アンドロイド研究所
「所長、所長、うちで出す次号の表紙の件なんですが……」
あるアンドロイドの研究所で一人の若者が所長室を訪れていた。
研究所で今度、内々の研究者たち向けに会誌を発行することになったのだが、この若者が所長室を訪れたのはまさしくその会誌にまつわる件についてであった。
「ああ、小田原君かね……、前々から言っていたように、そこら辺のデザインは君に任せていたはずだが?」
「ええ、ですからその案としてこういうのはどうかと……」
そういって小田原と呼ばれた若者が提出した紙を見て所長は破顔する。
「なんだ、なかなかにいいじゃないか」
「研究者向けとは言え一般の人にもアピールすることを考えまして、アンドロイドを身近に感じてもらう、をコンセプトに家事をするアンドロイドという感じでやろうと思いまして、まず初めに掃除をするアンドロイドです」
「ふぅん、ところでこれだと通常の女性と見分けがつかなくないかい?」
「……、一応肩の部分に充電パックを携えていますし、伝わるとは思うのですが」
うぅむ、と所長が唸る。
「もう少しわかりやすくアンドロイドだと見た人にわかるようにしてほしいところかな」
「うぅん、わかりました、考えておきます」
「考えておく? 『伝えておく』ではなくてかね?」
まるで君が考えるみたいではないかとの意味を込めて所長が訊くと、言ってませんでしたね、と小田原は何でもないように頷いた。
「この絵、私が描いてますから」
ほぅ、と所長が返答する前に、小田原から堰を切ったように言葉があふれる。
「そもそも私がこの業界を目指し始めたのは『可愛らしい女の子ロボット』を作りたいからですので。昔から理想の女の子を作ることが夢だったんですけど……」
そこから喋る喋る、小田原はたっぷり5分ほど己の夢について語って満足したのか、最早途中の「いやーそう考えると私がイラストレーターを辞めてこの職場に来たのは控えめに言っても天職! 天職だったんです!」とか言い出した時点で聞くことを止めて自分の仕事をしだした所長を気にすることもなくどこか満足げな顔で「あ、思いつきました」と言い出した。
「こういう感じで……」
ちょちょいと自分の描いたイラストへ手直しを加える小田原、所長が覗き込むと掃除をしている女性に充電用のケーブルが刺さっているのが見えた。
「うん、これでどこからどう見てもアンドロイドですね」
「いや、皮膚の一部をメカっぽくするとかそういう方針を考えていたんだが」
「嫌ですよそんなの! アンドロイドがアンドロイドらしくあれ、というのは古臭い考えです、それにこうやって……」
また描き足していく小田原。
一つ頷くとそこにはアンドロイドが箒を片手に掃除している様子から箒と本を抱えている様子に変わっていた。
「こうすればなんとなく休憩中にも見えます、掃除業務中にうっかり充電が切れそうになってしまったのでやることが無くなって本を読むようにも見える! うーん、萌えですよ萌え!」
うんうん、と頷く小田原に所長は少し引き気味であったが、言うべきことだけは言う。
「まぁ、絵に取り掛かってくれるのはいいが……、本職の研究をおろそかにしないでくれよ?」
「それくらいはわきまえてますっ!」
※ ※ ※
「所長、所長! あの……」
「おぉ、小田原君か、どうしたのかね」
いつかの焼き直しのような光景ではあったが、若者の表情が以前とは異なっていた。
「例の会誌の件ですが……」
「あぁ、アレか、いやぁ、君にあんな特技があったとはね、うちの研究者たちにも見せたけど大好評だったよ、また次回も頼みたいんだが」
「その、表紙の件なのですが……」
小田原の歯切れの悪い説明に眉を顰める所長。
いまいち小田原の言っていることが掴めなかったが、要約するとつまり、
「炎上している?」
「はい、SNSで、『女性への性差別に取られる恐れがある』と」
「……」
所長は小田原の発言をかみ砕くように眉間を揉み、それからうぅむ、と唸り、またもう一度眉間を揉んでこう言った。
「何が?」
「何が、と言われますと私も困りますけど……」
なんとも所長にとっては理解しがたい話ではあったが、会誌の表紙が『家事を女性の仕事だと決めつけている』『繋がれている女性が《都合のいい女》を幻視する男性が透けて見えるようで気持ち悪い』『俺たちが作ろうとしているアンドロイドは性奴隷ですと言わんばかりの表紙』などという意見を集めているらしい。
「そんなバカバカしい意見が罷り通っているのか」
「ええ、ですから何か対応を、と思いまして」
「ええい、そんな意見捨て置け、大体恐れがある、とはなんだね、アンドロイド研究が生命を冒涜する恐れがあるとでもいえば我々の研究も潰されるのか……」
そう所長が言ったとき、大慌てで所長室に駆け込む眼鏡をかけた男が居た。
「所長!」
「おお、そんなに急いでどうしたのかね、佐藤君」
佐藤と呼ばれた男は急いで来たことによってずれた眼鏡を直し、そばに小田原が居ることに今気づいたのかぺこりと目礼だけして、それから要件を話し始めた。
「以前出した会誌の件なんですが」
「ああ、そのことかね、今小田原君と話していたところだよ、まぁ反応するのもバカバカしい……」
「その件なんですが、電話が鳴りやまなくて」
なんでもクレームの電話で業務が滞るまでに至っているらしく、なんとか対処をお願いしたいというのが佐藤の要望であった。
それを聞いてぶちぎれたのが絵の作者でもある小田原だ。
「絵に文句をつける連中の誰がロボットアームの研究を進めてくれるというんですか⁉ 『理想の女性が描かれるのは女性差別』⁉ 実際に作るのになんでわざわざブスに造形する必要があるんですか⁉ そもそも……」
「まぁまぁ落ち着き給えよ小田原君」
「……小田原先輩、こんな人だったんですね……」
だんだんヒートアップしてきたので所長がなだめると、佐藤は少し引いたのち、「ま、まぁとにかくクレーム対応に追われているので私は戻ります、何か対処を考えておいてください!」と叫んで所長室から出て行ってしまった。
「うぅん、対処と言われてもねぇ」
「どうしましょうか」
実のところ小田原がここまで焦っているのは次号の表紙をすでにほぼ描き終えてしまっており、それが以前の家事をするアンドロイドで舵を切っていることと、今から書き直すには少々時間が厳しいということもあり、小田原は悩んでいた。
そこに所長が一つ提案をする。
「今から全体像を変えるのが厳しいのなら、執事服のようにして男型にする、というのはどうかね?」
「……、できなくはないですけど」
露骨に嫌そうな顔をする小田原。
「前も言いましたけど私は可愛い女の子を目の前に作りたくて来たのに絵とは言え理想と違う形にするのは」
「執事服を着たボーイッシュな女の子ならどうだね」
「さすが所長天才ですか」
こうして次号は(描いた本人にとっては理想の)執事が料理をする絵が表紙となり、発行されたのであった。
※ ※ ※
「所長、所長!」
「おぉ、小田原君かね、どうしたんだい、研究は進んでいるかね」
「いえ、今回はその件ではなく」
「あぁ、そういえば会誌がそろそろだったね、前回は特に騒動もなく過ぎたからねえ」
2回目の会誌が出てからしばらく経って、小田原は所長室に居た。
「そもそも女性を男性に変えただけで炎上が収まることがさっぱりわからんのだが、そこらへんはどういう理屈なのかね」
「さぁ、馬鹿なんじゃないですか?」
小田原はあの件が余程腹に据えかねたのかあっさり返す。
そりゃあ小田原君に比べれば世の中の人間はおおよそ馬鹿ばかりだが、と所長が一人優秀すぎる部下に思いを馳せるところにそんなことより、と話を続けた。
「分かったんです、片方ずつ描くからダメなのだと」
そう言って小田原が取り出したのは二人の男女、に見えるアンドロイドがそれぞれの仕事を笑いながらこなす、という内容の表紙であった。
「なるほど、平等であればいいだろうと。まぁそもそも男女の同権だの、じつのところ私からすればどうでもいいことだし、それで頼むよ」
「所長、あんまりそういうことを言うと炎上しますよ」
「男女の同権がどうのこうの言う輩にとってみれば私の研究もどうでもいいことだろうが、私にとっての悲願は男女の同権の先にはないだろうからな」
そうして3回目の会誌が発行される運びとなった。
※ ※ ※
炎上した。
1回目の比ではなく炎上した。
「それで?」
さすがに無視できる量ではないクレームだったため先んじて小田原を所長室に呼び、そこで今後の対策を含め話し合っていくことにした。
「それで、と言われましても」
「ああ、別に怒っているわけではないんだ。ただ今回の騒ぎは寝耳に水だったというかいきなりのことだったから、私も炎上の理由を詳しくは知らなくてね」
そう言って所長は話を聞く体勢に入る。
「いいですけど……、聞いて腰を抜かさないでくださいよ?」
そこからの説明に所長は頭痛がするかと思った。
今回の表紙は女性型のアンドロイドが子守をし、男性型アンドロイドが洗車をしている様子だった。
そしてその表紙に付いたコメントがこれだ。
『女性型の方がきつい仕事を回される』『男性はいつだって趣味の方に回る』『母親代わりにアンドロイドを使うなどマザーコンプレックス丸出しでみっともない』などなど。
「……、アンドロイドならば水を扱う仕事の方が過酷だと思うが」
「最初に抱く感想がそれですか」
「それに、このコメントは何だ」
そう言って所長が指さしたのは『影が下着に見える』というコメントだった。
「あぁ、これは、この女性型アンドロイドの胸らへんの影がその、ブラに見えるという指摘が」
「……、まぁ見えなくもないが、それで、これはその、ブラジャーなのかね?」
「まさか。そんな猥褻な意図など一切含ませてませんよこっちは」
うぅん、と所長は唸り、
「改善した、などとこちらが言っても、理屈と膏薬は何処へでも付く。ここは抜本的な治療が必要だな」
「抜本的……、まさか」
「たぶん君の思うまさかで合ってると思うよ」
「女性型を一切使わないようにしよう、ということですか?」
小田原の問いに無言で頷く所長。
小田原はわなわなと震えて、絞り出すように声を上げた。
「何故理想を表に出すことさえ規制されねばならんのです」
「これは規制ではない、分かってくれ。ここは研究所なんだ、余計な火種にばかり構っていて研究が滞ってしまえば本末転倒どころの騒ぎではないだろう」
「女性自体を使わない、という行為こそ! 女性差別以外の何物でもないのではないですか!」
「小田原君!」
「っ!」
声を荒らげ始めた小田原に所長は短く名前を呼んで発言を遮る。
「言ったはずだ。男女の同権などどうでもいい、と。今回の騒ぎに関しては前回のように適当にコメントを出す。……、今まで表紙の件、やってくれて助かった」
「……それって」
「次回からは外注にする」
「……女性型アンドロイドは描かないように、ですか」
「当然だ」
「でしたら……」
「だったら?」
思わずといった具合に声を上げた小田原だったが、少し考えたのちにこう続けた。
「『家事をするアンドロイド』、これだけは譲れない、と伝えておいてください」
「その程度のことなら、分かったよ。……、さ、君の本懐は絵に堂々と女性型を描くことではなく女性型のアンドロイドを作ることだろう?」
「えぇ……」
※ ※ ※
「所長」
「おぉ、小田原君、あの論文読んだよ、活躍しているようで何よりだ」
「ありがとうございます。ですが本日はその件ではなくてですね」
「……、そういう話の入りだと、少し前の出来事を思い出すね」
あれから5回ほど会誌が発行された。
すべて男性型アンドロイドが家事を行っている表紙で、話題にも特に上ることなく、平和に過ごしていた。
「あの件なんですけど、もう一回私に描かせてもらえませんか?」
「……、それは、そういう意味かい?」
「ええ、女性型アンドロイドを描かせてほしい、と言っているわけです」
「それはならん。以前言っただろう? 余計な火種を背負いこむつもりは」
「現状余計な火種が燻っているんですよ」
そう言って小田原が見せたコメントを見て、今度こそ所長は言葉を失った。
『家事を女性型にやらせないのは女性がこの程度のこともできないと思っている男の傲慢さの表れ』
所長はそのコメントを飲み込むのに時間がかかったが、あまりにバカバカしすぎてもう好きにしてくれと思い、考えることを止めた。
小田原は絵を描き、表紙の絵に関するコメントは通常の業務とは別のインターネットサイトに誘導することにした。
そのサイトに寄せられた意見は酷い罵詈雑言、たまに応援のコメントで溢れていたが、小田原も、所長も、一切目に入れることはなかった、取り合う価値もない言葉に研究や理想を邪魔される謂れなどない、ということにやっと気づいただけであった。