追及 Ⅰ
今年三度目の闘技場連絡会議は、ディスタ闘技場ではなく皇城で行われていた。
常と異なる趣に首を傾げる支配人も多かったが、皇城に招かれること自体は光栄な話だ。そのことに異を唱える人間はいなかった。
そして今回の会議もまた、無駄な嫌味の応酬によって幕を開けていた。
「いやはや、まさか『極光の騎士』が引退するとは驚きですな」
「左様。これほどの重大事を我らに黙っているとは、ミレウス支配人もよほど余裕がなかったと見える」
「そう言ってやりなさるな。『極光の騎士』に見限られて、ミレウス支配人はさぞかし気落ちしていることでしょうからな」
わっはっは、と数人の笑い声が唱和する。俺が『極光の騎士』本人でなければ、それなりに苛立っていたところだ。
「それにもかかわらず、『極光の騎士』引退後も第二十八闘技場の観客数はさして落ちていない様子。さすがはミレウス支配人ですね」
俺を庇うように発言したのは、第十九闘技場のシャード支配人だ。共に魔法試合を興行に組み込んだ縁もあり、今回は露骨に第二十八闘技場を援護してくれるつもりのようだった。
「ふん。それでも魔法事故で落ちた客数は回復していまい」
その言葉は事実だった。『極光の騎士』はもともと三か月に一度しか試合を組んでいなかったため、引退後も明らかな客数の減少は見られなかった。
だが、それよりも前に起きたあの魔法事故により減った客数はそのままだ。事故の記憶が薄れたのか、わずかに回復傾向にあるものの、それはあまりにも小さな動きだった。
「皆さん、そう責めてはミレウス支配人が不憫というものです。第二十八闘技場は『極光の騎士』という最大にして唯一の屋台骨を失ってしまったのですからね」
そう発言したのはジークレフだ。俺を庇うような論調だが、その内容は「『極光の騎士』以外に価値のない闘技場だ」と言っているに等しい。
そして、こちらも大人しく黙っているつもりはない。余裕の笑みを浮かべているジークレフに対して、俺はより慇懃な笑顔を向けた。
「ええ、『極光の騎士』が引退したことは残念でした。これで第二十八闘技場が擁する上位ランカーは『金閃』ただ一人になってしまいます」
「それはそれは、同じ闘技場の支配人として心中お察します」
共感したようなセリフだが、ジークレフの顔が嬉しそうに見えるのは気のせいではないだろう。
「そういう意味では、上位ランカーを四人も擁するディスタ闘技場は羨ましい限りです」
「恐れ入ります。これも支配人として業務に邁進した結果でしょうね」
ジークレフは自信をみなぎらせて答える。ディスタ闘技場の上位ランカーは皆、先代が集め、そして育てた剣闘士だ。彼がどれほどのことをしたというのか。そんな思いを飲み込み、俺は努めて慇懃に言葉を紡いだ。
「……ですから、上位ランカーをお一人頂戴することにしました」
「――なに?」
その言葉にジークレフは目を見開いた。初めは訝しげだった表情にさっと朱が差し、俺を睨みつける。
「貴様、まさか……!」
「『千変万化』については、第二十八闘技場で移籍を受け入れることにしました。『千変万化』本人から、ジークレフ支配人代理に話をつけたと聞いていますが」
「っ!」
ジークレフの顔から余裕が消える。契約期間が終了した『千変万化』が、彼に移籍の話をしたのはつい最近の話だ。だが、話がこじれると考えて、移籍先が第二十八闘技場だということは明かさなかったらしい。
ジークレフはまだ隠し通すつもりだったようだが、ここで取り繕ったところで、真実が明らかになるのは時間の問題だ。観念するしかないだろう。
「『千変万化』が、第二十八闘技場に……!?」
「これは大ニュースですな」
他の支配人たちがざわめく。俺への反発心より、上位ランカーの移籍という重大事の興味が上回ったのだろう。親ディスタ闘技場派の支配人までもが、驚いた様子で囁き合っていた。
「貴様、ただでは済まんぞ!」
怒りで顔を赤くしたジークレフは、机を叩かんばかりの勢いで立ち上がった。だが、俺は涼しい顔で口を開く。
「はて。剣闘士の契約期間が終了し、別の闘技場と契約を結んだだけのことです。違法・脱法の類を犯したとは思えませんが」
「倫理的な問題だ! 他の闘技場が育て上げた剣闘士を引き抜くとは、恥知らずな真似を……!」
「ほう……他の闘技場が育て上げた剣闘士を謀殺しておいて、よく言えたものですね」
「……!」
ジークレフがおし黙ったのは、言葉の内容によるものか、それとも言葉に乗せた俺の殺気のせいか。進行役のレオン団長と参謀が腰を浮かせているのは、俺がジークレフに斬りかかると思ったからかもしれない。
「それは、偶然が重なった結果だと説明したはずだ」
「うちの剣闘士がディスタ闘技場の剣闘士と諍いを起こし、偶然にもディスタ闘技場からその剣闘士との交流試合を申し込まれ、偶然にも交流試合でうちの剣闘士が致命傷を負い、三人いた救護神官が偶然にも別々の用事で出払っていたために、治癒魔法を使われることなく剣闘士が死んだと、そう主張するのですね?」
俺の言葉を聞いて、再び支配人たちがざわつく。剣闘士の命に対するスタンスは支配人によって様々だが、他闘技場から派遣された剣闘士については、それなりに丁重に扱うことが暗黙の了解だからだ。
自分が手塩にかけて育てた剣闘士が、無茶な交流試合であっさり死ぬことをよしとする支配人はいない。
「その通りだ。それを私が仕組んだとは、言いがかりも甚だしい」
「少なくとも、謝罪文は書いていただきましたが……」
「っ!」
ジークレフの顔色が少し変わった。やはり表立って知られたくはないのだろう。このやり取りを聞いて、貴族であるバルノーチス闘技場の支配人が興味深そうに俺たちを見た。
「……あれは、救護体制のほころびを整えたという趣旨だ。意図的な殺害を認めたものでは断じてない」
ジークレフは呻くように口を開く。その発言は、謝罪文を書いたことを認めることと同義だった。周りの支配人の目を気にするように、ジークレフはちらりと周囲を窺う。少なくとも、なんらかの非が彼にあったことを察したのだろう。親ジークレフ派の支配人たちも発言しようとはしなかった。
それをいいことに、俺はさらなる揺さぶりをかける。
「そうですか。『千変万化』は、そんなディスタ闘技場に不信感を持ったからこそ第二十八闘技場へ移籍してきたわけですが……それはお聞きになりましたか?」
「なんだと……!?」
そう聞いた途端、彼の顔色が変わった。
「ディスタ闘技場の内部にいた『千変万化』がそう言うのであれば、信憑性はありますね。なにしろ、移籍という大きな事実があるわけですし」
「たしかにな……上位ランカーが移籍するなど、よほどの理由があるはずだ」
第十九闘技場のシャード支配人が発言すると、中立に近い立ち位置の支配人たちが納得したように唸った。そして、その疑惑が広まれば、ディスタ闘技場は交流試合を組むことが難しくなる。
「言いがかりだ!」
それを恐れたのだろう、ジークレフは大声で潔白を主張する。だが、支配人たちの疑いが晴れたようには見えなかった。
もともと、ジークレフに人望があるわけではない。俺に反感を持った支配人が集まっていただけで、彼らの間に不信感を根付かせることはそう困難ではなかった。
「ミレウス支配人はディスタ闘技場を陥れるつもりだ! 皆さん、これは彼の策謀です! 団結して立ち向かいましょう!」
そんな空気を察したのか、ジークレフは他の支配人に呼びかける。そして、話を逸らすように議題を提出した。
「まずは、闘技場による魔法試合の中止を早急に決定するべきです。これ以上第二十八闘技場の横暴を許すわけにはいきません」
もはや敵意を隠すことなく、ジークレフは俺を睨みつけた。
「そうですな。あの痛ましい魔法事故を繰り返してはなりません」
「左様。あの事件以来、闘技場の客足は遠のくばかり。ご自分の闘技場の経営を傾けるのは自由ですが、他の闘技場まで巻き込まれてはいい迷惑というもの」
一時はジークレフのことを懐疑的に見ていた支配人たちが、再び一致団結する。
「そもそも、あの事件が起きた時点で、第二十八闘技場は魔法試合を自粛するべきだ」
「法で禁止するのは当然でしょうな」
そんな言葉が飛び交うが、ここで激昂するわけにはいかない。彼らの言葉が切れたタイミングを見計らって、俺は口を開いた。
「あの事故によって、魔法試合の安全性が疑問視されていることは事実です。ですから、私たちは魔法試合について、いくつかのルールを定めることにしました」
「――まず一つ目は、試合に出場する魔術師の素性確認。魔術ギルドに所属し、かつギルドが推薦する魔術師のみを剣闘士として起用する」
俺に続いて発言したのは、第十九闘技場のシャード支配人だ。大規模な闘技場で魔法試合を行う同志として、彼には話を通してある。
「二つ目として、試合で観客席の防御結界を担当する魔術師について、帝国政府に届け出を行うこと。これらにより、安全性を懸念する人々を安心させることができます」
もちろん、うちの結界は古代装置が担当しているわけだが、入念な安全措置、及び観客の心理的な安心を考慮して、別で魔術師を雇用することにしている。
雇用した魔術師は、他にも結界が展開されていることに気付くだろうが、複数の結界担当魔術師を雇用していると説明しておく予定だ。
「くだらんな。そのような小手先の制約で許してもらおうと?」
「そのようなことでは、人々の理解は得られないでしょう」
俺の説明を受けて、支配人の幾人かが鼻を鳴らした。だが……。
「いえ、もうご了承は頂いています」
「何を……」
俺の発言が理解できず、支配人たちの顔に訝しげな表情が浮かぶ。
「帝都住民の了承を得たとでも言うのか? あり得んな」
やがて、一人の支配人が馬鹿にしたように笑い、その笑いが他に伝播する。だが、俺は静かに首を横に振った。
「たしかに住民の了承は得ていません。ですが、皇帝陛下のご了承は頂いています。それではご不満ですか?」
「なんだと……!?」
会議室全体がざわめく。一介の支配人風情が、どうやって皇帝に陳情したのか。いや、そもそも今の発言は真実なのか。そんな疑念が彼らを包む。
「……失礼ですが、今の発言に責任を持てるのでしょうな? 皇帝陛下の名をいいように使ったとあれば、不敬罪に問われるところですぞ」
「然り、陛下は寛大な方だが、だからこそ付け入る輩を許すわけにはいかぬ」
俺の弱点を見つけたとばかりに、数人の支配人が勢い込む。いやらしく笑う彼らに向けて、俺は涼しい顔で答えた。
「数カ月前の話ですが、陛下が第二十八闘技場の試合をご覧になった際に、これらの対応策について説明させていただきました。特にご不満はなかったようで、魔法試合を含む剣闘試合をご覧になっていましたよ」
「ぬ……だが、陛下にそのような意図はあるまい。体よく陛下を利用しただけではないか」
その言葉は正しい。まさにそのために、俺は貸しというカードを切ってまで皇帝を試合に呼んだのだから。だが、それがどうだというのか。
「私が魔法試合の安全体制について説明し、陛下がご了承くださったことは事実です。もし否定したいのであれば、陛下のお言葉に匹敵する反証を提出してください」
「ぐ……」
皇帝の言葉に匹敵する反証。そんなものは、他ならぬ皇帝自身の言葉しかない。だが、本来皇帝への直訴など許されない。まして、こんな感情的な禁止論を皇帝に訴える度胸はないだろう。
「帝国法の頂点に君臨する皇帝陛下が認めたものを、まさか皆さんが否定するおつもりですか?」
反論していた支配人たちは、唇を引き結んで下を向く。それでも、やがて一人が口を開いた。
「……それは、陛下が寛大な御方だからだ」
「陛下が試合をご覧になった際には、そちらにおられるレオン団長を始めとして、多くの警護担当の方がいらっしゃいました。
たしかに陛下は寛大な御方ですが、それでも玉体に危険が及ぶとなれば、同行していた方々に止められたはずです。それとも、彼らの判断が間違っていたとおっしゃるのですか?」
「……!」
支配人たちの顔が引きつる。なんと言っても、この場にはあの日の警護責任者であるレオン団長がいるのだ。批判的なことは言えないだろう。
「だが、陛下は歴戦の勇士であり、今なお現役の戦士であらせられる。一般的な人間とは安全面でのハードルが違う」
前のめりになって発言したのはジークレフだ。彼に向かって、俺はとぼけた口調で言葉を返す。
「おや、頑強であれば、陛下の玉体に危険が及んでも構わないと? それこそ不敬でしょう」
「ぐ……!」
ジークレフは悔しそうに奥歯を噛み締めると、俺を睨みつける。
「……よっぽど魔法試合を禁止されたくないと見える。『極光の騎士』に逃げられた今となっては、それしかないのだろうな」
だが、と彼は言葉を続けた。
「陛下は胆力のある御方だ。しかし、観客はそうもいくまい。あのような恐ろしい事故を知って、なお試合を観に来る人間がどの程度いるかな?」
話題を逸らしたということは、悔し紛れの言葉なのだろう。だが、それは真実でもあった。
「うむ、観客は正直だ。現に魔法試合の観客は激減していると聞く」
「闘技場の新築で費用もかさんだことでしょうに、このままでは首が回らなくなるのではありませんかな」
彼らは再びニヤニヤと笑顔を浮かべる。彼らが言う通り、先に挙げた制約だけでは根本的な客数の回復には結び付かない。あれは、言ってみれば補足のようなものだ。
――だから、本題はここからだ。
俺は椅子から立ち上がると、薄笑いを浮かべているジークレフを見据えた。
「さて、第二十八闘技場の経営状態を心配してくださっている方も多いようですから、ここでもう一つ申し上げておきたいことがあります」
俺の言葉を聞いた支配人たちは、興味深そうにこちらを見る。ジークレフは警戒心を滲ませていたが、警戒したところで防げないものはある。
「それは、第七十一闘技場で起きた魔法事故のことです。……あれは、事故ではありません」