追及 Ⅱ
「事故ではない……? それはどういうことでしょうか」
俺の言葉を受けて、続きを促したのは第十九闘技場のシャード支配人だ。打ち合わせ通りの催促に頷き、俺は説明を始めた。
「単刀直入に申し上げましょう。第七十一闘技場の惨劇は、故意に引き起こされたものです」
「なんと……?」
幾人の支配人が驚きの声を上げる。
「あの事故は、魔法試合の出場選手であるディルトによって、意図的に引き起こされたものです。
……実を言えば、ディルトは剣闘士登録を希望して、第二十八闘技場にも来たのですよ。募集はしていないと断りましたが、できれば第二十八闘技場であの事件を起こしたかったのでしょう」
そう言ってジークレフを見る。だが、彼に動揺した様子はなかった。
「面白い空想ですね。魔法試合の客離れが深刻化して、ミレウス支配人も現実逃避に忙しいと見えます。ですが、もしその魔術師が意図的に結界を破ったのだとしても、魔法試合の危険性に変わりはありません。
魔術師がその気になれば、結界を突き破ってあれほどの破壊を撒き散らすことが可能だという、その事実こそが問題でしょう」
発言した後も、ジークレフは挑戦的な目で俺を見ていた。自分の論理に自信があるのだろう。
「なるほど、ジークレフ支配人代理がおっしゃるとおりです。ですが、今回の事件について言えば、その心配はありません。なぜなら――」
俺はジークレフのみならず、この場の全員に向けて宣言した。
「ディルトは、試合中に結界を破る魔法を放ちました。それは事実ですが、そこまでです。彼は客席に被害をもたらしてはいません」
「なに?」
「彼の魔法は結界とぶつかり、その威力を大きく減衰させました。もはや、観客に大きな被害を出すほどの力はなかったのです」
誰かが反論する前に、俺はレオン団長に目で合図をした。彼の隣にいた参謀が扉へ向かい、一人の魔術師を招き入れる。それは、俺が最もよく知る魔術師だった。
「ご紹介しましょう。彼女は魔術ギルドの上級魔導師であるレティシャ導師です」
俺の言葉に合わせて、レティシャが優雅に挨拶をする。幾人かは『紅の歌姫』のことを知っているようで、俺と彼女の顔を交互に見ていた。
「第七十一闘技場の事故について、魔術ギルドは彼女に調査を依頼しました。先程申し上げたのは、その調査結果です」
「魔術ギルドが動いていたのですか……」
「まあ、あれだけの重大事件ですからな」
支配人たちが口々に感想をもらすが、否定的なものは見られなかった。魔術ギルドは公的な側面を持つ機関であり、ギルド長のディネアが現皇帝と親しいことは有名だ。そんな事情からか、魔術ギルドの関与は好意的に受け止められる傾向にあった。
彼らが注目する中、レティシャは気負った様子もなく口を開いた。
「第七十一闘技場の魔法事故の際、結界は有効に機能していました。結界に阻まれた魔法は減衰し、結界を破ったところで力を失ったものと考えられます」
「ならば、あの被害はなんだったと言うのでしょうか? あの惨憺たる有様は、到底見間違いで済まされるものではないと思いますが」
相変わらず平静を装っているジークレフだが、その顔は少し強張っているように見えた。
「結論から申し上げます。客席に魔法を撃ち込み、多くの人々を殺傷したのは、観客席に潜んでいた三人の魔術師ですわ」
レティシャは淡々と、だが艶やかな声で宣言する。予想外の結論に、支配人たちが騒然とする。
「なんだと……!?」
「観客席に?」
「意味が分かりませんな……」
彼らの視線は自然とレティシャに向かう。彼女はたっぷり間を置いてから、詳しい説明を始めた。
「まず、ディルトが使用した魔法は真空双破という上級風魔法です。彼がこの魔法で結界を破り、同時に客席に潜んでいた魔術師たちが、準備していた魔法を客席に放って殺傷行為に及んだのです」
「なんと……!?」
支配人たちは目を白黒させながらも、レティシャに視線を注いでいた。
「結界を突き破った割に、魔法の威力が減衰していないのは当然です。結界の外にいる魔術師が、結界の外にいる観客目がけて魔法を放ったのですもの。そもそも結界の強度は関係ありませんわ」
「だが、それなら観客が気付くのではないか?」
そう問いかけたのは、第二位【黄金廷】バルノーチス闘技場の支配人だ。理解が追い付いていない様子の支配人も多い中、彼は理解が早いようだった。
「客席の魔術師たちが放ったのは風属性の魔法だと考えられます。風魔法は目に見えない上に、ディルトが結界を破るのに使った真空双破も風魔法ですもの。人々が一つの魔法だと思っても無理はありませんわ」
「それは……いや、まさか……」
思考を巡らせている様子の支配人たちに向けて、レティシャは説明を続ける。
「客席に残された破壊痕は、真空双破としては不可解なものでした。けれど、別の魔術師が関与していたと考えれば、破壊痕から推測は可能です」
「……ということは、使用された魔法も特定したのか?」
「ええ。使用された魔法は『風爆珠』だと考えています。扱うにはかなりの技量が必要ですが、人が密集している場所で使えば甚大な被害が出ます」
「ふむ……被害が大きいのも道理ですね」
風爆珠の説明を受けて、納得した様子で頷いたのは第四騎士団の参謀だ。彼は魔術師であり、他の参加者とは比べ物にならない魔法の知識を持っている。
彼が頷いたことで、場に肯定的な空気が漂う。だが、一人だけそれを良しとしない人物がいた。ジークレフだ。
「納得できませんね。客席に潜んでいた三人の魔術師? 唐突にそんな人物を提示されても真実味がありません」
そして、彼は目をギラリと光らせる。
「そもそも、魔術ギルドの人選に問題がある。レティシャ導師は第二十八闘技場で『紅の歌姫』として魔法試合に出場している身。ミレウス支配人と懇意である以上、この調査には不適格だ」
「魔術ギルドがレティシャ導師に調査を任せた理由は、むしろそこにあります。彼女は幾度も魔法試合に出場しているため、闘技場や試合のことを最もよく知っている魔術師と言っても過言ではありません」
俺の主張に、幾人かの中立的な支配人が頷く。
「そこは問題ではない。重要なことは、ミレウス支配人と懇意であるということだ」
「はて、それこそ理解できませんね。レティシャ導師が私と懇意であったとして、何か問題がありますか? 第七十一闘技場の魔法事故の真相を暴くことに支障があるとは思えませんが」
「それは……」
ジークレフは口ごもった。だが、やがて俺を睨みつける。
「ミレウス支配人に有利な結論を出す懸念がある」
「有利、とは?」
「あの魔法事故を事件だったということにできれば、魔法試合で離れた客足を取り戻すことができる。そう企んだのだろう」
その言葉に、俺は皮肉をこめた笑顔を返す。
「概ね正解ですね。唯一違うのは、あの魔法事故は故意に引き起こされたものであり、でっち上げる必要もない、という認識でしょうか」
「なるほど。それが事実であれば、魔法試合自体は危険なものではない。あくまでテロの舞台に選ばれただけだ。そう訴えかけることができますね。闘技場界としても朗報でしょう」
「ええ。結界が有効に機能していたことは魔術ギルドが確認してくれましたからね」
シャード支配人の擁護に頷く。俺が躍起になって魔法事故の真相を調べていた理由はここにあった。もちろん、以前と同じ水準まで回復するとは思っていないが、効果は大きいはずだった。
「だからこそ、それがでっち上げだと言うのだ。憶測だけで都合のいいシナリオを描かれては困る」
苛立った様子でジークレフが口を開く。だが、その顔はわずかに強張っていた。
「あら、物証も確保していますわ。先日取り壊された第七十一闘技場ですけれど、風爆珠の破壊痕については、魔術ギルドで確保しています」
「なに……!?」
今度こそ、ジークレフの表情に焦りが浮かぶ。破壊痕のある客席はとっくに解体されていると思っていたのだろう。そこへ、俺はさらに追い打ちをかける。
「そう言えば、第七十一闘技場の支配人から面白いことを聞きましたよ。事故がもとで経営が立ち行かなくなった第七十一闘技場に、ジークレフ支配人代理は解体工事の資金を提供したそうですね?」
「……!」
ジークレフの目が見開かれた。まさか、そこまで辿られるとは思っていなかったのだろう。破壊痕の保存を手配した俺は、その足で第七十一闘技場の支配人を訪ねていたのだった。
「いやはや、素晴らしい博愛の精神です。あれだけ嫌っていた魔法試合を行っていた闘技場に、解体工事の資金を提供するとは。
人間性に乏しい私からすると、別の目的があったのではないかと思えるくらいです」
「……何が言いたい」
ジークレフは俺を剣呑な目で睨みつけた。だが、それを意に介さず俺は口を開く。
「では、はっきり申し上げましょう。ジークレフ支配人代理は、第七十一闘技場に残る証拠を隠蔽したかったのではありませんか? あの魔法事故が、実際には仕組まれた事件だったと気付かれる前に」
再び会議室がざわめいた。俺の言葉は、ジークレフが魔法事故を仕組んだと言っているようなものだからだ。
「言いがかりも大概にしろ! 黙って聞いていれば侮辱ばかり、ただでは済まさんぞ!」
ジークレフは椅子を蹴倒して立ち上がると、バン、と机を両手で叩いた。その剣幕に驚いて、両隣に座っていた支配人が腰を浮かせた。
「私が魔法事故を仕組んだだと!? 七十一闘技場の解体工事資金を恵んでやったことがそんなに問題か!? ふざけるな!」
「いえ、問題はそこではありません」
「ごまかすつもりか!」
吼え続けるジークレフに向けて、俺は満面の笑みを浮かべた。場違いな表情に気圧されたのか、ジークレフの勢いが少し弱まる。
「ごまかすつもりはありません。私があなたを首謀者だと判断したのは、別の証拠によるものですから」
「適当なことを! そんなものがあるなら出してみろ!」
「おや、よろしいのですか? 証拠ではなく証人なのですが……四人ほどいまして」
「なに……?」
それを聞いて、ジークレフの顔が露骨に青ざめた。
「ちょっとした散策時に、突然私たちを襲ってきた一行がいましてね。返り討ちにしたところ、見覚えのある顔があるではありませんか。……そう、行方をくらませていた魔術師、ディルトです」
「……!」
驚きのあまりか、ジークレフは口をパクパクとさせていた。捕らえたディルトたちを尋問したところ、ジークレフと彼らが接触するのは月に一度程度だったという。やはり、彼はディルトたちが捕まっていることに気付いていなかったようだ。
「彼らを尋問したところ、あなたがスポンサーだということはあっさり教えてくれましたよ。魔法事故の手口が、私たちの予想通りであることも確認済みです」
「なんと、ジークレフ殿が……?」
「まさか……」
「いったいなぜ……?」
場にいる支配人たちは、怒涛の展開に目を丸くするばかりだった。まさか、この会議で魔法事故の犯人が見つかり、糾弾されるとは思わなかったのだろう。会議室はこれまでとは比較にならないほどどよめいていた。
そんな中、ジークレフは叫び声を上げた。
「これは陰謀だ! ミレウス支配人は私を陥れるつもりだ! そんな魔法事故を引き起こして、私になんの得がある!」
「後継者争いに必要だから、ではありませんか?」
「っ!」
即座に言い返されて、ジークレフは言葉に詰まっていた。ウィラン男爵やユーゼフのおかげで、彼のお家事情はだいたい把握している。
「ヴァリエスタ伯爵は、あなたを含む実子四人を競わせて、最も優れていた者を跡継ぎに指名するつもりだったようですね。
一部の領地経営を任される者もいれば、宮中で仕事に邁進する者もいる。そんな中、あなたに与えられたフィールドはディスタ闘技場だった」
「……」
ジークレフは無言だったが、否定するつもりもないようだった。
「しかし、ディスタ闘技場で成果を出すのは大変です。なにしろ、もともと闘技場ランキング一位ですから、分かりやすい実績が作りにくい」
「ですが、それがなぜ魔法事故に繋がるのですか?」
そう問いかけてきたのはシャードだった。彼とは情報を共有しているが、ジークレフのお家事情は話していないからだろう。
「その、自分で申し上げるのは大変口幅ったいのですが……」
そう口ごもると、察しのいいシャード支配人は納得した様子で口を開いた。
「なるほど。つまり、このままでは第二十八闘技場に闘技場ランキング一位の座を奪われるかもしれない。そうなれば大失態であり、後継者争いから脱落する、と」
「そのために、第二十八闘技場の大きな柱である魔法試合を貶めたかったのでしょう。魔法試合の禁止に躍起になっていたのも、それが原因に思えます」
言いにくい部分を言ってくれたシャードに感謝しながら、続きを口にする。さすがに、このままでは第二十八闘技場が闘技場ランキング一位になってしまうから、とは言いにくい。
そして周りを見渡すと、幾人かの支配人が身をすくめた。ジークレフに協調して、魔法試合を禁止しようとしていた派閥だ。
彼らが魔法事故のことを知っていたとは思えないが、これで彼らの魔法試合禁止を求める発言はトーンダウンするだろう。思わず笑みがこぼれそうになるのを、俺は必死で自制する。
「他にも、『極光の騎士』を引き抜こうとしたり、マーキス神殿に第二十八闘技場を利用しないよう呼び掛けてほしいと依頼したり、言いたいことは山のようにありますが……後はレオン団長に譲りましょう」
そして、俺は手でレオン団長を指し示した。
「それでは、ここからは私が発言します。……闘技場統括としてではなく、治安維持を担当する第四騎士団長として」
その言葉に首を傾げた者は少なくなかった。わざわざそう前置いた理由が分からなかったからだ。
「ジークレフ・ヴァリエスタ。あなたをグラジオ・ヴァリエスタ伯爵の殺害未遂容疑で拘束します」
「なんだと!?」
「彼らが捕らえられたのに、隠し通せると思っていたのですか?」
再び激昂するジークレフに水を差す。彼は血走った目で俺を睨んでいた。
「拘束した魔術師四人が潜んでいた場所から、特殊な毒物が見つかりました。相手を徐々に弱らせて、ゆくゆくは死に至らしめるものです」
正確に言えば、それはエルフ族に伝わる特殊な毒薬だったらしい。ジークレフの兄……長男と次男にも少しずつ盛られていたようだから、後継者争い絡みだったのだろう。
エルフの暗躍はそれだけではなく、七十一闘技場の事件はもちろんのこと、猛獣狩りの興行用にモンスターを提供したりもしていたらしい。
さらに言えば、かつて彼らはウェルヌス闘技場のセルゲイ支配人と手を組み、古竜に第二十八闘技場を襲わせたのだという。ジークレフに比べれば小物だが、事案は国防レベルの大問題だ。セルゲイも会議後に捕縛される手筈になっていた。
「さらに、国家反逆罪の適用もあり得ます」
「な、何を!?」
ジークレフの顔が驚愕に見開かれた。エルフの協力を得る代償に、ジークレフはディスタ闘技場の地下遺跡をエルフたちに提供したのだ。こうしてエルフたちは地下遺跡を調査するための安全な根城を調達したわけだが、国として警戒しているエルフを匿い、地下遺跡の調査に手を貸した罪は重い。
ただ、彼らが地下遺跡で何を調査し、何を企んでいたのかについては、今だに口を割っていないという。
「……拘束しろ」
レオン団長の合図に従って、扉の前に詰めていたであろう兵士たちが踏み込んでくる。すると、ジークレフが弾かれたように立ち上がった。
「あの役立たずのエルフどもが!」
そして吼える。彼を拘束しようと兵士が近付いた瞬間、その目が狂的な光を灯した。
「お前がっ! お前のせいで!」
次の瞬間、ジークレフはヒラリと机の上に飛び乗ると、常人離れした速度で駆け出した。彼が向かう先は――俺だ。
「う、うわぁぁぁ!」
ジークレフの形相に恐れをなしたのか、俺の両隣にいた支配人たちが慌てて逃げ出す。兵士たちが慌てて取り押さえようとするが、机が邪魔をしてまったく間に合うようには思えなかった。
俺は立ち上がると数歩下がり、座っていた椅子をジークレフに投げつけた。机を蹴って俺に飛び掛かったジークレフは、とっさに両腕を交差させて椅子を弾く。
だが、それで終わりではない。俺は突撃をかわしざまに、未だ空中にあるジークレフの片足を掴んだ。空中でバランスを崩したジークレフは、自らの体重を乗せて顔面から床に激突し、鈍い音を響かせた。
「がっ……!」
そのまま取り押さえようとするが、ジークレフが起き上がる気配はなかった。意識はあるようだから、脳震盪でも起こしたのだろう。顔面から床に落ちるように調整したのは事実だが、傍から見れば正当防衛の範囲内のはずだ。
俺は倒れたままのジークレフを見下ろした。かなりの勢いで流れ出している血液は鼻血だろうか。鼻骨が折れて鼻が変な方向を向いており、貴公子然とした顔が台無しだった。
そんなことを考えていると、兵士がジークレフに殺到した。口を開けさせたのは、舌を噛み切っていないか確認したのだろう。あまり慌てていない様子からすると、やはり床に広がっているのは鼻血のようだった。
動けないことを幸いと、ジークレフは縄で縛り上げられる。その頃には脳震盪も多少回復したようだが、もはや動くことができる状態ではない。
「なぜ……なぜだ……! くそぉぉぉぉぉっ!」
屈辱に顔を歪ませながら、ジークレフは叫び声を上げた。その目は俺を探すかのように彷徨っていたが、その視線を遮るように兵士たちが彼を取り囲む。
「……皆さん、お騒がせしました。実を言えば、今日の会議をディスタ闘技場ではなく、皇城で行ったのはこのためだったのです」
彼のホームでは、どんな隠し玉を使って逃げられるか分かりませんでしたから、とレオン団長は言葉を続ける。
「それは構わないが……今日の会議はどうなるのかな? 私としては、もう今日はお開きにしたいところだが」
第二位【黄金廷】バルノーチス闘技場の支配人が口を開くと、彼に賛同する声が幾つも上がる。俺自身、この会議での目的は果たした。変な展開になる前に切り上げたいところだった。
「……分かりました。それでは、本日の闘技場連絡会議は終了としましょう」
それらの声を受けて、レオン団長は閉会を宣言する。ジークレフの取り調べもあるだろうから、彼としても早く終わらせたい気持ちがあったのだろう。
団長は閉会を宣言すると、そのままジークレフを連れて出ていく。しでかしたことの割に小物感すら覚えるジークレフだが、ここは大物じゃなかったことを喜ぶべきだろうか。
俺かそんなことを考えているうちにも、一人、また一人と支配人が退室していく。
「ミレウス支配人、お疲れさまでした」
ほとんど人がいなくなった会議室で声をかけてきたのは、手を組んでいた第十九闘技場のシャード支配人だった。彼は商人らしい笑顔を浮かべて手を差し出す。
「シャード支配人、ありがとうございました。おかげで上手くいきました」
差し出された手を握りながら、感謝の言葉を口にする。
「なんの、私がいなくてもミレウス支配人は上手く事を運んだことでしょう。……なんにせよ、これで魔法試合を禁じようという動きは下火になるでしょうね」
「ええ、そう願いたいものです。……さて、この件を広める手筈はどうですか?」
そう尋ねると、シャード支配人はニヤリと笑ってみせた。
「もちろん抜かりありません。ミレウス支配人こそいかがですか?」
「第十九闘技場ほどではありませんが、準備はしています。なにしろ貴族のゴシップ付きですからね。面白おかしく拡散されることでしょう」
そして、俺も笑みを浮かべる。もう一度握った手に力を込めると、シャード支配人は会議室を出て行く。いつしか、会議室に残っているのは俺とレティシャだけになっていた。
「ミレウス、今日はお疲れさま」
そして、そのレティシャは見るからに上機嫌だった。彼女はわざとらしい上目遣いで俺を見上げる。
「ふふっ、とっても格好よかったわよ」
「そうか……?」
俺は首を傾げるが、レティシャは気にした様子もなく笑顔を浮かべていた。その顔を見ると、お世辞ではなく本気で言っているのだろう。理由はよく分からないが、彼女が上機嫌であることは間違いなさそうだった。
「呼ばれるまで控室にいたけれど、会議の内容はこっそり聞いていたわ。本当にミレウスは性格が悪いわねぇ」
そんな言葉も軽やかで、悪い意味でないことは分かる。
「それに、最後のアレはわざとでしょう?」
彼女が言っているのは、ジークレフを顔面から床に激突させたことだろう。さすがは『紅の歌姫』、あれくらいはお見通しか。
「そうなるかもしれない、とは思ったな」
「それをわざとと言うのよ」
艶やかに笑いながら、レティシャは俺の右腕に自分の腕をからませる。そして背伸びをすると、耳元に唇を寄せた。
「――さすがは『極光の騎士』ね」
かすかな声が耳に届く。万が一盗聴されていたとしても、聞こえないレベルの声量だ。動きに合わせて、彼女の長い髪がさらりと腕を撫でた。
「魔法試合は禁止を免れたし、七十一闘技場の事故が魔法試合のせいじゃなかったことも噂で広まるわ。何かと第二十八闘技場を目の敵にしていた支配人代理だって捕まった」
「どうしたんだ? そんなに褒めても何も出ないぞ」
「うふふ、惚れ直しただけよ」
俺は肩をすくめると、さりげなく搦められた腕を外そうとする。だが、今日に限ってはさっぱり振りほどけなかった。
「けど……そうね、じゃあ代わりに私が出してあげるわ。会議の成功を祝して、お食事でもどう?」
レティシャはそう提案するが、魔法事故の真相を究明し、わざわざ会議で発言してくれたのは彼女だ。奢るのであれば俺のほうだろう。そう伝えると、レティシャは嬉しそうに笑った。
「あら、もちろんそれでもいいわよ。それじゃ、行きましょう?」
「今からか? 夕食にはまだ早い気がするが……」
会議は昼過ぎから始まったが、それから三刻程度しか経っていないだろう。まだ夕方と呼ぶことさえ早すぎる時間帯だ。そう尋ねると、彼女は艶やかに微笑んだ。
「こんな時間からいい女を独り占めできるなんて、ミレウスは幸せね」
「とか言って、魔術ギルドの報告に付き合わせるつもりじゃないのか?」
「せっかくミレウスと一緒なのに、そんな勿体ないことはしないわよ。そうね……朧月の庭なんかどう? 皇城からそう遠くないわよ」
「どこかで聞いた名前だな……庭園だったっけ?」
「ええ。旅人の灯火の薄明りと、季節の花々を上手く組み合わせているらしいわ。観光で帝都に来た旅行者は必ず立ち寄ることで有名ね」
「へえ、色々考えるもんだな……第二十八闘技場でも応用できないかな」
「試合の間でも輝かせてみる?」
そんな軽口を交わしながら、俺たちは皇城を後にする。こうして、三度目となる闘技場連絡会議は幕を下ろしたのだった。