を取り戻したという。
とは言え、しばらく寝たきりに近い状態だったため、肉体機能の回復にはまだ時間がかかるだろうという話だった。
「伯爵も複雑な気分でしょうね」
「実子に殺されかけたんだからな……伯爵は生まれつきの貴族じゃないから、後継者争いが子にとってどれだけ重いものか、そこを計り間違えたのかもな」
「貴族は貴族で大変ねぇ……」
ヴィンフリーデは小さく溜息をついた。なお、様々な罪状で投獄されているジークレフについては、帝国の僻地に幽閉されるらしい。処刑されてもおかしくない話だが、奴も貴族社会の一員だからか、それは免れたようだ。
だが、幽閉された直後に病死する貴族は多いからな。自分の食事に毒が混ざっていないか、疑いながら食べる料理に味はするのだろうか。
そして、結局地下遺跡に潜んでいたエルフたちの目的は分からずじまいだった。ディルトを含む四人は獄中で死亡したからだ。彼らのほうから、後継者争いに躍起になっているジークレフに話を持ちかけ、色々と唆したことは分かっているが、それはジークレフの取り調べで判明したことだ。
毒殺されたというのが帝国政府の見解であり、犯人捜し及びエルフの里への追及が行われているとレオン団長が教えてくれた。
そんなことを考えながら、俺は試合の間に視線を送る。試合をしている剣闘士は、新しく第二十八闘技場に移籍してきた上位ランカー、『千変万化』だ。
さすがに『極光の騎士』を超える人気はないが、三か月に一度しか試合ができないという制約もない。支配人としてはありがたい限りだ。
――これで、『極光の騎士』もいれば。
思わずそんなことを考えた俺は、執務机から一枚の紙を取り上げた。それは、つい先日更新されたばかりの闘技場ランキングだ。
一位【玉廷】 バルノーチス闘技場
二位【黄金廷】 ルエイン帝国第二十八闘技場
三位【白銀廷】 マイヤード闘技場
四位【赤銅廷】 ルエイン帝国第十九闘技場
五位【黒石廷】 ディスタ闘技場
六位【黒石廷】 ルエイン帝国第三十闘技場
七位【黒石廷】 ルエイン帝国第九闘技場
八位【白砂廷】 ルエイン帝国第四十七闘技場
九位【白砂廷】 ルエイン帝国第五十二闘技場
十位【白砂廷】 ウェルヌス闘技場
第二位。それが第二十八闘技場の最新の順位だった。前半はランキング一位に手が届く数字だったものの、魔法事故によって落ち込んでいた期間の客数の激減が大きく響いたのだ。
また、大きな加点要素だったランク一位の剣闘士『極光の騎士』が引退したことも影響している。できれば『極光の騎士』が消滅する前に一位になりたかったが、もはや叶わぬ夢だ。
なお、不祥事を起こしたディスタ闘技場とウェルヌス闘技場は、ペナルティとして大幅に減点されため、前回より大きく順位を落としていた。
「それ、ランキング表?」
と、ヴィンフリーデがランキング表を覗き込んでくる。すでに何度も見た紙片であり、ほとんど内容も覚えているはずだが、こうして確認したくなるのはなぜだろうか。
「……やっぱり納得いかないわ」
と、ランキング表を見ていたヴィンフリーデは拗ねたように口を尖らせた。
「ディスタ闘技場やウェルヌス闘技場の順位が落ちたのはいいとして、どうしてバルノーチス闘技場が一位なのよ」
「もともと、あそこはディスタ闘技場に次ぐ第二位の闘技場だったからな」
ヴィンフリーデが言いたいことはよく分かった。第二十八闘技場とディスタ闘技場が相討ちになり、何もしなかったバルノーチス闘技場が運よく一位になった。そう思えるのだろう。
「それはそうだけど……ディスタ闘技場の悪だくみを暴いたのはミレウスなのに」
「バルノーチス闘技場は魔法事故の影響を受けなかったし、上位ランカーが揃っているからな……」
俺は肩をすくめた。バルノーチス闘技場には、剣闘士ランキング第二位『双剣』、第三位『魔鏡』、第九位『緋炎舞踏』と、豪華な顔ぶれが揃っている。
第二十八闘技場にも第四位の『金閃』と第五位の『千変万化』がいるが、上位ランカーについては順位も人数も負けていた。
ヴィンフリーデが言う通り、漁夫の利を持っていかれた気もするが、バルノーチス闘技場に悪意があったわけではない。
「また来年、か……」
その声は自分で思っていたよりも苦く響いた。魔法事故の影響は薄れつつあるが、魔法試合の人気に水を差したのは事実だ。他の闘技場でも魔法試合が普及してきたこともあり、以前のような観客数の激増は見込めないだろう。
それでも、売り上げや客数といった要素については、バルノーチス闘技場に劣っているとは思わない。となれば、やはり重要となるのは上位ランカーの数だろう。
「ミレウス、また皺が寄っているわよ」
考え込んでいた俺に呼びかけると、ヴィンフリーデは自分の眉間を指でつついた。
「生まれつきなんだ」
「幼馴染にその手の嘘は通じないわよ。……あーあ、昔のミレウスはかわいかったのに」
「何歳の話だよ……」
そんな話をしていると、支配人室の扉が開かれた。もう一人の幼馴染、ユーゼフだ。
「やあ、二人とも楽しそうだね」
「ヴィーにからかわれてただけだ」
「あら、心外だわ。私はミレウスを心配しているのに」
反論するヴィンフリーデを無視すると、俺はユーゼフに向き直った。
「それで、どうしたんだ? いつもより真面目な顔をしているぞ」
「あはは、さすがミレウスだね。……そろそろ、僕の剣闘士ランキングを上げようと思ってね」
それは、ユーゼフがちょくちょく口にしている言葉だ。だが、今日の口調は、今までのものとは明らかに異なっていた。
「第二十八闘技場の看板剣闘士がランキング四位じゃ、あまりに物足りないだろう?」
ユーゼフの視線が俺の手元に向いた。これがランキング表だと分かっているのだろう。『極光の騎士』がいなくなった今、それでも闘技場ランキング一位を取ろうとすれば、ユーゼフがランク一位になるか、ユーゼフと『千変万化』が二位と三位につける必要がある。それが俺の計算だ。
だが、『千変万化』はランク二位の『双剣』と相性が悪い。彼は魔法戦士であり、『千変万化』の魔道具の特性をすぐに見抜くだけの洞察力があった。
そして二人とも、ランク一位の『大破壊』に対しては、一度も勝利したことがないはずだった。
「そうだな……バルノーチス闘技場に掛け合ってみるか」
ランキングの変動を恐れてか、ユーゼフとの試合を避ける傾向にあったバルノーチス闘技場だが、いつまでも逃げ続けるわけにはいかないだろう。まして、今では闘技場ランキング一位【玉廷】の称号を得ているのだ。そのあたりをつついて、なんとか盤面に引っ張り上げるつもりだった。
「ついでにディスタ闘技場も頼むよ。もちろん、僕が『双剣』たちを倒した後でいいから、根回しをしておいてほしい。……今なら簡単だろう?」
ユーゼフの無邪気な物言いに苦笑する。それはつまり、『大破壊』と対戦するということだ。ヴァリエスタ伯爵に対して大きな貸しを作った俺であれば、その組み合わせの実現は難しくないだろう。
「そうだな。今のディスタ闘技場はバタバタしているから、二、三月は後の話になるかもしれないが」
「ありがとう、充分だよ」
ユーゼフは微笑むと、窓から空を見上げた。
「……あんまり親父を待たせちゃ悪いからね」
抜けるような青空を眺めて、ぼそりと呟く。
「……そうだな」
今の俺にできることは、ユーゼフを最大限支援することだ。『千変万化』はもちろんのこと、上位ランカーになれる可能性があるモンドールのことも考えなければならない。支配人として、まだまだやれることはあった。
そうして決意を新たにしていた時だった。コンコン、と控えめな音で扉がノックされる。扉から顔を覗かせたのは、受付を担当している従業員の一人だった。
彼は支配人室には入ろうとせず、困惑した様子で扉から顔を覗かせている。用件を尋ねると、ためらいがちに口を開いた。
「その、先代にお会いしたいと人が訪ねてきているのですが……」
「先代……親父に?」
思わず声が大きくなる。親父を訪ねてくる人間と言えば、かつての冒険者仲間くらいしか思い浮かばないが、彼らは親父の墓参りだってしている。もし用事があれば、親父ではなく俺を訪ねてくるはずだった。
「はい、イグナート支配人に会いたいとのことでして……」
だが、なんであれ親父を訪ねてきたのであれば無下にはできない。
「ありがとう、会ってみよう。支配人室へ通してくれ」
「はい、分かり――あ」
と、従業員が扉の外を見る。ダグラスさんでも来たのだろうか。
「申し訳ありません、来てしまったようです」
「……え?」
俺が首を傾げる間にも、扉から新しい人物が顔を覗かせた。従業員が扉を完全に開いたおかげで、その背格好が露わになる。
意外なことに、訪問者はかわいらしい少女だった。フードらしきものを被っているが、その顔立ちからすると十歳くらいだろうか。
少なくとも、親父の知り合いとは思えない。エレナ母さん一筋の親父に限って、まさか隠し子なんてことはないと思うが――。
そんな俺の内心を知らない彼女は、快活な笑みを浮かべると、元気な声で話しかけてきた。
「こんにちは! あなたがイグナート・クロイクさんですか?」
「いえ、先代……イグナート・クロイクは、三年前の襲撃事件で亡くなりました」
「えっ!?」
俺の言葉に、彼女は目を丸くして驚いていた。わざわざ訪ねた相手が亡くなっていたとなれば、混乱するのも当然だろう。
「それで、失礼ですがどのようなご用件でしょうか? ……ああ、申し遅れました。私は第二十八闘技場の現支配人、ミレウス・ノアと申します」
そう名乗ったところ、混乱していた様子の少女の顔が強張った。
「――え?」
彼女は何度も瞬きをすると、まじまじと俺を見つめる。
「ミレウス・ノア……?」
「そうですが……。失礼ですが、どこかでお会いしましたか?」
俺は首を傾げた。そもそも、彼女は親父を訪ねてきたのではなかったか。そう悩んでいると、少女はなぜか満面の笑みを浮かべた。そして、両手を広げて床を蹴る。
……つまり、俺へ向かって飛びついてきたのだ。それだけではない。少女は俺に抱き着くと、思いも寄らない言葉を発した。
「お兄ちゃん! 会いたかった!」
「……え?」
場に沈黙が下りる。嬉しそうな少女とは対照的に、俺たちは戸惑うばかりだった。俺に妹がいるなんて話は聞いたことがないし、新手の詐欺だろうか。
「ええと……申し訳ありませんが、私に妹はいません」
「わたしがいるもん!」
そう伝えても、少女に焦った様子は見られない。彼女は胸元に手を入れると、何かを引っ張り出す。小さな手のひらの上に乗った物体を見て、俺たちは同時に息を呑んだ。
片方しかないイヤリング。その形には見覚えがあった。
「これは……」
「もう片方、お兄ちゃんが持ってるんでしょ?」
少女の言葉は正しい。今は身に着けていないが、自分の部屋にこのイヤリングの片割れを置いている。
――だが、なぜ。
俺は大きな混乱の中にあった。両親はどうしたのか。これまで何をしていたのか。なぜ今になって俺を訪ねてきたのか。疑問はいくらでもある。
……だが。そんなことは、目の前にある疑問に比べれば小さなものだった。俺に飛びついた勢いで、少女が頭に被っていたフードは外れていた。抱き着かれた時は近すぎて見落としていたが、こうして離れるとよく分かる。
「そんなはずは……ない……だって……」
足下が崩れていくような錯覚を覚えながらも、必死で否定する。だが同時に、心のどこかで納得している自分もいた。だから、こうなのか。
露わになった少女の耳。その尖った耳を見つめながら、俺は震える声を絞り出した。
「――君は……ハーフエルフじゃないか……」