Chariot Ⅱ
肌寒い深夜だった。
遠くの方で聞こえる喧騒は恐らく五番街の中心だろう、こんな真夜中に、煌びやかな明かりと賑やかさを奏でるのは、あそこにあって他には無い。
一方で、この近辺は静寂に包まれていた。商業施設や工場で賑わう街の端っこは打って変って、深く穏やかな眠りに落ちている。
──だが、生の気配は確かにあった。
「ハッハッ……」
慌てたようなバタついた足音と、荒い遣いのみ。生き残ろうと必死にもがく、魂を震わせるような悲痛な叫びのような……生の気配。
「ひあっ⁉︎ 」
情け無い悲鳴と共に、男が躓いて転がった。足を捻り、石道に肩を打ち付ける。
──もうダメだ。おしまいだ。
彼は目を見開いて、天を仰ぐ。輝く満天の月は、無情にも瀕死の心の男を照らしつけた。美しい。その美は最早凶器のように、男の心を縛り上げる。
足はもう棒のように動かず、肩は上がらず、息も絶え絶え。呼吸もしているのか定かではない、思考も停止しかけている。もう彼は何も考えることが出来なかった。
月が隠れ、代わりに男の視界には、黒い髪の女が映った。
月とは違う。だが美しい。目深なローブから覗く端正な顔立ちは見惚れてしまいそうな程だった。
蒼い瞳には、だが何一つ映さないような、一切の輝きが失われた深淵が蠢いていて。
「……ごめんなさい」
哀しそうな、今にも泣き出しそうな呟きは、夜風に掻き消され。無情にも振り上げられた獲物は、鈍く月光を反射した。
「辻斬り、ねぇ……」
一口。大きめのスプーンですくったボルシチ、柔らかい牛肉ととろけたチーズを包むトマトベースのスープ。
カレン・スティアレットは口に含んで、満足そうに口元を緩めた。
「そ。黒のローブに身を包み、月光に照らさらた黒髪は艶やかに靡き、儚げで憂に満ちた美しい横顔……目にも止まらぬ刀捌きってね」
「アンタの話だと、善業談に聞こえるけど」
「俺のじゃねーさ、目撃談だよ。けど真面目な話、最近特に多いっつーか……5日前は四番街でやられてる」
最も人通りが盛んな、五番街のパレオ通り。その一角に、PAJESTAというお店がある。常連客が多い、街では馴染みの深いスナックである。
カウンター越しでは、リオ・クレベックは腕を組んで唸って見せた。
目深に被った赤いバンダイから、難しそうな顔付きを浮かべている。
「確か……強盗未遂犯って話よね」
「それよそれ」
ポンと手を打つ。
「なんつーのかな、悪いことした奴ばかり狙ってる感じなんだわ。義賊ってーのかな」
「それでも通り魔は通り魔よ。警察は? 」
「それがねぇ……」
渋るような口調に、カレンはスプーンを止めて怪訝な表情を向けた。
「……辻斬さんは、異端者ばかりを狙ってる」
「………」
「悪業を働いた奴が仕置きされるってのは、人気の出る話さ。況して、異端者狙いってのは……」
思わず額を抑えてため息をつく。話の大筋が分かってしまったから、同時に自分でも納得してしまう部分があったのだ。
「実際、一番街や二番街からは支持が出てる。殺害までしてるって訳でもない、せいぜい背中に切り傷程度だ。極悪なトレーダーには丁度良いってね」
「表立っては動いてないのね」
「市民の為の正義の味方が、本来のお巡りさんだからなぁ」
カレンは、そのウェーブがかった桃色の髪を何と無く指で弄んだ。
「はい、エリオさん。注文の〝オスシ〟と〝ミソシル〟っす」
「………」
その隣の席。
頭を下げて丁寧にお礼をする黒髪の男、エリオット・ノーリッジは、プレートに乗った料理を前に箸を手に持った。赤、白、黄色、ベージュ、オレンジ。彩り豊かな、宝石のような列。
「うへぇー、相変わらず好きねエリオッちゃんは。よくそんなもん食えるよなー」
リオはプレートを見て目を丸くする。照りが良い具合に効いた、新鮮な魚料理だ。ライスの塊の上に、脂の乗った生魚の刺身が乗っている。エリオットはこれが好物だった。
「あら、結構イケるわよ? 」
「マジかよお嬢」
「ほら、食べてみなさい」
そう言って、カレンはフォークでプレートから勝手に一つ、トロのスシを掬い取る。エリオットは眉を吊り上げて、「ちょっと待て」と訴えるがお構いなし。
「い、いや、俺は生の魚なんて──」
「いいからっ」
「む、ムグゥ⁉︎ 」
半ば無理矢理に、口にトロを突っ込まれたリオ。目を閉じて苦痛に耐えるかのごとく表情を浮かべていたが……一回、二回と咀嚼していく内に、少しずつ和らいでいく。
「……あ、あれ?食える? 」
「ね、中々イケるでしょ?私も最初はびっくりしたけど──って、ああーっ⁉︎ 」
叫びと同時に。
ひょい、とエリオットがボルシチから牛肉を掻っ攫っていた。そしてそのまま、口の中へ。
「そ、それ!最後の楽しみに残しておいたお肉だったのに……‼︎ 」
愕然とするカレンに対し、彼は舌を出して「ざまあみろ」の意をぶつけた。無論、掴みかかるまでには一秒もかからなかった。
「このばかエル‼︎
表に出なさいっ、決闘よこのばかっ、変態‼︎ 」
「……」
「アンタの脳天蜂の巣にしたげる!覚悟しなさい‼︎ 」
ぎゃーぎゃー。一方的にまくし立てるカレンに一歩も引かない所存のエリオット。しまいにはドタバタと取っ組み合いに。
「あーあー……お嬢もエリオッちゃんも、たかが料理の一つや二つ」
「「黙れバンダナだけ! 」」
「何故そこだけハモるんだよ⁉︎つーかだけってなんだだけって!こちとらキャラ付けでやってる訳じゃねーっ‼︎」
さていよいよ収集がつかなくなってきた、と思ったその時。「良い加減にしなさーいっ‼︎ 」と大気を震わせるような怒号……にしてはあまりに甘い声が店内にこだました。
続いて、ゴンと痛快な音が3つ響いた。
「朝から騒いじゃダメよ〜、周りのご迷惑も考えなきゃ〜」
ニコニコと微笑みながら登場したのは、黒いワンピースに白いエプロンをかけた女性だった。優しそうな口ぶりで語りかける女性は、しかししっかりと拳を作っている。
鉄拳制裁。
騒ぎの原因である客二人は、頭を抑えて暫く痛みにもんどり打っていた。
「……何で俺まで? 」
従業員ももれなく一名。
「もう、相変わらず元気いっぱいね〜」
拳を解くと、頬に手を当てて笑みを絶やさず向けてくる。
外観とは裏腹に、天井は木目、ガラステーブルと観葉植物が並ぶ店内、しかしその奥には畳のご座敷が待っている。和洋折衷というべきなのな、何ともアンバランスチックな店内。そんな店を仕切っているのが微笑みの女神こと、リョーコ・キリシマである。
艶やかな黒髪は腰のあたりで纏めて、おっとりとした雰囲気を醸しながら、タレ目がちな黒い瞳で辺りを見渡す。客はカウンターに転がっている煩い二人だと確認したようだ。
「リョーコさん……お邪魔してます」
「………」
で、その煩い二人。
頭を摩りながら、ようやく起き上がったカレンとエリオットは、顔色を伺うように挨拶をしてみせた。
「は〜い」
両手を胸の前で合わせてニッコリと。たゆんと、今にも弾けそうな豊満な二つの果実が揺れに揺れる。リョーコはもう一人の従業員、トムに目を向けた。
「なんすか? 」
「これ、貴方が作ったの? 」
「は、はい!オスシっす。今日はトマジさんの代わりに俺が作ったんすけど、結構自信作で──」
最後まで聞かず、彼女はプレートのオスシを一つ、口に入れた。そうして、ゆっくりと咀嚼している。
「……んー、良い味ね! 」
「マジすか!」
「でもね、魂がこもってない」
「えぇ⁉︎ 」
ぱっぱと手を叩いて、カウンターからプレートを取り下げる。あっと残念そうな表情をするエリオットだったが……
「エルちゃん」
「? 」
「後で、本物の〝お寿司〟ご馳走してあげるから……食べに来てね❤︎」
「!」
パチリと小粋なウインクまでしてみせるリョーコに、目を輝かせるようにして強く頷いていた。
「トム、貴方にもちゃんと教えてあ・げ・る。魂の乗せ方……秘密の個人授業で、ね? 」
「マジすかママ‼︎一生付いてきます‼︎ 」
野郎二人を無駄に感動させ、彼女はニコニコと頬に手を当てていた。
「さっすがうちの店主……誰も頭が上がらんなぁ」
「ま、それはそうと」
カレンは小さく咳払い。
「さっきの話、情報はそれだけ? 」
「おっと、うちの情報網を舐めないで頂戴なお嬢」
バンダナが巻かれた頭を、コンコンと人差し指で叩いてニヤリ。
これ、最新情報だぜ?
「つい今朝方だ、遂にこの五番街でも辻斬りがあったんだよ」
「………」
「被害者は勿論、異端者だ。。今回はよりにもよって、エルダリオ一家の異端者が狙われた」
ピクリと、カレンは瞳を揺らした。
エリオットやリョーコも視線を向けてくる。
「……叔父様は? 」
「まー、当然動き出すわなぁ。この街でそんなことがあっちゃ、ガロンさんとこも面子がある」
けど、とリオは少しだけ声を抑えて。
「やられたのは、一家から金を持ち逃げしようとした馬鹿だ。辻斬りの件がなけりゃ、そのまま埋められてたろうな」
「……なるほど」
「それに、面子ってのは色々あるからな。影じゃ市民様の味方と称されてる辻斬りをやすやすと吊るし上げたりは出来ねーだろう」
「……でしょうね」
「色々複雑なのよね、ホントこの街は」
暫く考えるように口元に指を当てていたカレンだが。やがて意を決したように席から立った。
肩まで伸びたセミロングの髪を、ポニーテールのように後ろでまとめ、ダンとカウンターに片手をついてみせる。
「私達でやるわよっ、その調査」
勢いでお店を飛び出したカレンとエリオット。二人は店のあるパレオ通りから、二つ目の十字路を右折、更に中心街から離れる。
リオを含めたPAJESTAの面々に、引き続き辻斬りについての注意を払って貰いつつ。彼女達は足での調査を開始してから、二時間弱。未だ何の情報も得られないままであったが、取り敢えず現場との情報があった方向へ向かっていた。
「確かこの先の……あら? 」
その途中、人気の少ない欝蒼とした路地を進んでいた時だ。前方で蹲っている、黒いローブ姿が目に入った。
「ちょっとアナタ、大丈夫? 」
お腹を押さえるように、返答は無く蹲るローブは小刻みに震えているばかり。二人は顔を見合わせる。カレンはそっと頷くと、駆け寄って苦しそうなローブの肩を摩ってみせた。
「ねぇ、どこか悪いの?」
「……いがする」
「え? 」
澄んだ声色が聞こえた。ローブの、恐らく女性が初めてカレンの問いかけに反応したのだ。
──だが、ローブからそっと覗いた瞳は。ゾッとするような冷たく蒼い色を宿していた。
「異端者の匂いがする……ッ‼︎ 」
思考する間も無い。銀色の光が見えた時にはもう、彼女の身体は横に強く押し飛ばされていた。
「きゃっ⁉︎ 」
あわや壁に激突しそうになりながらも、何とか体勢を保ち寄りかかった。彼女は、何が起こったのか瞬時に理解する。
「──っ‼︎」
彼女は目の前の光景に目を見開いた。
まさに神速。
ローブから薙ぎ払われた刀身。それは赤く染まり、鈍く不気味な光を放っている。波模様の刃紋をギラつかせ、獲物はどうだと舌鼓を打っていた。
つい一秒前に、カレンのいたその場所であり……今は短刀を構えたエリオットが。
「エルっ‼︎ 」
悲鳴に近い叫び。辺りに飛び散った鮮血は紛れもなく彼のもので。
一直線に切り裂いた、彼の上半身からだった。
「………」
ローブがはだけて、姿を現したのは女だった。首筋にまで伸びた柔らかな黒髪は光に、端正な顔立ちは、鮮血の中でも輝いて見える。儚さと憂いを秘めたその瞳が、真っ直ぐ
(速いな……)
防げていた、はずだった。
内心で舌打ちくらいは、まだ余裕がある。胸元に構えた短刀で、彼女の斬撃を止めているはずだった。しかし、短刀には衝撃がなく、代わりに焼き切れるような苦痛と朦朧とする意識がやってきていた。
(抜刀術……)
手合いにするのは初めてではない、彼の記憶にある限り寧ろ少なくはない筈だ。
ただ、油断していたとはいえ……女の抜刀は予想以上だったのだ。
「異端者? 」
「……、だったら? 」
向けられる女の瞳には感情の色が無い。発せられた言葉は、何故か泣き出しそうなほど震えていた。
「……ごめんなさい」
いつの間にか鞘に収まった刀、黒い菊模様の柄に静かに女の手が乗せられる。
このままじゃ殺られるな、そう思ってもエリオットの身体は思い通りに動かない。
「動くな……‼︎ 」
放れかけた意識は、響き渡る銃声に、辛うじて繋ぎとめられる。
見れば、カレンが女の足元に発砲をしていた。精一杯見開かれた瞳は怒りに燃えながらも、銃口は冷静に女の頭部へ照準だ。
彼女の無事を確認した途端に、意識は再び緩まった。視界はボヤけ、身体の感覚もなくなっていく。
「一歩でも動いてみなさい、次はその頭をぶち抜くわよ……ッ‼︎ 」
「………」
女は、やはり感情のない顔をカレンへ向けたが。やがて、柄に置いた手を静かに降ろした。
そのまま、軽いステップで彼女は屋根へと姿を消してしまう。
「エル‼︎しっかりしなさいっ、エルっ‼︎ 」
堪らず膝をついて崩れるエリオット。駆け寄ったカレンが何とか抱きとめたが、体重差でそのまま倒れ込んでしまった。
「オイどうした‼︎何があ──お嬢⁉︎エリオッちゃん⁉︎ 」
慌てたような声が聞こえる。悲痛だったり、驚いていたり。だが、エリオットにとっては差して気にはならなかった。
「早く、早く病院に‼︎急いで‼︎ 」
「わ、わかった!エリオッちゃん、辛抱しろよオイ‼︎ 」
「エル!返事をしなさいっ、エル‼︎ 」
沈んでいく意識の中で、誰かの顔が浮かんだ気がした。
──そういえば、以前もこんなことが……
「………」
白い天井が、エリオットの視界いっぱいに広がっていた。続いてツンとしたアルコール臭が鼻につく、馴染み深いのは遠い記憶のせいか。どこか安心感を覚えながら。
「……起きたか、この馬鹿者」
覗き込むように、彼を見つめていたのは白衣を身に纏った女性だった。蒼い髪を腰まで伸ばした女性。どこかダルそうな瞳と無気力そうな声色を除けば、かなりの美女で通るだろう顔立ち、そしてスタイルだ。
「あー、暫く寝ておけ。彼女を起こしてしまうだろう」
「? 」
エリオットの寝ているベッド。掛け布団に覆い被さるようにして、すやすやと寝息を立てるカレンの姿があった。
「彼女には感謝したまえ」
「………」
「一睡もしないで夜通しお前の看病をしていたんだからな………中々どうして、健気で可愛いじゃないか」
カレンは、血に染まったブレザーとスカートをそのままに、今はぐっすりと夢の中にいるようだ。
「来た時は血相を変えていたからな、私としては彼女の方が心配だったが……もう大丈夫そうだ」
そう言って、彼女は薄く口元を緩めると、ベッド付近の窓を静かに開ける。朝の光が、彼のベッドにも溢れてくる。どうやら、丸一日経っていたらしい。
彼は起こさないように、ゆっくりと上半身を起こす。脇に掛かっている自身の上着を、そっとカレンに掛けてあげた。
「しかし、お前にも困ったものだな」
「……」
「今度は腹を掻っ捌いて来院とは……次は右腕でもイッておくか? 」
「騒がせた」
エリオットは頭を下げようとするが、よせとばかりに女医は手を振る。今更何も礼だ謝罪だと口にすることはない、と。
────
比較的平和な一日かと思えば、昼間から腹をばっさり斬られた男が運ばれてきて、ロンド医院は一気に騒がしくなった。
元々、二階建ての小さな病院だ。年中患者がひっきりなしに入れ替わる、ということもないが、五番街では名の知れた病院である。暇、ということもやはりなかった。五番街の連中は一癖も二癖もある連中ばかりなのだ。
医院長であり、唯一の主治医でもあるネリエ・ロンドは、入り口で顔を顰めた。まだ20代の若さで、ルックスもかなり良い。が、医者の癖に極端な面倒くさがり屋であることと、年中無休でダルそうな態度が、色っぽい話をしばらく遠ざけているような女性だ。
そんな彼女も、腹を切り裂かれたエリオットの姿を見て、目を見開いていた。
「ネリエ!エリオッちゃんが──」
「分かってるっ、奥に運べ! 」
──あのバカが。特異体質だからって何でも治る訳じゃ無いんだぞ。
ネリエはこの男の大怪我をした場面を久しく見ていないという訳ではなかった。
それでも、内心で瀕死(に見える)男に悪態を吐きながら、白衣を翻して診療室へ駆けてゆく。
リオが肩を貸したまま奥の処置室に運んだ。
「血液パックを持って来れるか! 」
「ちょっと待って……あった!どれを⁉︎ 」
「三列目のだ、急げ! 」
処置自体は大した手間にはならなかった。それは、もっと酷い場合を嫌と言うほど経験してきたからか。彼女は実に手早く、処置を終わらせてみせた。
幸い、というべきなのか。傷は酷いものだが、〝彼〟にとってはマシな方だった。一般人にとっては致命傷にもなり得る傷も、異端者の、それも〝特異体質〟のエリオットとなれば話は違う。
一目見た時はゾッとしたものだが、取り越し苦労だったと、ネリエは呆れとも似つかぬため息とともに、処置室を後にした。
「ネリエさん、エルは……」
「一般人なら致命傷だが……奴は別だ、傷だけならすぐに塞がるだろう」
「……そう」
暫く安静にしてて貰う必要があるが。
カレンとリオは、心底安堵したように息をついた。
「で、こんな真昼間から流血沙汰とは穏やかじゃないな。まぁ五番街らしいと言えばらしいが」
白衣のポケットから、水色のパッケージのタバコを取り出した。一本取り出して、そのまま口に咥える。
「あぁ失礼、火は付けんよ」
軽く手で礼をつくってみせる。味を確かめるようにして、目を閉じると、そのまま二人に視線を向けた。
「それで……何があった? 」
─────
窓からは日の光と一緒に朝の風が入り込んでくる。白い病室を明るく照らし、温かい雰囲気を作っていた。
「例の通り魔の件らしいな」
「あぁ」
「随分と綺麗な切り口だったぞ。迷いがない、あぁいう傷は見ていて実に気持ちが良い」
露骨に嫌そうな顔をすると、女医は心底おかしそうに、声を殺して笑ってみせた。だが決して冗談だとは口にしない。本気でそう思っているからだ。
「まぁしかし。油断していたんだろうが、特異体質のお前がやられるというのも、厄介な話だな」
「………」
「言っておくが、三日間は動くのもダメだ。それだけ本来なら重傷だという事を自覚しておけ馬鹿者」
拳を握りしめたエリオットを見て、釘を刺す。放っておけば、今すぐにでも短刀を手に再戦に向かいそうだった。
「一日で、なんとかならないか? 」
「この戦闘バカが。普通の人間なら致命傷だ、普通の異端者でも二週間はかかる……いくら特異体質のお前でも、すぐに動くのは無理だ」
「……」
不満気な視線。それでも彼女は強く首を振った。
「彼女に怒られるのは私もゴメンだ。お前は当分ジッとしておけ」
今一度釘を刺して。
ネリエは窓の外から、五番街の景色を眺めていた。その瞳には景色の何一つとして映っているようには見えない。
「……皮肉なものだな」
「? 」
「私達が最も忌むべき体質のお陰で、毎回命を救われている……
異端者の中でも、最も呪うべき変異種の、特異体質のお陰でな」
二人は、ほぼ同時にその瞳の奥を暗く曇らせた。
「祖先の馬鹿者共が自己満足の為に一部の人間の遺伝子を改造し始めた。もっと先へ、限界の先へ、そんな傲慢が異端者という存在を生み出してしまった」
ポケットに忍ばせたタバコを一つ、口に咥えてみせる。
「あぁ失礼、火は付けんよ」
「……」
「〝壊れた〟遺伝子が子孫へと渡り、そして年を重ねるごとに変異していく。それが瓦解の始まりだった。バカ共が研究を止めた時には時既に遅し、だ」
遺伝は連鎖するからな。
タバコを噛み締めながら、誰に問う訳でもなく、ただ寂しそうに続けた。
「人よりも少しでも優れた遺伝子には、力がもたらされる。人よりも僅かに優れた力が。だが劣った遺伝子には害しか残らない。劣等代償を抱えた者も沢山でた」
「あぁ」
「人としては勿論、最早生き物としてすら認められない指定害悪として、強制連行の隔離されて……悲劇が起こった」
温かいはずの部屋が、みるみると冷えていくように感じた。冷たさは、嘆きと贖罪と怒りと、何にも代え難い苦しみから出来ている。そんな空気だった。
「連中の自己満足の後始末が、あの地獄だ。〝使える〟異端者が、〝使えない〟同胞の駆逐を……」
「ネリエ」
エリオットが、名前を呼んだ。そこで、彼女の言葉は止まる。
「……失礼。何も、歴史の講義を行いたかった訳じゃない」
部屋にはまた温かさが戻ってきた。ふと、張り詰めた糸が切れたような、緩やかな時間が動き出す。
「彼女を見ていると……何とかなる日が来るのかも知れないと、不覚にも思ってしまう事があるんだよ」
「……」
「何だ、意外だと言いたいのか?
私だって感傷に浸ることもあるぞ」
面白そうにそう口にしてから。
口元からタバコを取って、近くのゴミ箱に放り投げた。
「私達のような、最低人種は、人間とは……どうあっても相入れてはならないと、分かってはいるんだがね」
そう言い残して、ネリエはベッドの側を去っていった。
白く清らかな室内の中に、蟠りのように残った冷たさの意味を彼は知っている。
暫く窓の外を眺めていたが、目を閉じて眠りの中に身を預けることにした。
「弔い合戦よ‼︎ 」
ダンっ。両手をついてそう宣言するカレン。後ろに髪をまとめて、白いシャツと胸元にある赤いリボン、チェック柄のスカートと、すっかり着替えを済ませ準備万端である。
夜。PAJESTAのカウンターでいきなり暴言をさらした女の子を前に、リオは呆れたように口を開けていた。
「は?弔い? 」
「そうよっ。部下を殺られたまま泣き寝入りなんて、スティアレット家の名が廃るわ」
「いやいや……」
ちょっと何言ってるのんこの娘?という視線を他の従業員に向けるものの、ことごとくスルーされた。
お前が何とかしろ、と。周りが目で訴えていた。店主は不在。
「つかね、弔いってあんた……エリオッちゃん生きてんじゃん」
「一々細かいことを気にしないの」
「いや細かくねーし、そこ一番大事なとこだろ」
「とにかくっ‼︎仇は打たせてもらうわ」
だから、と言いかけてリオは言葉を呑んだ。カレンの瞳が強い悔しさに満ち溢れていたからだ。
自分の迂闊さが今回の自体を招いた、それは嫌というほど分かっている。部下を守れなかった自分の不甲斐なさも。それでも、だからこそ、このまま背を向けることだけは許せないのだ。どんなことがあっても。
その高貴さは、彼女の長所でもある。
それに、五番街の掟がある。実に単純な掟。〝やられたらやり返す〟。
「でも、具体的にはどーすんのよ? 」
「取り敢えず……リオ・クレベック、アンタ囮やりなさい」
「あぁ、確かにそれなら──いやはぁ⁉︎ 」
前言撤回。やっぱり何言ってんのこの娘。
「あら、この間の依頼料もまだ貰ってなかったわね。何なら給料から倍額差し引いても良いんだけど? 」
「んなっ、お嬢テメっ足元を見やがって」
「リョーコさんに内緒で壊した花瓶の件、あと割ったワインの件、それから──」
「んぬぬぬぬ……‼︎」
敗北を認めることは、時に勝利を誇ることよりも気高い。
そんなのは嘘っぱちだ。それは惨めさしか残らない。身をもって体験しているのだから間違いないと、今ならリオは断言できた。
「たくよぉ、エリオッちゃんがやられた相手なんて俺が止められる訳ないっしょ……」
五番街の中でも人通りの少ない路地を、敢えて腕の刺青が目立つようにして闊歩する。
「大体、いつ誰がどこで襲われるかも定かじゃないのに、んな都合良く───」
噂をすれば。前方の建物に、寄りかかっていた黒いローブを発見してしまった。
オイオイマジかよ、俺ってそういう星の下に生まれてるの?誰か代わってお願い。
「……異端者? 」
「いやー、まさかそんな」
「………」
女はフードからそっと顔を覗かせると、彼の右腕を凝視する。
「いやいや、でも俺ってば善良な異端者で!ほら、補導歴も無いし違反とかもしないし?」
「……」
「あ、いや確かにこの前は一番街の屋敷に忍びこんだけど、でもそれは情報屋としての」
「……ごめんなさい」
あっ、という間も無く女は懐に飛び込んでいた。抜刀の構えのまま、まるで滑るように一瞬で。
(やべぇっ‼︎ )
振り抜かれた刀は、しかし空を切った。
「逃げるだけなら、奴より俺のが上手いんだぜ」
「………」
目にも止まらぬ抜刀術よりも、更に速くステップで移動していた。反応速度、それは常人のそれを遥かに凌駕するものであった。
(……このままポイントに誘い込んで)
裂ける音に、リオは慌てて下を見る。完璧に避けた筈なのに、彼のジャンパーの裾が切れていたのだ。
「はは……これ高かったんだけど」
ゾッとしている暇も無く、向かってくる女をギリギリの距離で誘導するリオ。彼の反応速度を持って、何とか五番街を逃げ回る。
そのまま二人は、暫く行った先の狭い路地に飛び込んだ。
「っ⁉︎」
銃声。女が咄嗟に弾いた銃弾はパイプに突き当たり、鈍い金属音が鳴り響く。
蛇の模様が入った銃身、コルト・パイソンを構えて、昨日よりも冷静な瞳で立ち塞がるカレンの姿があった。
「お、お嬢……人使い荒すぎ」
「ありがとうリオ」
息も絶え絶えなリオは、転がるようにして壁に寄りかかる。スタミナを大量に消費するこの能力を、恨めしく思ったことは一度や二度では無い。
「……貴女、異端者じゃ、ない? 」
「関係ないわ」
対峙する二人の女性。背丈はローブの女性の方があるものの、一歩も引かない強気な姿勢はカレンも負けてはいない。
「どんな事情があるにせよ……これ以上この街で好き勝手はさせない」
「………」
女が駆けた。瞬間、カレンが足元へ向けて引き金を引いた。
飛び上がり銃弾を避ける、壁を蹴って上に移動を計る女。
「悪いなお姉さんっ、上は使わせねーよっ」
一足先に壁を伝っていたリオが退路を塞ぐ。
狭い路地。それも、人の幅に相違ない狭い路地裏だ。横に回避することは出来ない。
(縦の動きに制限される……‼︎)
女が着地するであろう位置に狙いを絞る。足を止められれば完璧、被害の一番少ない脚だけで。
女は隠れるようにローブを脱ぎ捨てた。それでも惑わされず、カレンは正確に射撃を試みる。
「なっ⁉︎ 」
足に当たった……にしては軽い音。銃弾が外れた?
隠れ蓑となったローブから露わになったのは、地面に刺さった黒い鞘。本来足が着地するはずだったポイントで、銃弾はこれに当たっていたのだ。
女は着地の寸前に、鞘を足場に寸での回避。体や頭を狙わなかったことが大きな仇となった。一縷の情けが、致命的な逆転をもたらしてしまう。
「っ」
「ヤベぇ、逃げろお嬢⁉︎ 」
白のシャツに黒いズボンという軽装。
女は滑るようにカレンの目の前へ。リボルバーの銃身を、持ち直す暇すら与えない。抜刀は出来ずとも、十二分に速い。
「───」
それでも地面を蹴る。
首を撥ねられることだけは避けられる、この距離なら。腕の一本は覚悟しなくてはならない。右腕が無事なら銃で反撃出来る、そう思っていても彼女は咄嗟に目を閉じてしまう。
響いたのは、肉を裂くような鈍い音……ではなく、鉄と鉄がぶつかり合う音だった。
目を開けば、見覚えのある背中。
「エ、ル……? 」
そして、見覚えのあるくの字の短刀。
斬撃を受け止めていたのは紛れもなく、エリオット・ノーリッジであった。
今度は防いだぞ。ニヤリと口元を歪めると同時に、彼が放った蹴りが女を思い切り吹き飛ばす。通りを跨いで、奥の突き当たりに激突、粉塵を巻き上げた。
「エル……何で」
「………」
──やられっぱなしで、寝てなんていられるか。
振り返り、そう目で訴えるエリオット。返事を待たずに短刀を構えて飛び込んでいく。ボタンもかけていないシャツの下には、包帯で巻かれた彼の上半身。傷はまだ……
「あの男は、ホントにっ──」
「いやー、エリオッちゃんもお嬢に匹敵するくらい、負けず嫌いだからね……」
「一緒にしないでくれる? 」
呆れてこめかみを押さえるカレンと、いつの間に降りてきたのか、やれやれと肩を竦めるリオ。
気が付けば、刃物を交えた二人の姿が屋根の上にあった。凄まじい速度での斬撃の応酬は、目で追うのも難しい。
(え……? )
けれど。その時カレンは目を疑った。偶然にも、女の瞳にじわりと浮かぶ涙を見つけたからだ。
(動き自体も速い……反応も悪くない)
鞘に収め、姿勢を屈めた女から離れるエリオット。
いつの間に鞘を、と考えて、吹き飛ばされた時に拾ったのだろうと思い当たった。
(あの抜刀術が厄介だな)
その速さは神速のごとく。
間合いに入ればたちどころに刀の錆になる。
しかし距離を取り続けていても埒はあかないし、何より相手の移動も無駄がなく、確実にこちらを圧迫してくる。早まらず、逃げ腰にならない程度の距離を保ち続けなければならない。
(……だが、気は長い方じゃない)
痺れをきらせると一気に襲いかかってくる斬撃をいなしながら、エリオットは隙を作らないように立ち回る。待ちに徹していられればまた難しいが、積極的に仕掛けてくるのであれば、行動の選択肢も増えてくる。
「………」
少し、腹部に痛みが走った。彼は病院を飛び出していく直前の会話を思い出す。
掻っ捌いた腹を引きずって出て行こうとする彼を、主治医は引き止めなかった。代わりに、薬の入ったビンを投げて寄越したのだ。
〝もって五分だ。それ以上は知らん。野たれ死ぬなら私の責任の範囲外で死ね〟
──相変わらずの医者だ。
「……」
いつまでもこんなイタチごっこはしていられない。手負いの身、相手の隙が少ない以上、無理矢理機を見出すしかない。
居合の構えで接近していく女。その懐へ向けて、エリオットは一気に飛び込んだ。
一閃!
待ち兼ねたとばかりに両断したのは……またも空気。
目を見開く女に向けて、ニッと口角を上げるエリオット。
真後ろに向けて伸ばしていたチェーンが、寸でのギリギリで彼を居合の範囲から逸らしていたのだ。そこで終わらず、彼は既に前方、女の足元にチェーンを放っていた。
「くっ⁉︎ 」
一瞬で、エリオットは女の懐へ。抜ききった刀を収める間も無く、くの字の短刀が彼女の喉元へ。しかし……
「………何故? 」
「………」
「……どうして、殺さないの? 」
どうして。
短刀はそのまま止まっていた。どうして、それは彼のセリフだ。
「何故……泣いている? 」
蒼い瞳から、涙が透き通るような白い頬を伝っていた。
殺されそうになったからではなく、刃を交えている最中も、彼女の涙は。
「そこまでぇぇえええいっ」
エリオットが後ろに下がった瞬間、そこに何かが墜落した。隕石か、そう思わせるほどの衝撃は、鉄の屋根の装飾を粗方吹き飛ばしてしまう程だ。
「あい待たれよお二方ぁ‼︎
ここはエルダリオ一家の縄張りである!無用な戦闘は避けて頂きたい‼︎ 」
それは、体調2メートルを超える、上半身裸体の男だった。
長い茶髪を後ろに束ねて一つにまとめ、筋肉隆々の肉体をこれでもかと言うほど強調し、ご丁寧にポーズまで付けて二人の間に割って入ってきた。
「おや、ノーリッジ殿?いやはやこれは失礼を致した、私としたことがつい狼藉者共のケンカかと勘違いしましてな、ハーッハハハハハ‼︎ 」
「………」
煩そうに、露骨に顔をしかめるエリオット。そんな態度を気にも留めずに、男は豪快に笑い飛ばして、女の方へ顔を向ける。
「むむ⁉︎しかしてその出で立ち、貴女は、最近巷で話題の辻斬りではないか‼︎ということはノーリッジ殿、貴殿は……」
「………」
「しかもその傷‼︎何と重傷ではないか‼︎なるほどあいわかった、私も加勢しましょうぞ!エルダリオ一家の幹部、ジョージ・クレイオンが直々にお相手致そう」
上着を脱いだまま、黒いズボンとベルトを持ち上げ位置を正し、拳を構えようとした所で──
「ちょーっと待った! 」
「む? 」
ようやく屋根に上がってきた、カレン達が待ったをかけた。
「これはこれは、スティアレットお嬢様‼︎いかようでこのような場所に⁉︎ 」
「……少し待ってくれる? 」
内心暑苦しいと思いながらも、有無を言わせぬ笑顔でそう言うと、彼女は女を振り返った。まだ、涙に頬を濡らす女を。
優しく問うた訳でもなく、厳しく詰め寄った訳でもなく、ただ、ゆっくりと。彼女は問うた。
「……ねぇ、貴女」
「………」
「どうして、こんな事をしてきたの? 」
沈黙。それはどれ程続いただろう。今度はしっかりと光を宿した瞳を濡らし、震える唇から、音が洩れた。
「姉を……姉を、探してるの」
力を使い果たしちように。或いは支えていた糸が切れたように。
安堵ともにつかない表情を浮かべ、女はその場に崩れ落ちる。慌てて抱きかかえたリオが、そのまま「どうする?」と振り返る。皆は一様に顔を見合わせていたが、
「………眠い」
ポツリとそう言い残し。エリオットが倒れた。
「あぁーっ⁉︎エリオッちゃん⁉︎ 」
「む、これはいかん!傷口が開いている‼︎ 」
「仕方ない、二人ともネリエさんの所に運びましょう!」
「ですな……いやしかし、実に見事な切り口ですなぁ」
「んなこと言ってる場合じゃ──おぉ、マジだ。スゲーパックリいってる」
「ふぅむ、これぞまさしく職人芸。東洋の居合術というのは実に美しい──」
「良いから早く運びなさいこのバカ共‼︎ 」
──ふふ、ローラは本当に強いのね。お姉ちゃん、敵わないなぁ
──大丈夫よ。住む所も家事も仕事もお姉ちゃんが何とかするから
──貴女だけは、貴女だけは私が守るからね、ローラ
「……‼︎ 」
目を覚ました彼女を迎え入れたのは、朝日の柔らかい陽射しと頬を撫でるそよ風、そして──
「あぁ、起きたか」
「おはよう」
二人の女性だった。
一人は白衣を翻す女性、もう一人は胸元のリボンと短めの赤いスカートが特徴的な女の子だ。
「具合はどう?」
女の子は、お盆に乗せたコップを差し出してくる。甘い香りがふわりと鼻をくすぐった。
「口に入れておけ。糖分は大量回復には最適だ」
窓に寄りかかるようにして、白衣の女性がそう言った。そのまま、火の付いてないタバコを口に咥えてみせる。
受け取ったマグカップは温かく、そっと口に含むと、チョコレートの甘い
「……美味しい」
そう聞いて、白衣の女性、ネリエは満足そうに口元を緩めてみせた。
黒髪の女性は暫くマグカップの中を見つめていたが、やがて女の子、カレンの方へ目を向けた。
昨日までのことを思い出して。
ここは病院で、彼女は助けられたことをようやく理解したのだ。
「……どうして」
「え? 」
「どうして、私を助けたの?」
カレンは特に考えるような素振りは見せなかった。ただ、真っ直ぐと女性を見つめて、はっきりとそれを口にした。
「泣いてたから」
「え……?」
「だから助けたの。他に理由なんて無いわ」
同情も、哀れみも、怒りも、そこには介在していなかった。当たり前のことを、当たり前だと。たったそれだけの理由。
どうしてか、彼女は涙が込み上げてくるのを抑えられない。彼女は知っているような気がしたからだ、その強い瞳を。凄く懐かしくて、愛おしい、そんな感覚が胸を熱くさせたのだ。
「……聞いても良い? 」
「………」
「お姉さんを、探しているの? 」
女性は俯いて、首を振った。
「……分からない」
「え?」
「分からない、の。何も覚えて、いない」
堪え切れなくなった涙が、彼女の頬を伝う。
「……私、最近になって思い出した。お姉ちゃんがいたってこと、何で」
何で忘れていたのか。嗚咽も混じり、途切れ途切れながら、彼女は泣くことを止めずに続ける。
「指輪……見つけて、それ、お姉ちゃんから貰ったもので、思い出し、て……」
「………」
よく見れば、女性の首にはペンダントとして指輪がかかっていた。
「……連れていかれたの、思い出した」
「連れていかれた? 」
「刺青、した人達に……腕に」
腕の刺青。それが何を意味するのかは、言うまでもない。
国が生み出した負とも利ともとれる異端者に、生活権利を与える代わりに、目印も施した。国の審査を受けて、〝合格〟となった異端者は腕に特殊な刺青を受けるのだ。
「どんな刺青か、覚えてる?その人達?」
「……分からない、どのくらい前のことかも」
(まさか、殲滅隊の連中じゃないだろうな……)
ネリエは、思わずタバコを噛み締めそうになり、ゴミ箱へと放った。一番口にしたくない単語を思い浮かべてしまったから。
「でも、私……何も覚えてない……だから、この市に来れば」
「ひょっとして、辻斬りも……お姉さんを探す為に」
「……どうしたらいいか、分からなくて」
殺害被害が全く無かったのは、彼女の良心だったのだろう。悪業を働いた異端者ばかりを狙ったのも、善良に暮らす異端者に手を出せなかったからなのかもしれない。
様々な都市の中でも、異端者の存在が正式に認められ、集まってくるこの市で、何でもいいから手がかりを集めたかった。
「ごめんなさい……私、本当に、ごめんなさい……」
けれど彼女は、大きくやり方を間違えてしまった。どうして彼女の記憶が曖昧になっているのかも分からないままだった。女性は、押し寄せてくる恐怖と懺悔の念に、肩を震わせて、泣き崩れる。
家族の為に
大切だった人の為に
愛する人の為に
それだけで、彼女には十分だった。
だから、答えも既に決まっていた。
「貴女の依頼……受けるわ」
「………え? 」
「お姉さん、必ず見つけましょう」
万屋が、約束するわ。どんなに時間がかかるか分からないけれど。必ず、お姉さんに会わせてあげるって。
女性は濡れた眼が固まり、嗚咽は止んだ。ただただ、言葉を失っていた。
「さてと、そうと決まったらまずは住む場所と仕事よね」
「え、えっと…… 」
「待ってなさい、今話を通して来てあげるから! 」
意気揚々と病室を出て行くカレンに、女性は唖然としたまま固まる。そんな彼女の肩に、優しく手が置かれた。
ネリエは、少しばかり呆れた様子で。
「罪を償う気があるならば、大人しく彼女に従うことだな」
「……」
「今の君には行くところもないだろう。だが、この街ならば話は別だ」
この、五番街ならな。
「この街はな、まぁ荒っぽい連中ばかりだし年中喧しいし、馬鹿ばかりのどうしようもない街だ。治安も市では最悪だな。サナトリウムのような所だ、ここは」
だが、同時に。
「気概も人情も欲も金も、他の街には無いバカさがある。人間も異端者も、肩を組んで、殴りあって、刃を交え、騒ぐことが出来るような……バカさがな」
──私は結構、気に入っているよ。
「君のような、事情のある異端者もわんさかいる。遠慮することはない、大人しく街に捕まるのも一興だよ」
「え?どうして──」
女性は目を見開いた。何故、自分が異端者だと分かったのかと。腕にも刺青は無いはずなのに。
「言ったろう。ここは人間と異端者の街。異端者であることを認めたくない輩や、審査を免れた訳ありの異端者も、ここにはいるのさ」
「……」
「それに、私は医者だぞ?腕は確かなんだよ……残念ながら、な」
そう言って肩を竦めると、ネリエも病室を後にした。
「オイコラ貴様ら……大人しくしてろというだけの言葉も分からんのか? 」
「⁉︎ 」
「いや違っ、これはエリオッちゃんが〝ショーギ〟したいって言うから仕方なく」
「落ち着きなされネリエ医師よ。どうだろう、ここは一旦私の筋肉美を堪能して気持ちを落ち着かれては」
「やかましいっ‼︎良いから寝てろこのボンクラ共がっ‼︎ 」
雪崩のように続く、叫び声とドタバタ音。ワーキャーと鳴り響く喧騒は、女性にとって初めての経験で。戸惑いばかりが目立ってしまいそうになるものの。
「………」
何故か、温まるような心地がした。
「で、結局エルダリオ一家はどうするのさ? 」
「ふむ。まぁ特に関与しない方向だ。家の者が斬られたとはいえ、金を持ち逃げしようとした侵入者だったしな」
翌日の夕暮れ。
病室のロビー、ソファーに腰を降ろしてエリオットとリオ、ジョージは水を啜っていた。
「へぇー、寛大な処置だねぇ」
「まぁ、元々悪業を働いていた厄介者を代わりに裁いてくれていたのだ。総代自身、今後派手な事をしでかさない限りは放っておけと仰られた」
ジョージ自身も納得しているのか、分厚い胸筋の前で腕を組んで頷いている。
「警察も? 」
「基本的には同じだろう。この街の流血沙汰は聞き飽きている。一番街や二番街の警察に至っては、そもそも動こうとすらしていない」
「どーでも良いが服を着ろ馬鹿者」
疲れたようなネリエの言葉に、これは申し訳ないと頭を下げるが、服は着ようとしない。
「それからエリオット、お前はまだ寝ていろと言ったろう。これ以上手間をかけさせるな」
「……」
「全く……」
大丈夫だ、と手を振るエリオット。
深々とため息をつくと、ネリエはぶつぶつと文句を言いながら、医務室へと戻っていった。
「ま、あんな可愛い女の子だしな。素はお淑やかっぽそうだし、何つーの?儚げっての?あのお嬢とは大違いだぜ」
「何よアンタ、喧嘩売ってんなら買うわよ? 」
「うわ出た⁉︎ 」
人をゴキブリみたいに言うなっ。
飛び上がって椅子から落ちるリオを冷淡に見下ろすカレン。つい今しがた、病院へ入って来たのだ。
「大体斬られかけてるじゃない、ホントバカよね男って」
「でもさ、さっきご飯届けたら「……ありがとうございます」って笑ってくれたんだぜ?おまけにさっき気付いたが、胸もでかいんだこれが」
「ふっ、上等よ……耳に新しくピアスの穴でも開けたげる」
「それピアス違う⁉︎耳ごと無くなる⁉︎ 」
コルト・パイソンを取り出そうとするカレンを手慣れた手つきで取り押さえるエリオット。
私だって、あと2年すれば必ず──と涙目になって喚き暴れるお嬢をどうどうと取り押さえる。
「まぁしかし、齢はまだ16と聞く。幼い身の上で、こんなことになるとは……さぞかし辛いだろうな」
「「16⁉︎ 」」
「む?そうだが……ど、どうなされたスティアレットお嬢様⁉︎ 」
「16で……あの、胸……」
この世に神はいない。ガックリと膝をつくお嬢様。
「つか、仕事の件はどうなったんだ? 」
「え、えぇ……そうだったわね。話は付けてきたわよ」
女性の退院許可を貰い、カレンはリオとともに女性を連れ出した。エリオットはまだまだ許可が降りずに入院中だが。
「あ、あの……私」
「良いから、ついて来て」
三人がやって来たのはとあるお店だった。
「いやここうちの店じゃん⁉︎ 」」
パレオ通りのPAJESTA。夕方からもうガレージのテーブルでは飲んだくれたり、愚痴をこぼしたりする連中の姿が。店の奥からは楽しそうな笑い声も聞こえてくる。
「はーい、お待ちしてたわよ〜、カレンちゃん」
そんな中から、のんびりとした口調とニコニコとした笑顔で、リョーコが歩いて寄ってきた。
「姐さん?え、何それ?俺だけ話聞いてない感じ? 」
慌てるリオは放っておいて、カレンは女性へ手を向けた。
黒いシャツと短めの白いスカートはネリエからの借り物だ。
彼女がそうなのね〜、とリョーコは微笑みながら嬉しそうに両手を併せた。
「え?えっと……」
「言ったでしょ、貴女の依頼を受けるって」
戸惑う女性にカレンは腰に手を当てて、その控えめの胸を張って見せた。
「その為にも、まずはこの街で依頼料を稼いでもらわなきゃね」
「………」
「安心しなさい。うちは後払いにも対応してるから」
彼女なりの決め文句だったのだろうか。流行らねーよそんなダセエ台詞、と横槍を入れたリオの脛を思い切り蹴りつけていた。
「良い……んですか、私なんか」
「女の子なら住み込みオッケーよ〜。それより貴女、良い声ね〜歌とか、歌える? 」
こくり。彼女は歌は嫌いではなかった。
「って、そういえば……」
まだ自己紹介もしていなかったと今更になって気が付く。
「貴女、名前は? 」
「ろ、ローレライ……ローレライ・クレイン」
「うん、ローラね。私はカレン、よろしくね」
カレンに続いて、リョーコも自己紹介。
蹴られて未だにもんどり打っている男は華麗にスルー。
リョーコはまだ戸惑うローレライの手を取ると、そっと、自分の手を重ねた。
「……私達は、事情なんてうちは気にしないから。貴女も遠慮しないで」
「………」
「でも、困ったことがあれば何でも相談してね❤︎」
よ、よろしくお願いします。慌てて頭を下げるローレライ。
「いやー流石姐さん、懐がひろいっ 」
「当然よ〜。もし経営難になっても、リオちゃんをクビにすれば済む話だもの」
「姐さん⁉︎冗談キツイっすよ⁉︎ 」
「え? 」
「え……」
クスッと。思わず零れた彼女の笑みに、三人は顔を見合わせて。また、笑ってみせるのだった。
「おい、この馬鹿者。主治医に喧嘩を売りたいならばそう言え」
「………」
「私も最近、メスを振るう機会に飢えていてな……遊びに付き合ってくれるか?それとも大人しくベッドに戻るか? 」
ギラリと光るメスが数本。
病院からの脱走に失敗した男が約一名、入院が一週伸びた。
鉄砲玉のカレンちゃんと付き人のエルちゃんの第二弾でした。
異端視とはなんぞや、という所をお医者さんにちらっと話して貰いました。あと過去に何があったのかも、ちらほら匂わせつつ、第二弾はこんな感じで締めくくります。
敵が仲間にというベタな展開で、まぁ無差別通り魔ですが、世界観で考えるとそれほど珍しくないといいますか、外側でももっとえげつないことが起こっているような世界なので、ご愛嬌と致してくれると助かります。
取り敢えず、二弾のキャラクターです。
リオ・クレベック
PAJERTAの従業員Aです。情報屋の従業員でもありますね。年齢はエルと同じくらい。
後は特にないかな……あ、瞬発力が極めて高い異端者です。
オチが多い基本的に人が好い人。
リョーコ・キリシマ
PAJERTAのママ。情報屋の店主です。いつも笑顔を浮かべているので微笑みの女神って称されてます。微笑みながら甘い声色でしばきます。店近辺ではボス的な扱い。
トム
従業員B。基本南米料理担当
トマジ
従業員C。和食担当
ネリエ・ロンド
五番街のお医者様。注射より先に手が出ることもしばしば。でも腕は確かです。街ではとても信頼されてます。特に異端者にとっては。
エルとは古い付き合い。カレンよりもずっと古いです。年齢も同じくらい。
異端者の中でも特別な特異体質を疎んじています。あとサディスト。
ローレライ・クレイン
日本刀を使う元辻斬りです。年齢は16歳。華の女子高生。
基本オロオロ系で、控えめな性格。
でも刀を持つと別人。抜刀術は凶悪。あまり刀をもたせてはなりません。
歌が上手いので、PAJERTAでは従業員兼歌姫やります。あと料理も上手。あと胸も結構大きい。……カレン頑張って。
次回も書きたいなって思います。何か、ほのぼのした日常短編とかもそのうちやりたいなぁ。
では、また次回を書く機会があればよろしくお願いします!