夢見薬
夢見薬――、夢を見る薬、それもただ夢を見るだけではない、望んだ夢を見せるためのものだ。
それは薬、という名前であったが、市販の風邪薬のような錠剤や粉薬とは違い、湿布のような使い方をする。
寝る前にそれをおでこに貼り、見たい夢に応じた専用のチューブを取り付けると、寝ている間にその湿布から微弱な電波が流れ、脳がその夢を作り上げる、といった具合である。
「ふふふ、これは素晴らしい発明だと思わんかね」
夢について長年研究してきた成果が実を結んだ夢見薬をかかげ、満面の笑みをたたえた博士。
すぐさまその薬は商品として売り出されることとなった。
特別不具合を起こすこともなく、また、博士の起業した会社では、『どのような夢のチューブがよく売れるのか』といったことだけを話し合うだけの部署もできた。
その部署では、『美女が裸で迫ってくる』だの、『ギャンブルに大勝ちする』だの、文字通り夢のような話を大真面目に大の大人たちが語り合うのだ。
そうして決定した案を開発部に送り、開発部はその夢を見るように電気信号を打ち込んでいき、それが世に出ることになる。
世間では受け入れられていったものの、やはりどんな時代にも新しいものには批判がつきものである。
なかなか夢から帰ってこない若者たち、といった社会風刺的な広告を打ち出されたことも幾度か。
しかしながら、以前から面白い映画や漫画などの娯楽はあって、それにはまってしまった人間など自己責任の一言で片づけてきたではないか、娯楽の対象が夢の中へと移っただけである、という考えを持っていた博士には、そんな批判はどこ吹く風であった。
それに、やはり批判はしてみたものの、望んだ夢がみられる、ということは素晴らしく、一度使った人間から非難が来ることは二度とはなかった。
こうなってくると社会も移り変わるもので、以前は小説を書いていたものは、夢作家を名乗り、このような夢を作ってください、といって博士の会社に持ち込んでくるようになり、現実世界のために本を書くことをやめてしまった。
さらに言ってしまえば、現実には娯楽というものが減っていった。
賭け事などその最たるもので、賭け事に夢で勝った人間はそこですでに満たされ、現実の賭場に足を運ぶことなどしないのである。なぜなら彼らは、実際に財産を増やすことなどよりも、勝つという快感を得るだけのために賭場に行っていた人たちが大多数だったからであった。
こうして社会は働き、食事をし、せいぜい風呂に入り、あとは寝るだけの社会へと変わっていく。
子供の教育など子供に学校へ行く夢見薬を取り付けていればいいのだ。
学校というものも現実から次々と姿を消していく。
否、子供がそもそも『現実』にいないのである。
それも当然、眠ってしまえば夢のような理想的な伴侶がいるのに、何故現実で夫婦生活なんていう煩雑なものを過ごさねばならないのか、そう考えるとばかばかしくて仕方がなかった。
……、そう、人類は夢のような甘い毒で、今滅びようとしていた。
……、というところで。
博士は目を覚ます。
「ああ、夢か……」
博士は目の前にある完成間近の夢見薬を、すべて処分してしまった。