第一話『旧英雄、立つ』
あらすじに注記しましたが、前作の続きのようなものです。
出来る限り未読の方でも大丈夫なようにしてはいますが、限界はあるので、前作から読んでもらったほうがいいかと思います。
「今日はここまでだ。お疲れ様」
エレナはそう言うと、いつものようにあたしに服を投げてよこした。
「次で最後。きみは元の世界に戻ることができるようになる。人間に戻ることができる」
人間に。
あたしがそれを良しとしたとはいえ、あたしを人間じゃないものにした人にそう言われるのは、なんとなく不愉快だった。
施術台の上のあたしの体には、青い紋様が浮かび上がっている。かつて――とはいっても、まだ数ヶ月前まで、あたしはこの世界の誰よりも強かった。術式という技術を用いて肉体を改造されたあたしは、最も歪な強者になった。
あたしを最強たらしめた刻印――それが、消える。
「もう何度も聞いたけれど、未練とかそういうのはないのかね」
「未練?」
そんなの……あるはずもなかった。
あたしがこの術式の実験台になることを志願したのは、ただ魔を倒すためにそれが最も良い手段だと思ったからで、強さとかそういうものに魅力は感じない。
「魅力を感じない、ねえ……それにしては〝あの時〟、その〝強さ〟にこだわっていたようだが?」
「掘り返さないでよ。あの時はあの時、今は今。あたしは早く元の世界に帰りたい。今はそれだけ」
エレナはふっと笑い、
「なら早く服を着たまえ。私はすぐにでも最後の準備に取り掛かろう」
そう言って部屋から出て行ってしまった。
「はあ……」
その「最後」だっていつになるかわからない。段階を踏んで術式を解除していっているけれど、一回一回にかかる準備はその度にマチマチだ。一週間かかったり、次の日に呼び出されたり……こちらの都合などお構いなし。あたしとしては早く帰りたいから、この施術が何よりも大事だけど。
術式を解除できる――その可能性が見えてきただけで、それだけで救いなのだから。
「とりあえず一度お城に帰ろっか。あの子も待ってるだろうし」
服を着て、部屋の隅の魔法陣の上に立つ。しばらく立っていると、フッと体が軽くなって、次の瞬間にはお城のあたしの部屋についていた。
「こればっかりはいつになっても不思議っすねえ」
帰ってきた部屋は、あたしが出て行く前よりも綺麗に整頓されていた。どうやらまた掃除に来ていたみたいだ。シワなく整えられたベッドにおもいっきり飛び込むと、なんとなく楽しい気分になった。
「あっ! せっかく綺麗にしたのにまたそんなことを……」
ノックもせず、彼女は部屋に入ってきた。
「ノックくらいしようよ。レディの部屋っすよ?」
彼女――プリムラは呆れたと言わんばかりに、大きなため息をわざとらしく吐いた。
「レディはそんなはしたないことはしませんよ」
……。
「ところでチサさま。施術は順調ですか?」
プリムラはあたしが変えてくる度に、いつもそうやってあたしの体調を慮ってくれる。
「順調だよ。次で最後」
「そうなんですね! ようやくですね!」
自分のことのように嬉しそうに、プリムラは笑う。
「うん。だからプリムラ、きみとももうすぐお別れっす」
彼女は――プリムラはどう思うのだろう。
あたしと、その前に〝彼〟を見送って、あたしよりすこし年上の彼女はどう思うのだろう。あたしはちょっとだけ寂しかったり。
ちょっというか、かなり。
「もしかして寂しかったりするんすか?」
自分が寂しいのを棚にあげて、そうプリムラを冷やかす。
「そうですねえ……チサさまは少々おてんばが過ぎるので、せいせいするかもしれません」
「なっ――」
イタズラっぽい笑みを浮かべ、プリムラはあたしが寝転ぶベッドの端に座った。
「なんかあっという間にでしたけど、でもまだ、どれだけかわかりませんが時間は有ります。別れた後に寂しくないように、ゆっくりお話をしましょう」
ああ、今日はもしかしたら寝られないかもしれない。
「チサさま、ずっと聞きづらくてこれまで黙っていたのですが」
「ん?」
「もう、彼の者に奪われた腕は痛みませんか?」
奪われた腕。
あたしの片腕は今、あたしの体に繋がっていない。利き腕だった右腕は、彼の者――この世界を脅かした魔の長〈俯瞰するゼノ〉によって奪われた。
幻痛――というらしい。
なくなったはずの腕が痛む、そういうことは実際珍しくはないそうだ。
「大丈夫。腕がない不便にもだいぶ慣れてきたしね」
これから戦うなんていうこともない。平穏で平凡な日常を過ごすなら、片腕でも大丈夫だろう。不便はするだろうけど。
「そうですか」
「それに世界を救うための犠牲があたしの腕一本で済んだと思えば安いもんだよ」
〝彼〟はピンピンして帰っていったし、あたしも腕一本失っただけで、この世界の脅威を討つことができた。今振り返れば、〝彼〟とあたしは、ふたり共々どこかで野垂れ死んでいても不思議じゃなかったように思う。特に〝彼〟なんて、あたしと会うまでの期間を無事に過ごしていたことが異常だと思う。
「あたしも気が気じゃなかったんですよ」
と、プリムラも笑う。
彼女は自身の魔法とアイテムを使って、時折〝彼〟と話をしていたらしい。あたしたちで言うところの「メール」だ。
「いつもいつも強がっていました。声はいつも疲れていて、それでも「大丈夫、平気」なんて言うんですよ」
それはとても〝彼〟らしいと思った。〝彼〟はそういう人だった。背負わなくても良いことも自分で背負ってしまう、そういう人だった。
「でもチサさまと合流してから、すこし楽しそうに話すようになって、わたしも、もう大丈夫だなって安心したんです」
「…………」
「ねえ、チサさま――」
プリムラが何かを言いかけた時、城内には珍しい、荒々しい足音がいくつも聞こえてきた。足音はあたしたちの部屋を通り過ぎ、謁見の間のほうへと向かっていった。
「何事でしょうか」
「あたし、ちょっと見てくるよ」
何かただならぬ雰囲気を感じる。あたしがこのお城のお世話になるようになってから、こんなことは一度もなかった。
「そうですね。私はベッドをもう一度綺麗に直しておきます」
うっ……。
「じゃ、じゃあ行ってくるっす」
逃げるように部屋を出て、謁見の間へ向かう。この城の城主――女王レミアは、別に常に謁見の間にいるわけではない。彼女は彼女で多忙だし、そうでない時はふらふらとどこかへ行ってしまう。だからフラッと謁見の間に行ったところで(そんなことをする人はそうそういないが)、そこに彼女がいることはめったにない。
しかし、この騒ぎを聞きつけたのか、それともあらかじめ連絡をしていたのか、そこにレミアはいた。
「……それは困りましたね。まさかすぐそこまで迫っているとは」
壁に隠れて、彼らの話を盗み聞く。もっとも、こんなところに隠れたところで、レミアに対しては全くの無意味だけど。
「では、作戦指揮の一切は全てエヤスに任せるとしましょう。ギースはこれまで通り、騎士団の団長として隊の指揮を。衛士は城内及び都内の警戒を。各自解散し、最大限の警戒を」
レミアはそう言うと、王座を立った。それとほぼ同時、王座の前で跪いていた彼らは、すぐに立ち上がって駆け出した。中には見知った顔もいたけれど、声をかけられるような雰囲気ではなかった。
「――嘆かわしいことですね。魔による恐怖が去ったというのに、今度は人の手によって世が乱れるなんて」
静かになった謁見の間に、レミアの声がしんと響いた。
「それは、どういう意味っすか?」
隠れる意味もない。
あたしはレミアに聞いた。
「ああ、チサ。術式の解除はもう終わったのですか?」
「あと一回で終わりっすけど」
「そうですか。では、チサ。エレナには私から言っておきます。すぐにでも施術ができるようにします。ですから、チサ、あなたは施術が終わったらすぐに元の世界に帰りなさい」
「え……」
何を……。
「今、今のこの国――つまり私の王政を覆そうとしている者がいるようです。ここに残れば貴女も危険に晒されます。時間がありません。ここにやってくるのも時間の問題でしょう。すでに進軍は始まっています」
これは、私たちの戦いです。
私たちの戦い?
だったら――だったらなぜ、あたしはこここにいる?
どうして〝彼〟が呼ばれた?
「この世界の戦いと、王の戦い――それは、比較になりません」
レミアは言う。
「貴女は元の世界に帰りなさい。時間がありません」
カッと、あたしの中の何かが沸いたのがわかった。
「あたしは戻らない」
言葉にしなくても、レミアはあたしの答えを知っているだろう。
心視姫。
そう呼ばれる彼女なら。
「あたしは最後まで、あたしの仕事をやり抜く」
あたしを呼び止める声を振り払い、謁見の間を後にする。走って、走って、自分の部屋へ戻り、慌ただしく帰ってきたあたしに困惑気味のプリムラの手を取る。
「ついてきて。ここは危ない」
「それはどういう……」
「あたしもよくわかんないけど、ここが攻め込まれるみたい。クーデターってやつだよ」
そう言うと、プリムラは驚きに目を見開いて、あたしをじっと見つめる。
「さっきそんなことを話してた。だけど今のあたしには戦う術はないんだ。だからきみを守ることができない。だから、ひとまずエレナのところに行くよ」
「最後の――」
術式の解除をするのですか。
「違うよ」
違う。そうじゃない。
「あたしは、もう一度〝最強〟になる」
週一更新を目指していますが、不定期だと思ってください。
例によって書き溜めはしていません。
一話3000文字程度を目安にしていますが、500文字程度は前後しますし、稀に1000文字以上前後する場合もあります。




