第2話:ツィー・ユマエ
土の上にうずくまるその少女を背に抱えた私は、小屋に戻った後、ランタンとペンダントをテーブルに置き、その娘をベッドに寝かせ、暖炉に薪をくべ火をつけた。その娘……いや、暖炉の暖かな火に照らされた「それ」は清らかな青い髪をベッドに散らしながら寝ている。長い髪だ。私は椅子に座り一息つく。
恐らくはこの墓地のふもとにある村の娘だろう。差し詰めあの深い森に入って迷ったのだろう。倒れていたこれの傍らには木の実や山草が詰められたバスケットがあったのだから。
「ふー………」
さて、どうするか。じきに目覚めるだろうこれは、自分たちとは違う私の容貌を見て狼狽するにきまっている。そして私の存在を村の仲間たちに忠告し、今度は武器を持った男たちを引き連れて訪れるかもしれない。
「ん………」
青い髪の少女は時々何かをつぶやきながら寝返りをうったりしている。
いっそのことここで殺してしまおうか?私は恐ろしい考えを思いつく。咄嗟に頭を振りこの考えを否定しようとするが、学のない私にはこれ以上いい方法が思いつかなかった。丁度ここは墓地なのだ、青い髪が一人増えたところで、何百年も土の下に埋まっている罪人諸君は驚きもせず、むしろ若い娘を温かく迎えてくれるだろう。
私は斧を手に取る。汗が流れるのは暖炉が効きすぎているからだろうか。大丈夫、俺の先祖は処刑人だ、きっと俺にもその資質がある、必ずこの青い血の娘を一振りのもとにあの世へ送れるはずだ。大丈夫……私は足の指に力を入れ、一歩一歩、音を立てずに近寄る。いや待てよ、この娘はまだ子供のようだから、きっと親がいる。このまま帰らなかったら村の若い男たちへ捜索を訴え、山狩りが始まるだろう。その時にここを見つけられてみろ、それこそ一巻の終わりじゃないのか?私は歩みを止める。
どうする?どうするんだ?ジグソーよ、どうするんだ?え?ここでこいつをやるのか?やらないのか?夜は明けるぞ、速くやらないと明けるぞ。どうするんだ?墓守のジグソー・ピース!
「ん……んん……」
彼女が目を覚ました!私は固まった脚を即座に翻し、斧を隠して椅子に座った。動悸が抑えられない。どうする?もうまもなくこいつは私の黒い髪を見やるぞ、どうする………そうだ、あの手がある!私は急ぎ足で小屋の奥の部屋へ歩く。そこはかつて私の母だった女が使っていた部屋だった。この部屋なら「あれ」があるはずだ。私の髪と髭を隠すことができる「あれ」が………目はどうする?
ここはどこなんだろう?わたしは目をこすりながらきょろきょろと辺りを見回す。家じゃないのは確かだ。
わたしは記憶を遡ることにした。「困ったときは記憶を遡れば、何が問題なのかわかる」とおばあちゃんもよく言っていた。
確か今日は……おかあさんの誕生日だから、皆で祝おうということになったんだ。わたしはパーティの為の食材を山に行って採ろうとして……それで、道に迷っちゃって歩いてたら、お墓がたくさんある所に行きついて……それで……
「起きたのかい」
「え?」
わたしは声の主の元へ目を見やる。そこには、布で顔をぐるりと覆った男の人が立っていた。
予想通りだ!私の容貌を隠すため頭部に巻いたこのスカーフ、上手く隠せている証拠だろう、彼女は私に対して何も言うことはなく、いつも仲間たちと会うかの如く何気ない顔をしていた。少し怯えているのは仕方ないだろう、私は警戒を解くために話を続ける。
「墓地の真ん中で倒れてたからさ、驚いたよ。ここはめったに人がこないから、声を出してなければ危なかったね」
「はぁ……あ、助けていただきありがとうございます」
彼女は私に向かってお辞儀をした。なるほど、子供にしては言葉遣いがしっかりしている。
「じきに夜も明けるだろうが、今は外に出ない方が良い。この風だ。どうだい、茶でも飲まないか」
「はぁ、いただきます」
私はその言葉を聞くと、彼女に背を向けてキッチンへと向かった。完璧だ、完璧な流れだ。彼女は完全に私への警戒を解き始めている。このまま朝になれば、彼女は小屋から出ていき、この墓地にいつもの平穏が訪れるのは間違いない。私は水を沸かすため薪をくべた。
……なんなんだろう、この人は。明らかに怪しいその人は今、鼻歌を歌いながら水を沸かしている。
そういえば友達から聞いたことがある。森の奥には不気味な墓地があって、そこには私たちとは違う髪と血の色をした魔物が住んでいるという話。この人がそうなのだろうか?でも、一見わたしを襲うような気配はないし……あのスカーフを取れば、何かがわかるのだろうか?
「おじさん……名前はなんていうの?」
まずは名前を聞いてみよう。魔物なら変わった名前かもしれないし。
「ん?俺の名前かい?そういえば自己紹介がまだだったね」
スカーフを巻いた魔物(?)は背を向けたまま応答する。
「ジグソー………ジグソー・ピース。先祖代々ここで墓守やっている一族の者さ」
拍子抜けした。どんな物凄い名前を出すのかと思えば、どこにでもいるような、それこそ石を投げれば一人にはあたりそうなほどありふれた名前だった。いや、もしかしたらわたしを騙すためにニセの名前を言っているのかもしれない。
「じゃあ今度は俺の番だね。お嬢ちゃん、お名前は?」
どうしよう?ここで名前を言ったらなにをされるかわからない。でも、ニセの名前が咄嗟に浮かんでくるわけでもなかったので、わたしは素直に答えた。
「ツィー……ツィー・ユマエといいます」
「ツィー……うん、いい名前だ」
星の名前からとったのかな、という彼は湧いた水を移し替え、コップに注ぐ。
やっぱりこの人は魔物じゃないんだろうか?そう思ったわたしはいやいやと頭を振り咄嗟にこの考えを振り払った。あのスカーフの中身が分からないことには、この疑問が晴れることはないだろう。彼は湯気が立ったコップをテーブルに運ぶ。わたしは首に縛られたリボンをほどき長い髪をそれでまとめ、ベッドから立ち上がりテーブルの前に座った。
「どうだい、森の木の実の果汁に山草のエキスを混ぜてあるんだ。体が温まるだろう」
「はい…とてもおいしいです」
「それは良かった……村の方じゃあまりない味かなと思ったけど、気に入ってもらえたかな」
彼はお茶を飲むわたしを見ながら話を続ける。危険な賭けだが、わたしは早速問題に切り込んだ。
「あの、ジグソーさん。聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「ん?言ってごらん」
「なんで顔にスカーフを巻いてるんですか?」
困った。そうだ、確かに疑問に思われても仕方のないことだった。こんな小屋に一人で住んでるスカーフを巻いた男?怪しいに決まっている!頭を隠すことだけに精一杯で、見た目の事を一切考えていなかった。
彼女は私から眼を離さずにわたしの顔を見つめている。ばれたか?いや落ち着け、まだ私の容貌に気づいているわけではないのだ、あくまで彼女の興味の対象はこの異様な格好なのだ。私は一息つく。
「あー……これはだね、昨日顔を怪我してしまったんだよ、火傷して」
「火傷……ですか。でもこの小屋にそんな大やけどするようなものってないような…」
彼女は怪訝な表情を浮かべる。子供のくせに頭が回るようだ。彼女のコピー元はさぞ賢い子供だったのだろう。
「暖炉を舐めてはいけないよ。あれは顔を突っ込むと真っ黒焦げの大やけどをするからね」
「なんで火がついてる暖炉に顔をいれたんですか?」
まずい、墓穴を掘った。私は焦りを隠しきれないままどんどん顔つきが険しくなる彼女の質問に答えようとする。
「それは…ううんと……火の精を捕まえるため?ううーん………」
思考停止。うんうんと唸るばかりで良い思い付きは浮かばない。もうすこしで平穏が帰ってきたのに……
子供のわたしからみても彼は焦りをしぐさに出していた。やはり魔物なのだろうか。しかし、今のわたしは今すぐ逃げることよりも、わたしより背が高い彼の焦る姿を眺めている方が楽しかったし、スカーフをはがして正体を見てやりたいという思いが強くなっていた。
「ジグソーおじさん、本当は火傷じゃないんでしょ」
私はにやにやしながらますます焦る彼を見つめる。
「ははは……何を言ってるんだいツィーちゃん、俺は本当にやけどをしてるんだよ」
止めの一撃を加える。
「じゃあ、見せてよ。火傷」
「えっ」
「だってそんなに凄い火傷、なかなか見れるものじゃないよね。見てみたいなぁ、暖炉で負った火傷」
万事休す。逃れる術は私にはもう思いつかなかった。やはりあの時殺しておくべきだったのかもしれないが、今となっては後の祭り、斧を取りに行った所でその隙に逃げられるだろう。私は観念し、スカーフをほどき始める。聞き分けが良かったのは彼女の子供らしからぬ賢さに期待したからだ。この子ならきちんと説明すれば怖がらずに黙っていてくれるかもしれない。あまりにも楽観的な考えだったが、もはやそれに縋るほかないのだ。その時だった。墓地の方角からおどろおどろしいうめき声が聞こえたのは。
「これは……こんな時間に目覚めるなんて!」
私はスカーフをほどくのを辞め、ランタンとペンダントを持った。
「ジグソーさん、なんですかこの声は」
「君はこの小屋にいるんだ。絶対に出てはいけない。わかったね」
私は彼女にそう忠告すると小屋を出て彼女が見ていないことを確認してスカーフをほどき、風が吹きすさぶ夜の墓地へと走る。声の主は1人ではなかった。
夜はまだ明けない。