検証 Ⅱ
小さめの闘技場に刻まれた、巨大な破壊痕。多数の死傷者を出した観客席は、その犠牲者の数に見合うだけの凄惨さを醸し出していた。
「これが……」
無意識に呟くが、それ以上言葉が出てこない。試合の間でこの程度の破壊は珍しくないが、観客席となれば話は大きく違ってくる。大した掃除もされていないようで、こびりついた血痕や、引き裂かれた衣服の残骸といったものもかなり残されていた。
「ひどい……」
隣では、シンシアが静かに聖印を切っていた。意外と取り乱していないのは、『天神の巫女』としてこういった現場にも慣れているからだろうか。
そんなことを考えながら、試合の間を見下ろす。皮肉なことに試合の間は意外と綺麗に残っており、観客席とは対照的だった。
「ええと……ここがディルトが魔法を放った時の正面ね」
周囲を見回しながら、レティシャが当時の状況を説明してくれる。俺も大体のところはヴィンフリーデから聞いているが、やはり詳しく調査した魔術ギルドの説明は具体的だった。
「なるほど、たしかに中央だな」
俺たちが立っている場所は、まさに破壊痕の中心部だった。あの位置からディルトが大魔法を放ち、その魔法が結界を突き破って大破壊を巻き起こしたわけだ。
「ディルトが使った魔法はなんだっけ?」
「真空双破よ。軌道が直線的だから回避されることもあるけれど、その分破壊力の大きな風魔法ね」
「いまいちイメージが湧かないな……」
レティシャの説明から想像しようとするが、どうにも上手くいかない。そもそも風魔法は視認しにくいわけで、余計にイメージが難しい気がする。
「いいわ、見せてあげる」
俺が自分の想像力と格闘しているのを見かねたのか、レティシャは魔法を披露してくれるようだった。音楽的な詠唱が響き、彼女の魔力が大気をまとめ上げる。
「真空双破」
「――っ」
レティシャの風魔法が天へ向かって放たれる。直径五メテルほどの光柱が上空へ飛び去っていく様子を、俺は呆気に取られて見送った。
「ただの真空双破じゃ見にくいと思って、光魔法をプラスしてみたわ」
光柱が見えなくなった頃、レティシャが口を開いた。なるほど、それであんなに輝いていたのか。
「ありがとう、おかげでイメージできた。純粋な風魔法だったらピンと来なかったと思う」
そう感謝しながら、俺は真空双破をもう一度脳裏に描く。
「あれなら、たしかに結界を破ることもできそうだな」
「そうね、結界を破ることはできると思うわ。けれど、一つ気になることがあるのよ」
答えるレティシャは思案顔だった。結界術の自信を失ったという後輩のためにも、真実を突き止めたいのだろう。
「ほら、ここと――」
レティシャは近くの破壊痕を指差すと、今度は少し遠くの破壊痕まで歩いていく。
「……ここね。なんだかおかしい気がしない?」
「そう言われても、さっきと同じようにしか……ん?」
答えかけて、俺は彼女が言いたかったことに気付いた。
「魔法が直撃した場所と、その周囲であまり差がない……?」
普通に考えれば、光線のような軌道を描く真空双破は、直撃した場所が最も威力が高く、そこから距離が離れるにつれて威力が下がっていくはずだ。
だが、目の前に広がるクレーターは、中心部にあったものと変わらないように思えた。
「結界を貫通した後で、風裂球を撒き散らすような魔法はないのか?」
「方向性が異なるから、一つの魔法では無理でしょうね。ほぼ同時に二つの魔法を放てば可能でしょうけれど……多重詠唱は必須ね」
「ディルトの実力では難しいと?」
「それに、連続とは言え複数の魔法を使ったなら、対戦相手だったウェルゲが気付くはずよ」
「なるほどなぁ……」
ウェルゲとは、事故が起きた時にディルトの対戦相手だった魔術師だったか。やっぱり、俺が考えつくようなことは一通り考えているようだった。
そもそも、俺の魔法の知識はレティシャの足元にも及ばない。ならば、それ以外の面で考えるべきだろう。切り刻まれた客席を見ながら、俺は頭を切り替えた。
つまり、闘技場の支配人として……いや、悪意を持った支配人ならどうするか――。
「……あ」
ふと思いついた俺は、他の破壊痕を見て回った。特に大きなものは合計で三つ。それぞれ、被害者が多かった地点だ。
観客席は人が密集しているため、簡単な魔法ですら大きな被害が出る。そして、この方法なら……。
「ミレウス、何か思いついたの?」
考えをまとめていると、レティシャが顔を覗きこんでくる。詳しいことを説明しようとした俺だが、近くに見覚えのない人物がいることに気付いた。その格好からすると、大工かそれに類する職業だろう。彼は不思議そうに俺たちを見ていた。
「――アンタら、この闘技場の関係者か?」
「ええ、そうです」
おそらく彼が考えている『関係者』ではないだろうが、俺はあえて頷きを返した。レティシャが所属する魔術ギルドは、この事件について簡単な調査を帝国に依頼されているから、完全な嘘というわけでもない。
「解体を請け負った工務店の方ですか?」
「おお、そうだ」
俺の答えに頷く。ただの推測だったが、言い当てたことで彼の警戒は解けたようだった。
「ちょいと、取り壊す前に下見に来たんだ。なんせ急な話だったし、満足いくほど見せてもらえなかったんでな」
「ああ、そうでしたか。もう解体工事まで日がありませんしね」
「そうなんだよ」
言いながら、彼は惨劇の様子が残る客席を調べて回る。彼が一通り確認し終えた段階で、俺は彼に近付いた。
「そう言えば、廃材はどうする予定ですか?」
「ん? ……まあ、適当な山にでも廃棄するさ。使えそうな部分は再利用させてもらうけどな」
「そうですか。じゃあ、このボロボロになった客席なんかは廃棄ですね」
「ま、そうだろうな。使いようがないし縁起も悪い」
「とは言え、これだけ広範囲になると、帝都の外へ運ぶだけでも大変でしょう」
闘技場を見渡しながら問いかけると、彼は小さく肩をすくめた。
「まあな。けど、廃材の運搬や廃棄も含めた額で見積もりは上げたし、損はしねえよ」
「それはよかったです。……ところで棟梁、一つ提案があるのですが」
「ん?」
そういう方向に話が転がるとは思っていなかったのだろう。彼は不思議そうに目を瞬かせた。
「痛みがひどい客席部分ですが、安値ながら買い取ってくれそうなところに心当たりがあります」
「お前さん、いきなり何を言い出すんだ?」
突然の提案に彼は面食らったようだった。だが、それに構わず話を続ける。
「この損傷が魔法によるものだということはご存知ですよね? 実は、その時に使われた魔法がかなり特殊なものだったということで、魔術ギルドが興味津々なんです」
「魔術ギルドが買い取るって? 本当か?」
「ええ。その関係もあって、私も今日ここに来ていたのです。もちろん高額では無理でしょうが、たとえ無料だとしても棟梁には嬉しい話でしょう?」
「そりゃまあ……帝都から運び出すだけでも、かなりの手間や金がかかるからな」
棟梁は俺の言葉に深く頷いた。人や馬車を使って、帝都から離れた山や森に廃材を捨てることに比べれば、帝都内の魔術ギルドに移動させるほうが、はるかに安上がりなことは間違いない。
「もちろん、このことは誰にも言いません。こんな急な話を受けてくださったのです。それくらいの利益はあってもいいでしょう」
「おお、そう言ってもらえると助かるが……」
棟梁の心はかなり動いているようだった。この手の契約で、廃材の廃棄について詳しく定めることはほとんどない。その処分は業者に一任されるため、廃材の買い手を見つけることも彼らの大切な仕事だ。そして、誰に売り払おうと、文句を言われる筋合いはない。
「しかし……本当だろうな? 魔術ギルドに持ち込んで、けんもほろろに追い返されたんじゃ――」
「大丈夫です。担当者として、私が責任を持って対応しますわ」
そこへ口を挟んだのは、いつの間にか隣に来ていたレティシャだった。俺に話を合わせてくれるつもりなのだろう。
「アンタは魔術ギルドの人間なのか?」
「帝都魔術ギルドの上級魔導師、レティシャ・ルノリアと申します。この破壊痕について、できるだけ現状を損ねないように運んでもらえるなら、こちらでお引き受けしますわ」
「へえ、そりゃ願ってもない話だな……」
棟梁の顔が緩む。美味しい話の上に担当者が魅力的な美人となれば、そうなるのも仕方がないかもしれない。レティシャの援護を受けて、俺は再度口を開いた。
「私も闘技場の経営に携わる者として、剣闘士の管理や興行のことで試行錯誤する毎日です。ですから工務店の、特に棟梁の大変さはよく分かるつもりです。急な依頼を引き受けてくださったこともありますし、少しでも棟梁の利益になればと思います」
「そこまで言ってくれるとは……ありがとうよ、兄ちゃん。感謝するぜ」
「いえいえ、お礼を言われることではありませんよ。それでは、解体工事の件、よろしくお願いします」
「おう! 任せておきな!」
元気な返事を残して、棟梁は去っていく。その後ろ姿を見送っていると、レティシャがつんつん、と俺の腕をつついた。
「それで? ちゃんと説明してもらえるのよね?」
「ああ、もちろん。話を合わせてくれて助かった。俺が考えるに――」
興味深そうに身を乗り出してくるレティシャに、俺は自分の推測を説明していった。




