第七話『小さな戦闘狂』
魔具と魔装――その違いが何かと問われれば、つい今しがた魔装の存在を知ったあたしでは細部まで答える事はできないけれど、ひとつ確実なのはその素材。
魔具は何らかの道具を触媒に、魔力付与することで作られる。魔力は電池のようなもので、あたしたちの世界で使う電気機器と同じようなものだ。
では魔装。魔装はその素材が、魔――この世界とはまたすこしズレた位置にある世界の住人たちの体や魔力を使っている、らしい。
かつて――というほど古い話でもないけれど――魔は、この世界をその強い魔力で脅かしていた。今、その魔族そのものの数が極端に減って、脅威というには細微なものになったけれど、今なお魔や魔獣と呼ばれる存在は残っていて、ひと度姿を表せれば、村のひとつくらいいともたやすく滅んでしまう。
それを素材に?
「あたしも実戦投入は初めてなんだよね。だからね、試させてね!」
何をしてくるかわからない。ただ〈メルトダスト〉から溢れ出る魔力がどんどんと濃縮されているのだけはわかる。
「〝火トカゲの目〟」
回し蹴りの用量でエレが〈メルトダスト〉を振るった瞬間、そこから放たれた魔力が――火が、一気に周囲に広がった。
「なっ――」
直撃こそ避けたものの、炎は広域に広がり、彼女が連れてきていた兵士たちも慌ててここから離れていく。何人かは巻き込まれてしまったようだ。
しかしそれにしても――
「これは、見覚えがある」
どころじゃない。
あたしはこの〝魔〟を知っている。
「へえ……いいねこれ」
試し打ちすらしたことがないらしい。エレは不気味に笑う。一度火を吐き出した〈メルトダスト〉からは、魔力によって作られた火が噴き出している。あの火は自分の魔力だ――彼女自身は別段熱くもないのかもしれない。
「状況が傾いたんじゃない?」
燃え盛る炎の中を、エレが駆け抜けてくる。
「いつまでも後手に回るつもりはないよ!」
あたしからもエレに接近する。燃える蹴りをしゃがんで躱し、軸足を払う。体勢を崩したエレに追撃を仕掛けるために上からかぶさるような体勢になったけれど、エレもただでは倒れず、順手に持ったナイフをとっさに振るう。
ヒュン――と耳元で空を切る音がして、背筋が寒くなった。
ナイフを避けるために上体を逸らしてしまった隙に、エレはすでに体勢を整えていた。その目は確かな殺意を光らせている。
「くそっ!」
無駄な悪態が口をつく。思いつきのままに、さっき収束した〈幽影〉の魔力を開放した。
「なに!」
エレの声が黒い魔力の向こうから聞こえた。その魔力は形を作らず、ただ膜のように広がって、霧散して消えた。
攻撃能力こそないけれど、エレの動きはそれで止まった。
「うぅーん……埒が明かないね」
エレがため息混じりに言う。
「そうだね」
実力が拮抗している――のかもしれない。あるいは、今回の戦いにおけるスタンスが、この「埒の明かなさ」を生んでいるのかもしれない。
あたしを殺す気だけど、攻撃が単調なエレ。
なんとなく気持ちが攻め切れないあたし。
攻撃を捌くことはできるけれど、攻撃に転じて決定打を奪うまでいけない。新しい魔具をうまく扱えないのも、理由のひとつにはあるのだと思う。
「エレ、ひとつ提案があるんだけど」
「んー?」
「とりあえず、今日はやめにしないかな」
半分以上、本気で言った。これ以上の戦いは不毛にしか思えない。そもそも――人と戦うことに抵抗がある。
エレは「うーん」と腕を組んでうなる。一応考えてはくれるみたいだ。彼女がどういう立場かはわからないけれど、少女ながらに自分の部下を持っているのだから、それくらいの地位ではあるのかもしれない。
そう祈りたい。
「でもなあ。ほら、正門前で戦ってる人たちがいるでしょ?」
そう言ってエレは正門の方角を指さす。
かすかに戦士たちの怒号が聞こえてくる。
「だからね、わたしだけが戦いを終わらせるわけにはいかないんだよね。一応わたしが本命だしね」
この人数でまさかそんなことは――と思っていたけど、本当にレミアの言うとおりだったなんて……。どういう意図を持ってこの少人数が本命なんだろう。なんとなく、陽動に対してさらに大勢で突然攻められたほうが、攻められる側の焦りは大きいと思うんだけど。そういうのとは違う――それとは別の意図がある?
「深読みしてる顔だね? やめてほしいなぁ」
「あたしはそこまで賢くないから、きっと答えには辿り着かないよ」
頭脳労働はあたしじゃなくて〝彼〟の仕事だ。その仕事をしてくれる〝彼〟も、今はもういないけれど。
「どうしたらいいかな?」
「どうしたら、というと? わたしは難しいことはわからないよ?」
わからない、というよりは、考えるのが面倒くさいんだろうなと、なんとなく思った。
「これ以上あたしたちが戦っても、きっとなにも生まれないよ」
「なにも?」
「勝敗さえ」
たぶん。
勝負はつかない。
「そっかー。それは嫌だね。うーん……」
考える素振りを見せているけど、本当に考えているのかは怪しいところだ。仕草がわざとらしすぎて、信用できない。
「わたしが負けたってことにするのはーなんか身内からの評価が下がりそうだしなあ」
とんでもないことを考えていた。この子にとって、この戦いはどうでも良いことだって言うつもり? いや……というよりも、この子にとって大切なのは、周りからの評価なんじゃないか?
そんな気がする。
「ねえ」
そこをくすぐってみたいものの、これといった案が浮かばない。〝彼〟なら何か思いついたのだろうか。
「うん?」
「レミアは――」代わりに、別の方向から揺さぶることにした。「――エレ、というか、この裏門から本命が来るって予想してたよ」
作戦の看破。
前触れのない急襲だったにも関わらず、その作戦が看破されていたとなれば、普通の人ならその事実に動じるはず。
「まあそうだろうねえ」
けれどエレは普通の人間ではなかった。
「驚かないの?」
「まあ心視姫だしね。どこまでの力があるかは知らないけど、作戦がバレてたからって、それほど驚くことでもないかな」
心視姫――レミアの別称であり蔑称。女王なのに姫とはこれいかにとも思うけれど、そんな些細なことは気にしなくてもいいと思う。語感の問題だろうたぶん。
あたしが知る限り、レミアが人の心を読むことができるのは、その人がそこにいるとわかっている場合だけだ。目の前にいない人、いるかどうか不明確な人、そういう人の心は読めない。だから今まさに攻めてきている軍勢があるとわかっていても、そこに〝誰〟がいるのかわからないままに、その人の心を読むことはできない――はずだ。
「あ、でもそれはいいことを聞いたね」
「――っ!」
いけない、しゃべりすぎた? 余計な心理戦を仕掛けようとして失敗してしまった?
「そういう事実があってチサがここにいるなら、再度やり直そうって提案して帰れるね! チサがここにいるってだけじゃあちょっと理由としては弱かったんだあ」
……何事もなくてよかった。というよりも目的達成に対する意欲が低くてよかった。
「いいよ、帰ってあげる。正門の部隊にも連絡してあげるよ。すぐに戦いも終わるだろうね」
そう言ってエレはあたしに背を向ける。警戒心など――微塵も感じない。
「ねえチサ。チサ。次会ったら、もう一度戦おうね。会う度に戦おうね。わたしは今回の戦いにはあんまり興味ないし、話が難しいからよくわかんないけど、チサと戦うのだけは楽しいってわかったから、うんと楽しみたいんだ」
こちらに顔だけ振り返り、小さく、歳相応の少女のような笑みを浮かべる。
「ばいばい。また殺し合う日まで」




