巫女 Ⅱ
「私は、『極光の騎士』がまだこの帝都にいると考えています」
「っ!?」
ヴェイナードの思いもよらない言葉に、シンシアは目を白黒させた。すでに帝都を出たと思っていた彼女にとって、その発想は盲点だった。そんなシンシアを観察するように眺めた後で、ヴェイナードは言葉を続ける。
「正確に言えば、『極光の騎士』を探し出すためには、まず彼が帝都に留まっている可能性を考えることが効率的だと思っています」
「ええと……」
まわりくどい言葉を受けて、シンシアは首を傾げた。すると、自分でも分かりにくい説明だったと思ったのだろう。ヴェイナードは少し詳しい説明を始めた。
「先ほども少し申し上げましたが、旅立った『極光の騎士』の行方を探すことは困難です。この世界に街は無数にある。まして、彼が赴く先が人里とは限りません」
その言葉はシンシアにも理解できた。だが、続く言葉はまたしてもシンシアを驚かせる。
「ですが、『極光の騎士』は本当に旅立ったのでしょうか? 実は旅立っていないとなれば、何も世界を隈なく捜索する必要はありません。この街を入念に探せばいいだけの話です」
「そんなことって……」
驚きの連続に戸惑いながらも、シンシアは疑問をぶつける。
「それって……『極光の騎士』さんが嘘をついた、ということですか?」
この街を離れる。そう言ったのは彼自身だ。あの最後の試合で、シンシアもはっきりとその言葉を耳にしている。『極光の騎士』が非難されている気がして、シンシアは少しムキになっていた。
「あくまで可能性の話です。それに、『極光の騎士』が悪意をもって私たちを騙そうとしていたとは思っていません」
ヒートアップしそうになったシンシアの様子を察したのか、ヴェイナードは言い聞かせるように釈明する。
「ですが、私はこう思うのです。――『極光の騎士』は、別の事情で引退せざるを得なかったのではないか、と」
「別の事情……?」
「『極光の騎士』の正体については無数の噂が飛び交っていますが、その中にはこんなものもあります。――『極光の騎士』は、帝都の住民なのではないか、というものです」
「それは……」
『極光の騎士』の噂であれば、シンシアも色々と収集していた。そして、そのような話を聞いた記憶もある。だが、雑多な噂の一つ……それも、あまり信憑性がないものとして扱われていただけだ。
「『極光の騎士』は三カ月に一度しか試合をしない関係上、普段は帝都にいないと思われています。また、闘技場以外で姿を見かけないことも、その推測を補強していました」
ですが、とヴェイナードは続ける。
「ご存知ですか? 他の街で『極光の騎士』を見たという人間はほとんどいないのです。稀に会ったと主張する人もいますが、よく聞けばただの全身鎧の戦士をそう思い込んでいた人ばかりです」
「そうなんですか……」
シンシアは思わず相槌を打った。ヴェイナードはユミル商会と名乗っていた。他の街や村とも頻繁に行き来しているだろうし、そこからもたらされる情報は重要なものだ。
「ですが、『極光の騎士』が帝都の住民だとすれば、それも納得がいきます。普段は鎧を脱いで生活をしていればいいのですから」
その言葉でシンシアが思い浮かべたのは、『極光の騎士』が食料や雑貨を買い求めている姿だった。だが、そのイメージは全身鎧のままだ。
「それに、かつての襲撃事件や巨人騒動についても説明がつきます。三か月に一度しか帝都に立ち寄らないのであれば、あれらの事件が起きた時に、都合よく居合わせたはずがない。
『極光の騎士』が帝都の住民でもない限り、確率的にあり得ないのです」
「……」
シンシアは無言で話を聞いていた。話に引き込まれていたこともあるが、何かが引っ掛かるのだ。もともと、ヴェイナードを完全に信用しているわけではないが、次第に警戒心が呼び覚まされる。
「あれほどの戦闘力を発揮している以上、中の人間もかなりの実力者のはず。ですが、強者が集う帝国騎士団に彼のような人物はいません。
しかしながら、この街の主だった剣闘士もまた、『極光の騎士』と対戦済みの者ばかりで、同一人物の可能性はない。となれば、彼は何者なのでしょうか」
ヴェイナードの声に熱がこもる。だが……それは、『極光の騎士』のファンとして熱がこもっているようには思えなかった。
「あの……ヴェイナードさんの目的は、なんですか……?」
気が付けば、シンシアはそう尋ねていた。
「『極光の騎士』にお礼を届けるためです」
突然の質問に不思議そうな顔をしながらも、ヴェイナードは律儀に答える。
「さっきから、ヴェイナードさんのお話は、『極光の騎士』さんの正体の推理ばかりです」
「それは、『極光の騎士』の現在の居所を突き止めるのに必要だと判断したからです」
「それだけ、ですか?」
シンシアは目に力を込めてヴェイナードを見つめた。睨みつけた、と言ったほうが正しいかもしれない。
「ヴェイナードさんは、私やエミリオさんとは違う気がします。その……憧れとか、敬意とか……」
適切な言葉が見つからず、彼女は口ごもった。だが、ヴェイナードには通じたらしい。
「たしかに、そうかもしれません。私たちが感じているのは恩義ですからね。あれだけの戦士ですから、当然憧れもありますが……それが一番ではありません。それがシンシア司祭のお気に障ったのであれば、申し訳ありません」
「いえ……」
素直に認められたことで、シンシアは毒気を抜かれた気分だった。彼女が拍子抜けしている間に、ヴェイナードは話を始める。
「ともかく、です。『極光の騎士』は帝都の住民であり、その強さを隠して暮らしている可能性が高い。私はそう考えています」
その頃には、シンシアもヴェイナードの目的に勘付いていた。彼は『極光の騎士』の正体を知りたいのだ。恩義や献上品の真偽は分からないが、それだけは確信できた。
「それで、私に『極光の騎士』さんの人となりを訊きにきたんですね……」
『極光の騎士』がどんな人間性であるのか。ヴェイナードの話に乗せられて、あれこれ喋ってしまったことが悔やまれる。
口止めされたわけではないが、『極光の騎士』の正体を暴こうとする行為は裏切りのようで、抵抗を感じたのだ。
それを自覚したシンシアは口を閉ざした。これ以上何も情報を与えないようにしようと思ったからだ。だが、それに構わずヴェイナードは話し続ける。
「そうそう、『極光の騎士』について、顕著な特徴が一つありましたね。もはや当たり前ですが、『極光の騎士』は剣闘士として戦っています。非常に不思議です」
「……」
何が不思議なのだろう。シンシアは無言を貫きながらも、内心で首を傾げた。
「これまでの言動から、『極光の騎士』は名声を欲する人物には見えません。試合頻度の低さからすると、金目当てでもない。かといって、『大破壊』のように戦いが生き甲斐だとも思えません。まるで聖職者のようにストイックです」
シンシアの様子を窺うと、ヴェイナードはやや大仰に肩をすくめた。
「そんな『極光の騎士』が、なぜ二十八闘技場で剣闘士として戦っているのでしょう。三か月に一度……言い換えれば、剣闘士登録が抹消されないギリギリのタイミングで、長年にわたって律儀に試合を続けている」
「それは、ミレウスさんが頼んだから……」
思わずシンシアは口を開いた。ミレウスもそう発言しているし、間違いないだろう。あの二人が会話をしているところは、どうにもイメージしにくいが。
「だとしても、です。『極光の騎士』の行動は、第二十八闘技場にとってあまりに都合がいい。彼は第二十八闘技場の関係者だと思えるくらいに」
それは性急すぎる結論ではないだろうか。そう反論しようとしたシンシアだったが、ふと言葉を思いとどまる。ヴェイナードは、最初からここに話を結びつけたかったのではないか。そんな気がしたのだ。ならば、彼は何を続けようとしているのか。
「私なりに、可能性のある人間を幾人かピックアップしています。そこに、先ほどシンシア司祭から教えていただいた情報を加味すると……」
言って、彼は手元の紙を覗き込んだ。その内容が気になるが、情報を与えないようにしようと思ったのはシンシア自身だ。彼女は固い表情でヴェイナードの顔を睨み続けていた。
「――ミレウス支配人のことをどう思われますか?」
「え?」
ヴェイナードの言葉に、シンシアは目を瞬かせた。ミレウスの人脈から正体を辿っていくつもりなのだろうか。だが、これ以上情報を与えるつもりはない。沈黙した彼女を見たヴェイナードは、再び口を開いた。
「誤解されているかもしれませんので、もう一度申し上げます。……ミレウス支配人が『極光の騎士』の正体である可能性についてどう思われますか?」
「え――?」
シンシアが質問の意味を理解するまでには、少し時間がかかった。突然提示された問いかけは思いがけないものだったし、相手が近しい存在だったということもある。
「ミレウスさんが、『極光の騎士』……?」
ようやく頭が動くようになったシンシアは、ヴェイナードの言葉を何度も繰り返した。
抜け目のない商人のようでいながら、闘技場への熱意や周囲への気遣いを欠かさないミレウス。
英雄とさえ呼ばれ、最強の剣闘士でありながらも驕らず、人々のために戦う『極光の騎士』。
二人の立ち位置はあまりに違うし、声や喋り方も異なっている。それに、わざわざミレウスが『極光の騎士』を演じる意味が分からない。『極光の騎士』は滅多に試合に出ないのだから、支配人業の妨げになるほどではないはずだ。
もちろん、似ているところもある。二人とも、その功績からすると意外なほど謙虚だし、実は周囲に気を配る性格であることも一緒だ。だが、そもそも『極光の騎士』は最強の剣闘士であり、戦士ですらないミレウスが演じることなど――。
「あ……」
シンシアの脳裏に浮かんだのは、二十八闘技場がまだ建設途中だった時のことだ。シンシアが強化魔法をかけたとはいえ、異常な戦闘力を発揮して相手を撃退したのはミレウスだ。
それに、先日の地下遺跡でも、ミレウスは手慣れた冒険者のようにモンスターに対処していた。生半な戦士では不可能だろう。
そして、シンシアの記憶は巨人騒動の時へ遡る。
――これだけ大勢の人間の命を一人で預かっていたのだ。重責だったことは想像に難くない。……よく頑張ったな。
――千人近い命を一人で預かっていたんだから、讃えられる資格はあるさ。重い責任を投げ出さなかっただけでも、シンシアは立派だったと思うぞ。
あの時、心を動かされた言葉。よく考えれば、二人の言葉は似通っていた。もちろん、当時のシンシアに声をかけるなら、誰でも同じような言葉にはなるだろうが……。
そして、今や第二十八闘技場になくてはならない古代の結界装置。使いようによっては危険極まりない遺物の管理を、なぜミレウスに託したのか。ひょっとして、最初から新しい闘技場の結界装置として目を付けていたのではないか。
そう言えば、二人と近しいシンシアでさえ、彼らを同時に見た記憶はない。ミレウスの家で『極光の騎士』と話をした時も、ミレウスと『極光の騎士』は入れ替わりだった。
ミレウスと『極光の騎士』。彼女の心を占める大きな存在が、少しずつ混ざり合う。なんでもない事柄までもが、あの二人の同一性を示しているように思えてくる。これは願望なのだろうか。
「あ――」
そこまで考えたシンシアは、はっとヴェイナードを見た。そして気付く。『極光の騎士』の人となりも、その正体を絞り込んでいく過程も、すべてはこのための伏線だったのだ。
ヴェイナードは、シンシアの話を聞いて考えたのではない。最初からミレウスを疑っていて、そこに話を持っていきたかったのだ。
『極光の騎士』とミレウス、双方をよく知る自分の反応を見るために――。
――最初から、この人はミレウスさんを疑っていたんですね。
ならばどうするか。悩むことなくシンシアは口を開いた。
「……ミレウスさんは、『極光の騎士』じゃないと思います」
本心を心の奥底に封印して、シンシアは答える。マーキス神の信徒にとって虚言は罪だが、あの二人が同一人物かどうかはシンシアにも分からないのだから、虚言ではない。そう自分に言い聞かせる。
もし本当に『極光の騎士』の正体がミレウスだとしたら、そのことを秘密にするだけの理由があるのだろう。そうであれば、シンシアが知り得た情報を無闇に他人に伝えるべきではない。
それに、『極光の騎士』の正体をネタにして、ヴェイナードがミレウスを脅す可能性も存在する。そんな彼に、シンシアの疑念を話すべきではない。それがシンシアの結論だった。
「なるほど、理由をお伺いしても?」
推測を否定されたヴェイナードは、苛立つ様子もなく理由を尋ねてくる。その冷静さが不気味だった。
「声も性格も違いますし、ミレウスさんは魔法剣士じゃありません。お二人とも凄い人ですけど、方向性が全然違います。
それに、ミレウスさんが『極光の騎士』なら、正体を隠す理由がないです。支配人をしながら、試合に出るのは大変ですし――」
自分でも驚くほど、言葉がスラスラと出てくる。いかに二人が別人であるかをシンシアが延々と説いたところ、ヴェイナードは悩む素振りを見せた。
「……そうでしたか、残念です。有力な候補だったのですが、他を当たってみましょう」
やがて、ヴェイナードは肩を落として答える。その様子に罪悪感を覚えるが、シンシアは口を開かなかった。
「シンシア司祭、ありがとうございました。候補者が一人減っただけでも、捜索としては前進ですからね」
「いえ……」
話が終わりそうな気配にほっとして、シンシアは笑顔を浮かべた。
「ところで、シンシア司祭に何かお礼をしたいのですが……。私だけが有益な情報を頂いては、商人として不誠実ですからね」
「ありがとうございます、そのお気持ちだけで充分です。どうしてもと仰るのであれば、マーキス神へ感謝のお気持ちを伝えてくださいね」
思いがけないヴェイナードの言葉だったが、シンシアには『天神の巫女』として何百、何千回と繰り返してきた文言で乗り切る。自分が失言する前に退室してほしい。それだけが今のシンシアの願いだった。
「そうですか……分かりました」
ヴェイナードは立ち上がると、自ら応接室の扉へ歩いていく。さっきのシンシアの定型句は、暗にマーキス神殿へ寄進を促す言葉だ。それを読み取って寄進を行うつもりだろうか。
「感謝の気持ちは必ず伝えます。……シンシア司祭、今日はありがとうございました」
そして、ヴェイナードは応接室から姿を消した。扉から顔を覗かせ、彼が遠ざかるのを確認したシンシアは、応接室に戻ってパタンと扉を閉める。いつものシンシアであれば、そのまま持ち場や自室に戻るところだが、今は一人になる時間がほしい。
ソファーの背にもたれると、シンシアはぼうっと天井を眺めた。ヴェイナードには否定してみせたものの、シンシアの中では疑念が渦巻いている。
彼らが同一人物だと肯定する要素はいずれも弱いものだが、別人だと否定する要素もまた、それ以上に弱いものだ。
「本当に、ミレウスさんが……?」
混乱した彼女が部屋を出るには、まだ時間が必要だった。