第五話『戦場デビュー』
先に動いたのはエレだった。エレが動いたと気づいたのは、エレがあたしの視界から消えた後だった。
「――え?」
さっきまで十メートルは離れていたのに、エレがすでに目の前にいる。迷いなく首元を狙うナイフを間一髪、上体をそらすことでかわし、そのままバク転をする勢いでエレを蹴り上げる。難なくクロスした腕でガードされたけど、一応距離を取ることができた。
はずだったのに――。
「くっ――」
エレはすぐに体勢を立てなおしていた。エレの攻撃を凌ぐのがやっとで、攻撃に転じる隙がない。
速い。
でも、速さなら。
「おりょ?」
大きく踏み込んだエレの腕を掴み、ぐっ、と引き寄せる。勢いを殺さないまま、エレの腹に膝をぶち込んだ。
「ぐえへ」
そのまま投げてしまおうかと思ったけど、すぐに思いとどまり、エレの腕を締め上げる。
「離して!」
「危なっ!」
慌てて手を離し、もう一度距離を取る。エレはナイフを逆手で持ってい|た|《、》。手を離すのがあと一瞬遅かったら、あのナイフで刺されていただろう。
「うぅー。その手袋なに? 掴まれただけですっごい疲れるんだけど!」
さっきまでの研ぎ澄まれた雰囲気が崩れ、あのほわほわしたエレになる。あまり集中力が持続しない子みたいだ。
「あたしの秘密兵器、かな」
世界を救った武器の姉妹器だ。
さて……あんまりゆっくりもしていられない。魔力が本当に吸えることもわかったし、そろそろ決着をつけたい。〈剛拳〉に魔力を込める。
一撃。
一撃で仕留めよう。たぶん、死なないと思う。
「んん?」
決着へ踏みだそうとしていた矢先、エレが訝しげにあたしを見始めた。
「んん? んんん? なあんか知ってるなあ」
指を顎に当て、戦闘などそっちのけであたしをジロジロと観察している。別に見られたところで何もないけど、あんまり見られるのは不愉快だ。それともこの子、観察によって何かを見抜く能力……あるいは魔法を?
「あっ! わかった! チサってあれでしょ? あのゼノを倒したっていうふたり組のひとりでしょ! 聞いたことある名前だなって思ったんだー」
聞いたことある名前って……いくらなんでもゼノを倒したことまで知ってるなら、もうちょっと早く思い出して欲しかった。いや、別にいいのかな。あたしが倒したわけじゃないし。
倒したことを、誇りに思っているわけでもない。
「すごいね! ありがとお! お陰で世界は平和だよ」
満面の笑みでそんなことを言う。
「そう思うなら、こんなことはやめない?」
せっかく平和になったのに、どうしてまた戦わなくちゃいけないのか。
何が気に食わなくて、こんな戦争を起こしているのか。
「難しいことわかんないなあ。気づいたらこんなことになってたしね」
「だったらなおさら――」
「でもね」と、エレが剣呑な雰囲気を纏う。「チサに勝てば、わたしはめっちゃ強いってことだよね?」
うわ……この流れ、嫌な予感がする。
「全力で行くね、チサ」
来る――と、身構えた矢先、エレの体から力が抜ける。
「?」
予想外過ぎて体が動かない。というよりも、動いてはダメな気がする。エレはたぶん、まだ隠し球を持っている。さっきから無視し続けていたけど、あの動きの早さは人間ワザじゃない。たぶん彼女の魔法だろう――あ|る《、)いは、あの靴か。
「行くよ」
静かに、エレが言った。
耳元でギリギリと金属がこすれる音がした。とっさに動いた左腕が、〈剛拳〉の魔力の結晶でエレのナイフを受けていた。エレの腹を蹴り、もう一本のナイフをかわす。こうなると片腕しかないのが歯がゆい。
「だったら!」
片腕しかないのはしかたない。
でも、足なら二本ある。
〈幽影〉に一層の魔力を込め、エレにハイキックを見舞う。が、それも難なく受けられた。あたしの動きもそれほど遅くないはずなのに――術式の力でかなり速くなっているはずなのに、エレには対応されてしまう。
「チサも同系統の魔法なんだね――」
魔法――ではないけど。
「――わたしの速さについてこられる人、初めてかも」
ほとんど感覚だけでエレとの攻防を続けながら、それでもその瞬間、エレがわずかに笑っているのは、確かに見えた。
執拗に顔――致命傷を狙ってくるエレの懐へ潜り、身をさらに低くして、エレの足を払う。それでもそれは小さくジャンプすることで回避されて、その落ちてくる勢いのまま、エレのナイフが降ってくる。
「くっ」
体を支えていた左腕で体をかばい、〈剛拳〉から魔力を飛ばす。前みたいに勢いでぶっ放すのではなく、魔力の消費量と威力のバランスをすこし気にしながら。
「うわあ!」
魔力はうまく形を作らず、放たれた投網のように広がってエレの体を覆う。エレも攻撃を中断して後ろへ飛び退いた。
「卑怯だね!」
エレが叫ぶ。
「卑怯もなにも、あたしはずっとこうやって戦ってきたよ」
ちょっと違うけど、似たようなものだ。
あたしはずっと、あたし以外の力で戦ってきた。
そういう意味では、やっぱり卑怯なのかもしれない。
「ていうかチサ――」ナイフを突き出しながら――殺意をあたしに向けながら、気安げに話しかけてくる。ナイフの持ち手を順手と逆手、それを巧みに使い分けている。「――チサって魔法がふたつも使えるの?」
「あたしは――」懐に潜り――エレは中・下段がおろそかだ――突き出す腕を下から払い上げる。「――魔法なんて使えない」
「使えない? だってめっちゃ速いよ? それにさっきのよくわかんない魔力の膜みたいなのだって」
「あたしが使うのは術式――」どうしてこんなことをエレに話してしまっているのだろう。敵に自分のことを教えたって、いいことなんてないのに。「――言うなら人工の魔法」
しかもオン・オフの自由はなくて、常時発動している。
「じゃあどれが術式なのかな?」
「さすがに教えられないかな」
見ればわかりそうなものだけど……わからないなら、わからないままのほうがいい。
〈幽影〉に魔力を込め、下から上へ、全力で蹴り上げる。黒い魔力の帯が弧を描く。試しにそこでもう一度魔力を込めてみると、弧を描いた黒い魔力の帯が〈幽影〉に収束した。〈幽影〉を覆う黒い霧が一層濃くなる。
「おっかないなあ、それ」
エレが苦笑いを浮かべているけど、あたしにしてみれば、まだ一度も使われていないその靴のほうが不気味でおっかない。
「全力で行くって、さっき言ったからね。わたしの魔装脚〈メルトダスト〉の力、見せてあげるよ」
魔装脚? 靴型の魔具のことをそういうのだろうか。
「これはひと味違うから気をつけてね!」
そうエレが笑った瞬間、魔装脚〈メルトダスト〉とやらから高圧の魔力が噴出し、一気に気温が上昇しはじめた。
「これは――」
「これは魔具じゃないよ。魔具をさらに高みへ導く、わたしたちの新兵器!」
エレは笑う。
「魔の体から抽出した魔力やその体を素材に作られた武装だからね!」




