君は知らない
名前が五人分出てきますが、実際の登場人物は二人です……。
いつも笑顔を絶やさない夏は、笑顔が象徴だと言っても過言ではない。遥希は、何がそんなに面白いのかよく分からなかった。寧ろ、よく笑えるな、というのが正直なところだった。だからだろうか、彼女が泣いているのはとても印象的で、忘れられないものだった。
今から二年前、遥希の姉ーー百合と、夏と姉弟の昔馴染みの男ーー恭介が付き合い始めた。その関係は、遥希にとって不本意ながらも続いている。高校は、百合が女子高に通っているため違うが、二人の仲は依然として保たれたままだった。しかし、遥希とは別に、素直に喜べない少女が一人いたのだった。
遥希は見てしまった。
中学三年夏。放課後の教室で、同じく幼馴染の夏が泣いていたところを。
「……あれ、ハル? あんたまだ帰ってなかったの?」
遥希は、その一言によって夢から引き戻された。目が覚めたのは、中学……ではなく、現在通っている高校の教室だった。眠りを妨げたのは誰だ、と声の聞こえた方を見ると、そこにいたのは夏だった。夢に出てきた中学時代の夏より成長し、少し大人びた彼女は、委員会から帰ってきたところだった。夏は、先に帰っていれば良かったのに、と言いながら入ってくる。ただ寝ていたのではなく、委員会を終えて帰ってくる彼女を待っていた遥希は、たとえそうであっても素直に言えるはずがなく。うるせェ、と再び顔を腕の中に伏せた。そんな彼をクスクスと笑いながら、夏は帰る準備をした。
「と言うか、なんであんたは鈴木君の席に座ってるの?」
現在、遥希は夏の席の後ろである、クラスメイトの男子の席に座っていた。夏は、その事を不思議に思い、疑問を口にする。
「何でって……落書きする為に決まってんだろ」
さも当然のように、遥希は答えた。
「あんたね……」
すると、夏からは呆れた声が返ってきた。
綺麗で中性的な顔の持ち主である遥希は、学校で人気があった。外面が良いこともあり、女子生徒のみならず、男子生徒まで人気の彼は、実は性格が悪いというか、腹黒だ。しかし、それを知っているのはこの学校において夏を始めとした一部の人間だろう。しかも、実の姉にまで猫を被るのだから呆れたものだ。因みに、シスコンと言うと物凄くキレられる。
だから何言っても聞かないと、長年の付き合いから分かってはいるが、彼女は説教をし始める。うんたらかんたらと、夏は日頃の遥希の行いについて注意した。勿論、それを聞く彼ではなくて。ガミガミと話し始めた夏の後ろ姿を、半目でボーと眺めていた。そしてふと、髪に意識が向く。
――…っう…!…ぐす……恭、ちゃん……!!
――見てみてハル! 髪、切っちゃった! 似合う?
二年前に突然髪を切った夏。
その理由は、邪魔になったからと本人は言っていたが、遥希は知っていた。
失恋のあとに髪切る女なんて、今時少女漫画でもいないっての。
二年前のあの日、夏の好きな恭介が、同じくらい好きな百合と付き合い始めたあの日。大好きな二人が付き合ったことによって、夏は失恋し、泣いた。素直に喜べない気持ちと、諦めきれない気持ち……何より、そんな気持ちを抱いている自分が赦せなくて、その翌日に彼女は、これまで伸ばしていた髪をバッサリ切ったのだ。
「……」
遥希は、腰まで伸びた髪を一束取る。
細くて滑らかな髪は、するりと指の間を通った。こんなクソ暑いのによく伸ばせるな、と遥希は思う。そんなに髪の毛というのは大事なのかと疑問に感じた。女ってめんどくさい、それに限ると、遥希がそんな事を考えているとは露知らず。夏はと言うと、気付いていないのか、未だに彼に対して何か言っていた。遥希は、夏を待っていたというのに、帰ってきて早々説教されるなんて不本意だった。更に、此方を振り向きもしない彼女に機嫌を悪くさせた彼は、ムッとする。
いい加減こっち見ろ。こっちを、見ろ。
「ねえハル! 聞いて――」
「………」
「る……」
遥希の念が通じたのか分からないが、夏はタイミングよく振り向いた。バチッと遥希の色素の薄い瞳と夏の真っ黒な瞳が合う。遥希が夏の髪を一束取っているからか、彼女は中途半端に向くことしか出来なかった。
しかし、瞳は合っているのだから、遥希がどんな表情をしているのかは分かる。相変わらずよく読めない表情をして、何も言うことなく自分を見上げてくる遥希に、夏は戸惑った。やや見つめ合いが続いたものの、先に折れたのはやはり夏であった。
「……な、何?」
「髪、伸びたな」
その時、夏がピクッと反応した。
それに気付くも、遥希は気付かないふりをする。
「う、うん……。そりゃあ二年も伸ばしたんだもん、伸びるよ」
「俺にしろよ」
「……え?」
遥希は再び目線を髪に戻す。
パラパラと、髪をいじり始めた。
「何恭介のヤローの為に切ってんだよ」
「え……、ハル…何言って……」
「あの時、お前だけしかいないと思ってたのかよ」
「……ちょっと、ごめん…話、ついていけない……」
夏の目は明らかに泳いでいた。
なんでそんなこと知ってるの。あの日は確かに私一人だったはず。第一、自分の気持ちを知っているのは自分しかいないのに……と、なんでなんでと疑問ばかりが浮かんで混乱していた。それ故、遥希が何を言っているのか分かっているものの、頭が着いていけてなかったのだ。折角忘れていた……否、忘れようとした、夏の中に留まっていたモノが涙として溢れ出る。それはあの日、遥希が見たものと同じものだった。暮れていく夕日の光が窓から射し込み、涙に反射する。遥希は、それを綺麗だと思った。
しかし、気に食わなかった。
今流しているのは、恭介が関係しているもので、髪を切ったのも、また然りだ。小さい頃、遥希と二人で駆け回っていたお転婆な彼女が、少しでも百合に近付こうと髪を長くした。笑い方も、心なしか上品にもなった感じがする。しかし、どれもこれも、夏は好きな人に振り向いてもらうが為にしたことなのだ。
姉だけでなく、俺の好きな女までアイツは掻っ攫っていく。
だから、遥希は気に食わなかった。
「泣くな」
「泣いてなんか……!」
「泣くな」
さっきまで眠そうにしていた者の声とは思えないしっかりとした声に、夏の涙は自然と止まる。
「は、ハル――」
ガシッと力強く腕を掴まれ、無理矢理振り向かされると、夏の目の前には、遥希の顔が近づいてきた。キスされる……! そう思い、彼女は咄嗟に目を閉じる。
「……?」
しかし、一向になんのアクションも起こらない間に、不思議に思った。そろりと目を開けると、そこには遥希の姿は居なく、その代わりに長い髪が揺れる感覚がした。彼が先程まで触っていたであろう自分の髪の束を取る。
「っ遥希!」
いつの間にか、出入り口のドアの方へと移動していた遥希を、夏はバッと目線で捉えた。
その動きと共に、長い髪もゆらりと揺れた。
「お前みたいなブスに、キスなんかするかよバーカ」
「ブ……!?」
ケタケタと悪く笑う遥希は、イタズラが成功したような表情をしていた。相手にとってどう笑ったら苛立たせることができるのか、まるで理解しているような笑みに、夏は信じられないと怒る。顔を真っ赤にしながら、プリプリと効果音がつきそうなほど怒り、大股で遥希を追い抜いた。
その後ろ姿を見ながら、遥希は更に声を上げて笑った。
俺を追い越しても、あの短足がに股ならすぐ追い付く。帰る電車も、帰る方向も同じなのだから、家に着くまで何て言ってやろうか。
取り合えず、お前にこの気持ちを伝えてやろう。
姿の見えなくなった彼女の背中を追いかけるように、遥希は走った。
お粗末様でした。




