第二話『英雄、再び』
プリムラはきつく口を結び、一度深く頷いて、「ほんのすこしだけ時間をください」と言って、部屋から出て行った。あたしはすぐにでも出て行きたかったけど、プリムラは真剣で、いたずらにそんなことを言っているわけではないとわかった。
彼女が帰ってきたのは、本当にすぐだった。
「何をしてたの?」
「それは後でお話します」
うなずいて、プリムラの手を引いて、さっき使ったばかりの魔法陣の上に立つ。
また、さっきの施術室にやってきた。
エレナはいない。もうレミアからの連絡は来ているだろうか。来ているなら、もうあたしを元の世界に返す準備を進めているはずだ。
「それにしても」と、プリムラが呟く。「レミアさまは大丈夫でしょうか。勢いで出てきてしまいましたけど……」
「あの人もタダで死ぬ人じゃないよ」
心視姫の名はダテじゃない。ある程度彼女と付き合うようになってわかったけど、その心視姫という名も、彼女のひとつの側面に過ぎない。しかも一番|
ど《、》うでもいい側面だと、なんとなく察することができる。
「エレナはどこかな」
部屋から出ようとドアノブに手をかけると、見計らったかのようにエレナが出てきた。軍前と言うよりは、あたしがここに来ることをレミアから聞いたのだろう。レミアはこころを読む力のせいで、どんどんと先回りしてきて面倒だ。
「やあ。別れはつかの間だったね」
エレナはわざとらしく言う。
「ん? そちらは……なぜ君が?」
プリムラに気づくと、訝しげに彼女を見た。小さい体のくせに、妙に威圧感がある。本人にそのつもりは全くないだろうけど。
「えっと、私もチサさまに連れられてきたのでよく……」
半分は本当で、半分は嘘だろう。
「へえ、君は彼女にさまづけさせているのかね」
「どうでも良いところに食いつかないでいいんだけど」
本当にどうでもいい。それにあたしがそうさせているわけじゃない。
「わかっているよ。時間がないのだろう? 早く服を脱いで施術台に寝たまえ」
バサッと白衣に袖を通し、彼女は施術台の前に立った。
「エレナ、あたしは――」
「わかっている。君は元の世界に帰らない。そうだろう?」
私は君のことはわかっているつもりだ、と笑う。
「……うん」
だから、あたしはここにきた。
ここにはあたしを強制的に戦士にする術がある。
迷わず服を脱ぐ。
あたしの体には、全身、あたしを最強たらしめた刻印が残っている。今、この刻印はその力を失っているけど、エレナにかかればすぐに元の状態に戻ることができるはずだ。
かつてのあたしに戻れるはずだ。
「チサさま……」
施術台に横になると、プリムラが言いようのない表情であたしを見ていた。
「心配しなくていいよ。元に戻るだけだから」
そう。戻るだけ。
怖いことなんてない。
「最後に聞くが、本当に良いんだな? 長い時間をかけて術式を解いてきた。それなのにまた君は触媒に戻る。戦いが終わった時、今度も同じように術式を解くことができるとは限らんぞ? 今回だってギリギリだったんだ。最初は諦めていたくらいだ」
あたしも諦めていた。
元の世界戻ることを。
人間に戻ることを。
だけど、あの子が――プリムラが背中を押してくれたから、戻るために頑張れた。
「あたしが今やっていることが本末転倒だとしても、不義理なことだとしても、あたしはまた戦わなくちゃいけない。守りたいものが、あの時より増えたから」
くくく、とエレナは笑う。
「いい覚悟だね。ならば私も腹を括ろう。君の人生を二度にわたって奪うことを、ね」
うん。
だから、あたしはエレナを信じられるんだ。
初めて会った、あの時のように。
「ああ、それと勘違いしてもらっては困るのだがね」
と、エレナが得意気に笑う。
「何がっすかね」
「技術とは進歩するものだ。進歩のない技術などゴミと同然なのだよ」
それは……ちょっと極論じゃないかな……。
「君には私が目指した術式のひとつの答えを示してもらおう。何、前の術式の改良版だ。臆するな」
エレナがあたしにはよくわからない道具を手にとった。
かつて術式をあたしに施した時も、さっきの解術の時も、その道具はあった。
プリムラはいつの間にかあたしたちから距離を取り、手に持っている何かをじっと見つめていた。彼女も彼女で何か思うことがあるみたいだ。突然の出来事だ……何もないほうがおかしいか。
「前の〝力は満ちて〟は不安定だった。効果は高いが燃費も悪い。未完成だったから、あれはあれで上出来だったがね」
作業の手は止めないまま、エレナは言う。施術中に全ての説明を終わらせるつもりだろう。
時間がないのは事実なのだ。
「消費魔力を抑えた結果、やや効果が落ちてしまったのは痛いところだがね。ただ魔力を常に充填し続けなければならない枷を考えれば、燃費性能の向上は絶対条件だった」
確かに、あたしはそれで何度も悩まされた。魔力を節約する戦いも、〝彼〟とともに考えた。
「〝力は満ちて〟と異なるのは、今回は単純な攻撃力よりも機動力を重視したことだ。攻撃力は魔具でどうとでもなるからね――」そこでエレナは、はかなげな笑みを浮かべた。「――人間の体は脆い。頑丈な者であっても、些細な差でしかないし、やはり痛いものは痛い」
だから、速さが大事だ。
「ただし、前よりは遅いぞ。持久力も加味したからな。瞬間的には以前と同等の速度は出せるが、持続は無理だ。そもそもあそこまでの速度は必要ない」
お腹が強く押され、変な声が出た。
「さて。あとは定着を待つだけだ。しばらくそのまま横になっていろ」
一仕事終わったとばかりに、エレナは白衣を脱いで、あたしの体に雑に毛布をかけてくれた。丁寧にかけてほしい。
「え? もう終わったの?」
いくらなんでも早すぎやしないか。
「術式の基礎はすでに、君の体にあった。あとは設定するだけだ。造作もないよ」
術式の基礎。
考えるまでもない。体に刻まれた、あと一度の施術で消える予定だったこの刻印だ。刻印は今も変わらず、あたしの全身で魔力を熱望している。
「そしてお待ちかね、君に新しい魔具を与えよう」
それは、以前使っていたものとよく似ていた。
今回はあのハーフフィンガーグローブではなかった。甲の部分には、以前よりも小さい青い石――魔力の結晶が埋め込まれている。でもやっぱりハーフフィンガーグローブだった。
「いつも思うんすけど、どうして指ぬきなんすか?」
正直、ださいというか恥ずかしい。いややっぱりださい。
「手が滑る、という間抜けなことを予防するためさ。デザインなど実用性重視に決まっている」
さて、とエレナが言う。
「これは前のように魔力をぶっ放すことはできないぞ。君たちが導入した、『インパクトの瞬間に魔力を放出する』という仕組みを活用する形になっている。ぶっ放しもやってできないことはないが、もうちょっと頭を使ってやってくれたまえ? 自分が死にたくなければね」
つまり前よりもインファイトに特化した形になるわけか……。まあ、問題ないと思う。
「そしてこれ、あたしも驚きの最高の改良点なんだが」
「何? もったいぶらずに教えてよ」
「触れた対象の魔力を微量だが吸収することが可能だ。オンオフは訓練で身につけたまえ」
え?
「それって――」
「そうだ。〈揺光〉と同じさ。能力差は歴然だがね。〈揺光〉の技術を流用したのさ」
簡単そうに言うけれど、それは簡単なことじゃなかっただろう。
「君が旅をしている間、私は私で己の研鑽を積んでいたということさ」
「あの……」
今まで何もしゃべらなかったプリムラが、おずおずとこちらの会話に入ってきた。
「チサさまは片腕です……その、義手とかそういうのは……」
確かに、あたしが使う魔具がグローブなら、片腕しかないあたしでは宝の持ち腐れのようにも思う。この世界の義手は魔法の魔力付与によって、もともとの自分の腕と変わらない細かな動きができるらしい。
ただ――
「チサが使うと義手に魔力をどんどん吸い上げられてしまうからな。ただでさえ魔具を三つも装着するんだ。義手のような大食らいは避けたい」
三つ?
「魔具ってそのグローブだけじゃないの?」
前はグローブだけだった。それだけで十分に戦っていられた。
「もちろんだ。拳の魔具があるなら、足の魔具があってしかるべきだ。特に君のようなインファイト特化の戦士にはね」
前作に引き続き傍点を使いかつ、ブラウザの表示を気にして一文字ずつ傍点を振ってるんですが、なんで前作でそれを貫けたのかわからないくらい大変です……




