捜索 Ⅲ
建物の屋上から伸びていた階段は、ただただ長かった。
「もう、どれだけ、上らせるのよ……」
息切れした声で呟いたのはレティシャだ。もちろん強化魔法は使用済みだが、どうしても基礎体力の差は出てしまう。
「もう、少し、でしょうか……」
シンシアも同じく息が上がっている。辛そうだったので、ノアは俺が引き取っているのだが、それでも負担は大きいようだった。
「そろそろ地上に出てもおかしくない頃合いだし、もうすぐ終わるんじゃないか?」
そんな二人を励ますために口を開く。気休めではない。何度も地下遺跡への階段を上り下りした経験が、そろそろ地上部だと告げていた。
「おや? 何かしらに辿り着いたようだね」
そんな俺の予想を裏付けるように、先頭を進んでいたユーゼフが声を上げた。見れば、粗末な扉が階段を阻んでおり、そのつなぎ目からうっすらと光が漏れていた。
ユーゼフは無言で扉に近付くと、そっと耳を当てる。目が鋭くなったところからすると、中に誰かがいるのだろう。
だが、会話の中身までは聞こえないのか、彼はそっと肩をすくめるジェスチャーをしてみせた。とは言え、人がいる時点で充分だ。俺たちの緊張感が高まっていく。と……。
「――ちっ!」
突如としてユーゼフが扉から飛び退く。少し遅れて、扉が爆発を起こした。ただし、レティシャかシンシアが展開した魔法障壁のおかげだろう、爆発の影響が俺たちに及ぶことはなかった。
剣身を赤金色に輝かせて、ユーゼフが扉の残骸の向こうへ飛び込む。なんらかの魔法が彼目がけて放たれたようだが、あっさりユーゼフの剣に阻まれて弾けた。
「続きます!」
続いてレオン団長が飛び込み、俺もその後に続く。部屋に飛び込んだ俺が目にしたのは、粗末な造りの小部屋だった。
小さな机と椅子が四脚。机の上にはランプと数枚の紙が広げられており、床には食料らしきものや寝具が所狭しと並んでいる。
だが、注目すべきは物ではない。焦った様子で俺たちを睨みつけている四人の男こそ、俺たちが探していた人物だった。
ユーゼフは魔法剣士らしきエルフと剣を交えており、レオン団長も剣で魔法を弾いている。部屋に飛び込んだ俺は状況を見て取ると、レオン団長の脇をすり抜けて後ろの魔術師へと向かった。
「――っ!」
だが、眼前に現れた光壁が俺の剣を阻んだ。もう一人の魔術師から雷撃が放たれた雷撃を身を捻ってかわし、再び光壁に剣撃を浴びせる。
魔法障壁の耐久力には限界があり、純粋な物理攻撃でも破壊することが可能だ。そして、同じ箇所を正確に狙い続ければ、破壊に至るまでの時間も短くなる。とは言え、ある程度の時間はかかるだろうが――。
「聖属性付与」
と、突然、俺の剣が白く輝き始めた。シンシアの援護だろう。魔法障壁に対して聖属性が効くわけではないが、この剣に魔力が宿ったという事実は大きい。
「っ!」
気合とともに剣を振り抜く。魔力を帯びた剣閃は魔法障壁をあっさり破壊し、澄んだ音を立てた。その直後に飛来した火炎球を打ち返すと、障壁を張っていた魔術師の側頭部を剣の柄で殴りつける。
「がっ――!?」
崩れ落ちる魔術師を横目に、火炎球を放った相手を睨みつける。奴こそが、俺が探し求めていた魔術師ディルトだった。
同時に、俺の両側でドサリと音がする。ユーゼフとレオン団長が、相対する魔術師を倒した音だ。その様子を見て勝ち目はないと悟ったのだろう。ディルトは青い顔で部屋の奥へ向かって逃げ出した。
「待て!」
「――待ってください」
即座に追いかけようとしたレオン団長を引き留める。団長は訝しむような目で俺を見たが、言葉には従ってくれた。
「どうせなら、奴がどこまで繋がっているのか見せてもらいましょう」
「……なるほど、分かりました」
レオン団長は納得した様子で頷いた。それを確認すると、俺はユーゼフに向き直る。
「ユーゼフ、このエルフたちを頼む。上へは俺とレオン団長で行く」
言うなり、俺はディルトを追って駆け出した。すぐ捕まえるつもりはないが、見失うわけにもいかない。
たまに放たれる魔法をかわし、時に剣で弾きながら、俺たちはディルトの背中を追う。さらにいくつかの階段や廊下を上り、奴が逃げ込んだ部屋に入ろうとした瞬間、俺たちの顔に緊張がはしった。
「真空双破」
かつて闘技場の結界を破った強力な風魔法が俺たちを襲う。一瞬廊下へ下がろうとした俺だが、真空双破は直径数メテルに及ぶ大規模な光線状の魔法であり、その軌道は直線だ。後ろへ下がっても回避はできない。それが分かっていたからこそ、ディルトはこの魔法を選んだのだろう。
「――っ!」
避けられないと悟った俺は、その場に踏みとどまって真空波を立て続けに繰り出した。強化された身体を頼りに、『剣嵐』の真空嵐舞を再現する。
繰り出した無数の真空波がディルトの真空双破と激突し、拮抗する。その隙に俺とレオン団長は部屋に入り込むと、部屋の両側に散開した。
「なんだと!?」
一拍遅れて、俺たちのいた空間を真空双破が貫通していく。そして、俺たちは両側からディルトに襲い掛かった。
魔法障壁に剣が弾かれるのは予想済みだ。だが、その間にディルトが逃げ出すことはできない。なぜなら、部屋の奥へ繋がる扉には鍵がかかっていたのだ。
「くそっ……!」
魔法障壁の向こうではディルトがドアノブをガチャガチャと動かし、慌てて懐を探っている。そして、それは非常に重要なことだった。
シンシアの聖属性付与の効果が続いている今なら、そこまで労せずに魔法障壁を破壊することはできる。だが、俺は警戒している素振りを見せて、魔法障壁の破壊を見送った。
そんな俺にレオン団長は不思議そうな視線を向けていたが、やがて魔法障壁を叩く剣撃が軽いものへと変わった。意図を察したのだろう。
だが、剣士でないディルトには、そこまでのことは分からない。魔法障壁を破壊しようと剣が何度も振るわれ、硬質な音が何度も部屋に響く。その事実に顔を歪ませながらも、彼はようやく鍵を探し当てたようだった。
「は、早く……!」
彼は震える手でなんとか鍵を差し込み、開錠する。彼が扉を開くと、その向こうから小さな喧騒と陽光が差し込んできた。地上部に出たのだ。
そのことを悟った俺は、本気で剣を振るって魔法障壁を一息に破壊した。レオン団長によって耐久力を削られていた障壁は、澄んだ音を立てて砕け散る。その直後、俺は扉をくぐり抜けた。
「ここは……?」
関係者エリアなのか、場所の見当はつかず、人も見当たらないが、建築様式や内装には見覚えがある。やはり、ここはディスタ闘技場なのだろう。廊下の左右を確認すると、右手に逃げるディルトの姿があった。もう泳がせる必要はない。
逃げるディルトは、こちらを振り返ると何かを床に叩きつけた。直後、影のようにかすんだ黒色の狼が現れる。全長は三メテルほどであり、廊下を塞ぐには充分なサイズだった。だが――。
狼が振るった前脚をかいくぐって懐に入り込み、急所に剣を突き立てる。剣身がひときわ眩く輝いたのは、相手が聖属性に弱かったからだろうか。黒色の狼は断末魔の叫びを上げることもなく、その場に崩れ落ちた。
だんだん輪郭が薄くなっていく狼の死骸を飛び越え、俺は再びディルトを追跡する。幸いなことに廊下はまっすぐであり、奴を見失うようなことはなかった。もはや魔力切れなのか、奴は魔法も使わずひたすら疾走する。そんなディルトを捕まえるのに、そう時間はかからなかった。
「き、さま――」
何かを言おうとしたディルトを、容赦なく剣の柄で殴りつける。気を失って伸びた身体を担ぎ上げると、レオン団長と視線があった。
「お見事です。実を言えば、本職の戦士ではないミレウス支配人の同行は不安だったのですが、杞憂だったようですね」
「いえ……」
俺は言葉少なに答える。俺の思惑通りに事を進めたかったからとは言え、少しやり過ぎたかもしれない。そんな思いから、俺は早々に話題を切り替えた。
「ところで、ディルトはこうして確保したわけですが……どうしますか? このまま闘技場を問い詰めますか?」
「悩ましいところですが……ディルトやエルフから事情聴取をしてからのほうがいいでしょう。相手が貴族となれば、こちらにも色々準備が必要ですからね」
「分かりました。……ちょうど、五日後に闘技場連絡会議があります。その場であれば、確実に事を運ぶことができるのではありませんか?」
そう提案すると、団長は思案顔を浮かべた後で頷いた。
「そうですね。少し性急ですが……準備しやすいのは間違いありません」
「私にお手伝いできることがあれば、なんでも仰ってください」
そんな会話を交わしながら、俺たちは元来た道を戻っていった。
◆◆◆
「え? また地下遺跡へ戻るの?」
「まだディスタ闘技場の人間には気付かれたくないからな」
ディルトを担いで地下室へ戻った俺は、これからの予定を説明していた。長い階段を使ってもう一度地下へ潜ると聞き、魔法職であるレティシャとシンシアはさすがにげんなりした様子だった。
「……とは言え、レティシャとシンシアは疲労が激しいだろう。不可視を使ってこっそり出られるなら、それでも構わない」
「でも、この四人を連行するんですよね? 地下遺跡にはモンスターもいますし、さすがに人手がないと……」
シンシアが心配そうに見上げてくるが、彼女たちに無理をさせていた自覚はある。これ以上負担をかけるのは気が進まなかった。
「まあ、なんとかするさ。こっちにはレオン団長とユーゼフがいるんだからな」
「それに、ミレウス支配人もいますからね」
そう口を挟んできたのはレオン団長だ。彼は興味深そうに俺を見る。
「『金閃』殿はともかく、ミレウス支配人があれほど剣を使えるとは思いませんでした」
「ありがとうございます。ですが、あれは色々な強化魔法をかけてもらったおかげです」
言って、俺は剣の柄をポンポンと叩く。シンシアがかけてくれた聖属性付与の輝きはすでにないが、剣に魔法を付与されていたことには団長も気付いていただろう。筋力強化よりも視覚的な説得力があるはずだ。
「それでも、ですよ。強化された身体を使いこなせる戦士は一握りですし、あの剣捌き、身のこなし、そして判断力。実に見事なものでした」
「……過分なお言葉をありがとうございます」
やや控えめに答える。俺が『極光の騎士』だと分かるはずはないが、それでもどこか警戒してしまう。
そんな俺の心情をよそに、レオン団長は思いも寄らぬ提案をしてきた。
「ミレウス支配人、騎士団に入る気はありませんか?」
「……はい?」
それはあまりに唐突で、予想外の言葉だった。
「あれだけの実力があれば、騎士団の幹部への登用もあり得るでしょう。陛下は実力主義ですから、すぐに中隊長……いえ、大隊長を任されるかもしれません」
目を白黒させている俺に、レオン団長は笑顔を見せる。
「ミレウスさんが……騎士団の大隊長に……?」
その提案に驚いたのは俺だけではない。声を上げたのはシンシアだけだったが、他の二人も目を丸くしていた。
「それどころか、ゆくゆくは騎士団長もあり得るかもしれません。そうなれば、平民出身の騎士団長が増えて私も助かるというものです」
それは本音であるように思えた。騎士団長もあり得る、というくだりではない。平民出身の騎士団長が、という部分だ。どうやら、この団長も色々と苦労をしているらしい。
だが――。
「レオン団長のお気持ちはありがたいのですが……先程も申し上げたとおり、私は強化魔法がなければあんな動きはできません」
団長から視線を逸らす。自分の古傷――なのか生傷なのか分からないが――を抉る行為には、どうしても負の感情が付きまとう。
俺の言葉を受けて、団長は不思議そうに首を傾げた。
「それが何か問題ですか?」
「え?」
思わず顔を上げた俺に、彼はまた微笑む。
「ご存知のとおり、騎士団には魔術師も多数所属しています。有事の際には、彼らに強化魔法をかけてもらえばよいのです。
騎士団はお互いに補い合うもの。私だって、戦いの際には強化魔法をかけてもらいますからね」
「それは――」
その言葉はちょっとした衝撃だった。他人に強化魔法を使ってもらう前提で戦う。それなら、たしかに俺の欠点を補うことはできるし、これまでだって似たようなことは何度かやってきた。
だが、それを公式な場でやるという発想はなかったのだ。個として完結する剣闘士には、辿り着きにくい考え方だ。
自己顕示欲が強いとは思わないが、ミレウス・ノアとして、一角の剣士たることができる。それは魅力的だった。だが……。
「私は、闘技場の人間ですからね」
俺が憧れ、目指していたのは騎士ではない。剣闘士だ。そして何より、騎士団に入れば闘技場の運営ができなくなる。それでは親父との誓いを果たすことができない。
「……そうですか、残念です」
一体何を読み取ったのか、レオン団長は神妙な顔で引き下がった。そして、意図的に話題を変えようとしたのだろう、元の案件に話を戻す。
「ところで、お二人はこのまま地上から脱出するかどうか、という話でしたね。たしかに、魔法職のレディにこれ以上負担をかけるわけにはいきません」
彼の言葉に頷くと、俺は言葉を追加する。
「ディルトたちは、縄でがんじがらめにして引きずっていくさ。死にはしないだろう」
というか、死んでもらっては困る。彼らには色々と白状してもらうことがあるからな。俺の推測通りなら、第二十八闘技場から離れたお客を取り戻すことだってできるはずだ。
「あらあら、またミレウスが悪い顔をしているわね」
皮算用をしていると、レティシャが楽しそうに笑った。
「やましいことは考えてないぞ」
「やましくないことと、悪い企みは両立するのよ」
レティシャは俺に近付くと、見上げるように顔を覗き込んできた。
「ミレウスに付き合うわ。落下速度減衰でこの人たちの重さを軽減すれば、連行するのも楽でしょう?」
「そうだが……いいのか?」
「構わないわ。今度こそ、ミレウスが私を抱き上げて階段を降りてくれるもの」
「わ、わたしも行きます!」
「ピィ!」
そんな会話をしていると、突然シンシアも名乗りを上げた。見た目よりは体力がある彼女だが、本当に大丈夫だろうか。ただ、シンシアには治癒魔法があるからな。最悪、自分の体力を回復しながら移動することができるか。
「じゃあ、決まりだね。みんなで第二十八闘技場へ戻ろうか」
黙って面白そうな顔をしていたユーゼフが話をまとめる。ディルトたち四人は気絶させており、縄をきつく縛り直し、レティシャが落下速度減衰をかけても目覚める様子はなかった。
「では、行きましょうか」
準備ができたことを確認すると、レオン団長は地下階段へ向かって歩き出す。そして、彼に続こうとした俺の前では、レティシャが両手を広げていた。
「どうしたんだ?」
「あら、抱き上げてくれないの?」
彼女は悪戯っぽく笑う。おかしな姿勢だと思ったらそういうことか。俺は小さく肩をすくめた。
「本当に歩けなくなったらな」
「この前は、つい最後まで歩いちゃったのよねぇ……今度こそ気を付けるわ」
「気を付ける方向性が違うだろ……まあ、肩に担ぐくらいはするさ」
「もう、ロマンがないわね」
「ピィ!」
そんな呑気な会話を交わしながら、俺たちは階段を一歩一歩下りていくのだった。