捜索 Ⅱ
地下遺跡に繋がる階段がある部屋は、普通に探しても見つかることはない。関係者専用エリアであることはもちろん、隣の部屋の隠しスイッチを押す必要がある上に、この一帯は認識阻害の結界によって人が来ること自体が稀だからだ。
「ふむ……思っていたよりもしっかり隠してありますね」
眼前の地下階段を検分しながら、レオン団長は感心したように呟いた。彼がここにいる理由は、地下遺跡群の探索のためだ。皇城から地下遺跡に侵入するのは色々面倒だと言うことで、第二十八闘技場の地下から進むことになったのだった。
「闘技場の地下施設には関係者しか入れませんから、そもそも観客が偶然見つけることはありません」
まして、そのさらに地下へ繋がる階段があるなどと、誰が思うだろうか。
「安心しました。これなら、大至急で階段を埋める必要はないかもしれませんね」
そう言った後、レオン団長は隠し部屋にいる他の四人を見回した。俺、ユーゼフ、レティシャ、そして……シンシアの四人だ。
実を言えば、以前に地下遺跡で調子を崩したシンシアについては、連れて行くつもりはなかった。彼女に負担をかけるつもりはなかったからだ。
だが、シンシアに地下遺跡を再び調査するつもりだと話したところ、彼女にしては珍しく、一緒に行きたいと熱心に主張したのだ。
何が起きるか分からない地下遺跡群の探索において、彼女の治癒魔法は有用であるため、俺はシンシアの同行を認めたのだった。
「それでは、地下遺跡群を捜索します。皆さん、準備はよろしいですか?」
彼の視線は、特にシンシアに注がれていた。彼女は『天神の巫女』であり、ともに地下遺跡を探索したこともあると説明したのだが、なかなかピンと来ないようで、心配そうな面持ちだった。
「ピィッ!」
そんな団長の視線を察知したのか、シンシアの胸元に抱かれたノアが元気に鳴き声を上げた。自分がいるから大丈夫だ、とでも言いそうな様子に、レオン団長の顔が少し緩む。
「……それでは、行きましょう」
「今度こそ、最後まで戦いたいものだね」
「あの封印……解けるといいけれど」
そんな声を上げながら、俺たちは地下へと進む。全員が地下世界を経験済みということもあって、あまり緊張した様子は見られなかった。
そして、地下世界へ繋がる入口を開放したところで、レティシャとシンシアの鋭い声が飛んだ。
「ちょっと待って!」
「止まってください!」
魔法職二人の声を無視する無謀な人間はいなかった。声と同時に後方へ跳んだ俺たちだったが、入口付近に人やモンスターがいるようには見えない。なんだったのだろうか。
「ディルトたちが、歓迎のプレゼントを置いていったみたいね」
「たぶん……罠です」
レティシャは面白そうに、シンシアは真面目な顔で入口を睨んでいる。だが、二人とも緊迫した様子はなかった。
「シンシアちゃん、こっちの障壁はお願いしていい?」
「はい……!」
言うなり、レティシャは入口に向かって歩き出す。レオン団長は引き留めようとする素振りを見せたが、俺とユーゼフは気負うことなく彼女を見送った。やがて――。
地下世界へ一歩踏み出したレティシャを爆発が襲う。爆発で粉塵がもうもうと舞い上がり、彼女の後姿をかき消した。
さらに、爆発の余波は俺たちにも襲いかかるが、シンシアのおかげで衝撃一つ伝わってこなかった。
「レティシャ、どうだった?」
視界を埋め尽くした粉塵が収まってきた頃合いで声をかける。彼女の足下には小さなクレーターができていたが、本人は無傷のようだった。
「接触型の魔術罠ね。地面に設置してあったわ」
こともなげに告げると、レティシャは俺たちを手招きする。他に罠はないのかと目を凝らせば、付近にもいくつか爆発した痕があった。彼女が片っ端から罠を起動させたのだろう。
「隠蔽技術は大したものだけれど、やっぱり威力はお粗末ね」
言いながら、彼女はしゃがみ込んだ。どうしたのかと思えば、爆発に巻き込まれた地下遺跡の様子を確認しているようだった。
「……これくらいの爆発じゃ、びくともしないのねぇ」
感心したように呟くと、彼女は視線を遺跡群の奥へ向けた。その方向にあるのは、ディスタ闘技場と例の封印だ。
「ってことは、やっぱり壁を破壊するのは難しそうか」
彼女の視線の意味を理解して、俺は口を開いた。
「そうね。それに、この程度の爆発ならともかく、もっと強力な攻撃を叩き込めば、遺跡の防衛システムが作動する可能性は残っているわ」
「遺跡の防衛システムはそんなに厄介なのか?」
「手練れの冒険者パーティーが全滅する理由の一つね。排除用の魔工巨人が現れるのはマシなほうで、空中や海中に転移させられたり、突然床がなくなって地中深くへ真っ逆さま、というパターンもあるわ」
「うわぁ……」
なるほど、戦えば済むことを考えれば、魔工巨人はたしかにマシなほうだな。
「――でも、ここは生活の場でしたから、そこまで危険な防衛システムはないと思います」
と、会話へ口を挟んできたのは、意外なことにシンシアだった。レティシャは少し驚いたようだが、周りを見渡して小さく頷く。
「ここが生活の場だとすれば、たしかにその可能性は高いわね……シンシアちゃん、遺跡に詳しいの?」
レティシャが問いかけると、シンシアははっとしたように顔を強張らせた。
「その……観劇で興味を持って、調べたことがあります」
「シンシアちゃんは勉強家なのねぇ」
そんな会話を眺めていると、隣にレオン団長がやってくる。
「あの二人は古代遺跡に詳しいのですね。心強い限りです」
「そうですね。特に『紅の歌姫』は、冒険者時代に古代遺跡を探索した経験があるそうですから」
そう説明すると、レオン団長は嬉しそうに笑った。
「それは助かります。地下遺跡群は重要機密とされている関係上、私も大した知識を持っていないのです。以前は凄腕の元冒険者に調査を依頼していたようですが、ここ数年はそれも滞っているようで……」
「そんな人がいたのですか。ぜひともお会いしてみたいものですね」
古代遺跡の防衛システムを抜きにしても、この地下世界には様々なモンスターが棲息している。生半可な人間では、生きて帰ることはできないだろう。
「ええ、本当に……陛下が直々に依頼を出していたため、私も素性を知らないのです。ひょっとすると、それが『極光の騎士』だったのではないかと思っているのですが」
「『極光の騎士』ですか?」
思わぬところで出てきた名前に目を丸くする。しまったな、つい驚きを表に出してしまった。とは言え、ここで驚いてもおかしい点はないはずだ。
「あの騎士であれば、この地下遺跡での捜索も苦にしないでしょう。なにしろ、あれだけの剣術を収めていながら、高度な魔法まで使いこなす傑物ですからね」
「まあ、そうですね……」
なんだか変な気分になりながらも、同意の言葉を返す。ふと見れば、ユーゼフとレティシャが面白そうにニヤニヤと笑っていた。さらに、『極光の騎士』の話題だからか、シンシアまで俺たちを見つめている。
「できることなら、『極光の騎士』を帝国騎士団に迎え入れたかったのですが……あっさり断られたようです。彼が望むなら、騎士団を再編して騎士団長の座を一つ増やす話もあったのですが」
「騎士団長ともなれば、個の武勇だけでは成り立ちませんからね。組織を指揮する力こそが重要でしょうし」
『大破壊』くらいのレベルであれば、一人で組織を超える戦闘力を持っているわけだが、アレは例外だろう。俺の言葉にレオン団長は深く頷いた。
「『極光の騎士』も同じような返事だったそうです。さすがはミレウス支配人ですね。『極光の騎士』のことをよく分かっている」
「まあ、彼とはそれなりに長い付き合いでしたから」
そう答えると、盛大に咳き込む音が聞こえた。ユーゼフが笑い声を無理やりごまかしている音だ。レティシャは後ろを向いていて顔が見えないが、その肩が小さく震えている。
シンシアが一人だけ不思議そうな顔をしていたが、二人が理由を教えるはずもない。彼女はなんだか考え込んでいるようだった。
「……おっと、まだ地下遺跡に足を踏み入れたばかりだと言うのに、長話をしてしまいましたね。続きは捜索をしながらにしましょう」
「ええ、そうですね……」
レオン団長は、俺が『極光の騎士』と接触していた人間であることに興味を持っていたようだった。闘技場連絡会議の時はそんな素振りは見せなかったが、こっちが素なのだろうか。
質問を曖昧に受け流しながら、俺たちは地下遺跡の中を進んでいった。
◆◆◆
地下遺跡群を抜けた俺たちは、ついに目的の封印まで辿り着いていた。……と言っても、道中で苦戦したわけではない。前回探索時の戦力に加えて、治癒魔法のエキスパートであるシンシアと、おそらく剣闘士の上位ランカーに匹敵する戦闘力を持つレオン団長が一緒なのだ。苦労する要素はどこにもなかった。
念のためにと、俺はできるだけ戦わないようにしていたが、それでも残る四人が並外れた実力者であったため、特に困ることもなかった。
あえて言うなら、ユーゼフがレオン団長と戦いたがっていたせいで、宥めるのが大変だった、というくらいだろうか。
「ここですか……たしかにディスタ闘技場の真下ですね」
扉に浮かぶ紋様を見たレオン団長は、慎重に辺りを見回していた。闘技場を所掌する彼としては非常に厄介なことだろう。
そして、彼らが封印の紋様を眺めている間に、レティシャは封印の解除を試みていた。
一つ失敗し、二つ失敗し……十度目の挑戦になったところで、レティシャは懐からメモを取り出した。
「あ……」
シンシアが反応するのも無理はない。その紙片の出所は彼女だからだ。そして、レティシャが解除コードを打ち込んた時だった。
ふっと、扉を護る紋様が消え去った。
「解けた……!?」
自分で操作しておきながらも、最も驚いていたのはレティシャだった。彼女はまじまじと紋様があった扉を見つめていたが、そっと俺の耳に顔を寄せる。
「封印を解けたことは喜ばしいけれど……逆に謎が深まったわね」
彼女の声量はギリギリまで抑えられていた。レオン団長に聞こえないようにという配慮だろう。封印の解除に成功した以上、この紙きれは非常に重要な資料ということになるが、その出所は謎のままだ。少なくとも、送りつけられたシンシアにあらぬ疑いがかかる可能性は高い。
そのことが分かったのだろうか。シンシアは胸元のノアをギュッと抱えたまま、焦った顔でこちらを見ていた。そして、肝心のレオン団長が意識的に視線を逸らしているように思えるのは気のせいだろうか。心なしか距離も開いているような気がする。
「――団長は紳士だね。それとも純情なのかな?」
内心で首を傾げていると、ユーゼフが近付いてきた。
「ふふ、そうね。それっぽい顔をした甲斐があったわ」
答えて、レティシャは俺から身を離した。なんだか悪戯っぽい笑みを浮かべているように思える。
「意図的なものだったのかい? 迫真の演技だね。とてもそうは見えなかったよ」
「女殺しとして有名な『金閃』に褒められるなんて嬉しいわ」
そして二人は同時に笑う。俺はそのやり取りに首を傾げるが、彼らはその話を打ち切って封印の解けた扉に目を向けていた。
「さあ、お邪魔させてもらいましょう?」
俺たちのほうを振り返ると、レティシャは艶やかな声で告げる。
「じゃあ、僕が先頭になろうかな」
ユーゼフの提案に異を唱える者はいなかった。彼が扉を開こうと手を当てると、大人が四人は並んで入れそうな扉がひとりでに開いていく。
「古代遺跡の扉って、みんなこうなのかい? 昔の人はどれだけ面倒くさがりだったんだろうね」
ユーゼフは半ば呆れたように呟いた。そして、いつの間にか抜いた剣を片手に建物へ侵入する。俺もしんがりとして建物へ入ったが、建物の中は整然とした様子だった。
そこは、ちょっとしたエントランスに見えた。古びた雰囲気はあるものの、建物自体が傷んでいるようには思えない。そして、空間の奥に光を反射してきらめくものがあった。
「これは……透明な壁か」
ユーゼフは真剣な表情で壁を見つめる。この建物の奥へ進むためには、この壁をなんとかする必要があるようだった。
「困ったわね、こんなにすぐ別の障害が現れるなんて」
「さっきの扉と比べれば、脆いように思えるよ?」
「たとえ脆いとしても、警報が作動する可能性はあるもの」
ユーゼフとレティシャは透明な壁を見ながら意見を交わす。その様子を眺めていると、同じように壁を見ていたシンシアがレティシャに近付いていった。
「あの……レティシャさん、あのスイッチを押してもいいですか?」
「え? どこにスイッチがあるの?」
レティシャは突然の提案に驚きながらも、シンシアが指差した方向に視線を移す。たしかに、そこにはスイッチらしき突起があった。よく見れば、壁の向こう側にも同じような位置に同じ突起がある。
「気になるわね……けど、そう簡単に行くかしら。そんなことで封印を解除できるなら、この壁の存在意義がない気がするけれど」
「罠である可能性もあるね」
レティシャたちに反論されたシンシアは、少し困ったように眉を寄せた。
「その……この扉は、そういう目的で作られたんじゃないと思います」
「……? シンシアちゃんはどういう目的だと思うの?」
「扉が自動的に開く機能の切り替えスイッチ、だと思います」
シンシアはさらりと答える。その話を聞いていた俺は首を傾げた。
「そもそも、これは壁じゃなくて扉なのか?」
そう言えば、さっきから彼女はこの壁のことを『扉』と表現していた。言われてみれば、たしかに真ん中に合わせ目があるが……。
「……ミレウス、どう思う?」
俺の隣にやってきたレティシャが小声で問いかけてくる。だが、彼女が聞きたいことは、この壁の解除方法ではないだろう。それなら俺に尋ねる意味がないし、声を小さくする必要もない。
とは言え、近くには他の人間もいる。露骨な小声は注目を集めるだろうし、曖昧に答えるしかないか。
「裏はないと思うが……あまりに露骨だからな」
彼女が気にしているのは、シンシアの言動についてだろう。この遺跡に入ってから、彼女はちょくちょく遺跡について鋭い考察を披露している。
それは魔術師であるレティシャをも驚かせる内容だったが、当の本人はさらりと当たり前のことを口にしているような雰囲気があった。さらに言えば、この建物の封印を解除したコードもシンシアからもたらされたものだ。
シンシアの掌の上で踊らされている。そんな懸念を抱くのは当然だった。
「とは言え、これまでの積み重ねもあるしなぁ……大丈夫だとは思う」
だが、シンシアともそれなりに長い付き合いだ。彼女の人となりは分かっているつもりだし、俺たちを窮地に陥れるとは思えなかった。
「だから、離れてスイッチを押す分には問題ないんじゃないか? 石でも投げるか」
そう結んで、これがスイッチの話だったと周囲に認識させる。レティシャも異存はないようで、声をかけてみんなを透明な壁から遠ざけた。
「氷矢はあまり精密射撃に向いていないのよね……壊れちゃっても困るし」
スイッチを見つめるレティシャは悩んでいる様子だった。俺は簡単に投石と言ったが、十数メテル先の小さなスイッチに石を当てることは至難の業だ。少なくとも俺とユーゼフにはできないし、レオン団長も腕に覚えはないようだった。
一縷の望みをかけてシンシアを見るが、彼女も申し訳なさそうに首を横に振る。意外な難題に頭を悩ませていると、ユーゼフが肩をすくめながら前へ出た。
「あまりスマートじゃないけど、力技で押し切ろうか」
「まさか真空波を当てるつもりか?」
俺は思わず声を上げた。石を投げるよりは精度が高いだろうが、スイッチごと破壊する未来しか見えない。それとも、遺跡の頑丈さに賭けるべきか。そう悩んでいると、ユーゼフはレティシャに向き直った。
「『紅の歌姫』、あそこまで届くような、長い氷槍は作れるかな?」
ユーゼフは、途轍もなく長い氷の槍を使って、遠くからスイッチを押すつもりのようだった。たしかに力技だが、遥か遠くにあるスイッチを押す器用さも必要だ。だが、ユーゼフなら大丈夫だろう。
「槍じゃなくて棒のほうがいいかしら?」
「そうだね、任せるよ」
程なくして、ユーゼフの手元から氷柱が伸びる。自重で崩壊しないようにか、氷柱はかなりの太さを誇っており、先端へ向かうほど細くなっていた。その形は円錐に近いが、先端は尖っていない。スイッチを押しやすいように調整したのだろう。
「これは見事な……」
長大な氷柱を目にして、レオン団長が唸る。その間にも、ユーゼフは驚異的な膂力でもって氷柱を操作していた。
「――っと」
やがて、氷柱の先端がスイッチを押す。ユーゼフの超人的な技量を賞賛したいところだが、今はそれどころではない。もしあのスイッチがトラップであれば、何が起きるか分からないからだ。
透明な壁がのろのろと動き、やがて全開の状態で止まる。どうやら、シンシアの言葉通り、あの壁は扉だったらしい。
そのまま出方を窺っていた俺たちだったが、特に何かが起きる気配はない。やがて、俺たちは顔を見合わせた。
「何も起きないわね」
「嬉しいが、なんだか拍子抜けだな」
そんな言葉を交わしながら、俺たちは透明な扉へ近付く。だが、俺たちが近付いても、扉を潜り抜けても、何かが起きる気配はなかった。扉は一瞬閉じる気配を見せたものの、俺たちが近付くとすぐに開き、俺たちが通り過ぎた後でゆるゆると閉じていった。
「……変な扉だったな」
「古代遺跡ですからね。私たちの価値観では理解できないことも多いのでしょう」
「どんな価値観だったんだろう……」
そして、俺たちは建物の奥へと進む。幸いにも鍵はかかっていなかったため、内部の部屋という部屋をすべて捜索していく。だが、どこにもディルトたちの姿はなかった。
「……ということは、上階かしらね」
二階へと続く階段を見上げて、レティシャは小さく溜息をついた。なんと言っても、この建物は地上まで続いているのだ。運が悪ければ、地上まで気が遠くなるような階段を上る羽目になる。
この場の全員が同じことに思い至ったようで、一様に似た表情を浮かべた。
「せめて、下層にいてくれるといいけれど」
そんなレティシャの言葉に、俺たちは深く頷いた。